2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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丸亀城紹介の締め括りです。見学中に雨もgほとんど上がりました。『石の城』の評判通り、石垣の素晴らしさが際立ったお城でした。(ウィキペディア)
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納戸か紹介した天守の光景ですが、場所を変えての撮影です。三の丸からズームアップした北面の光景です。天守の建物と、打込み接ぎらしい天守台の石垣光景です。
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イチオシ
三の丸から眺めた、二の丸搦手と天守の光景です。左端は二の丸・長崎櫓跡の石垣、右端が本丸石垣です。
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イチオシ
三の丸の石垣の上から眺めた扇の勾配の光景です。かつての縄張りでは、二の丸の南側と西側は、帯曲輪と呼ばれていました。
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イチオシ
同じく、三の丸の石垣の上から眺めた扇の勾配の光景です。大阪城築城の時にも、瀬戸内海の石材は多く使われたようですが、これだけの『石の城』を作るには、石材が豊富でなければ実現しなかったようです。
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細葉のスミレ(菫)の花です。スミレ属は世界の温帯に約400種があり、日本には約50種が自生します。名前を特定するのは難しそうです、
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二の丸の石垣光景だったようです。あまり高くない石垣部分には、扇の勾配の手法は必要なかったようです。
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横から眺めた、三の丸の石垣の光景です。この辺りでは、扇の勾配と呼ばれる曲線は見られませんでした。
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説明員の方が指差して教えてくれた石垣の裾の部分です。この石には筋が引かれていて、最後の仕上げには、その筋に沿って表面を加工する予定だった箇所と教えて頂きました。仕上げが端折られた箇所は、複数箇所残っているようでした。
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真下から見上げた『扇の曲線』の石垣光景です。最後の仕上げて、算木積みの石の表面が滑らかに揃えられているようです。
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ここからは、丸亀城の見学を終えて、大手門方面に戻る途中の光景になります。位置関係がよく分かりませんでしたが、狭い散策路を通過しました。
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石垣の色合いが異なっていた光景です。側面の一部や上部などは、修復工事で積み直されたり、積み増しをされ多部分のようでした。
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見返り坂を通って、大手門方面に向かう途中の光景です。まだこの場所は、見返り坂のずっと手前です。延々と続く石垣の光景です。
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『帰厚の碑』の呼び名があった石碑です。帰厚(きこう)とは、厚き徳に帰することを意味します。、論語の中の『終りを慎み、遠きを追えば、民徳厚きに帰す』が語源とされます。大正10年(1921年)、亀山公園が国から払い下げられる時に功績があった、片岡政吉と式村茂に対し、市民有志が送った石碑です。
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『帰厚の碑』の呼び名があった石碑の説明プレートです。片岡政吉氏が払い下げに尽力し、式村茂氏が国への支払いを寄付したようです。見返り坂の途中にあった石碑です。
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往きにも潜り抜けた、大手一の門の光景です。大手二の門と一緒に、国の重要文化財に登録されています。寛文10年(1670)に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻を知らせていたことから『太鼓門』とも呼ばれています。
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この日はイベントが行われていたらしく、入城する時に桜餅のサービスがありました。先着数を限ったサービスらしく、帰りの時には既にそのサービスは終了していました。吉本興業関係の若い芸人さんがイベントに呼ばれているようでした。
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見物の人に取り囲まれているのは、マスコット・キャラクターの『鶏奉行・骨付きじゅうじゅう』です。10月10日の丸亀市生まれです。
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高麗門様式の大手二の門の光景です。イベントのキャラクターの一人がやって来たタイミングでした。丸亀市のキャラ『うちっ娘』です。丸亀市の特産うちわがモデルとされます。頭の部分にそれらしい模様があります。
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大手一の門の門扉に撮り付けられていた金具の光景です。緑青を吹いていましたから、鉄ではなく銅製でした。
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往きの時にも簡単に説明した。切り込み接ぎ(きりこみはぎ)の石垣光景です。鏡石と呼ばれる巨石の周囲を、多くの石で取り巻いて積み、見せ場としています。笑い積みとも呼ばれています。向かって右側の『男』石です。
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同じく、一対になった鏡石と呼ばれる巨石の光景です。向かって左側の『女』石です。その間隔は三歩、石三つでした。
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大手門と天守が同時に撮影できるポイントです。手前から大手二の門、枡形の石垣、そして亀山の頂上の天守の光景です。
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振り返って眺めた、大手二の門の光景です。先週の四国周遊旅行では、車窓観光だけでしたが、実際に坂道を登って観光する価値があった『石の城』でした。
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名残惜しく振り返って眺めた、大手二の門と左手後方に見える、天守の光景です。丸亀市内には、京極2代目藩主の高豊が、貞享5年(1688年)に築いた、琵琶湖と近江の景色を模したといわれる大名庭園「中津萬象園もあります。機会があれば再訪したい町となりました。
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振り返りながら撮影した天守の光景が続きます。5万石から6万石の城主の城が、これほどまでに堅固に出来ていることには、かつての瀬戸内海における丸亀の重要性が再認識させられた見学でした。現在は、直ぐ東側にある坂出港が重要な役割を担っているようです。
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内堀で泳いでいた白鳥の光景です。一羽だけでした。丸亀城のハクチョウの飼育は、昭和47年(1972年)に皇居から六羽を譲り受けたのが始まりとされます。多分、飛び去らないよう、親羽は切られているようです。
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同じく、内堀で泳いでいた白鳥の光景です。10年少し前のネット情報では、毎年ヒナが誕生し、20羽ほどに増えていたようですが、最近の情報は見つかりませんでした。烏に雛が襲われたり、雛の数も減っているようでした。
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迎えの観光バスとの待合せの場所からの撮影です。城内の満開のソメイヨシノと、その背後に聳える天守の光景です。
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内堀に面した城内の石垣と、その上の白壁の土塀の光景です。その光景に、満開から散り始めになったソメイヨシノが彩りを与えていました。
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同じく、内堀に面した城内の石垣と、その上の白壁の土塀の光景です。丸亀城の歴史と風格を感じさせる光景でした。
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