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岡山県の日本百名城の津山城紹介の締め括りは、津山城を築いた森忠政です。織田信長に仕えた森可成の六男でしたが、父と兄5人が戦いで亡くなり、末子でしたが、森家を継ぎました。本能寺の変では、蘭丸、坊丸、力丸の3人の兄が亡くなっています。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック)

2018春、岡山の日本百名城(13/13):津山城(5):桜の時期の津山城、備中櫓、里桜・関山

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2018/04/07 - 2018/04/07

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旅人のくまさん

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岡山県の日本百名城の津山城紹介の締め括りは、津山城を築いた森忠政です。織田信長に仕えた森可成の六男でしたが、父と兄5人が戦いで亡くなり、末子でしたが、森家を継ぎました。本能寺の変では、蘭丸、坊丸、力丸の3人の兄が亡くなっています。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック)

交通手段
観光バス 新幹線
  • 名前:『ヤエザクラ・カンザン(八重桜・関山)』<br />分類:バラ科サクラ属<br />原産:日本<br />その他:満開のサトザクラの『関山』の花のズームアップ光景です。(同上)

    名前:『ヤエザクラ・カンザン(八重桜・関山)』
    分類:バラ科サクラ属
    原産:日本
    その他:満開のサトザクラの『関山』の花のズームアップ光景です。(同上)

  • 東側から眺めた、『備中櫓』の光景です。そのタイトルの説明プレートからの引用です。『備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸(いけだびっちゅうのかみながよし)に由来すると伝えられる。森藩時代の基本的な資料である「森家先代実録」には「備中矢倉・池田備中守長幸入来の節出来」とある』と解説されています。(同上)

    東側から眺めた、『備中櫓』の光景です。そのタイトルの説明プレートからの引用です。『備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸(いけだびっちゅうのかみながよし)に由来すると伝えられる。森藩時代の基本的な資料である「森家先代実録」には「備中矢倉・池田備中守長幸入来の節出来」とある』と解説されています。(同上)

  • ここからは、『備中櫓』に入城しての見学です。『備中櫓』のタイトルの説明プレートからの説明が続きます。『森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられている。備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土したことも、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っている』(同上)

    ここからは、『備中櫓』に入城しての見学です。『備中櫓』のタイトルの説明プレートからの説明が続きます。『森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられている。備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土したことも、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っている』(同上)

  • 『本丸御殿』としての内装がされた『備中櫓』の室内光景です。『備中櫓の外観は漆喰(しっくい)仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している』、と解説されていました。(同上)

    イチオシ

    『本丸御殿』としての内装がされた『備中櫓』の室内光景です。『備中櫓の外観は漆喰(しっくい)仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している』、と解説されていました。(同上)

  • 同じく、『備中櫓』の室内光景です。『さらに指図によると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙(からかみ)」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。そのためこの櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている』、と解説が続いていました。(同上)

    同じく、『備中櫓』の室内光景です。『さらに指図によると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙(からかみ)」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。そのためこの櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている』、と解説が続いていました。(同上)

  • 『備中櫓』の窓側の光景です。その解説の締め括りは、『このような特異な構造を持つ櫓は類例が少なく、津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、復元整備の対象となったものである』、と纏められていました。(同上)

    『備中櫓』の窓側の光景です。その解説の締め括りは、『このような特異な構造を持つ櫓は類例が少なく、津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、復元整備の対象となったものである』、と纏められていました。(同上)

  • ほんの少しの時間でしたが、『備中櫓』の中の見学を終えて、外に出ました。『国指定史跡・津山城跡』のタイトルがあった観光案内パネルの光景です。左の図面が本丸エリアの案内図、右の図面が奥座敷の想像間取りでした。(同上)

    ほんの少しの時間でしたが、『備中櫓』の中の見学を終えて、外に出ました。『国指定史跡・津山城跡』のタイトルがあった観光案内パネルの光景です。左の図面が本丸エリアの案内図、右の図面が奥座敷の想像間取りでした。(同上)

