2016/04/22 - 2016/04/24
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角館の武家屋敷跡の一つ、青柳家の展示品紹介の続きです。青柳家は、はじめ芦名氏に仕えましたが、芦名氏が断絶後、明治維新まで佐竹氏に仕えた家柄とされます。
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赤い敷物の右下に『甲割鉄刀・鎌倉彫)』、左上に『火縄式短筒』の表がありました。携行型の護身用に見えました。
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5本の槍先の光景です。槍先の後ろの長い部分が木製の柄に差し込まれるようです。柄の補強のため、接合部分には口金、心が入った柄の部分には銅金がまかれるようです。
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提灯兜にたたみ具足』の表示があった甲冑です。江戸中期の年代も記してありました。
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『鏑矢(かぶらや)』か、『火矢(ひや)』のようです。鏑矢は、矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑が取り付けられた矢のことです。射放つと音響が生じることから戦場における合図として合戦開始等の通知に用いられました。火矢ですと、敵方の建築物に遠距離から火を放つための矢です。火矢は、矢の鏑の目の孔の部分に油紙などの燃えやすい物体を詰め、火を付けて放ったのが始まりだったようです。
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『色々縅』の胴具足です。
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『菊紋火事装束』です。武家が警備のために用いた火事装束は、羅紗、革などの羽織に家紋を施し、小型の兜や陣笠を付けた装飾的な威儀服です。
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白い家のような紋が記された旗指物らしい布と、その左側の陣笠の展示品です。旗指物は、その昔、鎧の背中にさして戦場で目印とした小旗です。『庵紋』と呼ばれる紋所のようです。
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『黒塗横矧二枚胴具足』の表示があった甲冑の展示品です。『兜は六十二間小星の兜』として、戦国時代の上級品との添え書きがありました。『武田流兜』とも呼ばれ、戦国時代の大将クラスが使用した兜のようです。
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台の上に置かれた航路の床の間飾と、その前に置かれた大小の刀の展示品です。『黒塗横矧二枚胴具足』の左側の光景です。
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四角な木の盆の上に畳んで置かれた紺色の紋付き羽織と袴の展示品です。一連の展示品の前には、『秋田藩角館・佐竹北家と青柳家』の表示がありました。日の丸が入った扇紋は、佐竹家の家紋のようです。
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『銘・友成』の表示があった、二振りの抜身の刀の展示です。鎌倉時代の年代表示もありました。『友成』は、古備前の名工で、平安時代中期(永延、十世紀末)から鎌倉時代初期(嘉禎、十三世紀初)まで数名が名を継いだとされます。
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衣紋掛けを使って展示されていた二着の年代物の着物です。打掛でしょうか。右側のピンクの地の着物には、松、竹、鶴などの縁起物が、左側の水色地の着物には、鯉登の滝に、金銀の花などがあしらってありました。
(追記)大正2年(1913年)7月、16歳の花嫁の青柳トミさんの婚礼衣装とのネット情報がありました。 -
掛け軸の下に『寛隆院様・善光院様・御肖像・二軸』の箱書きの文字がありました。青柳家の方達でしょうか。
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やや薄い紺色の紋付きの羽織と袴の展示品です。丸く白っぽい家紋が消えかかっていましたが、青柳家の故マンでしょうか。
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『解体新書』の挿絵を模写した、小田野直武(1749〜1780年)の年表です。江戸時代中期の画家で秋田藩士だった人です。通称は武助です。平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成しました。
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『小田野直武の遺品・西洋絵皿』の表示があった写真パネルです。蘭学を学んだ人らしい遺品です。
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『阿仁銅山の鉱石』のタイトルがついた説明パネルの光景です。写真の鉱石は、角館から50キロほどの北にある阿仁銅山から出た鉱物です。平賀源内と出遭った直武は、阿仁銅山まで同行したことが紹介されていました。青柳家当主は『南部境目山役』であり、直武はその親戚筋です。
