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彦根城と彦根城博物館に玄宮園、埋木舎は行っていたし、彦根でそれ以上特に見るべきものはないだろうなあと思っていたのですが、目当ての長浜祭りは夜。それなら、半日くらいはもう一度回ってみようかと思い直して、スケジュールを組んでみました。<br /><br />ちなみに、新幹線だと米原が最寄駅なんですが、これは湖北・湖東の玄関口。湖北・湖東と言えば、歴史的には湖北の中心が長浜で、湖東の中心は近江八幡。長浜は京極氏の根拠地で、浅井氏も京極氏から出たもの。秀吉が街づくりに力を尽くしましたが、歴史はもっと古いんです。近江八幡は、観音寺城の六角氏が勢力をふるっていましたが、最後は織田信長に滅ぼされます。その後、一時は秀吉の後継者ともなった豊臣秀次が近江43万石の領主として、この地の繁栄の基盤を築いたとされています。 <br /><br />対して、彦根は一応湖東にはなるんですが、その中間。佐和山城から彦根城が築かれ、彦根藩35万石の城下町とはなったのですが、今でも地元では彦根は後から作られた街というイメージが強いんですよね。滋賀の県庁所在地がなぜ彦根にならなかったのかとか、ちょっと気にならないでもなかったのですが、むしろ、大津の方が天智天皇ゆかりの地だったり、歴史的なすわりからすれば悪くないということでしょう。<br /><br />前置きが長くなってしまいましたが、つまり、彦根はとにもかくにも井伊家の街という特殊性があるんです。近江の中でどうのということではなくて、井伊家を意識しないと観光にはなりません。ただ、35万石というのは、水戸徳川家と同じ大身。井伊家は家来筋になるのに、この厚遇。井伊大老が徳川御三家を前にしても一歩も引かなかった行動は、単に直弼の個性とばかりも言えないかもしれません。また、豊かな経済力があったことも間違いないと思います。<br /><br />井伊家以外の徳川四天王の扱いは以下の通りです。<br />高田藩榊原氏 15万石<br />桑名藩本多氏 10万石(姫路藩に転封。その後も国替えが頻繁です)<br />庄内藩酒井氏 17万石<br /><br /><br />

掛川・蒲郡から名古屋経由で彦根・長浜曳山まつりへ(三日目前半)~井伊直弼を生んだ彦根は湖北でもなく、湖東でもない。彦根藩35万石は孤高の独立王国です。~

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2015/04/13 - 2015/04/13

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たびたび

たびたびさん

彦根城と彦根城博物館に玄宮園、埋木舎は行っていたし、彦根でそれ以上特に見るべきものはないだろうなあと思っていたのですが、目当ての長浜祭りは夜。それなら、半日くらいはもう一度回ってみようかと思い直して、スケジュールを組んでみました。

ちなみに、新幹線だと米原が最寄駅なんですが、これは湖北・湖東の玄関口。湖北・湖東と言えば、歴史的には湖北の中心が長浜で、湖東の中心は近江八幡。長浜は京極氏の根拠地で、浅井氏も京極氏から出たもの。秀吉が街づくりに力を尽くしましたが、歴史はもっと古いんです。近江八幡は、観音寺城の六角氏が勢力をふるっていましたが、最後は織田信長に滅ぼされます。その後、一時は秀吉の後継者ともなった豊臣秀次が近江43万石の領主として、この地の繁栄の基盤を築いたとされています。 

対して、彦根は一応湖東にはなるんですが、その中間。佐和山城から彦根城が築かれ、彦根藩35万石の城下町とはなったのですが、今でも地元では彦根は後から作られた街というイメージが強いんですよね。滋賀の県庁所在地がなぜ彦根にならなかったのかとか、ちょっと気にならないでもなかったのですが、むしろ、大津の方が天智天皇ゆかりの地だったり、歴史的なすわりからすれば悪くないということでしょう。

前置きが長くなってしまいましたが、つまり、彦根はとにもかくにも井伊家の街という特殊性があるんです。近江の中でどうのということではなくて、井伊家を意識しないと観光にはなりません。ただ、35万石というのは、水戸徳川家と同じ大身。井伊家は家来筋になるのに、この厚遇。井伊大老が徳川御三家を前にしても一歩も引かなかった行動は、単に直弼の個性とばかりも言えないかもしれません。また、豊かな経済力があったことも間違いないと思います。

井伊家以外の徳川四天王の扱いは以下の通りです。
高田藩榊原氏 15万石
桑名藩本多氏 10万石(姫路藩に転封。その後も国替えが頻繁です)
庄内藩酒井氏 17万石


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  • 名古屋から彦根駅に到着。駅の見どころマップで、観光スポットをもう一度確認します。

    名古屋から彦根駅に到着。駅の見どころマップで、観光スポットをもう一度確認します。

  • 今夜の宿はビジネスホテル芹川。彦根駅から歩いて20分くらいと遠くて、迷いながら行きました。ただ、ここで泊まれば、明日は余裕があるでしょう。<br />さて、翌日は雨模様だったのですが、貸自転車があったので、それを借りて回ることに。観光スポットは一応歩いて回れる範囲なのですが、自転車だとやっぱり便利。とても助かりました。<br />例によって、ホテルは安宿なんですが、それでも老舗なのでしょうか。客への対応とかはきちんとしていて、安心感もありました。

    今夜の宿はビジネスホテル芹川。彦根駅から歩いて20分くらいと遠くて、迷いながら行きました。ただ、ここで泊まれば、明日は余裕があるでしょう。
    さて、翌日は雨模様だったのですが、貸自転車があったので、それを借りて回ることに。観光スポットは一応歩いて回れる範囲なのですが、自転車だとやっぱり便利。とても助かりました。
    例によって、ホテルは安宿なんですが、それでも老舗なのでしょうか。客への対応とかはきちんとしていて、安心感もありました。

  • まずは、滋賀県護国神社。もう彦根城に近い場所です。<br />

    まずは、滋賀県護国神社。もう彦根城に近い場所です。

  • 戊辰戦争で戦死した彦根藩士26人の霊を祀る招魂碑が龍潭寺に建てられたのが始まりだそうです。<br />新政府軍に従って戦ったのでしょうが、本来は幕府の屋台骨を支える立場だった彦根藩ですから、心境は複雑だったかもしれません。しかし、一方で、第二次長州征討の芸州口から攻めた正面軍の先鋒を勤めた際も、長州藩には全く歯がたたず。同じく徳川四天王の一つ高田藩とともに逃げ帰ってしまうありさまでした。西洋式の軍備には旧式の赤ぞろえなど何の役にも立たなかったわけで、そうした体たらくでは生き残るために日和見するしかない。高田藩も早々と新政府軍に恭順しているし、実力がなければ踏ん張ることなどできません。<br />