  • 城内にあった『おすい(汚水)』マンホール蓋の光景です。マンホール蓋のネット解説には『津山城(100名城)跡の石垣、清流吉井川に住むといわれる伝説の河童(ごんご)、 市の花サクラ(サツキも市の花)をデザイン。作州とは岡山の東北部で旧「美作の国」で津山市もその一部です』、と解説されていました。カラー・バージョンの蓋や、マンホールカードもあります。(同上)

    城内にあった『おすい(汚水)』マンホール蓋の光景です。マンホール蓋のネット解説には『津山城(100名城)跡の石垣、清流吉井川に住むといわれる伝説の河童(ごんご)、 市の花サクラ(サツキも市の花)をデザイン。作州とは岡山の東北部で旧「美作の国」で津山市もその一部です』、と解説されていました。カラー・バージョンの蓋や、マンホールカードもあります。(同上)

  • 『本丸』のエリアから石段を下って、『二の丸』から見上げた、本丸にある『備中櫓』の光景です。二の丸は、『津山さくらまつり』の雪洞が飾られていました。明かりが灯る頃には賑わいそうでした。少しだけ残念なのは、ソメイヨシノは、すでに散り終えそうだったことです。(同上)

    『本丸』のエリアから石段を下って、『二の丸』から見上げた、本丸にある『備中櫓』の光景です。二の丸は、『津山さくらまつり』の雪洞が飾られていました。明かりが灯る頃には賑わいそうでした。少しだけ残念なのは、ソメイヨシノは、すでに散り終えそうだったことです。(同上)

  • 二の丸エリアで眺めた、本丸石垣のズームアップ光景です。この辺りの石積は、『野面積(のづらつみ)』か、『打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)』か判別がつきにくい光景でしたが、どちらかといえば、『打ち込み接ぎ』といえそうでした。割った石のできるだけ平らな面を表に揃えているようでした。(同上)

    二の丸エリアで眺めた、本丸石垣のズームアップ光景です。この辺りの石積は、『野面積(のづらつみ)』か、『打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)』か判別がつきにくい光景でしたが、どちらかといえば、『打ち込み接ぎ』といえそうでした。割った石のできるだけ平らな面を表に揃えているようでした。(同上)

  • 同じく、二の丸エリアから眺めた、本丸石垣の光景です。部分的には『野面積』のイメージの箇所もありますが、全体として判断すれば、『打ち込み接ぎ』と言ってよさそうです。この二つが折衷した、過渡的な時期の石積かもしれません。(同上)

    同じく、二の丸エリアから眺めた、本丸石垣の光景です。部分的には『野面積』のイメージの箇所もありますが、全体として判断すれば、『打ち込み接ぎ』と言ってよさそうです。この二つが折衷した、過渡的な時期の石積かもしれません。(同上)

  • 二の丸エリアから眺めた、本丸石垣の光景が続きます。この石垣の位置は覚えていませんが、東側方面だったようです。この部分は完全に『打ち込み接ぎ』でした。角の部分の算木積も、理想的な交互に長短の組み合わせではありませんが、大石を使った立派な仕上がりです。(同上)

    二の丸エリアから眺めた、本丸石垣の光景が続きます。この石垣の位置は覚えていませんが、東側方面だったようです。この部分は完全に『打ち込み接ぎ』でした。角の部分の算木積も、理想的な交互に長短の組み合わせではありませんが、大石を使った立派な仕上がりです。(同上)

  • 名称:『フジ(藤)』<br />分類:マメ科フジ属のつる性落葉木本。<br />分布:日本産のフジは固有種。海外のフジは、フジ属の別の品種です。<br />その他:三部咲ほどになった白い花房の光景です。(同上)

    名称:『フジ(藤)』
    分類:マメ科フジ属のつる性落葉木本。
    分布:日本産のフジは固有種。海外のフジは、フジ属の別の品種です。
    その他:三部咲ほどになった白い花房の光景です。(同上)

