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深溝(ふこうぞ)松平家の菩提寺、幸田の本光寺の紫陽花の紹介です。山号は瑞雲山、曹洞宗の寺院で、アジサイ寺とも呼ばれています。約1万本の紫陽花とされます。

2015梅雨、三河の紫陽花:本光寺(1/4):JR三ヶ根駅、石畳の参道、瑞雲山・山門、本堂

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2015/06/10 - 2015/06/10

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旅行記グループ 2015年、紫陽花(上巻)

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旅人のくまさん

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深溝(ふこうぞ)松平家の菩提寺、幸田の本光寺の紫陽花の紹介です。山号は瑞雲山、曹洞宗の寺院で、アジサイ寺とも呼ばれています。約1万本の紫陽花とされます。

交通手段
JRローカル

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  • 幸田の本光寺の最寄駅、JR東海の三ヶ根駅の光景です。普通電車と区間快速か停車しないローカル駅です。

    幸田の本光寺の最寄駅、JR東海の三ヶ根駅の光景です。普通電車と区間快速か停車しないローカル駅です。

  • JR東海の三ヶ根駅の至近距離にある地下道の入口です。国道23号線を北に渡って、幸田の本光寺に向かいました。

    JR東海の三ヶ根駅の至近距離にある地下道の入口です。国道23号線を北に渡って、幸田の本光寺に向かいました。

  • 歩いて5分ほどで、本光寺の入口に到着しました。1523年(大永3年)に深溝松平家の初代当主・松平忠定によって開基された。深溝松平家の菩提寺です。アジサイ寺として知られます。入口の石柱に、山号の瑞雲山と、寺号の本光寺の文字が刻まれていました。

    歩いて5分ほどで、本光寺の入口に到着しました。1523年(大永3年)に深溝松平家の初代当主・松平忠定によって開基された。深溝松平家の菩提寺です。アジサイ寺として知られます。入口の石柱に、山号の瑞雲山と、寺号の本光寺の文字が刻まれていました。

  • 石柱が建っていた石畳の参道と並行していた、少し幅の広い参道の光景です。往きは旧道の石畳の参道を登り、帰りはこちらの参道を戻ってきました。

    石柱が建っていた石畳の参道と並行していた、少し幅の広い参道の光景です。往きは旧道の石畳の参道を登り、帰りはこちらの参道を戻ってきました。

  • 石畳の参道の光景です。参道脇にはアジサイが咲き、その周りには鬱蒼とした木立が続きます。前夫に三紋らしい建物が見えてきました。

    イチオシ

    石畳の参道の光景です。参道脇にはアジサイが咲き、その周りには鬱蒼とした木立が続きます。前夫に三紋らしい建物が見えてきました。

  • 桟道で咲いていたガクアジサイの花のアップ光景です。薄紫の飾り花が見頃になっていました。

    桟道で咲いていたガクアジサイの花のアップ光景です。薄紫の飾り花が見頃になっていました。

  • 同じく、参道脇で咲いていた西洋アジサイの花のアップ光景です。僅かに茜色を帯びた薄紫の花の色でした。

    同じく、参道脇で咲いていた西洋アジサイの花のアップ光景です。僅かに茜色を帯びた薄紫の花の色でした。

  • 山門近くに到着しました。先程の石柱があった場所からは、1分あまりの距離でした。『瑞雲山』の扁額が懸かった山門でした。

    山門近くに到着しました。先程の石柱があった場所からは、1分あまりの距離でした。『瑞雲山』の扁額が懸かった山門でした。

  • 山門を潜る前に撮影した周りの光景です。石碑に刻まれた文字は、『不許葷酒入山門』の文字でした。『葷(くん)』と呼ばれる臭いの強い野菜類は、一般的には、ネギ、ラッキョウ、ニンニク、たまねぎ、ニラが相当するようです。

    山門を潜る前に撮影した周りの光景です。石碑に刻まれた文字は、『不許葷酒入山門』の文字でした。『葷(くん)』と呼ばれる臭いの強い野菜類は、一般的には、ネギ、ラッキョウ、ニンニク、たまねぎ、ニラが相当するようです。

  • 『瑞雲山』の扁額が懸かった山門のアップ光景です。柱や壁がベンガラ色に彩色されていました。ベンガラは、天然には赤鉄鉱として産出する酸化鉄で、インドのベンガル地方で産出したことに由来する呼び名とされます。

    『瑞雲山』の扁額が懸かった山門のアップ光景です。柱や壁がベンガラ色に彩色されていました。ベンガラは、天然には赤鉄鉱として産出する酸化鉄で、インドのベンガル地方で産出したことに由来する呼び名とされます。