    戊辰戦争で戦死した彦根藩士26人の霊を祀る招魂碑が龍潭寺に建てられたのが始まりだそうです。
    新政府軍に従って戦ったのでしょうが、本来は幕府の屋台骨を支える立場だった彦根藩ですから、心境は複雑だったかもしれません。しかし、一方で、第二次長州征討の芸州口から攻めた正面軍の先鋒を勤めた際も、長州藩には全く歯がたたず。同じく徳川四天王の一つ高田藩とともに逃げ帰ってしまうありさまでした。西洋式の軍備には旧式の赤ぞろえなど何の役にも立たなかったわけで、そうした体たらくでは生き残るために日和見するしかない。高田藩も早々と新政府軍に恭順しているし、実力がなければ踏ん張ることなどできません。

  • 護国神社の境内には、彦根からくり時計も。駐車場のいろは松側に建っています。<br />たまたま、正時でからくりが動き始めていまして、硝子窓の中で三体の人形が彦根ばやし総おどりを踊るというもののようですが、硝子が曇ってもいるし、かなりわかりにくい。どうかすると何かが動いているなあというくらいにしか見えません。わざわざ見るほどではないように思います。

    護国神社の境内には、彦根からくり時計も。駐車場のいろは松側に建っています。
    たまたま、正時でからくりが動き始めていまして、硝子窓の中で三体の人形が彦根ばやし総おどりを踊るというもののようですが、硝子が曇ってもいるし、かなりわかりにくい。どうかすると何かが動いているなあというくらいにしか見えません。わざわざ見るほどではないように思います。

  • いろは松は、彦根城のお堀端にある松の並木。47本の松なので、「いろは」ということのようです。

    いろは松は、彦根城のお堀端にある松の並木。47本の松なので、「いろは」ということのようです。

  • この時期、お堀に内側には桜が咲いていまして、いろは松越しにお堀、石垣と桜の花といった組み合わせが見事な景観となっていました。

    この時期、お堀に内側には桜が咲いていまして、いろは松越しにお堀、石垣と桜の花といった組み合わせが見事な景観となっていました。

  • そこから、お堀沿いにお城に向かってすぐにあるのが、井伊大老歌碑。

    そこから、お堀沿いにお城に向かってすぐにあるのが、井伊大老歌碑。

  • 碑文は、「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世に こころを くだきぬるかな」。<br />難問が次々と押し寄せてくるが、自分は国のためを願って心を砕いてきた。悔いは残らないという意味の解説が傍らにありました。この歌の2か月後が桜田門外の変。結局は、時代の流れに逆行した人物と評価される結果となったことを考えると強がりのような気がしないでもありませんし、本人はそうした結末をそれなりに覚悟もしていたということかもしれません。

    碑文は、「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世に こころを くだきぬるかな」。
    難問が次々と押し寄せてくるが、自分は国のためを願って心を砕いてきた。悔いは残らないという意味の解説が傍らにありました。この歌の2か月後が桜田門外の変。結局は、時代の流れに逆行した人物と評価される結果となったことを考えると強がりのような気がしないでもありませんし、本人はそうした結末をそれなりに覚悟もしていたということかもしれません。

  • さて、埋木舎は、徳川幕府の大老まで上り詰めた井伊直弼が17歳から32歳までの15年を過ごした屋敷。井伊直弼は、14男だったそうで、普通なら部屋住の身分だったんですね。<br />残念ながら、この日は月曜日で休館。以前、見たことはあるはずなんですが、そこまで変わったことはなかったような気がします。井伊直弼の静かな暮らしぶりと、良い悪いではなく、周囲の反発を受けても信ずるものに従って前に突き進むという強靭な精神力を育んだ場所であることは間違いありません。

    さて、埋木舎は、徳川幕府の大老まで上り詰めた井伊直弼が17歳から32歳までの15年を過ごした屋敷。井伊直弼は、14男だったそうで、普通なら部屋住の身分だったんですね。
    残念ながら、この日は月曜日で休館。以前、見たことはあるはずなんですが、そこまで変わったことはなかったような気がします。井伊直弼の静かな暮らしぶりと、良い悪いではなく、周囲の反発を受けても信ずるものに従って前に突き進むという強靭な精神力を育んだ場所であることは間違いありません。

  • 彦根駅の方に戻って、これは大師寺。<br />名前からして、弘法大師の寺であることは明らかですが、ここは日本随一の寝弘法があることで有名。釈迦の涅槃像はよくありますが、それが弘法大師になっているんですね。小さな寺なので、入ってすぐが本堂。そこに安置されています。

    彦根駅の方に戻って、これは大師寺。
    名前からして、弘法大師の寺であることは明らかですが、ここは日本随一の寝弘法があることで有名。釈迦の涅槃像はよくありますが、それが弘法大師になっているんですね。小さな寺なので、入ってすぐが本堂。そこに安置されています。

  • 自転車なので、佐和山城跡までやってきました。佐和山は、ご存知、石田三成の居城です。<br />彦根城のこんなに近くにあったんですね。彦根駅の方からも形の良い山が見えますが、近くにちょっとした運動公園があって、そこから山全体を見上げることができました。関ヶ原の戦いの後、最後は小早川秀秋によって攻め落とされ、徹底的に破壊されたということです。<br />ただ、三成は長浜で生まれ、大原観音寺に立ち寄った秀吉に「三椀の才」でその才能を認められ世に出ることに。人生の始まりも、終わりも近江の地であったことになります。

    自転車なので、佐和山城跡までやってきました。佐和山は、ご存知、石田三成の居城です。
    彦根城のこんなに近くにあったんですね。彦根駅の方からも形の良い山が見えますが、近くにちょっとした運動公園があって、そこから山全体を見上げることができました。関ヶ原の戦いの後、最後は小早川秀秋によって攻め落とされ、徹底的に破壊されたということです。
    ただ、三成は長浜で生まれ、大原観音寺に立ち寄った秀吉に「三椀の才」でその才能を認められ世に出ることに。人生の始まりも、終わりも近江の地であったことになります。

  • 清涼寺は、佐和山城のふもとに建つ井伊家の菩提寺。元々は、石田三成の重臣、島左近の住居があった場所のようです。<br />ただ、驚くのはその立派な構え。周囲は青々とした生垣で囲まれ、参道には松並木。これはちょっと桁外れだと思います。

