2015/09/21 - 2015/09/21
142位(同エリア518件中)
Rinさん
カプリ島の観光を終えた後は船でフェリーへ移動してソレントへ。
ソレントからは電車でポンペイ遺跡の観光へ。
このポンペイ遺跡の観光が想像以上に大変だった!
ポンペイ遺跡の観光は夏は暑さで大変と聞いていたけど9月だし大丈夫だろうと思ってた。
が…この考えは甘かった。
まさかこれほど暑いとは…。
ポンペイ遺跡の日射しの強さは9月でも衰え知らず。
もうちょっと対策考えるべきだった…。
続きは旅行記をどうぞ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
カプリ島から25分程でソレントへ到着。
この旅行記は↓の続きです。
http://4travel.jp/travelogue/11226660 -
この船でカプリ島→ソレントへ移動してきた。
-
ソレントに来たけどソレントは特に見所もなさそうなので特に観光する予定はなし。
-
なので港から直接ソレントの駅へと向かう…が、駅までどうやって行くんだ?
あんま情報がなくって分かんない。 -
近くのカフェで聞いてみるとバスでソレント駅へ行けるらしい。
ちょうどそれらしきバスが来たので運転手さんに確認して乗り込む。
運賃は1.2ユーロ。
バスは結構なぎゅうぎゅう詰め。 -
10分程で駅に到着。
ここでポンペイ遺跡行きの電車に乗る。 -
既に電車は来ていたけど学校帰りの子でいっぱい。
座れない…。
これだけ乗る人がいるのに30分に1本しか電車がないなんて…。
足が痛いけど頑張って立つ。
途中席が空いて座れたのでよかった。 -
ソレントから40分位でポンペイ遺跡の最寄り駅Pompei villa Misteriに到着。
-
駅からポンペイ遺跡までは歩いてすぐ。
迷う事もない。
確か前に来たのは…え?20年近く前??
まぁ10代だったから…その頃はこんな立派な入口はなかった気がするなぁ。 -
チケット売場でアルテカードを見せると2ユーロで入場券が買えた。
ちょっと割引されるかな?とは思ったけどこんなに安く買えるなんてびっくり。 -
遺跡に入る前に地図を確認。
坂を上がってマリーナ門からポンペイ遺跡の中へ。 -
いい天気。
-
マリーナ門からポンペイ遺跡へ。
大地の端に取り付けられた要塞に似て、この門は西からこの町に入る入口で、ポンペイの7つの門の中でも最も堂 々とした造りを誇っています。
門の名はここから出る街道が海に向かっていたことから付いたものです。 -
ポンペイの町はヴェスヴィオ火山から 流れ出た溶岩の上に造られ、栄えた港を河口に持つサル ノ川の谷を見下ろす位置にありました。
町の起源につい ては正確な記録が残っていません。
最も古い記録は、紀元前7世紀の終わりから6世紀前半にかけて、およそ63.5ヘクタールに及んだ町の周囲を巡る、凝灰岩製の最初の防壁“パッパモンテ”が造成された際のものです。 -
その当時のポンペイは先住民、エトルリア人、ギリシア人が混在する町で、その後も発展を続け、石灰岩を用い要塞を備えたギリシア式の防壁が新たに建設されました( 紀元前5世紀)。
-
昔来た時はどこでも入れた様な気がするけど、今回歩いてみると柵があって入れない遺跡も結構あった。
-
バジリカ。
延べ面積1500平方メートルに及ぶバジリカは、フォロの区域で最大の建物で、裁判や商取引 に使われていました。
フォロから凝灰岩の柱の間に開いている5つの入り口を 通じて中に入ることができ、内部はレンガでできたイオニア式の柱頭を持つ2列の円柱によって3つの廊に分かれています。 -
西に面した短い方の側面の中央には見事な装飾を施した特別席があって、裁判の際にはここに司法官たちが座りました。
