2018/04/07 - 2018/04/07
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旅人のくまさんさん
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岡山県の日本百名城巡り、鬼ノ城の紹介です。鬼ノ城は、古くから吉備津彦命による、温羅退治の伝承地として知られていました。苔生した石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、『キのシロ』と呼んでいました。『キ』は、百済の古語では『城』を意味し、後に『鬼』の文字を当てたとする説が有力です。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック)
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これから向かう予定の、『東門』への道案内標識の光景です。吉備平野に向けて設け居られた三つの出入口の内の一つです。出入口は全部で4箇所で、もう一箇所は背面に設けられた『北門』です。(同上)
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再建された『西門』を起点に、反時計回りに見学した『鬼ノ城』の場内光景です。2.8キロの城壁に囲まれた、30ヘクタールの広さを持つ、かつての城砦跡です。1300年前の斉明、天智、天武天皇時代の万葉集や記紀の世界を思い起こしながらの見学でした。(同上)
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イチオシ
地元では『岩切漢音』と呼ばれている摩崖仏のズームアップ光景です。千手観音風にも見えました。礎石建物群の周辺では、仏教に関わる瓦塔、水瓶、器などの遺物が出土しています。鬼ノ城の廃城後、飛鳥時代から平安時代にかけて、山岳寺院が営まれていたようです。確認はできませんでしたが、その時代の仏教信仰に関わる遺物かも知れません。(同上)
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『鬼ノ城』から眺めた、麓の光景です。ゴルフ場のコースが広がっていました。地図で調べますと、『鬼ノ城ゴルフ倶楽部』当たりのようでした。近くには、『岡山国際ゴルフ倶楽部』もあります。(同上)
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敷石や石垣の石材の加工が見事でしたから、現地ガイドさんに吉備でのたたら製鉄などの話をお聞きしましたが、現代にも繋がる連綿とした技術伝承があるようでした。先程からの光景の中にも、製鉄技術を伝える技術集団の郷があるようでした。古い鬼の記述が、出雲風土記にあります。編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇とされ、完成したのは天平5年(733年)のようです。(同上)
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出雲風土記にある『鬼』に関する意訳の一部は、『ある人が山田を作り守っていたところ、一つ目の鬼がやって来てその息子を食べてしまった。その時両親は竹原の中に隠れていたが、その時竹の葉がそよいだ。その時食われる息子が「あよあよ」と云った、そこで地名を阿欲という』というものです。古代には、こうした怪物としての鬼が実在感をもって語られていたようです。(同上)
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『鬼ノ城』から眺めた麓光景が続きます。人が鬼に変じる話も数多くあります。人が人肉を食すると鬼に成ると言われ、茨城童子などは床屋の小僧が人の血を口にしたことから角が生えて鬼になります。血の味を知ったことで、鬼に変化しました。嫉妬に狂った女が鬼に変じたのが般若ですが、能楽で出てくる『生成り(きなり)』は、女が鬼に変じきる、その手前の段階とされます。(同上)
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つまり、人間はその情欲の深さから鬼に変じることがあるということを教えているようです。鬼というのは、人間と別の種族という訳ではなく、人間が情欲によって生じたもの、あるいは死んでもなお強い情念に駆られて霊的に怪物になったものと考えた方が良いようです。『鬼と製鉄』の話しは、この後も続きます。(同上)
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もう一度紹介する、自然石に刻まれた『岩切観音』の光景です。観音像の左側に『5番』の文字が刻まれていました。かつての観音巡りの5番札所の名残かも知れません。今も小さな祭壇が置かれています。(同上)
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自然石に刻まれた、『岩切観音』のズームアップ光景です。『十一面千手千眼(観音)』と説明してあったネット情報もありましたが、この呼び名は少し疑問です。観音様は融通無碍、自在です。真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、十五尊観音や三十三観音もあります。(同上)
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何度も目にした『鬼城山案内図』の光景です。現在地が、『第4水門』の近くに記してありました。『鬼と製鉄』の話しに戻ります。『温羅(うら、おんら)』は、伝承上の鬼・人物で、古代の吉備地方の統治者だったとされます。『鬼神』、『吉備冠者(きびのかじゃ)』という異称があります。吉備に残る伝承では、温羅は吉備津彦命に退治されました。いわゆる鬼退治です。(同上)
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『第4水門跡』の標識の光景です。長さ11.7メートル、高さ4メートルと表示してありました。鬼に関する最古の記録は、古事記のイザナギの黄泉返り神話のようです。イザナギを追いかけてくる『黄泉津醜女(よもつしこめ)』が、いわゆる『鬼女』であるとする解釈です。また、元々『おに』という言葉は、『隠』からきたものとされ、『隠れて目に見えぬもの』との見方もあります。(同上)
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『第4水門跡』の光景です。一部にビニールパイプも使用してあったようですが、今も綺麗な水が流れていました。石組などは1300年以上前の原形を留めているようです。『出雲風土記」で出てくる鬼は、『一つ目』の鬼です。鬼は相手の目の数が多ければ、自分より強いと恐れたと言うことで、『追儺(ついな)』のときの『方相』の被り物には、『四つ目の面』があります。(同上)
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『第4水門跡』の排水施設の一部のようでした。鬼の特徴は、角(つの)ではなく、目にあったようです。『一つ目』は、『天目一筒神(あまのまひとつのかみ)と言う鍛冶の神と対比でき、またヤマタノオロチ伝説のモチーフとも似ています。信仰の変遷のため、元は神たる存在だったものが、悪しき妖怪として描かれたとする指摘もあります。(同上)
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イチオシ
