2016/11/19 - 2016/11/20
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willyさん
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旅の3日目は番外プラハ編。なぜなら同行者がなんとしても行ってみたいというからです。
たしかにドレスデンから2時間半ほど。すぐお隣で、かつジャーマンレイルパスがアウトバウンドのみカバーされるのです。
プラハは5年ほど前、ちらっと訪れたものの大して見ていないので、今回は1日じっくり街歩きをしました。しかし冬のプラハは雨で、その歴史のように重く渋く煙っていました。
旅のデータ(列車の時間はおおよその記憶です)
旅程:11月16日 23:50(羽田 発) カタール航空
17日 06:00(ドーハ着)
17日 07:45(ドーハ発) カタール航空
17日 12:35(フランクフルト着)
※ジャーマンレイルパス1等フレキシ7日間利用
14:10(フランクフルト発)ICE
15:50(アイゼナハ着)
アイゼナハ(ホテル・カイザーホフ)
18日 13:10(アイゼナハ発)ICE
15:00ごろ(ライプツィヒ着)
19:30(ライプツィヒ発)ICE
23:30(プラハ着)
プラハ(ホテル・エグゼ・シティ・パーク)
19日 18:45ごろ(プラハ発)ICE
20:45 (ドレスデン着)
ドレスデン(イビス・ドレスデン・バスタイ)
20日 10:45(ドレスデン発)ICE
16:30(ミュンヘン着)
ミュンヘン(リージェント・ホテル)
(クレアティフ・ホテル・エレファント)
22日 9:30(ミュンヘン発)ICE
13:00(フランクフルト空港駅着)
16:00(フランクフルト発)カタール航空
23:55(ドーハ着)
06:50(ドーハ発)カタール航空
23日 22:30(羽田着)
[投稿のご注意]
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
同行者は初めてのヨーロッパかつ英語は苦手。せっかくならしっかり歴史的意義など解説を得て理解を深めたほうがよいというので現地半日ツアーを利用しました。日本語ガイドさんとのことで申し込んだら、お客は我々だけで専属ガイドさん状態でした。
まずは待ち合わせ場所の国立劇場前からトラムにのってプラハ城へ。
神聖ローマ帝国の居城です。
幾世紀にもわたって主が変わり、壊れたり増築されたり改築されたり、歴史そのもの。ギネスでは世界で最も古く大きい城だそうです。 -
あいにくの雨。オフシーズンとはいえ、ここはとにかく混むので開場一番にとガイドさん。作戦は大当たりでした。
このだいぶ手前、掘の入り口より手前で、簡単ではありますがセキュリティチェックがありました。これは最近始まったことだそうです。
それというのもこの場内、現在は大統領府の屋根に夜陰忍び込んでのぼり、国旗の代わりにパンツを掲げた輩がいたそうで、そんな警備でいいのか!という議論になって以来とのことでした。
ちなみにこの前日がビロード革命の記念日「自由の日」だったそうで、各所でそれはそれは大規模なデモがあったりと、大騒ぎだったそうで、その余韻がまだつづいているとおっしゃっていました。
そのせいで昨夜到着した深夜のプラハ駅では、奇声を上げて騒ぐ若者がたむろしていたようでした。 -
前回も見学した聖ヴィート大聖堂。王城付属の教会としては最大規模なのではないでしょうか。さすが神聖ローマ帝国です。建築として非常に興味深いいきさつをもっています。ゴシックは壮麗で見栄えがします。
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中からみると素晴らしいステンドグラスになっている薔薇窓。
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この大聖堂で一番有名なのはミュシャのステンドグラスかと思いますが。
どれもみんな美しいです。
このところイスラム建築ばかり見ていたので、ひさしぶりのキリスト教文化に触れて、新鮮でした。 -
すばらしいヴォールト。これだけの高さのもを狂いなく組み上げていく技術はすごい。人間てすごいとおもいます。
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構造的にも複雑壮大です。歴代ボヘミア王のお墓がたくさん並んでいますが、どれがどれやらあまりにありすぎて・・・
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このオルガンがまた壮大で、ちょうどオルガニストが練習にきて弾き始めました。広大な会堂に響き渡るその音におなかの底から震えました。プラハの教会の多くは演奏会を開催しているようですが、この素晴らしく高位な聖堂でちらっとでも聴けてすごくラッキーでした。