    清涼寺は、佐和山城のふもとに建つ井伊家の菩提寺。元々は、石田三成の重臣、島左近の住居があった場所のようです。
    ただ、驚くのはその立派な構え。周囲は青々とした生垣で囲まれ、参道には松並木。これはちょっと桁外れだと思います。

  • 本堂前の右手に建つ庫裏は、

    本堂前の右手に建つ庫裏は、

  • ずんぐりした柱の向拝は、

    ずんぐりした柱の向拝は、

  • 折り上げの小組格天井というルール違反のめちゃくちゃなもの。本堂の内陣に使う様式をこんなところに使っていて、どうしてこんなことになるのか。理解不能。<br />

    折り上げの小組格天井というルール違反のめちゃくちゃなもの。本堂の内陣に使う様式をこんなところに使っていて、どうしてこんなことになるのか。理解不能。

  • 玄関も吹き抜けの凄い重厚感。<br />井伊家の考え方を反映したものなんでしょうが、成金趣味のような感じもしなくはありません。

    イチオシ

    玄関も吹き抜けの凄い重厚感。
    井伊家の考え方を反映したものなんでしょうが、成金趣味のような感じもしなくはありません。

  • さらに進んで、これは龍潭寺です。この寺は、井伊家が彦根に転封となったことから、浜松の龍潭寺を分寺したものです。<br /><br />実は、井伊家はその浜松がルーツ。井伊家は藤原鎌足の後裔で、遠江国守として遠州に下り、井伊谷の地に土着したもの。井伊直政が浜松時代の徳川家康に見いだされて家臣となっているので、三河衆と比べれば新参という位置づけかも知れません。

    さらに進んで、これは龍潭寺です。この寺は、井伊家が彦根に転封となったことから、浜松の龍潭寺を分寺したものです。

    実は、井伊家はその浜松がルーツ。井伊家は藤原鎌足の後裔で、遠江国守として遠州に下り、井伊谷の地に土着したもの。井伊直政が浜松時代の徳川家康に見いだされて家臣となっているので、三河衆と比べれば新参という位置づけかも知れません。

  • 開山、昊天禅師の作庭による枯山水と池泉式庭園があって、白砂に48の石を組んだ 方丈南庭「ふだらくの庭」が有名です。

    開山、昊天禅師の作庭による枯山水と池泉式庭園があって、白砂に48の石を組んだ 方丈南庭「ふだらくの庭」が有名です。

  • まだ拝観時間になっていなくて、これは見れなかったのですが、参道から最後の山門を入るまでの活き活きした苔の庭は、こちらもただものではない美しさ。

    まだ拝観時間になっていなくて、これは見れなかったのですが、参道から最後の山門を入るまでの活き活きした苔の庭は、こちらもただものではない美しさ。

  • 枝垂れ桜が見ごろを迎えていましたが、境内を散策するだけも十分に価値があると思いました。<br /><br />ところで、浜松の方の龍潭寺は石組が美しい豪胆な庭で、これもまた素晴らしい。二つを比較すれば、動と静といった感じかもしれません。<br />

    枝垂れ桜が見ごろを迎えていましたが、境内を散策するだけも十分に価値があると思いました。

    ところで、浜松の方の龍潭寺は石組が美しい豪胆な庭で、これもまた素晴らしい。二つを比較すれば、動と静といった感じかもしれません。

  • 井伊神社は、龍潭寺の並び。彦根藩12代藩主の井伊直亮が井伊谷八幡宮から井伊大明神を分霊して創建しました。

    井伊神社は、龍潭寺の並び。彦根藩12代藩主の井伊直亮が井伊谷八幡宮から井伊大明神を分霊して創建しました。

  • この時期は新緑がとってもきれいですねえ。

    この時期は新緑がとってもきれいですねえ。

  • 本殿は修復中でしたが、中をのぞくと見事な彫刻がなんとも美しい。けっこう見応えがある神社ですが、本当にどこを見ても普通というところがない。豊かな財力が背景にあるような気がします。

    イチオシ

    本殿は修復中でしたが、中をのぞくと見事な彫刻がなんとも美しい。けっこう見応えがある神社ですが、本当にどこを見ても普通というところがない。豊かな財力が背景にあるような気がします。

  • 大洞弁財天は、井伊神社の脇から参道があって、しばらく登った山の上。日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置しています。<br />

    大洞弁財天は、井伊神社の脇から参道があって、しばらく登った山の上。日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置しています。

  • ここの見どころは、山門越しに見える彦根城。

    ここの見どころは、山門越しに見える彦根城。

  • 山門が額縁のようになって、

    山門が額縁のようになって、

  • ちょうど絵のような眺めとなっています。 <br />岡崎にも大樹寺のビスタラインというのがありますが、ちょっとそれも意識していたかもしれません。

    ちょうど絵のような眺めとなっています。
    岡崎にも大樹寺のビスタラインというのがありますが、ちょっとそれも意識していたかもしれません。

  • 今度は、ちょっと移動して、天寧寺へ。この寺は、近江彦根藩の第13代藩主で、井伊直弼の実父である井伊直中の創建です。

    今度は、ちょっと移動して、天寧寺へ。この寺は、近江彦根藩の第13代藩主で、井伊直弼の実父である井伊直中の創建です。

  • 五百羅漢の寺として知られ、それを拝観しました。建物の内部に入ると、三方に埋め尽くされた羅漢像が圧巻。

    イチオシ

    五百羅漢の寺として知られ、それを拝観しました。建物の内部に入ると、三方に埋め尽くされた羅漢像が圧巻。

  • 見事な極彩色や截金が混じる豪華な造りであることにもちょっと驚きです。

    見事な極彩色や截金が混じる豪華な造りであることにもちょっと驚きです。

  • 脇に回ると布袋像があって、これも必見。わっはっはと笑う姿は、なんとも豪快です。

    イチオシ

    脇に回ると布袋像があって、これも必見。わっはっはと笑う姿は、なんとも豪快です。

  • 彦根駅の方に戻って。<br />これは近江鉄道ミュージアム。彦根駅の裏手にある小さな施設で、近江鉄道の車両がいくつか展示してありました。<br />ただ、入口がよく分からない。というか閉まっていたんでしょうか。ロープが張ってあって、資料室もあるようでしたが外観しか見れませんでした。

    彦根駅の方に戻って。
    これは近江鉄道ミュージアム。彦根駅の裏手にある小さな施設で、近江鉄道の車両がいくつか展示してありました。
    ただ、入口がよく分からない。というか閉まっていたんでしょうか。ロープが張ってあって、資料室もあるようでしたが外観しか見れませんでした。

