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三日目は、いつもの京都市内散策。やっぱり、京都市内だと気持ちに余裕が生まれます。<br />西陣では、織成館へ。着物なんかも普段は見ることないんですが、じっくり見てみるとなかなか見応えがあるもんですね。寺町の雰囲気も改めて確認したり、懸案だったお菓子もいくつかゲットして、それなりの一日となりました。

関西あちこち四日間(三日目)~やっぱり、京都は余裕、余裕。西陣から京都御所の北側、寺町辺りをあちこち歩きます~

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2014/03/22 - 2014/03/22

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たびたび

たびたびさん

三日目は、いつもの京都市内散策。やっぱり、京都市内だと気持ちに余裕が生まれます。
西陣では、織成館へ。着物なんかも普段は見ることないんですが、じっくり見てみるとなかなか見応えがあるもんですね。寺町の雰囲気も改めて確認したり、懸案だったお菓子もいくつかゲットして、それなりの一日となりました。

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  • 散策は、西陣から。<br />称念寺は、浄土宗知恩院派の寺。三代目住職の還誉が猫を愛したため猫寺と呼ばれます。

    散策は、西陣から。
    称念寺は、浄土宗知恩院派の寺。三代目住職の還誉が猫を愛したため猫寺と呼ばれます。

  • というのは。。<br />このころ、旦那であった土浦城主松平家と疎遠となり、寺が荒廃していましたが、ある夜帰山した住職は、愛猫が美しい姫に化けて舞うのを見て怒り、一時この猫を追放してしまいます。しかし、数日後、猫が住職の夢枕に立ち松平家との復縁を告げ、住職に報恩し寺は立派に再興したというのです。

    というのは。。
    このころ、旦那であった土浦城主松平家と疎遠となり、寺が荒廃していましたが、ある夜帰山した住職は、愛猫が美しい姫に化けて舞うのを見て怒り、一時この猫を追放してしまいます。しかし、数日後、猫が住職の夢枕に立ち松平家との復縁を告げ、住職に報恩し寺は立派に再興したというのです。

  • 西陣の名前は、応仁の乱の際、西軍の総大将である山名宗全が堀川よりも西のここに陣を構えたことに由来するもの。今では、織物の産地として有名です。通りを歩いていると、どこからともなく、織物の機械を動かす音が聞こえてきたり、織物の販売店があったりして、織物の街であることを感じることができます。

    西陣の名前は、応仁の乱の際、西軍の総大将である山名宗全が堀川よりも西のここに陣を構えたことに由来するもの。今では、織物の産地として有名です。通りを歩いていると、どこからともなく、織物の機械を動かす音が聞こえてきたり、織物の販売店があったりして、織物の街であることを感じることができます。

  • 織成館は、まだ時間が早くて開いてませんでした。では、しばらくほかで時間を潰します。<br />織成館の辺りは住宅地の中のような一角ですが、整備された小さな祠と鳥居があって、それが岩上神社。

    織成館は、まだ時間が早くて開いてませんでした。では、しばらくほかで時間を潰します。
    織成館の辺りは住宅地の中のような一角ですが、整備された小さな祠と鳥居があって、それが岩上神社。

  • 約1.8mの赤みを帯びた巨石が御神体として祀られています。大正時代に、千切屋という織物屋さんが敷地内にお祭りしていたようです。

    約1.8mの赤みを帯びた巨石が御神体として祀られています。大正時代に、千切屋という織物屋さんが敷地内にお祭りしていたようです。

  • そして、浄土宗浄光寺。

    そして、浄土宗浄光寺。

  • 境内の少し奥に、江戸時代の文人画家、池大雅の墓がありました。<br />碑面には、「故東山画隠大雅池君墓」と記してあります。

    境内の少し奥に、江戸時代の文人画家、池大雅の墓がありました。
    碑面には、「故東山画隠大雅池君墓」と記してあります。

  • さらに、千本通り沿いに船岡山を目指しますが、途中の大福餅老舗へ。ここは、そのシンプルな名前がとっても気になっていたんですが、これまで時間が合わず。今回はちょうど開いたところで、出来立てのおはぎをいただくことにしました。<br />