  • 名称:『フジ(藤)』<br />分類:マメ科フジ属のつる性落葉木本。<br />分布:日本産のフジは固有種。海外のフジは、フジ属の別の品種です。<br />その他:見ごろも近い、白い花房の光景です。(同上)

    名称:『フジ(藤)』
    分類:マメ科フジ属のつる性落葉木本。
    分布:日本産のフジは固有種。海外のフジは、フジ属の別の品種です。
    その他:見ごろも近い、白い花房の光景です。(同上)

  • 高石垣の真下から見上げた『備中櫓』の光景です。本丸石垣に面した格子窓は、『石落とし』の構造になっているようでした。これだけの高石垣で、さらに石落としが揃っていては、ここを攻める気持ちが湧いてこなかった気がします。南面に向けては、白漆喰の総塗固めでした。(同上)

    イチオシ

    高石垣の真下から見上げた『備中櫓』の光景です。本丸石垣に面した格子窓は、『石落とし』の構造になっているようでした。これだけの高石垣で、さらに石落としが揃っていては、ここを攻める気持ちが湧いてこなかった気がします。南面に向けては、白漆喰の総塗固めでした。(同上)

  • 高石垣の真下からズームアップした『備中櫓』の光景です。石垣の最上部付近は石材が新しいようですから、積み直しが行われたようでした。10メートルを超える石垣の高さが、窓の様に見える『石落とし』の威力を倍加していました。現在の備中櫓は、2002年(平成14年)、『築城400年記念行事』の一環として復元されたものです。2005年(平成17年)3月に完成しました。(同上)

    高石垣の真下からズームアップした『備中櫓』の光景です。石垣の最上部付近は石材が新しいようですから、積み直しが行われたようでした。10メートルを超える石垣の高さが、窓の様に見える『石落とし』の威力を倍加していました。現在の備中櫓は、2002年(平成14年)、『築城400年記念行事』の一環として復元されたものです。2005年(平成17年)3月に完成しました。(同上)

  • 雪洞の飾りで賑やかになっていた『二の丸』の光景です。その背後に聳える『備中櫓』の融資です。その右手は、現在は藤棚になっていましたが、かつては、『長局』と呼ばれる建物があった場所になります。(同上)

    雪洞の飾りで賑やかになっていた『二の丸』の光景です。その背後に聳える『備中櫓』の融資です。その右手は、現在は藤棚になっていましたが、かつては、『長局』と呼ばれる建物があった場所になります。(同上)

  • 『二の丸』の光景です。『津山さくらまつり』の会場らしく、、賑やかな音が聞こえてきました。駐車場での再集合の時間までには少し余裕がありましたので、立ち寄ってみることにしました。(同上)

    『二の丸』の光景です。『津山さくらまつり』の会場らしく、、賑やかな音が聞こえてきました。駐車場での再集合の時間までには少し余裕がありましたので、立ち寄ってみることにしました。(同上)

  • ちょっとだけ立ち寄った『津山さくらまつり』の会場光景です。『津山瓦版』で、ネット紹介されていた、桜祭りの紹介です。2018年度は、4月1日(日)~4月15日(日)と、日曜から始まり日曜で終了する2週間でした。イベント一覧には、『鶴山桜太鼓』の披露と紹介されていました。午前中にも披露されていたようです。(同上)

    ちょっとだけ立ち寄った『津山さくらまつり』の会場光景です。『津山瓦版』で、ネット紹介されていた、桜祭りの紹介です。2018年度は、4月1日(日)~4月15日(日)と、日曜から始まり日曜で終了する2週間でした。イベント一覧には、『鶴山桜太鼓』の披露と紹介されていました。午前中にも披露されていたようです。(同上)

