2024/03/28 - 2024/03/30
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ちゃおさん
現在は東海道本線も東海新幹線も名古屋からは大垣を通って関ヶ原を通り抜け、彦根に出ているが、江戸時代の東海道は今とは違っていた。名古屋からは熱田神宮の横の宮から船に乗って伊勢の桑名に渡り、そこからは鈴鹿を越えて琵琶湖に出た。江戸時代、京大阪と江戸を結ぶ街道は二つあり、本流は歌川広重の東海道五十三次だが、もう一つの街道は中仙道だった。中仙道(中山道)を裏街道と呼ぶかどうかは知らないが、圧倒的人流は東海道で、宿場も整備されていた。
一方の中仙道(中山道)は上州から信濃、飛騨の山中を越える山道で、上州、信州以北の人は利用したかも知れないが、メインではなかった。通行も東海道と比べたら、随分少なかったと思うが、それでも今でも残る木曽の馬籠、妻籠などの宿場町は当時の名残だ。この中仙道は距離が長く、東海道よりも多い宿場69次あったが、有名な所では軽井沢、追分、奈良井、それから妻籠、馬籠を通って、木曽路を下り、岐阜に出て、ここ垂井にやってくる。
中仙道の垂井宿。漸く山間の街道から平地に出て、人々もほっとした筈だし、ここから先は琵琶湖に出て、京・大阪も間近だ。垂井宿の二つ手前は昨日樽見鉄道で華厳寺を参拝した時に通過した美江寺。昔の宿場はどこにあるのか駅は無人で、周辺は畑地だった。奈良時代、この地には美濃国府が置かれ、近くには国分寺もあった。今は歴史から忘れ去られたような感じの古い町だが、嘗てはそれなりに栄えていたのだろう。市内には南宮大社もある。
駅前広場から旧中仙道までは徒歩4-5分。足の弱った自分でも10分も掛からない。揖斐川の支流、相川に架かる橋にぶつかった所が嘗ての中仙道だ。橋の上から川を眺めると、上流に沢山の鯉幟が川の両側に張ったロープに結ばれて泳いでいる。今はまだ3月下旬だが、5月、端午の節句を早々と迎えているのか・・。この川の少し先には美濃国府があった。奈良時代、この辺りが美濃の中心だったのだろう。未だ尚町名に府中が残っている。東京は昔武蔵と呼ばれたが、その国府は都心から大分離れた府中にあった。全国府中の町名、市名は嘗ての奈良時代の名残を残しているのだろう。
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