  • 木村菓舗は、彦根駅から彦根城に向かってすぐの通り沿い。地元密着の元気な和菓子屋さんです。

    木村菓舗は、彦根駅から彦根城に向かってすぐの通り沿い。地元密着の元気な和菓子屋さんです。

  • 朝早かったので、昨日の残りものですけどといういちご大福をいただきました。いちごがしっかり甘いし、とってもおいしくて全然問題なし。帰りにまた覗いたら、出来立てのお菓子が賑やかに並んでいました。こういう店があると街に活気が出るんですよね。大切なお店だと思います。

    朝早かったので、昨日の残りものですけどといういちご大福をいただきました。いちごがしっかり甘いし、とってもおいしくて全然問題なし。帰りにまた覗いたら、出来立てのお菓子が賑やかに並んでいました。こういう店があると街に活気が出るんですよね。大切なお店だと思います。

  • ここからは、彦根城の南側の市街地を巡ります。<br />カトリック彦根教会は、いろは松からもほど近い彦根城のお堀端。外から見える丸い窓はステンドグラスかなあと思ったのですが、中に入ってもよく分からない。見れる場所が違ったのかもしれませんが、どっちにしても簡単には見れません。

    ここからは、彦根城の南側の市街地を巡ります。
    カトリック彦根教会は、いろは松からもほど近い彦根城のお堀端。外から見える丸い窓はステンドグラスかなあと思ったのですが、中に入ってもよく分からない。見れる場所が違ったのかもしれませんが、どっちにしても簡単には見れません。

  • 俳遊館は、大正時代の信用金庫を利用した施設です。

    俳遊館は、大正時代の信用金庫を利用した施設です。

  • 玄関を入って。

    玄関を入って。

  • 展示の最初はここでも井伊直弼。埋木舎で和歌や茶の湯なども含めた文武両道を究める生活をしていたとされていましたが、結果からみれば、それは自由でこだわりのない心を育んだのではなく、むしろ、視野を狭める原因となっただけかもしれません。高田藩の榊原氏でも玄人はだしの絵を描く藩主が何人も出ていますが、これでは、時代をリードする気力など出てくるはずもないでしょう。<br />しかし、それは、この時代にあってはむしろ普通のことだったし、大名や幕閣よりも、天皇や公家の方が因習に縛られていて、実はもっとひどい状態。攘夷は幕府が本気になれば簡単にできると思っていたし、その古い頭を利用して、幕府を追い詰めて行ったのが薩長の戦略だったのです。ただ、時代のキーマンだった天皇の周辺でそれを理解していたのは岩倉具視とかごくわずかの下級公家だけ。尊王攘夷から公武合体、大政奉還から討幕へ。黒船来航から明治維新までは、本当に奇跡のような時代だったと思います。<br /><br />

    展示の最初はここでも井伊直弼。埋木舎で和歌や茶の湯なども含めた文武両道を究める生活をしていたとされていましたが、結果からみれば、それは自由でこだわりのない心を育んだのではなく、むしろ、視野を狭める原因となっただけかもしれません。高田藩の榊原氏でも玄人はだしの絵を描く藩主が何人も出ていますが、これでは、時代をリードする気力など出てくるはずもないでしょう。
    しかし、それは、この時代にあってはむしろ普通のことだったし、大名や幕閣よりも、天皇や公家の方が因習に縛られていて、実はもっとひどい状態。攘夷は幕府が本気になれば簡単にできると思っていたし、その古い頭を利用して、幕府を追い詰めて行ったのが薩長の戦略だったのです。ただ、時代のキーマンだった天皇の周辺でそれを理解していたのは岩倉具視とかごくわずかの下級公家だけ。尊王攘夷から公武合体、大政奉還から討幕へ。黒船来航から明治維新までは、本当に奇跡のような時代だったと思います。

  • 俳遊館という名前だけに、芭蕉の直弟子である森川許六の展示もありますが、ちょっと脇に追いやられた感もあるかもしれません。<br />なお、館内はとてもきれいです。

    俳遊館という名前だけに、芭蕉の直弟子である森川許六の展示もありますが、ちょっと脇に追いやられた感もあるかもしれません。
    なお、館内はとてもきれいです。

  • 再び、散策を続けます。<br />いと重菓舗は、彦根では一番の老舗菓子屋。いくつかお店があるのですが、この本町にあるのが本店です。

    再び、散策を続けます。
    いと重菓舗は、彦根では一番の老舗菓子屋。いくつかお店があるのですが、この本町にあるのが本店です。

  • いただいたのは、織部薯蕷。

    いただいたのは、織部薯蕷。

  • 薯蕷饅頭は饅頭の王様ですが、白地に緑の鮮やかな配色があって、見た目の涼やかさがとてもいいですねえ。井伊家は文武両道を目指していただけにその彦根にあって恥ずかしくない出来栄えでしょう。皮のもっちり感。素直な甘さの餡子。最高の饅頭だと思います。

    イチオシ

    薯蕷饅頭は饅頭の王様ですが、白地に緑の鮮やかな配色があって、見た目の涼やかさがとてもいいですねえ。井伊家は文武両道を目指していただけにその彦根にあって恥ずかしくない出来栄えでしょう。皮のもっちり感。素直な甘さの餡子。最高の饅頭だと思います。

  • 夢京橋キャッスルロードって、彦根にこんなのがあったんですね。以前、彦根に来た時は彦根駅から彦根城の天守閣に行って、その間にある施設を見ただけだったので、ここを見て彦根のイメージがかなり変わってしまいました。後から作ったものではあるのでしょうが、風情ある街並みにいろんなお店が並んで、なんだかテーマパークのような面白さ。天守閣もありますけど、こちらも観光客には必見の場所かと思います。

    夢京橋キャッスルロードって、彦根にこんなのがあったんですね。以前、彦根に来た時は彦根駅から彦根城の天守閣に行って、その間にある施設を見ただけだったので、ここを見て彦根のイメージがかなり変わってしまいました。後から作ったものではあるのでしょうが、風情ある街並みにいろんなお店が並んで、なんだかテーマパークのような面白さ。天守閣もありますけど、こちらも観光客には必見の場所かと思います。

  • 入口にある「おおすが」でいただいたのは、黒どら。

    入口にある「おおすが」でいただいたのは、黒どら。

  • 黒砂糖のどら焼きだろうくらいしか思わなかったのですが、アイスのようにお召し上がりくださいとのこと。なんと、このどら焼きは餡子ではなくて固いアイスが挟んであるんですね。でも、それでどこがどら焼きなのかということですが、カステラ生地は確かにどら焼きの風味がしっかりしていて、おいしい、おいしい。サプライズもあるし、うまいし。極上のどら焼きです。お見事。

