2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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高松城見学の締め括りです。見学の後、淡路島経由で名古屋に戻りました。今回見学した日本百名城は7箇所、城郭の保存や再建状況には差がありましたが、それぞれに歴史を感じさせてくれました。
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右端が天守台の石垣、その周りが内堀の光景です。本丸は城のほぼ中央に位置し、周りを内堀に囲まれて、他の曲輪とは完全に独立しています。かつての天守は、独立式層塔型三重四階、地下一階、初層平面が東西13間2尺(約26.2メートル)、南北12間2尺(約24.2メートル)、高さ13間半(約24.5メートル)とされ、現存している三重五階の高知城天守(高さ約18.6メートル)や、松山城(高さ約20メートル)の天守を凌ぐ四国最大の規模だったとされます。
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天守台の周りのお堀光景です。創建時の天守は下見板張りの黒い外観でしたが、1671年(寛文11年)の松平氏による大改修の際に、白漆喰総塗籠の天守に改築されたようです。その天守は、老朽化により1884年(明治17年)に解体されました。
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イチオシ
お堀の畔で咲く、満開のソメイヨシノのアップ光景です。和田若い木のように見えました。ゥ数薄いピンク色が掛かった花の色でした。
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本丸と二の丸を繋ぐ鞘橋の光景です。二の丸側の袂付近の光景です。当初は『らんかん橋』と呼ばれ、屋根を有する現在の形になったのは江戸時代中期のこととされます。
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本丸と二の丸を繋ぐ鞘橋の光景です。本丸側の袂付近の光景です。現在の端は、昭和41年(1976年)に竣工したものです。橋長は3メートル、 幅員が3.5メートルです。
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この二層櫓は、玉藻公園から少し離れた海岸寄りの場所にありました。高松港そばの港公園に建つ報時鐘です。承応2年(1653年)に初代藩主松平?重が大坂で鋳造した鐘です。昭和3年(1928年)まで時を告げました。昭和55年(1980年)、市制施行90周年を記念して港公園に建立されました。
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イチオシ
三層の造りの『月見櫓』の光景です。風流な名前の、海に面した櫓です。
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海と繋がる水門の光景です。近世城郭の『海城』としては、最初で最大の例です。『讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上』と謡われています。
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観光用の小舟が発着した板付近の光景です。通路脇には、風情のある竹垣が設けられていました。正面に見える石垣が天守台です。
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高松城址の見学を終えて、再集合場所の観光バスの停車場所に向かう途中玉藻公園内の光景です。雨は断続的に降っていましたが、小降りでした。手入れをされた松の並木の中の通路光景です。
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入口近くで見かけた、庭園風の一角の光景です。苔生した石が配され、手入れをされた庭木がある光景でした。横目で見ながら通り過ぎました。
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振り返って眺めた、高松城址の正面出入口付近の光景です。大手門址付近のようですが、詳しいことは分かりませんでした。両側から石垣の遺跡が迫る場所です。
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高松城址の石垣と、その脇のアカメガシ(赤芽樫)の新芽の光景です。正式名は、ベニカナメモチ(紅要黐)、バラ科カナメモチ属の常緑小高木です。単に『アカメ(赤芽)』と呼ばれることが多い、生垣が似合う庭木です。
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高松城の見学を終え、淡路島を経由しての名古屋への戻りです。オプショナルで注文した昼食の弁当は、鳴門西のパーキングエリアで受け取るよう、添乗員さんが調整されていました。鳴門西PAへの到着です。鳴門西のバス停もありました。
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昼食の弁当です。鳴門西PAの駐車場で、待ち時間なしに届けられました。明石のタコも有名ですが、これは鳴門名物のタコ飯弁当です。美味しく戴きました。明石も鳴門も、渦潮に揉まれた鯛も名物のようです。
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イチオシ
神戸淡路鳴門自動車道の光景です。この自動車道は、兵庫県神戸市の山陽自動車道神戸西ICを起点とし、徳島県鳴門市の高松自動車道鳴門ICに至る、延長89.0キロの高規格幹線道路(国道28号の自動車専用道路)です。本州と四国を結ぶ三つのルートの内の1つです。鳴門海峡に架かる橋を横断中の時の光景です。
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『淡路ハイウェイオアシス』に到着しました。買い物を含めて、ここでしばらく休憩しました。阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日に発生しましたから、その3年ほど後の開業となります。その三年ほど後の1998年(平成10年)のオープンです。
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『淡路ハイウェイオアシス』の『オアシス館』と呼ばれている建物内の光景です。地元産品をはじめとするお土産店や、喫茶店などがあります。
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同じく、『オアシス館』の光景です。淡路市に本店を置く、『ユーアールエー(URA)株式会社』が運営しています。
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ユリオプス・デージーの黄色の花です。南アフリカ原産の木質化するキク科ユリオプス属の植物です。日本へは昭和40年代に渡来しました。
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2005年に淡路SA下り線エリアに設置された、観覧車の光景です。ライトアップして、夜は21時まで営業しているようでした。淡路SAの総施設の売り上げは、東名高速道路の海老名SAと並んで全国トップクラスとされます。
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『淡路ハイウェイオアシス』の建物光景です。『オアシス館』以外には、レストラン・ポンテメールや、鯛料理の大富の独立した建物があります。
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かなり激しくなった雨ですが、見学を終えてのことですから、助かりました。東方面に向かうほど天候は荒れていました。『淡路ハイウェイオアシス』の裏山の光景です。ソメイヨシノや山桜の花が見えました。
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『淡路ハイウェイオアシス』での休憩を終えて、本州側に向かいました。現在通過しているのは、明石海峡のようです。『明石海峡大橋』は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、世界最長の吊り橋とされます。パールブリッジの愛称を持ちます。
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同じく、通過中の『明石海峡大橋』の光景です。全長が3911メートル、中央支間の長さが1991メートルとされます。阪神淡路大震災前後の1986〜1998年に施工され、1998年(平成10年)4月5日に供用が開始されました。阪神淡路大震災による地盤のずれで、当初予定より全長が1メートル延びたとされます。
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小休止した、滋賀県大津市の草津PAの光景です。運転手さんは、渋滞情報などを勘案し、草津からは新名神でかめやまJC経由で四日市、名古屋方面のルートを選ばれました。
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新名神高速道路を走行中の光景です。鈴鹿山脈らしい山岳地帯ですから、折からの荒天で山並みが雲と霧に覆われてしまいました。
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高速道路の方の視界はそれほど悪くありませんでしたが、四日市辺りまでは自然の渋滞に遭いました。スピードは落ちても完全停止はほとんどありませんでした。
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この辺りでは、上下線が別々の橋脚で施工されているようでした。こちらの車線は左方向に走っていますが、前方の車線は右向きの走行です。
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これで、今回の日本百名城巡りの写真紹介はおしまいです。ほぼ予定の時刻に名古屋駅に西側に到着し、ツアーは解散となりました。何もトラブルがなく、期待以上の好天に恵まれた旅行となりました、終始気を配っていただいた添乗員さん、安全運転の運転手さんと、ツアーメンバーの方にお礼を申し上げて、拙い旅行記の筆を擱きます。ありがとうございました。
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