空間には騎馬像が置かれ、壁面は大きな大理石のブロックを模したスタッコ装飾で豊かに飾られています。
バジリカの建設時期は紀元前130-20年頃と推定され、このタイプの建築としては、古代ローマ世界の中でも最も古い建物の一つです。
19世紀にフォロの区域で発掘調査が始まった時代にこの建物も掘り出されました。 -
アポロンの聖域はがっちりと鍵がかけられていては入れない。
昔は入れた様な気がするなぁ。
アポロンの聖域はポンペイで最も古い信仰の場所の一つで、マリーナ門から上って町の中心部へと進む道に沿って、重要な位置に建てられています。
ポンペイ設立の信仰の神としてアポロンが選ばれたのはカンパーニアにギリシア人エ トルリア人が存在していたことによります。 -
しばらく歩いくとフォロ到着。
市民のフォロは市民の日常生活の中心の場で、これに面してすべての公共の建物が並び、町の運営、司法による裁き、事業の管理、市場などの商取引が行われたほか、町の信仰の場でもありました。 -
フォロの広場はもとは打ち固めた地面でほぼ定型の単純な開放空間で、西側でアポロンの聖域に隣接し、東側には商店が並んでいました。
フォロは紀元前3から2世紀にかけて根本的に造り直され、正確な形と凝灰岩のスレートを敷き詰めた床を持ち、回廊に囲まれた姿に返信しました。
広場の中心軸はヴェスヴィオ山を結ぶ直線状にあるジュピター神殿のファサードを起点に引かれました。 -
帝政時代の初期に、フォロの床は新たにトラヴァーチンで敷き直されました。
このうち幾つかの敷板は取り払われて、できた窪みには重要な碑文を刻んだブロンズ製の板が嵌め込まれました。
この部分の発掘はマリー・カロリ ーヌ・ボナパルテの希望で開始されて間もなく、すでに古代に盗掘されたいたことが判明しました。 -
フォロから伸びるアッボンダンツァ通り。
-
通りにある遺跡のほとんどは柵があり中には入れない様になっていた。
-
通りには石が敷き詰められている。
-
アッボンダンツァ通りに面したスタビアの浴場に到着。
-
通りに面したメインの入り口から入ると、広い中庭に出ます。
左側にはプールがあり… -
右側には柱廊があって男性用の施設へと通じています。
-
こちらは男性用のアポディトゥリウム(脱衣場)。
-
天井の装飾の色が残っている。
婦人用の施設は男性用の背後に位置し、同様にアポディテリウム、テピダリウムとカリダリウムで構成されていましたが、全体の規模は小さく、男性用施設のような見事な装飾もありませんでした。
男性と女性の区別は古代世界では一般的なことでした。 -
先ほどのアポディトゥリウム(脱衣場)から続くフリジダリウム (低温の浴室)。
-
床面が二重の構造になっていて窯からくる熱い空気と移動可能な火鉢によって暖められていました。
-
続いてテピダリウム(中温の浴室)。
-
天井には窓もある。
-
最後にカリダリウム(高温の浴室)。
今のスーパー銭湯顔負けの充実度。
かつては美しかったんであろう壁の装飾もうっすらと残っている。 -
この浴槽なんて今の日本の大浴場の湯船と変わらない。
-
ここも
-
ここにも壁画の装飾が残っている。
-
スタビアの浴場の起源は前2世紀まで遡ることができ、古代ローマ世界のうちでも最も古い浴場の一つに数えられます。
-
それにしても暑い。
回廊は数少ない日陰。 -
壁には彫刻が施している部分も残っていた。
-
浴場の見学終了。
-
再び通りを歩いていると…
-
こんな石を発見!
これ前に来た時にガイドさんに教えてもらった。
この石にはちゃんとした役割がある。
大雨が降って通りが水浸しになってもこの石の上を通れば濡れずにすむ。
そしてこのように飛び石になっているので馬車はそのまま通る事が出来る。
よく考えられている。 -
ステファヌスの洗濯屋?