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聖人として祀り上げられたネポムツキーの純銀製バロック様式の装飾過剰なお墓など、見所はたくさんありましたが、わたしが一番興味を惹かれたのがこの木製の地図でした。これは何世紀作といわれたか正確に覚えていませんが、このお城ができたころのものだと聞いた気がします。そのころといまの街とがほとんど変わらないそうです。なぜなら2時間ほど離れただけのドレスデンは壊滅的な爆撃を受けてほとんど焼野原になったのに比べて、プラハはほぼ無傷だったからだそうです。
真ん中に見えるのがカレル橋です。 -
これがそのネポムツキーのお墓。王妃の告解の内容を聞かれても拷問されても決して言わなかったということで、死後その舌だけが腐らずに残っていたということで、このお墓にも「舌」のレリーフがで~んとくっついています。
個人的には悪趣味だなあと思ってしまいます。まあ、カトリックにはありがちな趣味ですが。 -
お宝の詰まった聖ヴァーツラフ礼拝堂。数えきれないほどの貴石で飾られ、鍵のついた小部屋にはボヘミア王の王冠2・5㎏が保管されているんだそうです。へー。
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聖ヴィートをでて、前回は入れなかった聖イジー教会へ。もともとここにボヘミア王のお墓があったそうです。ロマネスクの簡素なこの教会のほうが私は好きでした。
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シンプルな祈りの空間という気がして。
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そしてロートアイアンのアイアンワークが美しく映えるのです。
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教会というよりホテルか館のような
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静謐で美しいです。
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雨は相変わらずしとしとと降り続いています。
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このあとは黄金の小道を通ります。
前回きたときはふつうに歩けたのですが、今は有料になっていました。最初に共通チケットを買ったのでそれで通れます。
クリスマスにむけてお土産屋さんもそれらしく。 -
その中にカフカが一時住んで作品を書いたという小さいお部屋もありました。
全然見えませんが、窓の右側にとりつけられた銅板に「カフカがすんでいました」的なことが書いてあるようです。 -
カレル橋。オフシーズンで人も少なく静かです。
ネポムツキーの像の足元なでなでポイントは人気でしたが、実はその少し旧市街よりにあるのが、知る人ぞ知るほんとのラッキーポイントだそうで、そこには星の形の金属板が埋め込まれていました。その場所からネポムツキーがブルタヴァに投げ落とされたというものです。 -
たくさんの白鳥が憩っていたブルタヴァ川。プラハはローマやイスタンブールと並ぶ重要な都市であり、たくさんの歴史的事件を経た街だからか、なにとなく哀しみを感じました。
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橋の向こうに塔がみえます。プラハの街の出発点となった建物だそうです。
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観光ポイントの天文時計。雨にもかかわらずたくさんの人が集まっていました。
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モーツァルトもプラハが大好きだったそうで、これは彼が自らドン・ジョバンニを初演したエステート劇場。
プラハは特に、東欧は人形劇のレベルが高いので、今回も機会があれば見たいとおもって探したのですが、ツアー的に紹介されている出し物はドン・ジョバンニばかりでした。わたしはモーツァルトはあまり好みでないので選択肢から外れました。
ちなみにマリア・テレジアはプラハが嫌いだったそうです。そりゃそうですね、ウィーンのあの軽やかで華麗な文化からすると、ここを重苦しくてダサい、というのはうなづけます。 -
