2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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高松城紹介の続きです。かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠、中濠、内濠の全てに海水が引込まれ、城内に直接軍船が出入りできる造りで、水軍の運用も視野に入れて設計された、日本初の本格的な海城です。
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イチオシ
一番奥の建物が、国の重要文化財の月見櫓です。月見櫓は、松平氏入封以後、新たに海を埋め立てて作られた曲輪の隅櫓として1676年に建てられました。着見櫓の呼び名もあります。かつては海沿いに位置し、海から城への入場を監視していました。
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海城に特有の『水手御門(みずのてごもん)』の光景です。満潮時には、前方の石段の半ばまで海水が入ってきます。船着石段が付属する全国唯一の遺構とされます。
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月見櫓の南面に付属する、『続櫓(つづきやぐら)』の光景です。小規模な平櫓の造りです。『続櫓』の更に南に『水手御門』があります。
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手前から、『続櫓』、『水手御門』と『渡櫓』の光景です。この三つの施設と、右手前にある『月見櫓』が一体となっています。
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『重要文化財・高松城北之丸月見櫓(続櫓)、水手御門、渡櫓』のタイトルがあった説明看板です。重要文化財への指定は、昭和25年(1950年)8月です。月見櫓を中心に沿革や、機能などが説明されていました。
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月見櫓の中から眺めた。西方面の光景です。かつては、一面の海だったようですが、現在は埋立てられて石畳の広場になっていました。
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月見櫓の室内光景です。現存する櫓ですから、急傾斜の木製階段になっていました。窓が開け放たれていましたから、室内の明り採りは十分でした。手摺は、磨き上げられた太い竹です。
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イチオシ
月見櫓の中から眺めた、北側方面の瀬戸内海の光景です。高松港を出港したフェリーらしい船の姿がありました。
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同じく、月見櫓から眺めた高松港の光景です。高松港の港湾管理者は香川県、港湾法上の重要港湾です。本州や小豆島、直島諸島などの離島と四国を結ぶ海上交通の要衝です。入港船舶隻数では全国第9位(2011年)の港です。
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月見櫓から眺めた光景が続きます。前方に見えるのは、月見櫓の下階の屋根、その先の松林は、高松城址の城内です。
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月見櫓から眺めた南方面の光景です。月見櫓の屋根の先に見えるのが属櫓の屋根、屋根が研ぎ手た場所が水手御門、その先が渡櫓の屋根です。
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月見櫓から眺めた南西方面の光景です。かつては、海に直面していた高松城(玉藻城)の石垣光景です。
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月見櫓から眺めた西方面の光景です。埋立てられて、城壁の脇に細い水路が残るだけになっていました。石畳の広場の右手を走る道路は、『水城通り』です。
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最初に紹介した瀬戸内海の光景は、月見櫓の下階からの眺望でしたが、今度は最上階からの眺めです。高松港を出航したフェリーの姿が小さくなっていました。
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同じく、月見櫓の最上階からの眺めです。南方向の光景です。渡櫓の屋根の先に、三の丸の建物群が見えていました。『披雲閣』です。
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月見櫓の最上階からの眺めが続きます。南西方面の光景です。眼下の屋根は、大部分が月見櫓、左端に続櫓と渡櫓の屋根も見えています。
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『玉藻城変遷史』のタイトルがあった木製の年表です。年代と出来事が、箇条書きで記されていました。玉藻城(高松城)は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)、讃岐1国の領主となった生駒親正によって、『野原』と呼ばれた港町に築かれたのが始まりです。この年表も天正15年(1587年)から始まっていました。
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入城しての見学を終え、改めて振り返って眺めた月見櫓の光景です。視界を遮るものがなく、見晴らしの良い海辺の櫓でした。
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『水手御門』の船着石段から眺めた海の光景です。手前が続櫓の石垣、その先に見えるのが月見櫓の石垣です。潮位が高かったのでしょうか、海城を実感できる光景でした。
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同じく、『水手御門』の船着石段から眺めた玉藻城(高松城)の海岸線の城壁光景です。それほど高くない城壁が延々と続いていました。かつては、海側の守りですから、石垣も硬くする必要がなかったのかも知れません。
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苔生した石垣と、まだ新しい竹垣の光景です。『披雲閣庭園』に廻らされている竹垣のようでした。『披雲閣庭園』は、国の名勝に指定されている庭園です。
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石垣越しに眺めた。月見櫓の光景です。櫓の南面光景になります。見学に入城した出入口は、右手になる東面にありました。
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かつての海に面した石垣と、防風林の目的もあったような松林の光景です。高松城(玉藻城)の北端になります。
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左手前が月見櫓と一体になった渡櫓、正面から右手方面は、『披雲閣庭園』の低い石垣と竹垣の光景です。庭園内には見事に手入れされた松の庭木などがあります。
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外から眺めた、『披雲閣庭園』の松の庭木の光景です。先ほど入場して見学しましたが、さすがの大名庭園の風格を感じました。
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イチオシ
高松城(玉藻城)の海に面した石垣と、松林越しに眺めた月見櫓の光景です。月見櫓がある北の丸(北新曲輪)は、1671年(寛文11年)の松平氏による大改修で、御殿である旧披雲閣が三の丸に移されたため、防衛上東の丸とともに増設されました。
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玉藻公園内から眺めた、高層ビルの光景です。庭園内とは別世界のような光景です。約束の時間に駐車場に向かう途中でしたが、まだ時間の余裕がありました。
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遊覧用のボートです。内堀をこのボートで遊覧できるようです。選手の横に、『玉藻丸』の船名が記されていました。
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かつては、二の丸と本丸とを繋ぐ唯一の通路だった鞘橋の光景です。左手が本丸側、右手が二の丸側になります。当初は屋根のない構造で、『らんかん橋』と呼ばれていました。絵図などの調査で、江戸時代の中頃に屋根付きの橋になったとされます。
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左手が、三の丸の、『披雲閣』と『披雲閣庭園』がある方面です。この通りは既に見学で通りましたので、右方向に進みあmした。この付近が旧三の丸と旧二の丸の境になるようです。
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