すいません、ちょっとはっきしりませんが…
ポンペイには18軒の洗濯屋さんがあった事が分かっています。
ここはそのうちの1つ。
ちなみに当時の洗濯方法を知った時、ちょっと衝撃を受けました。
当時はまだ石鹸が発明されていなかったので、汚れを落とすのに人や動物の尿を使っていたのです。
尿に含まれているアンモニアはアルカリ性なので、油脂汚れ等を分解出来たとのことです。
当然、アンモニアで洗ったままだと臭うので、仕上げに水ですすぎ洗いをしていました。
アンモニアは水によく溶けるので、乾いた後の服は気持ち良く袖を通せたでしょうか。
アンモニアは刺激臭、刺激性が強くて今でも劇物に指定されているものだけに、これを取り扱うことは不快この上なく、
当時のクリーニング屋さんは下手をすれば体を悪くするとても大変な仕事だったのだろうと想像出来ます。 -
壁に壁画が残っていました。
-
カスカ・ロングス または演劇モチーフの小絵画 の家。
奥にライオンのモチーフが見えます。 -
家の奥に広がる景色。
-
長い間火山灰に埋もれていたからこそここまで残っているんでしょうね。
-
修復中の建物。
-
ヴェトゥティウス・プラキドゥスの家とテルモポリウム
アッボンダンツァ通りに面して入口がある居酒屋。
現代イタリアのバール同様、酒類だけではなく様々な料理を提供し、昼食をとる人々で賑わっていたようです。
このバールの店主はヴェトゥティウス・プラチドゥスという名の人だったと推定されています。
奥は店主の住居だったようです。
台に嵌めたままの形で残されたテラコッタ製のかめの一つからは、最後の日の売上金と思われる重さ3キロ近くも のたくさんの貨幣が見つかり、オステリアの商いがどれほど繁盛していたかが想像できます。
-
壁には当時の装飾が鮮やかに残っている。
-
割としっかり建物がよく残っている。
-
このタイルなんて今でもどこかにありそうな感じ。
-
中庭。
-
しかし広い。
石畳だしいい加減足が痛くなってきた。 -
貴重な木陰。
冷たい飲み物が飲みたい!けどこの広い遺跡内に売店は1つだけ。
自動販売機なんて物があるわけもなく…。
手持ちのすっかりぬるくなったペットボトルの水が命綱。 -
円形闘技場。
この円形闘技場は、古代ローマ世界で知られたもののうちで最古の劇場です。
紀元前70年、ポンペイがローマの植民都市となってから間もなく、行政官であったカイウス・クインクトス・ヴァルガスとマルクス・ポルシウスの発意により、オデイオンと共に建てられたものです。
劇場にはポンペイの住人だけでなく周辺の沿岸地域か らやってくる観客2万人を収容することができました。
劇場の建物は町の中心を外れた位置に建てられ、大勢の観客の移動を容易にするよう工夫されていました。 -
中に入るとパビリオンのような建物が。
-
入ってみると当時の亡くなった人のその時の状態で展示されている。
-
こちらは通路。
外部に取り付けられた二重の階段によって上層の階へ行けるように設計され、一方下りのスロープによって下層階への移動ができるようになっていました。 -
で、こっちはその横の大運動場。
-
屋根のない大きな長方形の広場からなり、 大きさはおよそ140×140m、回廊に囲まれて外側とは狭間胸壁のついた高い壁で遮断され、壁には10の門が取り付けられていました。
-
小劇場(オデオン)
TEATRO PICCOLO (Odeion)
当時は屋根付きで最高の音響効果を得ることが出来たようです。
劇場としてだけではなく、地方自治体の集会所等としても利用されていました。 -
劇場のクアドリポルティコまた は剣闘士の兵舎
大劇場の舞台裏にはノチェーラ産の 灰色の凝灰岩でできた74本のドリス式円柱を巡らせた大きなクアドリポルティコのフォイエ(ロビー)があって、休憩時間には観客がくつろげるようになっていました。 -
紀元62年に起きた地震の後で、この建物の一部を再整備して、剣闘士たちの兵舎として使うようになりました。
-
東側にはより重要な部屋が並び、おそらくは上の階には剣闘士たちのショーの興行主の住まいがあったものと思 われます。
-
階段を上がってみる。
-
高い所から見た劇場のクアドリポルティコまた は剣闘士の兵舎。
-
こちらは大劇場。
大劇場は、中央のすり鉢部分のために丘の自然な傾斜を利用して建設されました。 ドーム型ヴォールトの上に置かれた階段席は通路によって3つのゾーンに分けられ、 それぞれが5つの区画に分けられていました。 -
遺跡の向こうに見えるのがヴェスビオ山。
あの山の噴火がこの街を一瞬にして飲み込んだ。 -
大劇場からちょっと歩いて到着したのが…