    さらに、千本通り沿いに船岡山を目指しますが、途中の大福餅老舗へ。ここは、そのシンプルな名前がとっても気になっていたんですが、これまで時間が合わず。今回はちょうど開いたところで、出来立てのおはぎをいただくことにしました。

  • 愛想のいい女将さんの横では、黙々と仕事を続けるご主人。なかなかいい感じであります。大福は朝飯代わりにしようと思ったのですが、これがまたかなりのおいしさ。すっきりした甘ーい餡子にまっ白な半殺しのご飯が包まれて、このおはぎは、まさに理想的じゃありませんか。おはぎの神髄がここにあり。私的には、京都ではふたばの豆餅が総合力でスイーツナンバーワンなのですが、ここもおはぎもそれに匹敵する評価になるのではないかと思いました。

    愛想のいい女将さんの横では、黙々と仕事を続けるご主人。なかなかいい感じであります。大福は朝飯代わりにしようと思ったのですが、これがまたかなりのおいしさ。すっきりした甘ーい餡子にまっ白な半殺しのご飯が包まれて、このおはぎは、まさに理想的じゃありませんか。おはぎの神髄がここにあり。私的には、京都ではふたばの豆餅が総合力でスイーツナンバーワンなのですが、ここもおはぎもそれに匹敵する評価になるのではないかと思いました。

  • 少し上がって、上品蓮台寺は、真言宗智山派の寺。

    少し上がって、上品蓮台寺は、真言宗智山派の寺。

  • 聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が中興。その後、応仁の乱では焼失しますが、秀吉の援助により復興されました。<br />

    聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が中興。その後、応仁の乱では焼失しますが、秀吉の援助により復興されました。

  • 国宝、紙本著色絵因果経も所有するようですが、観光としては、境内の桜でしょう。見事な枝ぶりのしだれ桜がいくつかあって、この日はまだ花芽でしたが、季節になると桜の花で埋もれるような感じになります。

    イチオシ

    国宝、紙本著色絵因果経も所有するようですが、観光としては、境内の桜でしょう。見事な枝ぶりのしだれ桜がいくつかあって、この日はまだ花芽でしたが、季節になると桜の花で埋もれるような感じになります。

  • 船岡山は、千本通りから少し入ります。標高111.7mの小山ですが、歴史としては、都を代表する葬送地であり、保元の乱の際、敗北した源為義がここで処刑されたりもしています。応仁の乱では、西軍の山名教之、一色義直が船岡山城を造って、立て籠もったこともあったということです。

    船岡山は、千本通りから少し入ります。標高111.7mの小山ですが、歴史としては、都を代表する葬送地であり、保元の乱の際、敗北した源為義がここで処刑されたりもしています。応仁の乱では、西軍の山名教之、一色義直が船岡山城を造って、立て籠もったこともあったということです。

  • 頂上までは緩やかな上りですが、車でも通れるくらいのちゃんとした道路なので、とても安全。頂上からは建勲神社まで抜ける道もあります。

    頂上までは緩やかな上りですが、車でも通れるくらいのちゃんとした道路なので、とても安全。頂上からは建勲神社まで抜ける道もあります。

  • 一帯は船岡山公園として整備されていて、頂上からは御所の方が見渡せます。<br />ただ、船岡の名前は、地形が船に似ていることからだそうですが、どこから見ればそう見えるのかはよく分かりません。

    一帯は船岡山公園として整備されていて、頂上からは御所の方が見渡せます。
    ただ、船岡の名前は、地形が船に似ていることからだそうですが、どこから見ればそう見えるのかはよく分かりません。

