2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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日本百名城の一つ、高松城の紹介です。柿本人麻呂が万葉集で、讃岐国の枕詞に『玉藻よし』と詠んだことに因み、『玉藻城』とも呼ばれます。
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イチオシ
内堀に映った白い土塀の光景です。右手にソメイヨシノ花、左奥にか丸亀城の天守と、役者が揃いました。丸亀城の見学はこれでおしまいです。
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感光バスの中の光景です。丸亀城に入城する時、サービスで戴いたつぶあんの桜餅です。帰りの時にはサービス品は無くなっていましたから、先着の一定数に限ったサービスのようでした。よく歩いた後でしたから、美味しく戴きました。
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『ことでん・高松築港駅』の建物光景です。目的地の玉藻公園のすぐ近くにありました。公共交通機関を使った時の高松城見学の最寄駅です。『ことでん』は、高松琴平電気鉄道の略称で、琴平線高松築港駅からJR四国の高松駅は、乗換所要時間が約5分と紹介されていました。西に約200メートルの至近距離です。
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高松城跡がある、玉藻公園の入口付近にあった石碑です。近くの分駐車場でバスを降り、歩いてやってきました。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587年)、讃岐の国の領主となった生駒親正によって、『野原』と呼ばれた港町に築かれました。
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玉藻公園の入口付近の光景です。高松城址の石垣がありました。左手の看板の文字は、『史跡高松城跡・玉藻公園』でした。石垣の脇の赤い植物は、アカメガシの新芽です。よく生垣に使われます。
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高松市立玉藻公園として整備されている、赤松城址の光景です。左手が北側で、瀬戸内海方面になります。防風林の役割を果たしているらしい、背の高い松林の光景がありました。
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玉藻公園の園内案内図には、ここが西入口、左手の石垣方面が『廉櫓址』、右手の石垣方面が『南櫓址』と記してありました。この場所に西の丸の入口門があったようです。
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2〜3人乗りの手漕ぎの遊覧船の光景です。城内のお堀を遊覧しているようでした。菅笠を被った、お遍路さん風の乗客の姿がありました。菅笠(すげがさ)の材質は、竹か檜です。四国遍路の基本的な旅衣装の一つです。
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玉藻公園の西側方面の光景です。お堀が埋立てられて、琴電の線路が走っているのがよく分かります。石垣で段差はありますが、陸続きになっていました。かつて、名古屋城のお堀址を走る瀬戸電のことを思い出しました。地下鉄化で栄への乗り入れとなり、昭和53年(1978年)に廃止されました。
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玉藻公園の東側方面の光景です。右が本丸址の天守台、左が『披雲閣』とその庭園がある三の丸址です。海水が率いられたお堀でセパレートされた光景です。
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内堀と、その先に見える三の丸の光景です。三の丸には、『披雲閣』とその庭園があります。こちらは、後ほど紹介します。
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二の丸と、本丸とを結ぶ鞘橋を渡って、本丸跡にやってきました。前方に見えるのが、解体、発掘調査の後、つに直された天守台です。天守台の上にあった天守は、古い写真でその姿が判明しています。1884年(明治17年)に解体される前の天守は、独立式層塔型三重四階、地下一階の規模とされます。
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右が天守台、前方が、瀬戸内海側になる北側方面の光景です。現在は、天守がある本丸の西側方面が埋立てられて陸続きになっていますが、琴電高松築港駅を廃止して、今は琴電の線路となっているお堀を跡を掘削する計画もあるようです。
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『高松城天守・地下1階の発見』と題された説明看板です。石垣修理の際に行われた淡主題の発掘調査で判明した、天守の地下1階に関する解説です。発掘調査による実測結果が、『小神野筆帖』の記述と一致したことが説明されていました。
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鏡のような水面に写った松林と石垣の光景です。海と繋がったお堀ですから、真水ではなく、海水のようでした。天守台から眺めた光景です。左が二の丸址、右が三の丸址です。左手に二の丸側の鞘橋が見えています。
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イチオシ
