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四国の日本百名城の一つで、現存する天守を持つ12の城郭の内の一つでもある、丸亀城見学の紹介です。『石の城』とも称され、一番の見所は石垣でした。4重に重ねられた石垣の総高は60メートルです。

2015春、近畿・中国・四国の百名城(31/38):4月5日(2):丸亀城(2):内堀、大手門

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2015/04/03 - 2015/04/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

四国の日本百名城の一つで、現存する天守を持つ12の城郭の内の一つでもある、丸亀城見学の紹介です。『石の城』とも称され、一番の見所は石垣でした。4重に重ねられた石垣の総高は60メートルです。

交通手段
観光バス
  • 亀山の山頂に建つ、亀山城の天守光景です。起源は室町時代初期に遡り、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたことが始まりとされます。

    イチオシ

    亀山の山頂に建つ、亀山城の天守光景です。起源は室町時代初期に遡り、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたことが始まりとされます。

  • 大手門方面が、右前方に見えてきました。現在の城郭は、豊臣政権の時代の慶長2年(1597年)、生駒親正(在職:1587〜1600年)が、讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築いたことに始まります。慶長7年(1602年)、6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成しました。<br />

    大手門方面が、右前方に見えてきました。現在の城郭は、豊臣政権の時代の慶長2年(1597年)、生駒親正(在職:1587〜1600年)が、讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築いたことに始まります。慶長7年(1602年)、6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成しました。

  • 大手門の光景です。大手門と、天守が直線状に同時に見える城郭は少ないとお聞きしました。表門の大手一の門、大手二の門は、いずれも国の重要文化財に指定されています。

    大手門の光景です。大手門と、天守が直線状に同時に見える城郭は少ないとお聞きしました。表門の大手一の門、大手二の門は、いずれも国の重要文化財に指定されています。

  • 大手門に向かって右側の石垣と二層の隅櫓の光景です。石垣に枝を伸ばしつつあるソメイヨシノの後ろには、天守が見えていました。ソメイヨシノがもっと枝を伸ばせば、更に景観がアップしそうです。

    イチオシ

    大手門に向かって右側の石垣と二層の隅櫓の光景です。石垣に枝を伸ばしつつあるソメイヨシノの後ろには、天守が見えていました。ソメイヨシノがもっと枝を伸ばせば、更に景観がアップしそうです。

  • 大手門に向かって、左側方面の石垣光景です。建物の姿はありませんでしたが、隅櫓が置かれたような気配がする石垣の突起でした。

    大手門に向かって、左側方面の石垣光景です。建物の姿はありませんでしたが、隅櫓が置かれたような気配がする石垣の突起でした。

  • 大手二の門を潜る時の光景です。正面には石垣が見えました。侵入した敵が直進して攻め込めないようにした、枡形の石垣です。

    大手二の門を潜る時の光景です。正面には石垣が見えました。侵入した敵が直進して攻め込めないようにした、枡形の石垣です。

  • 切込み接ぎ(きりこみはぎ)の枡形の石垣光景です。大きな石が二つ嵌め込まれていました。その周りの石も周りに合わせて加工されていました。最後にもう一度紹介します。

    切込み接ぎ(きりこみはぎ)の枡形の石垣光景です。大きな石が二つ嵌め込まれていました。その周りの石も周りに合わせて加工されていました。最後にもう一度紹介します。

  • 次に潜ったのが、大手二の門です。この二つの門は、国の重要文化財に指定されています。6万石の小藩ながら、このような立派な城が造られたのは、幕府が瀬戸内海の海上交通を監視する拠点と位置づけたことと、丸亀沖の本島に多くいたといわれる隠れキリシタンに目を光らせる必要があったからとする説があるようです。

    次に潜ったのが、大手二の門です。この二つの門は、国の重要文化財に指定されています。6万石の小藩ながら、このような立派な城が造られたのは、幕府が瀬戸内海の海上交通を監視する拠点と位置づけたことと、丸亀沖の本島に多くいたといわれる隠れキリシタンに目を光らせる必要があったからとする説があるようです。

  • 木々の間から顔を覗かせた丸亀城の天守です。江戸時代に建てられた三階櫓が現存します。この建物は唐破風や千鳥破風を施し、漆喰が塗られ、高さは15メートル、現存三重天守の中では最も小規模です。

    木々の間から顔を覗かせた丸亀城の天守です。江戸時代に建てられた三階櫓が現存します。この建物は唐破風や千鳥破風を施し、漆喰が塗られ、高さは15メートル、現存三重天守の中では最も小規模です。

  • 石垣で有名な丸亀城です。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの石垣は日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルあります。

    石垣で有名な丸亀城です。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの石垣は日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルあります。

  • 見事な丸亀城の石垣光景です。専門知識を持った現地ガイドさんが説明と案内をして頂きました。その石垣の説明の中に出てきたのが穴太衆(あのうしゅう)の事でした。穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太、現在の滋賀県大津市坂本穴太の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔との説があります。