  • さて、船岡山から織成館に戻ってきました。<br />

    さて、船岡山から織成館に戻ってきました。

  • ここは、西陣の中心にある西陣織を紹介、展示する施設。建物は、西陣の帯製造業「渡文」の初代渡邉文七の店舗兼住宅で、昭和11年に建てられた町家建築です。

    ここは、西陣の中心にある西陣織を紹介、展示する施設。建物は、西陣の帯製造業「渡文」の初代渡邉文七の店舗兼住宅で、昭和11年に建てられた町家建築です。

  • 館内には、能の衣装を始めとして、鮮やかな振り袖や日常の和服が豊富に展示されていました。

    イチオシ

    館内には、能の衣装を始めとして、鮮やかな振り袖や日常の和服が豊富に展示されていました。

  • イチオシ

  • 機械織りと手織りの比較では、手織りでは裏の余計な刺繍糸がないので、圧倒的に軽い。美しさと実用性の両方で優れた西陣織の特徴がよく分かりました。

    機械織りと手織りの比較では、手織りでは裏の余計な刺繍糸がないので、圧倒的に軽い。美しさと実用性の両方で優れた西陣織の特徴がよく分かりました。

  • すぐ近くにある宗禅は、上技物あられという「最高峰の技・味を持つあられ」のお店。織成館の帰りに寄ってみました。

    すぐ近くにある宗禅は、上技物あられという「最高峰の技・味を持つあられ」のお店。織成館の帰りに寄ってみました。

  • 店内に入ると、ちょっとこれまで見たことがないような、いろんな形をしたあられを組み合わせた、美しいセット。それが、これも食べられるというお菓子の小箱に乗せられて、本当にきれいです。吹き寄せというお菓子がありますが、それをあられで見せられたような感じ。

    店内に入ると、ちょっとこれまで見たことがないような、いろんな形をしたあられを組み合わせた、美しいセット。それが、これも食べられるというお菓子の小箱に乗せられて、本当にきれいです。吹き寄せというお菓子がありますが、それをあられで見せられたような感じ。

  • お茶も入れていただきまして、まったく至福の時間が流れました。京都ならではの素晴らしいお店です。<br />

    お茶も入れていただきまして、まったく至福の時間が流れました。京都ならではの素晴らしいお店です。

  • そこから、たんきり飴もすぐ。川崎大師の参道のトントコトントコのたんきり飴が有名だと思うんですが、こちらは京都西陣のたんきり飴。明治創業のお店のようです。<br />

    そこから、たんきり飴もすぐ。川崎大師の参道のトントコトントコのたんきり飴が有名だと思うんですが、こちらは京都西陣のたんきり飴。明治創業のお店のようです。

  • お店の人によれば、生姜がのどにいいんだとか。しかし、舐めてみると思ったほどの刺激はなくて、ストレートには感じられない奥ゆかしい味わい。二〜三個まとめて舐めてます。

    お店の人によれば、生姜がのどにいいんだとか。しかし、舐めてみると思ったほどの刺激はなくて、ストレートには感じられない奥ゆかしい味わい。二〜三個まとめて舐めてます。