-
娼館。
娼婦たちは、主に東方やギリシアの奴隷たちで、銅貨2から8アスで商売をしていました(その当時グラス1 杯の葡萄酒が1アス)。
建物は2階建てになっています。
上の階には主と奴隷たちの住居があり、下の階には5つの部屋があって、どの部屋にも石と漆喰でできた作り付けの寝台が備わっていました。
これらの部屋は1階の二つの出口をつなぐ廊下に 沿って並んでいました。
各部屋の入り口にはカーテンが 扉の代わりにかかっていました。
もちろん今はカーテンがありません(笑) -
中央の廊下の壁には、官能的な絵が配されて、ここで提供されるサービスを客に示していました。
-
石畳には娼館が近くにある事を示すものが。
-
至る所にある水飲み場。
-
現役で活躍中!
ここで喉を潤す観光客も多数。
飲みたい!けどイタリアで生水を飲む勇気がない…。 -
フォロまで戻ってきました。
-
フォロの近くにはポンペイ遺跡唯一の売店へ。
休憩がてらレモンのグラニータ2.9ユーロで喉を潤す。
冷たくって凶暴なまでに美味しい!!! -
悲劇詩人の家 CASA DEL POETA TRAGICO
この家のハイライトはずばりこれで、玄関前に立つといきなりこのモザイク画が目に飛び込んできます。
このモザイク画もポンペイでは非常に有名なものです。
おそらく誰しもが一度は目にしたことがある絵だと思います。
‘CAVE CANEM’ “猛犬注意”
なおこのモザイク画の保護のためか、この絵を踏んで中に入ることは出来なくなっていました。
-
鮮やかな壁画の残る家。
-
何の家だろう…分からない。
本当はヴェッティの家に行きたかったけど修復中で全く入れず…。 -
立派な門。
-
フォロへと続く道。
-
次はこちらを見学。
-
ファウノの家。
ポンペイの住宅の中でも最も大きなものの一つで、およそ3000平方メートルに及ぶ一区画を完全に占有しています。
最初の工事は 紀元前2世紀に遡ることができます。
メインのアトリウムにあるインプルヴィオの中央には、有名な踊るサテュロス、またはファウノの彫刻のコピーが置かれています。
家の名はこの彫刻に由来し、同時に所有者であった人物の家名、すなわちサトゥリィを暗示しています。 -
家の奥にはまた庭があります。
-
二つのペリスティリウムの間にある居間(エセドラ)には、アレクサンダー大王とペルシア王ダリウスとの間の歴史を変えた大戦をテーマにした、有名な紀元前2世紀のモ ザイクの模作があります。
このアレクサンドロス大王の絵は私も教科書で見た事があります。
モザイクとファウノの像のオリジナルは、ナポリの国立考古学博物館に展示されています。 -
フォロの穀物倉。
フォロの西側に広がり、レンガの柱で仕切られた8つの開口部を持つ建物で、果物と野菜の市場として使われていました(フォロ・オリトリオ)。
今日ではポンペイ最大の考古学品の倉庫として使われ、1800年代の終わりからこの都市で行われてきた発掘による出土品9千点以上が ここに保管されています。
ポンペイ最後の10年間に日常 の生活で使われた、鍋などのテラコッタ製品、竈や水差し、瓶、アンフォラ、油や葡萄酒、魚精を地中海全域から運搬するための大きな容器などが収蔵されています。 -
再びのフォロ。
まだ見たい所もあったけど暑さと疲れで限界。
ナポリに戻る事にします。 -
マリーナ門を最後に見てポンペイ遺跡を後にします。
本当はこの後エルコラーノ遺跡にも行きたかったけど、疲れでとても無理。
ナポリへ戻る電車に乗る。
電車は人でいっぱいで途中からはなんとか座れたけど、疲れでヘロヘロ。
気づいたらウトウト。
イタリアの電車で寝るなんて絶対ダメ!!って友達にも注意してたのにその本人が寝てしまうなんて…。
でも耐えられない程疲れていた…。 -
18時過ぎにナポリ到着。
このままホテルに戻るとそのまま寝てしまってもう外に出られなくなりそうなので駅からそのまま夕食を食べに行く事に。 -
お目当てはナポリのピサの有名店「ダ・ミケーレ」
-
マリナーラをオーダー。
トマトソースとガーリックのみのシンプルなピザ。
1枚を半分こしたけどそれでも十分な量。
起座がもちもちで美味しい!! -
次々とオーダーされるピザをこの釜で焼き上げていました。
-
軽めの夕食の後はデザートでしょ!
帰り道の途中にあったジェラート屋さんの前で思わず足が止まります。 -
メロンとヨーグルトのジェラートを頂く。
これまた美味しくってお腹いっぱい。
この日は疲れ果てて気絶する様に寝ました(笑)
続きの旅行記は↓
http://4travel.jp/travelogue/11236029