  • 『松平家菩提所』のタイトルがあった説明看板です。徳川家を支えた十四松平の一つ、深溝松平家の菩提寺です。西廟所には初代から四代まで、東廟所には、肥前島原の7万石の城主になってからも死後はこちらに葬られ、19代の藩主が眠ります。

    『松平家菩提所』のタイトルがあった説明看板です。徳川家を支えた十四松平の一つ、深溝松平家の菩提寺です。西廟所には初代から四代まで、東廟所には、肥前島原の7万石の城主になってからも死後はこちらに葬られ、19代の藩主が眠ります。

  • 『瑞雲山』の扁額が懸かった山門から眺めた境内の光景です。飛び石の先に、敷石の参道が続いていました。

    『瑞雲山』の扁額が懸かった山門から眺めた境内の光景です。飛び石の先に、敷石の参道が続いていました。

  • 暫く、山門の周りの光景を紹介します。山門近くで咲いていた白い西洋紫陽花の光景です。厳しい剪定がされていないらしく、枝は伸び気味でしたが、花は満開でした。

    暫く、山門の周りの光景を紹介します。山門近くで咲いていた白い西洋紫陽花の光景です。厳しい剪定がされていないらしく、枝は伸び気味でしたが、花は満開でした。

  • 『天妙院殿』の表示があった供養塔です。十三代忠候公夫人で、彦根井伊直中の娘だった人です。命日が天保6年(1835年)1月17日のようです。井伊直中(いい・なおなか)は、江戸時代後期の大名で、近江彦根藩の第13代藩主です。安政の大獄に対する反動で暗殺された井伊直弼の実父です。

    『天妙院殿』の表示があった供養塔です。十三代忠候公夫人で、彦根井伊直中の娘だった人です。命日が天保6年(1835年)1月17日のようです。井伊直中(いい・なおなか)は、江戸時代後期の大名で、近江彦根藩の第13代藩主です。安政の大獄に対する反動で暗殺された井伊直弼の実父です。

  • 『天妙院殿』の表示があった供養塔のアップ光景です。井伊直中公の五女・芳です。夫君の松平忠侯(まつだいら・ただこれ)公は、島原藩深溝松平家9代で、肥前島原藩の第3代藩主です。

    イチオシ

    『天妙院殿』の表示があった供養塔のアップ光景です。井伊直中公の五女・芳です。夫君の松平忠侯(まつだいら・ただこれ)公は、島原藩深溝松平家9代で、肥前島原藩の第3代藩主です。

  • 白い色の紫陽花か、薄い青色が入った紫陽花か、判断に迷うところですが。満開の時には薄い青色が入るようです。

    白い色の紫陽花か、薄い青色が入った紫陽花か、判断に迷うところですが。満開の時には薄い青色が入るようです。

  • 咲き揃ったガクアジサイ(額紫陽花)の光景です。手前が中心部の花が青色系、飾り花が薄青色系です。右奥のガクアジサイは。飾り花が白色系のようです。

    咲き揃ったガクアジサイ(額紫陽花)の光景です。手前が中心部の花が青色系、飾り花が薄青色系です。右奥のガクアジサイは。飾り花が白色系のようです。

  • 『東廟所』への登りの石段のようです。今回は見学しませんでした。こちらの廟には、11代を除く、6代から19代までの藩主の墓所があります。なお、11代の墓所は『西廟所』にあります。

    『東廟所』への登りの石段のようです。今回は見学しませんでした。こちらの廟には、11代を除く、6代から19代までの藩主の墓所があります。なお、11代の墓所は『西廟所』にあります。

  • 境内で咲いていた茜色の西洋アジサイです。その背後に庭木越しに眺めた、は、山門に繋がる本光寺の周りを取り囲む塀が見えます。

    境内で咲いていた茜色の西洋アジサイです。その背後に庭木越しに眺めた、は、山門に繋がる本光寺の周りを取り囲む塀が見えます。

  • 前庭の庭木越しに眺めた本堂の光景です。瑞雲山本光寺は、希聲英音によって大洞山泉龍院の末寺として開山されました。ご本尊は釈迦如来です。

    前庭の庭木越しに眺めた本堂の光景です。瑞雲山本光寺は、希聲英音によって大洞山泉龍院の末寺として開山されました。ご本尊は釈迦如来です。

  • 境内と参道の周りにある紫陽花の数は、1万本ほどとされます。かつての。尾張・三河の国の愛知県では、この額田郡幸田町の瑞雲山本光寺のほか、大塚山性海寺(稲沢市)と補陀落山大泉寺(犬山市)が紫陽花寺と呼ばれています。<br />