    黒砂糖のどら焼きだろうくらいしか思わなかったのですが、アイスのようにお召し上がりくださいとのこと。なんと、このどら焼きは餡子ではなくて固いアイスが挟んであるんですね。でも、それでどこがどら焼きなのかということですが、カステラ生地は確かにどら焼きの風味がしっかりしていて、おいしい、おいしい。サプライズもあるし、うまいし。極上のどら焼きです。お見事。

  • 同じ筋の夢京橋あかり館は、ろうそくなどの灯りのお店です。

    同じ筋の夢京橋あかり館は、ろうそくなどの灯りのお店です。

  • 二階に戦国武将をモチーフにした博物館があって、入場料は200円。ゲームのキャラを使った展示で、ざっとしているといえばそうなんですが、関ヶ原の戦いではこういう人物のこういう活躍があったといったひとくち知識的な紹介もあって、それなりに面白い。まあ悪くはないと思いました。

    二階に戦国武将をモチーフにした博物館があって、入場料は200円。ゲームのキャラを使った展示で、ざっとしているといえばそうなんですが、関ヶ原の戦いではこういう人物のこういう活躍があったといったひとくち知識的な紹介もあって、それなりに面白い。まあ悪くはないと思いました。

  • キャッスルロードの中ほどにある宗安寺は、初代藩主直政が上野国から移した浄土宗のお寺。シンボルは、この赤門です。

    キャッスルロードの中ほどにある宗安寺は、初代藩主直政が上野国から移した浄土宗のお寺。シンボルは、この赤門です。

  • また、本尊の阿弥陀如来は、大坂城にあったとされる淀君の念持佛というのも振るっています。<br />

    また、本尊の阿弥陀如来は、大坂城にあったとされる淀君の念持佛というのも振るっています。

  • そして、これは木村重成の首塚。木村重成は、豊臣秀頼の乳母の息子であり、秀頼の乳兄弟。大坂の陣では獅子奮迅の働きをしますが、井伊家家臣の安藤重勝に討たれ、ここに葬られたということです。

    そして、これは木村重成の首塚。木村重成は、豊臣秀頼の乳母の息子であり、秀頼の乳兄弟。大坂の陣では獅子奮迅の働きをしますが、井伊家家臣の安藤重勝に討たれ、ここに葬られたということです。

  • 四番町スクエアは、その向かい。純和風の日本建築で統一されたキャッスルロードに対して、こちらは洋風で、大正ロマンといったイメージの街です。

    四番町スクエアは、その向かい。純和風の日本建築で統一されたキャッスルロードに対して、こちらは洋風で、大正ロマンといったイメージの街です。

  • で、始めはちょこっとした一角だろうと思ったんですが、そうではない。食堂やお土産物屋さんに混じって、地元の魚屋さんなんかも入っていて、これは自己完結型のりっぱな街となっています。

    で、始めはちょこっとした一角だろうと思ったんですが、そうではない。食堂やお土産物屋さんに混じって、地元の魚屋さんなんかも入っていて、これは自己完結型のりっぱな街となっています。

  • 善利組足軽組屋敷は、キャッスルロードの突き当り。何か特定の建物があるのかと思ったら、その辺り一帯の住宅地を指すようです。

    善利組足軽組屋敷は、キャッスルロードの突き当り。何か特定の建物があるのかと思ったら、その辺り一帯の住宅地を指すようです。

  • 狭い路地が縦横に走って一般住宅が建っていますが、その町割りがかつての足軽組屋敷のままなのだそうです。まあ、そう言われれば、そう見えるというくらいです。

    狭い路地が縦横に走って一般住宅が建っていますが、その町割りがかつての足軽組屋敷のままなのだそうです。まあ、そう言われれば、そう見えるというくらいです。

  • 芹川けやき道は、善利組足軽組屋敷をさらに抜けた先。芹川の堤防に走る自動車道なんですが、両脇には何本ものケヤキの巨木。節くれだった古木もあって、長い歴史を経た旺盛な生命力が感じられます。番号プレートも付けられて、保存のための努力が続けられているんだろうなあと想像いたしました。

    芹川けやき道は、善利組足軽組屋敷をさらに抜けた先。芹川の堤防に走る自動車道なんですが、両脇には何本ものケヤキの巨木。節くれだった古木もあって、長い歴史を経た旺盛な生命力が感じられます。番号プレートも付けられて、保存のための努力が続けられているんだろうなあと想像いたしました。

  • もう一度、彦根城の方に戻って。

    もう一度、彦根城の方に戻って。

  • 橋から城内に入ります。

    橋から城内に入ります。

  • 旧西郷屋敷長屋門は、彦根城内に入ってすぐの建物。大きな建物なんだと思いますが、周囲の石垣も大きいので、自然な感じ。バランスは取れているでしょう。西郷家は、3千石の家老の家柄だったそうです。

    旧西郷屋敷長屋門は、彦根城内に入ってすぐの建物。大きな建物なんだと思いますが、周囲の石垣も大きいので、自然な感じ。バランスは取れているでしょう。西郷家は、3千石の家老の家柄だったそうです。

  • 城内をすぐに出て。お堀端から、先に進みます。<br />旧鈴木屋敷長屋門は、スミス記念堂に向かう途中。車の通りの多いお堀端の道沿い。外観はちょっと埃にまみれたようなくたびれた感じです。この辺りは300石以上の中級武士の屋敷があった場所だそう。鈴木家は350石の家柄だったようです。

    城内をすぐに出て。お堀端から、先に進みます。
    旧鈴木屋敷長屋門は、スミス記念堂に向かう途中。車の通りの多いお堀端の道沿い。外観はちょっと埃にまみれたようなくたびれた感じです。この辺りは300石以上の中級武士の屋敷があった場所だそう。鈴木家は350石の家柄だったようです。

  • スミス記念堂は、お堀端の開けた場所にポツンと建っていました。牧師であり彦根高等商業高校の英語教師でもあったアメリカ人が、寄付を募って建てた和風教会堂。昭和6年に建てられたそうですが、外観からはさして傷みもないよう。大きさはそれほどでもありませんが、しっかりとした建物です。

    イチオシ

    スミス記念堂は、お堀端の開けた場所にポツンと建っていました。牧師であり彦根高等商業高校の英語教師でもあったアメリカ人が、寄付を募って建てた和風教会堂。昭和6年に建てられたそうですが、外観からはさして傷みもないよう。大きさはそれほどでもありませんが、しっかりとした建物です。

