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三河地区の瑞雲山本光寺の紹介です。元々は松林であった山林は、春には梅と桜、この時期には紫陽花、そして冬には椿の花が咲く、花の寺としても有名です。

2015梅雨、三河の紫陽花:本光寺(4/4):祖宗紀功碑(亀趺)、西廟所、 松平忠利公座像

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2015/06/10 - 2015/06/10

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旅行記グループ 2015年、紫陽花(上巻)

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旅人のくまさん

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三河地区の瑞雲山本光寺の紹介です。元々は松林であった山林は、春には梅と桜、この時期には紫陽花、そして冬には椿の花が咲く、花の寺としても有名です。

交通手段
JRローカル
  • 西廟の境内光景です。境内を巡る敷石の周りに、白や青の手毬咲の紫陽花の姿がありました。右手前の額紫陽花は、まだ咲き初めでした。

    西廟の境内光景です。境内を巡る敷石の周りに、白や青の手毬咲の紫陽花の姿がありました。右手前の額紫陽花は、まだ咲き初めでした。

  • 石段の下から見上げた、祖宗紀功碑(亀趺)と呼ばれている石碑の光景です。 この種の碑は、愛知県内で7基が 知られています。いずれも江戸時代以降の建立で、この本光寺 のものが萬治3年(1660年)と最も古いとされます。現在は『願掛け亀』と呼ばれて、地元の人に愛されています。<br />(注)寛文12年(1672年)の建立かも知れません。

    石段の下から見上げた、祖宗紀功碑(亀趺)と呼ばれている石碑の光景です。 この種の碑は、愛知県内で7基が 知られています。いずれも江戸時代以降の建立で、この本光寺 のものが萬治3年(1660年)と最も古いとされます。現在は『願掛け亀』と呼ばれて、地元の人に愛されています。
    (注)寛文12年(1672年)の建立かも知れません。

  • 『願掛け亀』のタイトルがあった説明プレートです。このプレートには、寛文12年(1672年)の建立と記されていましたが、幸田町で編纂された資料には、萬治3年(1660年)と紹介されていました。

    『願掛け亀』のタイトルがあった説明プレートです。このプレートには、寛文12年(1672年)の建立と記されていましたが、幸田町で編纂された資料には、萬治3年(1660年)と紹介されていました。

  • 祖宗紀功碑(亀趺)と呼ばれている石碑の入口に刻まれていた扇の紋です。『重ね扇』と呼ばれる、深溝松平家の家紋です。

    祖宗紀功碑(亀趺)と呼ばれている石碑の入口に刻まれていた扇の紋です。『重ね扇』と呼ばれる、深溝松平家の家紋です。

  • 祖宗紀功碑(亀趺)の光景です。碑銘は林怒の撰にかかり、四面、79行に亘って、世系、履歴、功業が陰刻されています。この碑は島原藩日記により、伊予産の石が蒲郡の拾石で陸揚げされたことも判明しています。

    祖宗紀功碑(亀趺)の光景です。碑銘は林怒の撰にかかり、四面、79行に亘って、世系、履歴、功業が陰刻されています。この碑は島原藩日記により、伊予産の石が蒲郡の拾石で陸揚げされたことも判明しています。

  • 祖宗紀功碑(亀趺)の基部のアップ光景です。寛文12年(1672年)8月の島原藩日記の『萬覚書』には、『寛文12年(1672年)7月朔日(1日)に、伊予の石が(蒲郡の)拾石に陸揚げされ、7日に源光寺に到着、18日に建立』と記されていました。菩提寺としての『本光寺』は、移転先の本院の名前とされましたが、6代当主の忠房の島原藩主時代に、三河深溝の末寺の『源光寺』が、『本光寺』に改められました。

    祖宗紀功碑(亀趺)の基部のアップ光景です。寛文12年(1672年)8月の島原藩日記の『萬覚書』には、『寛文12年(1672年)7月朔日(1日)に、伊予の石が(蒲郡の)拾石に陸揚げされ、7日に源光寺に到着、18日に建立』と記されていました。菩提寺としての『本光寺』は、移転先の本院の名前とされましたが、6代当主の忠房の島原藩主時代に、三河深溝の末寺の『源光寺』が、『本光寺』に改められました。

  • 祖宗紀功碑(亀趺)の敷地内から眺めた、本堂方面の光景です。その背後の山並みも、瑞雲山本光寺の史蹟を形成する一部として評価されています。

    イチオシ

    祖宗紀功碑(亀趺)の敷地内から眺めた、本堂方面の光景です。その背後の山並みも、瑞雲山本光寺の史蹟を形成する一部として評価されています。

  • 祖宗紀功碑(亀趺)の眼下に見える『肖影堂』の建物光景です。『肖影堂』の平面規模は、二間半四方です。『島原藩日記』によれば、寛文12年(1672年)年8月12日の条には、『肖影堂』が出来上がっていた記述が残っているようです。