  • こちらは、京都でも有名な老舗和菓子屋、俵屋吉富さんです。<br />

    こちらは、京都でも有名な老舗和菓子屋、俵屋吉富さんです。

  • ここの看板商品、雲竜はとても有名なんですが、なかなか機会がなくて、今回がやっと初体験。

    ここの看板商品、雲竜はとても有名なんですが、なかなか機会がなくて、今回がやっと初体験。

  • 雲竜は、粒あんと裏ごしの餡を組み合わせ、餡子の陰影で雲竜のイメージを表現します。

    雲竜は、粒あんと裏ごしの餡を組み合わせ、餡子の陰影で雲竜のイメージを表現します。

  • つまり、餡と餡の競演なんですが、いずれにしても、餡子のみの直球勝負といった和菓子。やはり並みの餡子ではありません。

    つまり、餡と餡の競演なんですが、いずれにしても、餡子のみの直球勝負といった和菓子。やはり並みの餡子ではありません。

  • 妙顕寺は観光の寺ではありませんが、日蓮の孫弟子、日像が後醍醐天皇より寺領を賜り建立した京都にいくつかある日蓮宗の本山の一つ。

    妙顕寺は観光の寺ではありませんが、日蓮の孫弟子、日像が後醍醐天皇より寺領を賜り建立した京都にいくつかある日蓮宗の本山の一つ。

  • 市街地にあっても境内はびっくりするくらい広大。「門下唯一勅願寺」は、日蓮宗で初めての勅願寺となったことを示しています。

    市街地にあっても境内はびっくりするくらい広大。「門下唯一勅願寺」は、日蓮宗で初めての勅願寺となったことを示しています。

  • で、こちらは内部拝観が可能。

    で、こちらは内部拝観が可能。

  • さっそく中を見せていただきました。

    さっそく中を見せていただきました。

  • 本堂の前庭は、かなり広々。

    本堂の前庭は、かなり広々。

  • 拝観は無料でしたが、まだ知らないこんなところがあったとは驚きです。

    拝観は無料でしたが、まだ知らないこんなところがあったとは驚きです。

  • 寺ノ内通りを歩いていたら、尾形光琳菩提所というのがありました。尾形光琳のほか、弟の尾形乾山も葬られているようです。尾形家の菩提寺は、興善院といって、尾形一族から代々住職を出していたようですが、のち無住となり、本行院の管理となり、泉妙院と合併して、今日に至っています。

    寺ノ内通りを歩いていたら、尾形光琳菩提所というのがありました。尾形光琳のほか、弟の尾形乾山も葬られているようです。尾形家の菩提寺は、興善院といって、尾形一族から代々住職を出していたようですが、のち無住となり、本行院の管理となり、泉妙院と合併して、今日に至っています。

  • こちらがさっきの俵屋吉富の本店です。

    こちらがさっきの俵屋吉富の本店です。

  • 京菓子資料館龍宝館は、京菓子司俵屋吉富の本店である烏丸店に隣接する京菓子の資料館。<br />遣唐使によってもたらされた中国のお菓子の製法から日本独自の発展をしていく一方、安土桃山時代には南蛮文化に触れ、新たなジャンルが広がったりと和菓子の歴史を体系付けて説明していました。菓子博覧会に出品されたような装飾菓子も圧巻です。

    京菓子資料館龍宝館は、京菓子司俵屋吉富の本店である烏丸店に隣接する京菓子の資料館。
    遣唐使によってもたらされた中国のお菓子の製法から日本独自の発展をしていく一方、安土桃山時代には南蛮文化に触れ、新たなジャンルが広がったりと和菓子の歴史を体系付けて説明していました。菓子博覧会に出品されたような装飾菓子も圧巻です。

  • その並びの藤井右門宅跡は、尊王思想を説いた藤井右門の住居跡。藤井右門は、赤穂藩の家臣の家柄。<br />京都に出て、竹内式部という人物の尊王思想に触れますが、竹内式部は幕府に捉えられて、京都から追放になります。<br />その後、藤井右門は江戸に出て尊王思想を広めますが、同志であった山県大弐とともに捕えられて処刑。1766年のこと。明治維新の100年前のことです。<br />

    その並びの藤井右門宅跡は、尊王思想を説いた藤井右門の住居跡。藤井右門は、赤穂藩の家臣の家柄。
    京都に出て、竹内式部という人物の尊王思想に触れますが、竹内式部は幕府に捉えられて、京都から追放になります。
    その後、藤井右門は江戸に出て尊王思想を広めますが、同志であった山県大弐とともに捕えられて処刑。1766年のこと。明治維新の100年前のことです。

  • そうこうしているうちに、もうお昼の時間ですね。<br />きょうらく食堂さんは何の変哲もない小さな大衆食堂ですが、しかし、京都御所の周りは、ふと名店がある地域なんですよね。