  • 義言地蔵は、城町郵便局の前。<br />これは四十九町の牢屋前で斬首された長野主膳義言を祀る地蔵です。義言は、井伊直弼の懐刀。幕府の意を汲んで、京都の公家達への説得工作を図りました。開国か攘夷か。現実にはどっちに振れるのかは紙一重の時代。公家達も特別な情報や知識があったわけではないので、正直言えば、どちらに勢いがあるかといった、気分で判断するしかなかった状況でしょう。<br />それでも朝廷の勅許を得ずに開国をした手続の不備をもってして幕府は攘夷派に攻められることになったのです。これに対し、長野主膳は流れを挽回するために最も京都の現場で奔走した人物。開港は、諸外国からの圧力でやむを得なかったものだし、幕府がしっかりしないと時代は乗り切れない。しごくまっとうな考え方であり、むしろ、信念を持って対公家工作をしていたのではないかと思います。結果的には時代の流れに押しつぶされた悲運の人物となってしまいましたが、ここにこうして記憶を残されることになったことにはちょっと感慨深いものがありました。

    義言地蔵は、城町郵便局の前。
    これは四十九町の牢屋前で斬首された長野主膳義言を祀る地蔵です。義言は、井伊直弼の懐刀。幕府の意を汲んで、京都の公家達への説得工作を図りました。開国か攘夷か。現実にはどっちに振れるのかは紙一重の時代。公家達も特別な情報や知識があったわけではないので、正直言えば、どちらに勢いがあるかといった、気分で判断するしかなかった状況でしょう。
    それでも朝廷の勅許を得ずに開国をした手続の不備をもってして幕府は攘夷派に攻められることになったのです。これに対し、長野主膳は流れを挽回するために最も京都の現場で奔走した人物。開港は、諸外国からの圧力でやむを得なかったものだし、幕府がしっかりしないと時代は乗り切れない。しごくまっとうな考え方であり、むしろ、信念を持って対公家工作をしていたのではないかと思います。結果的には時代の流れに押しつぶされた悲運の人物となってしまいましたが、ここにこうして記憶を残されることになったことにはちょっと感慨深いものがありました。

  • キャッスルロードの建物は風情はあっても近年建てられたもの。対して、この旧広田家住宅は、鬼瓦に安永7年(1778年)の銘があって、江戸中期の建物です。魚問屋だったようですが、軒下の黒ずんだ漆喰の壁など重厚な雰囲気は今も健在です。

    キャッスルロードの建物は風情はあっても近年建てられたもの。対して、この旧広田家住宅は、鬼瓦に安永7年(1778年)の銘があって、江戸中期の建物です。魚問屋だったようですが、軒下の黒ずんだ漆喰の壁など重厚な雰囲気は今も健在です。

  • 圓常寺は、彦根藩第2代藩主が母の菩提のため建立した寺。

    圓常寺は、彦根藩第2代藩主が母の菩提のため建立した寺。

  • なお、こちらのお宝は県下唯一快慶作、立像阿弥陀如来。御住職にふく福めぐりのことを尋ねた際に、この話は出なかったので、拝観はやっていないような気がします。

    なお、こちらのお宝は県下唯一快慶作、立像阿弥陀如来。御住職にふく福めぐりのことを尋ねた際に、この話は出なかったので、拝観はやっていないような気がします。

  • この井伊家ゆかりのふく福めぐりは、彦根市内を中心に井伊家ゆかりの以下の13社寺が対象となっています。<br />大師寺、千代神社、済福寺、宗安寺、北野神社、埋木舎、滋賀縣護国神社、大洞弁財天、龍潭寺、多賀大社、慈眼寺、青岸寺、圓常寺。ただ、拝観の内容が限られているところもあって、ちょっと玉石混交かなあという感じです。

    この井伊家ゆかりのふく福めぐりは、彦根市内を中心に井伊家ゆかりの以下の13社寺が対象となっています。
    大師寺、千代神社、済福寺、宗安寺、北野神社、埋木舎、滋賀縣護国神社、大洞弁財天、龍潭寺、多賀大社、慈眼寺、青岸寺、圓常寺。ただ、拝観の内容が限られているところもあって、ちょっと玉石混交かなあという感じです。

  • 13社寺の一つ、北野神社は、彦根藩2代藩主井伊直孝が彦根城築城の際に建立した神社です。

    13社寺の一つ、北野神社は、彦根藩2代藩主井伊直孝が彦根城築城の際に建立した神社です。

  • 御存じ菅原道真を祀る神社ですが、藩主からすれば、天神さんの一つくらい自分の城下にもないと恰好がつかないといった感覚だったかもしません。境内は、ちょっと雑然としています。

    御存じ菅原道真を祀る神社ですが、藩主からすれば、天神さんの一つくらい自分の城下にもないと恰好がつかないといった感覚だったかもしません。境内は、ちょっと雑然としています。

  • 滋賀大学経済学部講堂は、キャンパスを入ってすぐ。キャンパスの門には守衛さんがいて、入りづらい感じだったのですが、門のところからでも全景がよく見えました。滋賀大学経済学部の前身は旧彦根高等商業学校であり、この建物はその時の遺構。内部も見応えがあるようですが、公開されているのかどうかは不明です。<br />

    滋賀大学経済学部講堂は、キャンパスを入ってすぐ。キャンパスの門には守衛さんがいて、入りづらい感じだったのですが、門のところからでも全景がよく見えました。滋賀大学経済学部の前身は旧彦根高等商業学校であり、この建物はその時の遺構。内部も見応えがあるようですが、公開されているのかどうかは不明です。

  • お堀端に沿って

    お堀端に沿って

  • 帰ります。

    帰ります。

  • 桜はもう終わりかけですね。

    桜はもう終わりかけですね。

  • どら焼き虎てつは、彦根城のお堀沿いの広い駐車場内に建つお菓子屋さん。

    どら焼き虎てつは、彦根城のお堀沿いの広い駐車場内に建つお菓子屋さん。

  • 彦にゃんの焼き印を押したどら焼きで、観光客を狙ったちょっと安易などら焼きかと思ったんですが、実はそうではない。艶のある餡子にふっくらした皮。かなり本格派タイプのどら焼きです。

    彦にゃんの焼き印を押したどら焼きで、観光客を狙ったちょっと安易などら焼きかと思ったんですが、実はそうではない。艶のある餡子にふっくらした皮。かなり本格派タイプのどら焼きです。