    見事な丸亀城の石垣光景です。専門知識を持った現地ガイドさんが説明と案内をして頂きました。その石垣の説明の中に出てきたのが穴太衆(あのうしゅう)の事でした。穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太、現在の滋賀県大津市坂本穴太の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔との説があります。

  • 独特の反りを持った『扇の勾配』ともよばれる石垣の曲線です。穴太衆は、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになりました。それ以降は江戸時代初頭に到るまで、多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られました。

    イチオシ

    独特の反りを持った『扇の勾配』ともよばれる石垣の曲線です。穴太衆は、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになりました。それ以降は江戸時代初頭に到るまで、多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られました。

  • 刻印された石垣の石です。丸亀城の石垣では、約140個の石に刻印が確認されています。生駒氏の刻印をはじめ、かつて西国の大名が公儀普請として築いた大坂城でも見られる刻印が丸亀城で見られます。

    刻印された石垣の石です。丸亀城の石垣では、約140個の石に刻印が確認されています。生駒氏の刻印をはじめ、かつて西国の大名が公儀普請として築いた大坂城でも見られる刻印が丸亀城で見られます。

  • 真下から見上げた石垣光景です。打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石積みのようです。穴太衆は、穴太積み(あのうづみ)と呼ばれる野面積み(のずらづみ)を得意としましたが、その他の石積みにも長けた技能集団でした。

    真下から見上げた石垣光景です。打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石積みのようです。穴太衆は、穴太積み(あのうづみ)と呼ばれる野面積み(のずらづみ)を得意としましたが、その他の石積みにも長けた技能集団でした。

  • 算木積みでコーナーが造られた、見事な石垣の光景です。幕府が瀬戸内海の海上交通を監視する拠点と位置づけ、また隠れキリシタンに目を光らせる必要があったからとする説の根拠の一つには、寛永20年(1643年)の城の改修の際、幕府は丸亀藩に銀300貫を与え、参勤交代を免除したうえで、突貫工事を行わせたことにあります。

    算木積みでコーナーが造られた、見事な石垣の光景です。幕府が瀬戸内海の海上交通を監視する拠点と位置づけ、また隠れキリシタンに目を光らせる必要があったからとする説の根拠の一つには、寛永20年(1643年)の城の改修の際、幕府は丸亀藩に銀300貫を与え、参勤交代を免除したうえで、突貫工事を行わせたことにあります。

  • 高浜虚子の句碑の光景です。『稲むしろあり 飯の山あり 昔今』の句が刻まれているようです。昭和24年(1949年)秋、ここから丸亀平野を隔てて讃岐富士(飯の山)を眺めて読んだことが解説されていました。高浜虚子(1874〜1959年)は、現愛媛県の旧松山藩士・池内政忠の五男として生まれた俳人です。

    高浜虚子の句碑の光景です。『稲むしろあり 飯の山あり 昔今』の句が刻まれているようです。昭和24年(1949年)秋、ここから丸亀平野を隔てて讃岐富士(飯の山)を眺めて読んだことが解説されていました。高浜虚子(1874〜1959年)は、現愛媛県の旧松山藩士・池内政忠の五男として生まれた俳人です。

  • 亀山の頂上から眺めた、讃岐富士の光景です。眼下には、昔は城下町だったらしい、丸亀の市街光景が広がっていました。高浜虚子が眺めた讃岐富士の姿は昔のままでしょうが、眼下の丸亀平野の光景は変わってしまっているようです。

    亀山の頂上から眺めた、讃岐富士の光景です。眼下には、昔は城下町だったらしい、丸亀の市街光景が広がっていました。高浜虚子が眺めた讃岐富士の姿は昔のままでしょうが、眼下の丸亀平野の光景は変わってしまっているようです。

  • 本丸の石垣側面光景です。丸亀以上の石垣は、どちらを見ても見飽きません。元和元年(1615年)、一国一城令により破却の危機に晒されましたが、時の藩主・生駒正俊(在職:1610〜1640年)は要所要所を樹木で覆い隠し、立入りを厳しく制限することで、城を破却から守り抜きました。

    本丸の石垣側面光景です。丸亀以上の石垣は、どちらを見ても見飽きません。元和元年(1615年)、一国一城令により破却の危機に晒されましたが、時の藩主・生駒正俊(在職:1610〜1640年)は要所要所を樹木で覆い隠し、立入りを厳しく制限することで、城を破却から守り抜きました。

  • 本丸石垣のコーナー部分からの光景です。高さと、その勾配は、なかなかの迫力がありました。城内の竹林の先に、丸亀市街の光景がありました。

    本丸石垣のコーナー部分からの光景です。高さと、その勾配は、なかなかの迫力がありました。城内の竹林の先に、丸亀市街の光景がありました。

  • 生憎の雨模様の天候で、ひっそりとした丸亀城三の丸の光景です。本丸と二の丸を取り囲む平場です。かつては、3箇所に隅櫓がありました。

    生憎の雨模様の天候で、ひっそりとした丸亀城三の丸の光景です。本丸と二の丸を取り囲む平場です。かつては、3箇所に隅櫓がありました。

  • 『史跡・丸亀城址・三の丸・東石垣修理工事』のタイトルがあった説明パネルです。石垣の膨らみや。石材の我等が著しく、石垣が崩壊する危険性があることでの修理だったようです。修復の手順が、写真と図面入りで解説されていました。