    祖宗紀功碑(亀趺)の眼下に見える『肖影堂』の建物光景です。『肖影堂』の平面規模は、二間半四方です。『島原藩日記』によれば、寛文12年(1672年)年8月12日の条には、『肖影堂』が出来上がっていた記述が残っているようです。

  • 上から見下ろした、『祖宗紀功碑(亀趺)』の石段光景です。その先に見える建物が、『肖影堂』です。かなりの段差があった石段でした。

    上から見下ろした、『祖宗紀功碑(亀趺)』の石段光景です。その先に見える建物が、『肖影堂』です。かなりの段差があった石段でした。

  • 右が『肖影堂』の建物側面、左が本堂の周りを取り囲む石塀です。本堂の境内を取り囲む石塀は、中々立派な造りです。

    右が『肖影堂』の建物側面、左が本堂の周りを取り囲む石塀です。本堂の境内を取り囲む石塀は、中々立派な造りです。

  • 春日灯篭風の石塔と、青い花を咲かせた西洋紫陽花の光景です。石塔は、『肖影堂』の建物正面にあった2基の内の1基です。前方に見えている門は、『肖影堂門』の内側からの光景です。

    春日灯篭風の石塔と、青い花を咲かせた西洋紫陽花の光景です。石塔は、『肖影堂』の建物正面にあった2基の内の1基です。前方に見えている門は、『肖影堂門』の内側からの光景です。

  • 『肖影堂』の建物正面の光景です。『肖影堂』は、深溝松平家第5代の忠利公(1582〜1632年)が祀られている、本光寺唯一の木造の霊廟です。17世紀後期の建造とされます。

    『肖影堂』の建物正面の光景です。『肖影堂』は、深溝松平家第5代の忠利公(1582〜1632年)が祀られている、本光寺唯一の木造の霊廟です。17世紀後期の建造とされます。

  • 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名だった、松平忠利(まつだいら・ただとし)公の木彫像です。下総小見川藩主、三河深溝藩主を経て三河吉田藩初代藩主を務めました。

    イチオシ

    安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名だった、松平忠利(まつだいら・ただとし)公の木彫像です。下総小見川藩主、三河深溝藩主を経て三河吉田藩初代藩主を務めました。

  • 寛永9年(1632年)に没した、5代松平忠利公の木彫像のアップ光景です。この座像は、幸田町の文化財に指定されています。造立時期は不明ですが、50 回忌までには厨子内に安置されていたものと考えられています。

    寛永9年(1632年)に没した、5代松平忠利公の木彫像のアップ光景です。この座像は、幸田町の文化財に指定されています。造立時期は不明ですが、50 回忌までには厨子内に安置されていたものと考えられています。

  • 駐車場の近くにあった案内看板の紹介です。幸田町指定文化財の『絵画・京洛諸国名所図(日暮屏風)』のタイトルがありました。深溝松平6代の忠房光が、福知山城主の時代の寛文4年(1664年)、籠城から依頼された皇居の新院の落成に対する褒美として貰った品の一つと紹介されていました。<br />

    駐車場の近くにあった案内看板の紹介です。幸田町指定文化財の『絵画・京洛諸国名所図(日暮屏風)』のタイトルがありました。深溝松平6代の忠房光が、福知山城主の時代の寛文4年(1664年)、籠城から依頼された皇居の新院の落成に対する褒美として貰った品の一つと紹介されていました。

  • 先程見学してきた、『肖影堂』と『願掛け亀』の入口門になる『肖影堂門』の光景です。年代を特定できる資料はないものの、明治末期から、大正期に造られ、昭和年代に補修された門と推定されています。

    先程見学してきた、『肖影堂』と『願掛け亀』の入口門になる『肖影堂門』の光景です。年代を特定できる資料はないものの、明治末期から、大正期に造られ、昭和年代に補修された門と推定されています。

  • 紫陽花の光景に戻ります。中央から左側に懸けては、茜色系統の手毬咲の西洋紫陽花の一叢です。その右手では、青色や薄青色の西洋紫陽花が満開でした。

    紫陽花の光景に戻ります。中央から左側に懸けては、茜色系統の手毬咲の西洋紫陽花の一叢です。その右手では、青色や薄青色の西洋紫陽花が満開でした。

  • 茜色系統の手毬咲の西洋紫陽花の一叢のアップ光景です。色付き始めたばかりの花や、まだ緑色の蕾も多く残っていました。

    茜色系統の手毬咲の西洋紫陽花の一叢のアップ光景です。色付き始めたばかりの花や、まだ緑色の蕾も多く残っていました。

  • 瑞雲山本光寺の見学を終えて、下車したJR三ヶ根山駅に向かう途中の光景です。往きは鬱蒼とした、左側の石畳の参道を登りましたが、帰りは開けたアスファルトの参道を下りました。

    瑞雲山本光寺の見学を終えて、下車したJR三ヶ根山駅に向かう途中の光景です。往きは鬱蒼とした、左側の石畳の参道を登りましたが、帰りは開けたアスファルトの参道を下りました。