天守台から眺めた高松城址の光景が続きます。前方に見えているのは、『披雲閣庭園』がある三の丸址方面です。
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『高松城の歴史』と『天守台石垣の修理工事』のタイトルがあった説明看板です。『高松城の歴史』では、天正15年(1587年)に領地を与えられた生駒親正による築城から現在までの略史、『天守台石垣の修理工事』ではs、平成17年(2005年)から始まり平成24年(2012年)に完了した石垣修理の取組みが紹介されていました。
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天守台から眺めた、三の丸跡にある瓦葺のシックな家並の光景です。国の重要文化財に指定されている、大正6年(1917年)に竣工した『披雲閣』です。江戸時代の三の丸には、現在の建物の約2倍の規模を持つ、政務が行われる場所、藩主が生活する場所として『披雲閣』という名前の御殿がありました。
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本丸跡に生えていた楠の光景です。大木に育っていました。その根元には、春落ち葉が降り積もっていました。新緑の鳩の交代です。
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本丸の東方向から眺めた、本丸の天守台の東面の光景です。鞘橋を渡った後、石段を登った場所です。同じ道筋で二の丸方面に戻ることになります。
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イチオシ
積み直しされた天守台の光景です。お堀に海水を引き込んだ海城は、海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため、戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利だったようです。
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海側に面した、低い石垣と松林の光景です。明治維新以後、版籍奉還以後廃城になった高松城は、都市化の波に呑まれ、現在では海側に新しい道路の水城通りが造られ、ほとんどの建物が取り壊され、内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられました。
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高松城の最盛期には、66万平方(約20万坪)あったとされる城の総面積は、現在では約1/8の7万9587平方(約2万4千坪)にまで縮小しました。廃城となった高松城は、1890年(明治23年)に旧藩主松平家に払い下げられ、1954年(昭和29年)には、松平家から高松市に譲渡されされました。高松市立玉藻公園として一般公開されたのは、翌1955年(昭和30年)のことです。
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『海城・高松城と城』のタイトルがあった案内看板です。高松城の古い絵図を参照しながら解説されていました。飛竜丸は高松藩の軍船で、阿参勤交代にも使われたようです。
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手動式らしい、水門の光景です。この水門でコントロールしているのは、海水です。水路は国道30号線の下を通って、瀬戸内海へと繋がっています。
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『高松藩松平家の泳法』と題された説明看板です。藩祖の松平頼重公が、寛永19年(1642年)、高松に入城した時に水練を武道として指導し始めた時のことが紹介されていました。松平頼重公(1622〜1695年)は、水戸藩初代藩主徳川頼房の長子で、『水戸黄門』こと2代藩主徳川光圀公の同母兄です。諡号は『英公』、松平13代目の頼明氏を会長として、水任流保存会が発足したことも紹介されていました。
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『水門』と題された説明看板です。日本三大水城の高松城の水門についての解説です。江戸時代には内堀、中堀と外堀の三重の濠で囲まれていましたが、次第に埋め立てられ、現在は白の北側の水路で、唯一海と繋がっていることが紹介されていました。お堀では、クロダイやスズキが泳ぐようです。
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瀬戸内海から海水が取り入れられている内堀の光景です。左奥に見えているのは天守台です。2007年(平成19年)から天守台の解体・補強・積み直し工事が開始され、2012年(平成24年)に完了しました。
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左手にある『披雲閣』の周りの散策路です。大正67年(1919年)に竣工した『披雲閣』は、平成24年(2012年)に国の重要文化財に指定されました。後ほど庭園を含めて紹介します。
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『披雲閣庭園』のタイトルがあった説明看板です。松平家12代当主の松平頼壽が、対象3〜6音(1914〜17年)に三の丸に『披雲閣』を建築した際に造られた庭園と祖愉快されていました。東京の庭師、大胡勘蔵による作庭です。江戸時代の庭園を残しながら作庭されました。
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