    『史跡・丸亀城址・三の丸・東石垣修理工事』のタイトルがあった説明パネルです。石垣の膨らみや。石材の我等が著しく、石垣が崩壊する危険性があることでの修理だったようです。修復の手順が、写真と図面入りで解説されていました。

  • 石垣を築いた人達の、遊び心が残った細工のようです。大きな石の四方に、小さな石が詰められていました。積み直しの際には、大きな石には、すべて番号が付されます。

    石垣を築いた人達の、遊び心が残った細工のようです。大きな石の四方に、小さな石が詰められていました。積み直しの際には、大きな石には、すべて番号が付されます。

  • 丸亀城内の桜林の光景です。丸亀の四季の主な行事は、春が、飯山総合公園の『桃の花まつり』と『亀山城桜まつり』、夏が『まるがめ婆娑羅まつり』、秋が『菊フェスティバル・綾歌ふるさとまつり』、冬が『香川丸亀国際ハーフマラソン大会』などです。

    丸亀城内の桜林の光景です。丸亀の四季の主な行事は、春が、飯山総合公園の『桃の花まつり』と『亀山城桜まつり』、夏が『まるがめ婆娑羅まつり』、秋が『菊フェスティバル・綾歌ふるさとまつり』、冬が『香川丸亀国際ハーフマラソン大会』などです。

  • ソメイヨシノの木々の間から見上げた、丸亀城の天守の光景です。丸亀城では、1950年から、5月に『丸亀お城まつり』が開催されています。第1回の祭りが開催された1950年は、丸亀城天守の解体復元工事が完成し、国の重要文化財に指定された年です。

    ソメイヨシノの木々の間から見上げた、丸亀城の天守の光景です。丸亀城では、1950年から、5月に『丸亀お城まつり』が開催されています。第1回の祭りが開催された1950年は、丸亀城天守の解体復元工事が完成し、国の重要文化財に指定された年です。

  • 満開のソメイヨシノの花越しに眺めた、丸亀城の天守光景です。構造上の特徴は、柱の多いことです。通し柱がない代わりに、1階に50本、2階に36本、3階に16本、計102本もの柱があります。宝永や安政の大地震、昭和の南海大地震にも耐え抜いた、非常に強固な建物です。

    満開のソメイヨシノの花越しに眺めた、丸亀城の天守光景です。構造上の特徴は、柱の多いことです。通し柱がない代わりに、1階に50本、2階に36本、3階に16本、計102本もの柱があります。宝永や安政の大地震、昭和の南海大地震にも耐え抜いた、非常に強固な建物です。

  • 三の丸から見下ろしたソメイヨシノの光景です。丸亀城がある亀山公園には、1000本以上のソメイヨシノがあり、毎年『丸亀城桜まつり』が開催されています。今年2015年は、4月1日(水)〜4月14日(火)の期間でした。

    三の丸から見下ろしたソメイヨシノの光景です。丸亀城がある亀山公園には、1000本以上のソメイヨシノがあり、毎年『丸亀城桜まつり』が開催されています。今年2015年は、4月1日(水)〜4月14日(火)の期間でした。

  • 同じく、三の丸から見下ろしたソメイヨシノの光景です。『丸亀城桜まつり』の期間中、夜には約300個あまりのボンボリが点灯され、夜桜を楽しむことができるようです。

    同じく、三の丸から見下ろしたソメイヨシノの光景です。『丸亀城桜まつり』の期間中、夜には約300個あまりのボンボリが点灯され、夜桜を楽しむことができるようです。

  • 三の丸から見下ろした丸亀市街の光景です。眼下に見えているのは、亀山を取り囲む内堀です。内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいました。侍屋敷の跡地に建つ建物光景です。

    三の丸から見下ろした丸亀市街の光景です。眼下に見えているのは、亀山を取り囲む内堀です。内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいました。侍屋敷の跡地に建つ建物光景です。

  • 三の丸から見下ろした三の丸の石垣光景です。石垣の上も下も、ソメイヨシノの花がありました。満開の時期が過ぎて、散り初めでした。

    三の丸から見下ろした三の丸の石垣光景です。石垣の上も下も、ソメイヨシノの花がありました。満開の時期が過ぎて、散り初めでした。

  • 近くから見上げた丸亀城の天守光景です。このばっしょからは見えませんが、1階北側には、挟間や石落しもあります。四国では最も古く、万治3年(1660年)に完成した天守です。

    近くから見上げた丸亀城の天守光景です。このばっしょからは見えませんが、1階北側には、挟間や石落しもあります。四国では最も古く、万治3年(1660年)に完成した天守です。

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