    境内と参道の周りにある紫陽花の数は、1万本ほどとされます。かつての。尾張・三河の国の愛知県では、この額田郡幸田町の瑞雲山本光寺のほか、大塚山性海寺(稲沢市)と補陀落山大泉寺(犬山市)が紫陽花寺と呼ばれています。

  • アジサイの背後に見える新緑の木は、梅の木がほとんどのようです。アジサイ寺として知られる本光寺は、梅や椿の花の名所としても有名です。

    アジサイの背後に見える新緑の木は、梅の木がほとんどのようです。アジサイ寺として知られる本光寺は、梅や椿の花の名所としても有名です。

  • 散策中に漏れ聞いた住職さんらしい人の話では、梅はよく花が咲くものの、実は少なくなってしまったようです。年輪による、樹勢が影響しているのかもしれません。

    散策中に漏れ聞いた住職さんらしい人の話では、梅はよく花が咲くものの、実は少なくなってしまったようです。年輪による、樹勢が影響しているのかもしれません。

  • 蓮座の上に立った姿の石像です。左手に蓮の花を持っていますから、観音菩薩像のようです。鳩摩羅什(344〜413年)の旧訳では観世音菩薩、玄奘三蔵(602〜664年)以降では観自在菩薩と訳されています。

    蓮座の上に立った姿の石像です。左手に蓮の花を持っていますから、観音菩薩像のようです。鳩摩羅什(344〜413年)の旧訳では観世音菩薩、玄奘三蔵(602〜664年)以降では観自在菩薩と訳されています。

  • 鐘楼の光景です。鐘楼葉近代になって再建されたようですが、吊るされた梵鐘は1629年(寛永6年)に鋳造されたものと伝わっていて、、家康・家光の名が記されています。梵鐘は、幸田町指定文化財です。

    鐘楼の光景です。鐘楼葉近代になって再建されたようですが、吊るされた梵鐘は1629年(寛永6年)に鋳造されたものと伝わっていて、、家康・家光の名が記されています。梵鐘は、幸田町指定文化財です。

  • 瑞雲山本光寺本堂の光景です。屋根が傷んできているらしく、屋根瓦寄進の依頼文を目にしました。質素な作りに見える大屋根でした。

    イチオシ

    瑞雲山本光寺本堂の光景です。屋根が傷んできているらしく、屋根瓦寄進の依頼文を目にしました。質素な作りに見える大屋根でした。

  • 前庭にあった池泉の光景です。コンパクトな池に水練が植込まれていました。コンパクトに見えたのは、水位が下がっていたためかもしれません。周りには池の縁らしい石組が広がっていました。

    前庭にあった池泉の光景です。コンパクトな池に水練が植込まれていました。コンパクトに見えたのは、水位が下がっていたためかもしれません。周りには池の縁らしい石組が広がっていました。

  • 左手に見える神酒や、前方に見える新緑の木が梅の木です。幹は白いもので覆われていましたが、ウメノキゴケ(梅の木苔)のようでした。

    左手に見える神酒や、前方に見える新緑の木が梅の木です。幹は白いもので覆われていましたが、ウメノキゴケ(梅の木苔)のようでした。

  • 寸法が揃った切石が使われていた、飛び石の光景です。この日、参拝客は少なく、ゆっくりと散策することができました。

    寸法が揃った切石が使われていた、飛び石の光景です。この日、参拝客は少なく、ゆっくりと散策することができました。

  • 同じく、寸法が揃った切石が使われていた、飛び石の光景です。前方に見える建物には。『宝物館』の表札がありました。東廟所にある7代松平忠雄の墓が2008年(平成20年)の平成20年8月末豪雨により被害を受け、2009年に補修の検討のために学術調査が行われました。その調査で、西洋伝来のガラス製グラス、慶長小判などの副葬品が大量に発見され、新聞報道されました。

    同じく、寸法が揃った切石が使われていた、飛び石の光景です。前方に見える建物には。『宝物館』の表札がありました。東廟所にある7代松平忠雄の墓が2008年(平成20年)の平成20年8月末豪雨により被害を受け、2009年に補修の検討のために学術調査が行われました。その調査で、西洋伝来のガラス製グラス、慶長小判などの副葬品が大量に発見され、新聞報道されました。

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2015年、紫陽花(上巻)

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