3人の聖ジュリアンに捧げられ 最終的に名を残したのは 貧者(ル・ポーヴル)聖ジュリアン Eglise Saint-Julien-le-Pauvre (5区)
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by wiz さん(非公開)
パリ クチコミ:82件
サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会 Eglise Saint-Julien-le-Pauvre はの創立は6世紀、当初はオーヴェルニュ地方のブリウッドの殉教者、聖ジュリアンが祀られ、ついで、ル・マンの司教、聖ジュリアンが合祀されたそうです。 彼はいつも財布が空っぽになるほどの施しをするので、「貧者 ル・ポーヴル le-Pauvre」という名がついたそうです。 ついで、渡し守で施療師であった聖ジュリアンが加わったそうですが、最終的には貧しい者の味方、貧者聖ジュリアン(Saint-Julien-le-Pauvre)がまさって現在の教会の名の由来となったそうです。
この教会は、ノートルダムとほぼ同じ時期にロンポン(Longpont-sur-Orge)修道院の人たちによって1165年から1220年までかかって建てられたもので、13世紀から16世紀までは、パリ大学の集会はこの教会で行われるならわしがあって、学長もここで選出されていたそうです。 1889年からは、メルキト派の典礼カトリック教会。
サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会 のある通り=サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通り Rue Saint-Julien le Pauvre は、ルネ・ヴィヴィアーニ小公園 Square Rene Viviani 越しに見るセーヌ河川向こうのノートルダム大聖堂の姿が近くに見え、美しく、撮影スポットとしてもおすすめの場所です。
ここにあったパリ最古(1680年に植えられた)の大樹ニセアカシアの木は、もうだいぶ病気になっていたみたいで、去年切られたのだそうです。
- 施設の満足度
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4.5
クチコミ投稿日:2014/11/12
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