世界中をみてもプラハにしかないというキュビズム建築、通称「黒い聖母の家」。建物も右端に黒いマリア像が据え付けられていることからその名がついたそうです。
普通、プラハといえばアールヌーボー。が、なぜか我らのガイド氏は、アールヌーボー無視のキュビズムやたら推し。この建物1階にはカフェがあるのですが、ここもいいですよ、ぜひ!と強く勧められました。
結局通り過ぎたので戻りませんでしたが。 -
ということでアールヌーボーで有名な市民会館もさらっと通過。というかここでガイド終了解散だったのですが。
ちょうどいいのでガイドツアーで中を見ようかと思ったのですが、かなり疲れていたのとおなかがペコペコだったのと、チケットはそうそうに売り切れることが多いということだったのでパスしました。
たしかに、どうしても見たいというほどでもなかったので・・・。 -
この旅ではどういうわけかほとんどレストランに入ることがなかったのですが、2回入った」うちの1回。チェコ料理がおいしいと勧められたお店でいただいたのですが、もう、肉・肉・肉・・・・そしてイモ・・とても食べきれるもんじゃありません。
ビールはすご~くおいしかったですが。 -
お菓子だって樽でうってる。豪快です。
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なかなかシュールなマネキンがいたので撮ってみました。
でもプラハは洗練されてるとか洒落てるというイメージはあまり受けなかったかなぁ。 -
ちなみに写真がなくて、絵とあいませんが、核心だった深夜のプラハ駅前の件をご報告。
プラハ駅前、旧市街側に広がる緑地帯(公園)が治安がよろしくないという事前情報があちこちに見られ、その公園を渡った先のホテル滞在予定のため、出発前に一番心配していたところでした。グーグルマップのストリートビューと4トラべラーさんから聞いた情報も合致しないし、一体どうなっているのか不安マックスで深夜のプラハ駅に降りました。
前日の自由の日余韻で騒いでいる若いのもいるし、ドキドキしながら駅をでると、グーグルマップ(出たところは幹線の大通り)と全くちがう。出口を間違えたと焦って緑の窓口的なところに駆け込んで居並ぶおばさま方に助けを求めたのですが、こっちでいいという。
さらに不安なので警備員風の男性にも聞いてみたら、さっとスマホをとりだして住所を検索してくれて、やはりここでいいという
。
で、おそるおそる外にでてみると、緑地帯にはないといわれていた照明もあり、ならんだタクシーも不穏な様子もなく、ホテルはあっというまに見つかりました。心配して損した~。ホテルはエグゼシティ(旧ショパンホテル)です。
今現在のグーグルマップは古い情報だとおもいます。マップと同じ風景は、現在の出口より少し南のほうに確かにありました。有名なアールヌーボー様式の美しい駅舎です。前回きたときはここからブラスチラヴァへ向けて列車にのり、その時に母親がスリにあう寸前という事件がありました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2022/09/09 14:55:21
- 魅力的な街、プラハ。
- willy さん
続きまして。
深夜近くの到着ですと、ホテルまでの道順が心配になりますね。
地域によっては、治安の悪そうなところもありますし。
プラハ中央駅、私も改修前に訪問しましたが
当時すでに駅前には道幅も広い自動車道が通っていて、渡れない雰囲気。
駅舎を探検して、地下道から渡っていったことを思いだしました。
破壊されてしまったドレスデンと比べて、古い建物が軒を連ね
アール・ヌーヴォー建築好きとしましたら再訪したい街です。
mistral
- willyさん からの返信 2022/09/09 16:26:53
- RE: 魅力的な街、プラハ。
- mistralさん
そうでしたか、あの自動車道をご覧になりましたか。その旅行記も拝見したいです。
グーグルマップで見たときにはわけがわからず混乱して焦るばかりでした。たまたまビロード革命記念日の当日で、酔った若者がたむろしていたのもびくびくしましたが、案ずるより産むが安しそのもので拍子抜けでした。
それよりも列車が説明もなく長らく止まったり、勘違いして1つ手前の駅でホームにでて慌てて戻ったりのほうがドキドキでした。
プラハはほんとに保存状態がいいですよね。ここまでの整然としたゲルマン文化と違ってちょっとスパイシーな東欧の民族臭(雰囲気という意味で)も漂い始める独特な色合いだと思います。どこかヴァイオリンの聞けるレストランで食事をしたかったのですが、そんな時間もなくドイツに取って返す旅だったので、わたしも機会があれば三度訪れたい街です。母といった懐かしい場所でもあります。
willy
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