  • 手毬咲の西洋紫陽花は、混じりけのない白色系統のようです。その花の間に、薄青色のガクアジサイが混じっていました。

    手毬咲の西洋紫陽花は、混じりけのない白色系統のようです。その花の間に、薄青色のガクアジサイが混じっていました。

  • 振り返って眺めた、帰りに下ってきたアスファルト舗装の参道の光景です。こちらの参道脇にも紫陽花がありました。

    イチオシ

    振り返って眺めた、帰りに下ってきたアスファルト舗装の参道の光景です。こちらの参道脇にも紫陽花がありました。

  • 往きに登った、石畳の参道の光景です。この参道の両脇が、瑞雲山本光寺の紫陽花の見所の一つでした。

    往きに登った、石畳の参道の光景です。この参道の両脇が、瑞雲山本光寺の紫陽花の見所の一つでした。

  • 『三河椿郷・本光寺椿園』の文字が刻まれた石碑です。幸田ライオンズクラブの5周年に寄贈された石碑でした。幸田ライオンズクラブのHPには、『会員数は21名と少ないが、国際的にはカンボジアの教育育成援助としてシエムリアップに小学校と図書館の建設、そして地域には町の花「椿」の育成に関わり活動』などの紹介文がありました。

    『三河椿郷・本光寺椿園』の文字が刻まれた石碑です。幸田ライオンズクラブの5周年に寄贈された石碑でした。幸田ライオンズクラブのHPには、『会員数は21名と少ないが、国際的にはカンボジアの教育育成援助としてシエムリアップに小学校と図書館の建設、そして地域には町の花「椿」の育成に関わり活動』などの紹介文がありました。

  • 本光寺の参道脇にあった墓地と、紫陽花の光景です。紫陽花の花の右手に駐車場がありました。この紫陽花群も、『史跡の価値を構成する要素』として、近代以降の紫陽花としてリストアップされていました。

    本光寺の参道脇にあった墓地と、紫陽花の光景です。紫陽花の花の右手に駐車場がありました。この紫陽花群も、『史跡の価値を構成する要素』として、近代以降の紫陽花としてリストアップされていました。

  • 瑞雲山本光寺の見学を終えて、三ヶ根山駅に戻ってきました。この時間帯には普通電車か停まらないローカル駅です。本光寺の紫陽花見学の観光客は、バスか自家用車がほとんどのようでした。

    瑞雲山本光寺の見学を終えて、三ヶ根山駅に戻ってきました。この時間帯には普通電車か停まらないローカル駅です。本光寺の紫陽花見学の観光客は、バスか自家用車がほとんどのようでした。

  • 往きにはこの看板には気が付きませんでしたが、幸田町観光協会による本光寺の案内看板でした。距離350メートル、アジサイ寺、椿の郷、梅園などの情報がありました。

    往きにはこの看板には気が付きませんでしたが、幸田町観光協会による本光寺の案内看板でした。距離350メートル、アジサイ寺、椿の郷、梅園などの情報がありました。

  • 改札を終えて、駅のプラットホームからの光景です。まだ蕾が大半ですが、これから見頃を迎える赤いキョウチクトウ(夾竹桃)の花です。和名は、葉がタケに似て、花がモモに似ていることに因みます。インド原産のキョウチクトウ科の植物です。

    改札を終えて、駅のプラットホームからの光景です。まだ蕾が大半ですが、これから見頃を迎える赤いキョウチクトウ(夾竹桃)の花です。和名は、葉がタケに似て、花がモモに似ていることに因みます。インド原産のキョウチクトウ科の植物です。

  • 駅構内の光景です。この碑は、この後名古屋市内に戻り、尾張地区の紫陽花名所の一つ、千種区にある茶屋ヶ坂公園に向かう予定です。

    駅構内の光景です。この碑は、この後名古屋市内に戻り、尾張地区の紫陽花名所の一つ、千種区にある茶屋ヶ坂公園に向かう予定です。

  • 駅構内から眺めた、空き地が目立つ駅前光景です。右端の名所案内の看板には、三ヶ根山、形原温泉、西浦温泉と本光寺が紹介されていました。

    駅構内から眺めた、空き地が目立つ駅前光景です。右端の名所案内の看板には、三ヶ根山、形原温泉、西浦温泉と本光寺が紹介されていました。

  • 最後にもう一枚、三ヶ根駅のプラットホームからの光景です。石碑の裏に、殉国七氏廟建立発起人の5名の名前と、三ヶ根駅が開業した昭和42年3月17日の日付けがありました。事業費を負担する地元請願の駅であったことが背景にあるような石碑でした。

    最後にもう一枚、三ヶ根駅のプラットホームからの光景です。石碑の裏に、殉国七氏廟建立発起人の5名の名前と、三ヶ根駅が開業した昭和42年3月17日の日付けがありました。事業費を負担する地元請願の駅であったことが背景にあるような石碑でした。

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2015年、紫陽花(上巻)

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