    そうこうしているうちに、もうお昼の時間ですね。
    きょうらく食堂さんは何の変哲もない小さな大衆食堂ですが、しかし、京都御所の周りは、ふと名店がある地域なんですよね。

  • 日替わり定食をいただきましたが、トンカツはでかいし、サラダも大根の煮つけもなんかしっかりしてますねえ。御所の近くにあるというプライドが知らず知らず影響しているような。そんなことまで感じてしまう立派な定食でした。

    日替わり定食をいただきましたが、トンカツはでかいし、サラダも大根の煮つけもなんかしっかりしてますねえ。御所の近くにあるというプライドが知らず知らず影響しているような。そんなことまで感じてしまう立派な定食でした。

  • ここから向かいの瑞春院へ。京都御所の北側にある相国寺の塔頭寺院です。足利義満が相国寺第四世住持となった法嗣太清宗渭を相国寺に迎請するため、その禅室として創設した雲頂院の流れを汲みます。<br />ただ、今では、水上勉が直木賞を受賞した小説「雁の寺」のモデルになった寺として知られます。門前にその説明があるのですが、雁の寺は、寺の内幕を赤裸々に描いたもの。堕落した僧職の実態に触れたりしているので、お寺としては、小説「雁の寺」のモデルといっても、あまり気持ちのいいものではないかもしれません。

    ここから向かいの瑞春院へ。京都御所の北側にある相国寺の塔頭寺院です。足利義満が相国寺第四世住持となった法嗣太清宗渭を相国寺に迎請するため、その禅室として創設した雲頂院の流れを汲みます。
    ただ、今では、水上勉が直木賞を受賞した小説「雁の寺」のモデルになった寺として知られます。門前にその説明があるのですが、雁の寺は、寺の内幕を赤裸々に描いたもの。堕落した僧職の実態に触れたりしているので、お寺としては、小説「雁の寺」のモデルといっても、あまり気持ちのいいものではないかもしれません。

  • 大光明寺は、同じく臨済宗大本山相国寺の塔頭寺院。伏見宮家歴代の菩提寺で、暦応2年(1339年)、後伏見天皇女御の広義門院西園寺寧子が夫の第93代後伏見天皇の菩提を弔うために創建しました。<br />また、京都十三仏霊場の第四番、普賢菩薩の寺でもあります。

    大光明寺は、同じく臨済宗大本山相国寺の塔頭寺院。伏見宮家歴代の菩提寺で、暦応2年(1339年)、後伏見天皇女御の広義門院西園寺寧子が夫の第93代後伏見天皇の菩提を弔うために創建しました。
    また、京都十三仏霊場の第四番、普賢菩薩の寺でもあります。

  • 慈照院も、相国寺の塔頭。ただ、塔頭にしてはぐるりを白い四本線の塀が囲んだ大寺院。入口がどこにあるのか分からずに何度もあっちに行ったりこっちに来たり。かなり苦労しました。

    慈照院も、相国寺の塔頭。ただ、塔頭にしてはぐるりを白い四本線の塀が囲んだ大寺院。入口がどこにあるのか分からずに何度もあっちに行ったりこっちに来たり。かなり苦労しました。

  • 普段は拝観できないのですが、表に駒札。<br />延徳2年(1490年)足利義政の塔所影堂 となり、その法号より慈照院としたとあります。山門からは建物に向かう延段、白砂の庭が見えましたが、かなりよく手入れされているのが窺えました。

    普段は拝観できないのですが、表に駒札。
    延徳2年(1490年)足利義政の塔所影堂 となり、その法号より慈照院としたとあります。山門からは建物に向かう延段、白砂の庭が見えましたが、かなりよく手入れされているのが窺えました。