  • 隣りは、さわ泉。みたらし団子の看板があって、観光地ならまあどこにでもあるんですけどねと思いながら、それをいただきました。

    隣りは、さわ泉。みたらし団子の看板があって、観光地ならまあどこにでもあるんですけどねと思いながら、それをいただきました。

  • しかし、このみたらし団子はタレが片面にしか掛けてない。タレの掛かっていない面はしっかり焦げ目がついていて、その組み合わせがなんというかメリハリのついた味わいとなっている。こんなみたらし団子初めてですが、これはあり。これは何かの拍子にこうなったんでしょうが、特許でも取れるようなみたらし団子だと思います。

    しかし、このみたらし団子はタレが片面にしか掛けてない。タレの掛かっていない面はしっかり焦げ目がついていて、その組み合わせがなんというかメリハリのついた味わいとなっている。こんなみたらし団子初めてですが、これはあり。これは何かの拍子にこうなったんでしょうが、特許でも取れるようなみたらし団子だと思います。

  • 旧池田屋敷長屋門は、埋木舎のすぐそば。お堀に面した場所です。<br />

    旧池田屋敷長屋門は、埋木舎のすぐそば。お堀に面した場所です。

  • この辺りは、かつては、中級の武家屋敷があった地域。池田家は250石〜180石の中堅藩士だったそうです。修復したてで、新しい感じでした。内部の見学もできるようでしたが、この日は月曜日でお休みでした。<br />

    この辺りは、かつては、中級の武家屋敷があった地域。池田家は250石〜180石の中堅藩士だったそうです。修復したてで、新しい感じでした。内部の見学もできるようでしたが、この日は月曜日でお休みでした。

  • 護国神社の方から城内に入ります。

    護国神社の方から城内に入ります。

  • 開国記念館は、彦根城の櫓を利用してできた博物館。

    開国記念館は、彦根城の櫓を利用してできた博物館。

  • 規模は小さいですが、長浜に根拠を置いていた京極氏と近江八幡に根拠を置いていた六角氏の勢力のはざまにあった佐和山城の歴史から、文武両道といった井伊家の家風などを要領よくコンパクトに説明していました。

    規模は小さいですが、長浜に根拠を置いていた京極氏と近江八幡に根拠を置いていた六角氏の勢力のはざまにあった佐和山城の歴史から、文武両道といった井伊家の家風などを要領よくコンパクトに説明していました。

  • 複製ですが、江戸時代初期の風俗を描いた、国宝、彦根屏風。安土桃山の気風を色濃く受けているようにも思います。これが描かれた江戸時代の初期は御朱印船などもあって、鎖国はもっと後になってから。海外から文物も入って来るし、自由な空気があった時期です。徳川家康は海外との交易を禁じていたわけではありませんし、開港を決断した井伊大老のおひざ元にこのような屏風があることも何かの縁があるかもしれませんね。<br /><br />ところで、日本文化は面白くて、これぞ日本文化の代表と言ったものは、たいていは異文化との出会いによって生まれています。日本文化を生んだ爆発の時代といった感じですが、天平時代、安土桃山時代、明治時代が典型的。安土桃山だと、織部焼きの緑、小堀遠州の直線を取り入れた庭園など、東南アジアや西洋の影響を受けてできたものなんです。日本独自の文化というのは、純粋培養では育たなかったのであって、そんなことも忘れてならない事実だと思います。

    イチオシ

    複製ですが、江戸時代初期の風俗を描いた、国宝、彦根屏風。安土桃山の気風を色濃く受けているようにも思います。これが描かれた江戸時代の初期は御朱印船などもあって、鎖国はもっと後になってから。海外から文物も入って来るし、自由な空気があった時期です。徳川家康は海外との交易を禁じていたわけではありませんし、開港を決断した井伊大老のおひざ元にこのような屏風があることも何かの縁があるかもしれませんね。

    ところで、日本文化は面白くて、これぞ日本文化の代表と言ったものは、たいていは異文化との出会いによって生まれています。日本文化を生んだ爆発の時代といった感じですが、天平時代、安土桃山時代、明治時代が典型的。安土桃山だと、織部焼きの緑、小堀遠州の直線を取り入れた庭園など、東南アジアや西洋の影響を受けてできたものなんです。日本独自の文化というのは、純粋培養では育たなかったのであって、そんなことも忘れてならない事実だと思います。

  • ほか、茶道具など。

    ほか、茶道具など。

  • 彦根城桜まつりはもう終盤でしたが、それでも彦根城内には大きなぼんぼりが飾られて、華やかな雰囲気がありました。彦根藩は30万石の大藩。お堀の規模もかなりの規模なので、満々と水をたたえた景色と松に桜のコラボはとても映えます。にぎわい市というのがイベントの中心です。

    彦根城桜まつりはもう終盤でしたが、それでも彦根城内には大きなぼんぼりが飾られて、華やかな雰囲気がありました。彦根藩は30万石の大藩。お堀の規模もかなりの規模なので、満々と水をたたえた景色と松に桜のコラボはとても映えます。にぎわい市というのがイベントの中心です。

  • 金亀公園は、彦根城桜まつりのイベント会場の一つ。

    金亀公園は、彦根城桜まつりのイベント会場の一つ。

  • にぎわい市のテントが設置されていました。中では彦根の名産品の販売が行われていて、千成亭の近江牛の加工品が気になりました。ただ、そうせならとその後ランチをいただきに行ってしまいました。。

    にぎわい市のテントが設置されていました。中では彦根の名産品の販売が行われていて、千成亭の近江牛の加工品が気になりました。ただ、そうせならとその後ランチをいただきに行ってしまいました。。

  • シャトレー都軒は、彦根駅から銀座商店街の方に向かう途中にあるお菓子屋さん。交差点の角にあって、道に面した売り場が和菓子。入口を入った続きの店舗が洋菓子と、器用に使い分けをしているのが面白いところ。

    シャトレー都軒は、彦根駅から銀座商店街の方に向かう途中にあるお菓子屋さん。交差点の角にあって、道に面した売り場が和菓子。入口を入った続きの店舗が洋菓子と、器用に使い分けをしているのが面白いところ。

  • 私は和菓子の方で草餅をいただきました。まあ、普通かなあ。素朴な味わいです。

    私は和菓子の方で草餅をいただきました。まあ、普通かなあ。素朴な味わいです。

  • 千代神社の本殿はちょっと変わった風の印象を受けますが、これは三間社流造というもの。国の重要文化財に指定されています。<br />こちらは、芸の神様。そして、最近は扇の形をしたおみくじが人気のようですが、本殿に気を取られて残念ながら気が付きませんでした。