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『トーマス・バルトリン解剖書』の一部です。直武が『解体新書』の挿絵を模写する時に参考にした解剖書のようです。
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『解体新書』のオランダ語版のようです。『解體新書』は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書で、オランダ語などにも訳されていました。
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屋外に展示してあった、『小田野直武・秋田蘭画の歩み』のタイトルがあった挿絵と解説文の紹介です。秋田の武人画家によって描かれた絵画は、のちの西洋画と区別して『秋田蘭画』と呼ばれるようになったことなどが紹介されていました。誕生間もない小田野直武と、時の秋田藩第8代藩主の佐竹曙山の挿絵です。
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小田野直武は、寛延2年(1749年)12月、角館で生まれました。江戸時代の中頃です。直武は、8〜9歳の頃から絵を描き始め、12歳の時の『神農図』は今も残されています。左の挿絵は少年時代に絵を描く直武、右は蘭学などを学ぶ直武達の世代の挿絵です。
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角館城代の北家では、直武の画才を認め、庇護したとされます。殊に北家の佐竹義躬は、直武を師として自分でも絵筆を握り、蘭画を学んだとされます。左の挿絵は、角館神明社へ法の下、『花下美人図』を描く直武のようです。直武の生涯に大きな影響を及ぼしたのが、右の挿絵の、秋田藩が招いた平賀源内です。
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左の挿絵は、源内の宿所となった、角館の御用商人・五井屋孫左衛門方での出来事です。はじめて源内は直武の描いた屏風絵を目にし、細密で巧みな絵に驚嘆し、直武を宿所に呼んで貰ったとされます。右の挿絵は、源内が絵筆をとって直武に遠近法や陰影法を直武に伝授する場面です。
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左の挿絵は、出遭った日から源内に入門し、秋田に滞在中に西洋画を学んだ時の直武の図です。源内は10月末に鉱山開発の仕事を終え、江戸に帰りました。ところがその直後、秋田本藩から角館北家に対し、『小田野直武を江戸の源内のもとに3年間出張』の命が下りました。右の挿絵は、年の暮れに慌ただしく江戸に向かった直武は、早速、杉田玄白に引き合わされ、解体新書の挿絵を描くよう依頼されました。
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左の挿絵は、オランダ医学による解剖の場面のようです。説明文は、秋田藩が平賀源内を鉱山開発に招いた裏事情などの説明です。右の挿絵は、『解体新書』を巡る源内や杉田玄白などの打合せの図のようです。
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左の挿絵は、オランダの解剖朱『ターヘル・アナトミア(解体新書)』の解剖図の模写に励む直武の図です。『解体新書』は、辞書のなかった時代、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らが翻訳しました。右の挿絵は、安永3年(1774年)8月に完成した、『解体新書』デス。全5冊のうち、1冊が解剖付図です。
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左の挿絵は、源内屋敷で出会った三人の絵です。左から司馬江漢、小田野直武と平賀源内です。右の挿絵は、直武よりも11歳年上の司馬江漢が直武に弟子入りして、洋画の技法を学んだ時の様子です。角館城代の北家義躬も、出府の度に直武に絵を学んだことも紹介されていました。
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左の挿絵は、源内屋敷での江戸暮らしが予定の3年を超え5年となり、安永6年(1777年)に角館に帰って来た直武の図です。秋田に帰った直武は、本城勤めを命じられ、藩主・曙山の絵御用相手でした。主従での洋画制作が再開されましたが、久保田城が焼失し、多くの絵が失われてしまいました。右の挿絵は、炎上する久保田城です。
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左の挿絵は、御側小姓に取り立てられ、藩主の佐竹曙山に絵を教える直武です。その後、曙山は無理が祟って病となり、1年ほどたった時、直武には藩の上司から『国元での遠慮謹慎』の名が下りました。身に覚えのない罪を着せられた直武ですが、老中の田沼意次の権勢の衰えと、その意次と懇意の源内との関係が、藩の上層の判断となった可能性もあるようです。
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最後の挿絵は、死の床に就く直武の図です。亡くなったのは安永9年(1780年)5月、32歳の時でした。師の平賀源内が獄死したのも、精神的に影響を与えたのかもしれません。東北秋田で開花した蘭画は、江戸で司馬江漢(1747〜1818年)らによって受継がれました。この一連の挿絵は梶鮎太氏、文は野村敏雄氏でした。
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