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
シルバーウィークにナポリ・ローマへ
-
前の旅行記
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その6 カプリ島のんびり観光編
2015/09/21~
カプリ島
-
次の旅行記
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その8 車をチャーターしてアマルフィ海岸ドライブ☆ポジターノ編
2015/09/22~
ポジターノ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その1 カタール航空ビジネスクラスで出発編
2015/09/18~
ドーハ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その2 ローマからナポリへの移動編
2015/09/19~
ナポリ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その3 カゼルタ宮殿を思いっきり観光編
2015/09/20~
カゼルタ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その4 ナポリ国立カポディモンテ美術館編
2015/09/20~
イタリア
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その5 ナポリぶらぶら観光編
2015/09/20~
ナポリ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その6 カプリ島のんびり観光編
2015/09/21~
カプリ島
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その7 炎天下のポンペイ遺跡観光編
2015/09/21~
ポンペイ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その8 車をチャーターしてアマルフィ海岸ドライブ☆ポジターノ編
2015/09/22~
ポジターノ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その9 車をチャーターしてアマルフィ海岸ドライブ☆エメラルドの洞窟とアマ...
2015/09/22~
アマルフィ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その10 車をチャーターしてアマルフィ海岸ドライブ☆ラ・ヴェッロ&ナポリ...
2015/09/22~
その他の観光地
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その11 ローマ・パスを活用してまずはコロッセオへ
2015/09/23~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その12 カピトリーノ美術館ゆったり観光
2015/09/23~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その13 パラティーノの丘を朝からお散歩
2015/09/24~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その14 予約必須のボルゲーゼ美術館見学編
2015/09/24~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その15 ローマ郊外のハドリアヌスの別荘編
2015/09/25~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その16 ローマ郊外のティボリのエステ家別荘編
2015/09/25~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その17 帰国前のローマぶらぶら歩き編
2015/09/26~
ローマ
-
シルバーウィークにナポリ・ローマへ その18 カタール航空ビジネスクラス帰国編
2015/09/26~
ローマ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ シルバーウィークにナポリ・ローマへ
0
97