    千代神社の本殿はちょっと変わった風の印象を受けますが、これは三間社流造というもの。国の重要文化財に指定されています。
    こちらは、芸の神様。そして、最近は扇の形をしたおみくじが人気のようですが、本殿に気を取られて残念ながら気が付きませんでした。

  • 千成亭は、近江牛の老舗料理店のようですね。彦根の街中で何度も看板を見たので、それではと行ってみました。

    千成亭は、近江牛の老舗料理店のようですね。彦根の街中で何度も看板を見たので、それではと行ってみました。

  • ランチの近江牛の弁当をいただきました。筋が少し残っているようなところもあって、ただ柔らかいだけではない。

    ランチの近江牛の弁当をいただきました。筋が少し残っているようなところもあって、ただ柔らかいだけではない。

  • 薄味なので始めのインパクトはあまりないのですが、じんわりうまさが伝わってくるような感じ。上手にまとめてあるなあというランチでした。

    イチオシ

    薄味なので始めのインパクトはあまりないのですが、じんわりうまさが伝わってくるような感じ。上手にまとめてあるなあというランチでした。

  • いと半老舗は、彦根の銀座商店街の端っこ。

    いと半老舗は、彦根の銀座商店街の端っこ。

  • 観光客はここまでは滅多に来ないだろうなあという場所なんですが、見るからに老舗風のきちんとした構えがいい感じ。<br />

    イチオシ

    観光客はここまでは滅多に来ないだろうなあという場所なんですが、見るからに老舗風のきちんとした構えがいい感じ。

  • 草もちをいただきました。表面に焼きが入れてあって、それも好感度なんですが、よもぎの香りがやけにいいんです。お餅をみると緑の葉っぱがまだらまだらに入っていて、これはよもぎを単に突きこむのではなくて、小さな片を混ぜているんですね。こんなの初めて見ましたけど、いろんな工夫があるものです。

    草もちをいただきました。表面に焼きが入れてあって、それも好感度なんですが、よもぎの香りがやけにいいんです。お餅をみると緑の葉っぱがまだらまだらに入っていて、これはよもぎを単に突きこむのではなくて、小さな片を混ぜているんですね。こんなの初めて見ましたけど、いろんな工夫があるものです。

  • 福栄堂菓舗って、何の看板もかかっていない。白い暖簾が申訳のようにありましたが、たまたま覗いて見たら和菓子屋さんだったので、覗いたこちらがびっくりしてしまいました。それでも、店内は老舗の雰囲気がムンムン。なじみの客だけを相手にしているようなお店なのかもしれません。開国最中というのが看板商品のようで、それを注文すると奥から持ってきてくれました。<br />

    福栄堂菓舗って、何の看板もかかっていない。白い暖簾が申訳のようにありましたが、たまたま覗いて見たら和菓子屋さんだったので、覗いたこちらがびっくりしてしまいました。それでも、店内は老舗の雰囲気がムンムン。なじみの客だけを相手にしているようなお店なのかもしれません。開国最中というのが看板商品のようで、それを注文すると奥から持ってきてくれました。

  • いや、この最中絶品です。餡をじっくり炊き込んだような艶がある。期待度が低かった分、評価が上がってしまったかもしれませんが、京都だと中村軒の餡子を彷彿とするような味わいに思えました。

    いや、この最中絶品です。餡をじっくり炊き込んだような艶がある。期待度が低かった分、評価が上がってしまったかもしれませんが、京都だと中村軒の餡子を彷彿とするような味わいに思えました。

  • アル プラザ彦根は、彦根駅の正面にあるショッピングセンター。駅前でも、あんまり流行っていないお店もあるんですが、ここは人の出入りも頻繁だし、地元には愛されているお店のようです。

    アル プラザ彦根は、彦根駅の正面にあるショッピングセンター。駅前でも、あんまり流行っていないお店もあるんですが、ここは人の出入りも頻繁だし、地元には愛されているお店のようです。

  • 井伊直政公像は、彦根駅前のロータリーのところ。馬にまたがった像です。精鋭部隊である井伊の赤備えを率い、井伊の赤鬼と呼ばれた勇猛果敢な大将の姿です。 <br />ちなみに、井伊直政像は、徳川家康の天下取りを支えた酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と並ぶ徳川四天王の一人。井伊藩は幕末まで続き、最後は直弼を生みましたが、直政はこれをどう思っているのか。家康のために一心で奉公した人物ですから、子孫が政治の表舞台に出て翻弄されるとは夢にも思っていなかったことでしょう。

    井伊直政公像は、彦根駅前のロータリーのところ。馬にまたがった像です。精鋭部隊である井伊の赤備えを率い、井伊の赤鬼と呼ばれた勇猛果敢な大将の姿です。
    ちなみに、井伊直政像は、徳川家康の天下取りを支えた酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と並ぶ徳川四天王の一人。井伊藩は幕末まで続き、最後は直弼を生みましたが、直政はこれをどう思っているのか。家康のために一心で奉公した人物ですから、子孫が政治の表舞台に出て翻弄されるとは夢にも思っていなかったことでしょう。

  • 彦根市観光案内所は、彦根駅の階段を地上まで降りた目の前。コンパクトな建物なんですが、地元の名物の生菓子を置いていたり、お土産物の売り場がけっこう充実。係の人がちょこっと説明もしてくれたり、最後にちょっと確認しておきます。<br />さて、これで彦根はおしまい。これから長浜に回って、いよいよこれからが今回の旅のハイライトです。

    彦根市観光案内所は、彦根駅の階段を地上まで降りた目の前。コンパクトな建物なんですが、地元の名物の生菓子を置いていたり、お土産物の売り場がけっこう充実。係の人がちょこっと説明もしてくれたり、最後にちょっと確認しておきます。
    さて、これで彦根はおしまい。これから長浜に回って、いよいよこれからが今回の旅のハイライトです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 元カニ族さん 2015/06/18 07:35:44
    すごい!! すごい!! すごい旅行記です。
    すごい!! すごい!! すごい旅行記です。

    滋賀県彦根市生まれの私が、知っていることも、知らないことまで、くまなく、余すところなく詳細に書かれています。

    良くここまで調べられましたね。 感激しました。

    元カニ族

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2015/06/18 12:15:53
    RE: すごい!! すごい!! すごい旅行記です。
    嬉しいコメントをいただきまして、ありがとうございます。滋賀は、京都に気を取られて、長く疎かにしていたきらいがありまして、どこかで挽回をしないといけないと思っていました。この後、甲賀の信楽、湖南三山なども回っていますので、しばらくしたらアップします。これからも、よろしくお願いします。

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