『東門跡』の光景です。出雲のヤマタノオロチ伝説についても少し説明しておきます。この伝説の主人公は、暴れん坊で有名なスサノオノミコトが退治したヤマタノオロチは、『8つの頭、8つの尾を持ち、目はホオズキのように赤い』と表現されています。『8つの谷と8つの丘にまたがるほど巨大で、その腹はいつも血でただれている』とも表現され、これも製鉄を連想させます。(同上)
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ヤマタノオロチ伝説は、東南アジアに残る大蛇神話とも共通性があるとされ、『製鉄集団』を示唆していると感じさせます。鍛冶の神様と繋がる製鉄民族は、タタラを用いた製鉄方法を使っていて、その火花が散ることで眼を痛めると言われています。これが、尋常ではない眼の有り様のモチーフとなったのではないかとの指摘は説得力があります。(同上)
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『東門跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。西門や南門と比べてやや小振りな『東門』と紹介されていました。間口1間(3.3メートル)、奥行き2間(5.6メートル)の規模と紹介されていました。門の入口は、2メートル以上の段差がある懸門構造です。他の3箇所の門が、角材を使っていたのに対し、東門だけが丸材を使用していました。(同上)
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石垣が残され、敷石もほとんどそのままに残った『東門跡』の光景です。発掘調査された場所の補強のため、木の杭が打たれ、側面補強の板が張られていました。また、石垣部分の補強には土嚢も使われていました。(同上)
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発掘調査が済んだ『東門跡』の光景ですが、この後も整備作業が続きそうでした。目の特徴というものが鍛冶の神様とつながり、製鉄技術者の目の特徴だとすれば、太古の鬼とは古代製鉄民族の人々を指す言葉の可能性があります。鬼と語られていますが、製鉄に携わった豪族か、あるいは何かの襲来を示す物語だったのかも知れません。(同上)
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『東門跡』の光景が続きます。場所は代わって、青森県の岩木山には鬼が棲むといわれ、鬼神社があります。鬼が水田に水を引いてくれた時に使った鉄鍬等を御神体とする神社です。この岩木山の北麓からは平安時代前後と見られる古代製鉄施設跡が多数発掘されています。ここにも鬼と鉄の符合が見られます。鬼の使う道具はほとんどが鉄製です。(同上)
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『鬼ノ城』の東門跡近くから見下ろした麓の光景です。現在でも、鉱山のほとんどには鬼の伝説がついて回るようです。鬼の存在と製鉄民族とは、有意性のある繋がりがあるとみるのが合理的なようです。次に紹介するのは、10世紀末の酒呑童子にまつわる話です。一条天皇(980~1011年)の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭う出来事がありました。(同上)
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竜巻が起きそうな不気味な空模様の光景です。神隠しを陰陽師の安倍晴明(921~1005年)に占わせたところ、大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業とわかりました。そこで一条帝は、長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせました。頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、一夜の宿を求めることに成功し、『神変奇特酒(神便鬼毒酒)』という毒酒を飲ませた後に襲いました。(同上)
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『第4水門と東門』の道案内標識です。源頼光の一行は、首級を持ち帰り京に凱旋、首級は一乗帝らが検分したのちに宇治の平等院の宝蔵に納められました。酒呑童子の配下には、茨木童子や、星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四天王の鬼がいました。この物語は、『史記』の蚩尤伝説や、唐代の小説『補江総白猿伝』、などとの類似も指摘されています。(同上)
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『第2展望台』への道案内標識です。酒呑童子の物語と『製鉄と鬼』の話しの締め括りです。実在した源頼光(948~1021年)の父は『源満仲(912~997年)、別名は多田新発意で、多田源氏の祖です。神号は多田大権現、墓所は、兵庫県川西市多田神社です。タタラの宗家で鉄王と呼ばれていたとされます。(同上)
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名称:『コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)』
分類:ツツジ科ツツジ属の落葉低木
分布:本州中部以西から九州まで分布
花期:3月~4月
その他:満開の花のズームアップ光景です。(同上) -
『鍛冶工房跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『鬼ノ城を築くために
使用した、鉄の道具を製造・修理した場所』と紹介されていました。発掘調査により、屋根を掛けたとみられる建物の中に、9基の炉跡が確認されています。出土品は、鉄滓や砥石などです。(同上) -
『炉6』の表示があった場所の光景です。発掘調査で確認された、6番目の炉跡のようです。先ほど紹介した、9箇所の炉跡の内の一つになるようです。『神籠石(こうごいし)』とも呼ばれる切石を目にしますと、鉄器が使われていたことが納得できます。(同上)
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『鍛冶工房跡』の見学の後、次に向かう途中の光景です。城内には、大きな石が幾つも見えました。運び込まれた石もあるようですが、右端付近に見える大きな自然石には、端を切り揃えた痕が残っていました。(同上)
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『鬼ノ城』内の通路の光景です。日本百名城に指定された後、見学者が増えたのでしょうか、しっかりと踏み固められていました。この辺りの樹木で多いのは松と、今が見頃のツツジでした。下草ではササ(笹)やシダ(羊歯)類を多く見かけました。(同上)
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平屋根を葺いた吹き抜けの造りの休憩所の光景です。かなり歩きましたので、休憩をとる人が多くいました。ツアーメンバー以外の人達の姿もありました。見晴らしもよい休憩所です。(同上)
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