  • 『津山さくらまつり』で披露されていた、『鶴山桜太鼓』の演技のズームアップ光景です。前列が小太鼓群、後列が大太鼓組3名でした。鶴山桜太鼓のHPには、『?岡山県北を中心に活動中の和太鼓グループです。郷土芸能の伝承、子ども和太鼓教室を実施、和太鼓演奏と篠笛に洋楽器を加えたBAND活動開始、和太鼓演奏の可能性を独自に追求しています』、と紹介されていました。(同上)

    イチオシ

    『津山さくらまつり』で披露されていた、『鶴山桜太鼓』の演技のズームアップ光景です。前列が小太鼓群、後列が大太鼓組3名でした。鶴山桜太鼓のHPには、『?岡山県北を中心に活動中の和太鼓グループです。郷土芸能の伝承、子ども和太鼓教室を実施、和太鼓演奏と篠笛に洋楽器を加えたBAND活動開始、和太鼓演奏の可能性を独自に追求しています』、と紹介されていました。(同上)

  • 『二の丸」エリアに飾ってあった雪洞の列のズームアップ光景です。吊り下げるタイプのぼんぼりではなく、ほとんどの雪洞が自立式でした。推測ですが、樹木優先の考え方かもしれません。背後は散り終えたソメイヨシノの大木です。(同上)

    『二の丸」エリアに飾ってあった雪洞の列のズームアップ光景です。吊り下げるタイプのぼんぼりではなく、ほとんどの雪洞が自立式でした。推測ですが、樹木優先の考え方かもしれません。背後は散り終えたソメイヨシノの大木です。(同上)

  • 『津山城跡に桜を植えた人・福井純一』のタイトルがあった、似顔絵入りの解説看板です。福井純一氏は津山市議会議長を務めた人で、津山城跡に桜植樹で中心的な役割を担いました。明治32年(1899年)津山城を公園にする話が浮上し、明治33年津山町議会に5人の公園委員が組織されました。明治38年、津山町議会に初当選した福井氏もそのメンバーに加わり、私財も投じて、中心的な役割を担いました。(同上)

    『津山城跡に桜を植えた人・福井純一』のタイトルがあった、似顔絵入りの解説看板です。福井純一氏は津山市議会議長を務めた人で、津山城跡に桜植樹で中心的な役割を担いました。明治32年(1899年)津山城を公園にする話が浮上し、明治33年津山町議会に5人の公園委員が組織されました。明治38年、津山町議会に初当選した福井氏もそのメンバーに加わり、私財も投じて、中心的な役割を担いました。(同上)

  • 矢跡がいくつも付いた半円型の大石の展示光景です。『忘れ去られた石』のタイトルの説明文がありました。平成10年の台風10号通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で見付かった、津山城築城時に切り出されたらしい2.6トンの石です。平成16年3月に谷川から引き上げられ、同年5月の津山城築城400年記念事業『津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~』により、ここまで運ばれました。(同上)

    矢跡がいくつも付いた半円型の大石の展示光景です。『忘れ去られた石』のタイトルの説明文がありました。平成10年の台風10号通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で見付かった、津山城築城時に切り出されたらしい2.6トンの石です。平成16年3月に谷川から引き上げられ、同年5月の津山城築城400年記念事業『津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~』により、ここまで運ばれました。(同上)

  • 『津山城跡(鶴山公園)』のタイトルがあった案内看板の光景です。『鶴山公園(かくざんこうえん)』は、津山市にある歴史公園です。明治の廃城令で民間に払い下げられていた津山城の中心部を当時の津山町が町有とし、1900年(明治33年)に鶴山公園として公開し増した。『津山城址鶴山公園』とも呼ばれ、古地名は『つるやま』でした。(同上)

    『津山城跡(鶴山公園)』のタイトルがあった案内看板の光景です。『鶴山公園(かくざんこうえん)』は、津山市にある歴史公園です。明治の廃城令で民間に払い下げられていた津山城の中心部を当時の津山町が町有とし、1900年(明治33年)に鶴山公園として公開し増した。『津山城址鶴山公園』とも呼ばれ、古地名は『つるやま』でした。(同上)

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