2015/04/03 - 2015/04/05
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丸亀城紹介の続きです。天守内の展示室の見学の次は、本丸の格子窓から、城内と丸亀市街の眺望を楽しみました。幸い天候も回復してきました。
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天守内の展示室の光景です。説明パネルの展示状況です。既に、個別に紹介したパネルです。一番右の写真は、京極家の中興の祖と呼ばれる『京極高次(たかつぐ):1563〜1603年)の肖像です。戦国時代から江戸時代初期の武将で大名、近江大津藩主、若狭小浜藩初代藩主を務めました。その日狩りの像は、浅井三姉妹の一人、正室の初です。
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オリジナルの銃器類の展示状況です。上が『管打式銃』、下が『火縄銃』です。これも個別に紹介済みの物です。
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同じく、兜のオリジナル品の展示状況です。展示室のスペースの問題でしょうか、鎧の展示はありませんでした。
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出入口が見える、丸亀城天守のに紙面の光景です。三層の壁面が千鳥破風の造りです。二層と三層には格子窓がありますが、一層には出入口以外は何もありません。
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本丸から眺めた二の丸、三の丸の光景です。右手の中間辺りに三の丸の大手一の門と二の門が見えていますから、概ね北方面の光景になります。右下に見えているのは二の丸の隅櫓址です。
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本丸から眺めた、丸亀城の新緑の光景です。右手に見える屋根は、丸亀市立資料館のようです。昭和47年(1972年)に建設された歴史・民俗資料館です。丸亀藩主京極家の資料を中心とした郷土に関する文書、書画の歴史資料などが収められています。
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イチオシ
西南側から眺めた、天守の光景です。南面の一層にからは府、西面の二層に千鳥破風が見えています。南側に当たる右手のソメイヨシノが天守の引き立て役になりました。
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本丸から眺めた、城内と丸亀市街の光景です。まだすっきりとした天気ではありませんが、雨は小降りになっていました。
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本丸からの光景です。左手に見える芝生は、内堀の中にある城内グラウンドです。概ね西方角の光景です。
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一つの石を四つの石が囲った光景です。中央の花崗岩が水準点を示す標石です。それを保護するための周りの四つの石です。基礎部分をは五つ纏めてコンクリートでか固めてありました。水準点には、基準、一、二等の種類があり、全国に約1万7千点が設置されています。このパターンが標準的な設置方法のようでした。
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本丸の石垣の上からの撮影だったようです。三の丸の桜の花が見えていました。中央やや上部に見えているのは三の丸の隅櫓址です。この方角には二の丸は見えなかったようです。
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二の丸から眺めた丸亀市街の光景です。中央、やや右寄りに讃岐富士の飯野山が霞んで見えていました。飯野山は、香川県の丸亀市と坂出市の境に位置する標高420メートルほどの山です。
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イチオシ
低い石垣と、その中に植えられた2本の樹の光景です。本丸か二の丸の隅櫓址のようでした。隅櫓などは、明治維新以降の廃却されたようです。
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満開のソメイヨシノの樹の光景です。周りに遮るものがなく、四方に枝を伸ばしていました。花見も楽しめた丸亀城の見学となりました。
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『丸亀城天守閣』のタイトルがあった説明看板です。昭和25年(1950年)の天守の解体修理で、三層の壁の中から『万治3年3月』の墨書きした板が見つかり、寛永19年(1643年)に山崎氏が着工し、京極氏によって完成したことが判明した、と説明されていました。万治3年3月は1660年のことになります。
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左手に天守の出入口が見える光景です。唐破風がある天守のこちらの面は、南側になります。出入口が西面です。
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石垣の下から見上げた、天守の南面の光景です。松の庭木とソメイヨシノが飾りになりました。二層には唐破風が見えています。
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三の丸から見上げた石垣光景です。二の丸の石垣だったようです。山崎家藩主時代の寛永20年(1643年)、丸亀城の改修工事の際には、大坂城修復時の残石を拝領したとの記録も残るようです。徳川幕府も戦略的に丸亀城を重視していたことが背景にあったようです。
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三の丸の桜林の光景です。丸亀城を含む丸亀公園の桜の見所は、周回道路や、天下一の石垣を染める麓や中腹のソメイヨシノの光景のようです。この桜も、麓から眺めると、もっと映えたかも知れません。
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ここにも石積み職人の遊び心が発揮されているようでした。確か、人の顔を模した石積みだったようです。人面らしい木もしますが、はっきりとは読み取れませんでした。
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刻印が記された石のアップ光景です。外周の丸だけははっきりわかりますが、その中の文字か記号読み取れません。かつて西国の大名が公儀普請として築いた大坂城でも見られる刻印が、丸亀城でも見られるのは、大坂城修復時の残石を拝領した時の名残かも知れません。
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丸亀城の石垣の脇で咲いていたソメイヨシノの光景です。三の丸から眺めた二の丸の石垣光景です。算木積みの石垣角の部分の光景です。
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中央に見える石組は、『石』の文字を表していると、案内人の方から教えて頂きました。石積みの職人さん達の遊び心のようです。
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碧の下草の上に降り積もったソメイヨシノの落花です。満開を過ぎて、どうやらお仕舞の時期が近くなったようです。
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山崎家の城主時代の絵図にある、三の丸の井戸です。深さ31間と描かれていますが、現在は空井戸です。
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三の丸の桜林の光景です。咲にも紹介しましたが、亀山城内の桜は、石垣と一緒に、麓から眺めた方が見応えがあるようです。
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『本州四国連絡橋(坂出・小島ルート9』のタイトルがあった案内看板です。平面図と、断面図が記されていました。前方に見える景色と比較できるようでした。
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丸の中に『左』の文字が刻印されているという石です。その文字はなかなか読み取れません。ソメイヨシノの花が降り積もっていました。
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二の丸の石垣の脇から眺めた本丸の石垣と天守の光景です。撮影している場所は三の丸です。
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イチオシ
石落しが見える天守と天守台の光景です。天守の北面になります。一層にあるのは、挟間付の石落しです。
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