  • 隣りは、慈雲院。開祖は、相国寺第四十二世勅諡興宗明教禅師です。<br />

    隣りは、慈雲院。開祖は、相国寺第四十二世勅諡興宗明教禅師です。

  • ここも非公開ではあるのですが、前庭などは自由に散策が可能。よく手入れされた庭は苔もきれいで、紅梅にどうだんつつじの刈込が印象的でした。<br />

    ここも非公開ではあるのですが、前庭などは自由に散策が可能。よく手入れされた庭は苔もきれいで、紅梅にどうだんつつじの刈込が印象的でした。

  • ここから、寺町の方に移動して、これは西園寺。<br />鎌倉時代に太政大臣、藤原(西園寺)公経が、現在の金閣寺付近の山荘北山第に、本堂や寝殿等の豪華な堂宇を建てて、西園寺と称し菩提寺としたのが始まり。<br />

    ここから、寺町の方に移動して、これは西園寺。
    鎌倉時代に太政大臣、藤原(西園寺)公経が、現在の金閣寺付近の山荘北山第に、本堂や寝殿等の豪華な堂宇を建てて、西園寺と称し菩提寺としたのが始まり。

  • 西園寺家は、鎌倉幕府に接近し、朝廷と幕府の間を調整する関東申次を世襲した家柄で、権勢を誇ります。大覚寺統と持明院統による皇位継承争いにも関係。<br />足利三代将軍義満が北山の地を気に入って、西園寺家から譲り受けた地に金閣寺を造営。西園寺は、室町頭に立ち退き。その後、秀吉の命で現在地に移動しました。

    西園寺家は、鎌倉幕府に接近し、朝廷と幕府の間を調整する関東申次を世襲した家柄で、権勢を誇ります。大覚寺統と持明院統による皇位継承争いにも関係。
    足利三代将軍義満が北山の地を気に入って、西園寺家から譲り受けた地に金閣寺を造営。西園寺は、室町頭に立ち退き。その後、秀吉の命で現在地に移動しました。

  • これは、境内に建つ、地蔵堂です。縁起が詳しく書かれていました。

    これは、境内に建つ、地蔵堂です。縁起が詳しく書かれていました。

  • 続いて、阿弥陀寺へ。浄土宗の寺ですが、

    続いて、阿弥陀寺へ。浄土宗の寺ですが、

  • 別名は信長公本廟所で、

    別名は信長公本廟所で、

  • これが信長の墓。<br />もともとは、近江国坂本にあったのですが、織田信長の帰依を得、京都に移転。信長が本能寺で討たれると、信長と嫡子信忠の遺骨を持ち帰り葬ったということです。<br />

    これが信長の墓。
    もともとは、近江国坂本にあったのですが、織田信長の帰依を得、京都に移転。信長が本能寺で討たれると、信長と嫡子信忠の遺骨を持ち帰り葬ったということです。

  • 十念寺は、西山浄土宗の寺。後亀山天皇の皇子であった真阿のために足利将軍義教が誓願寺に住房宝樹院を建てたのが始まり。

    十念寺は、西山浄土宗の寺。後亀山天皇の皇子であった真阿のために足利将軍義教が誓願寺に住房宝樹院を建てたのが始まり。

  • 山門を入ると近代的な本堂が目に入りますが、

    山門を入ると近代的な本堂が目に入りますが、

  • これは、建築家としても知られる大阪、一心寺の高口恭行住職の設計によって、平成5年に建てられたものです。

    イチオシ

    これは、建築家としても知られる大阪、一心寺の高口恭行住職の設計によって、平成5年に建てられたものです。

  • 引き続き、寺町通りを進みます。<br />こちらの仏陀寺は、西山浄土宗の寺。

    引き続き、寺町通りを進みます。
    こちらの仏陀寺は、西山浄土宗の寺。

  • 朱雀天皇が先帝の村上天皇崩御の後、その遺志を受けて、天暦6年(952年)に大蔵院を建立したのが始まりで、朱雀・村上両天皇を開基としています。ちなみに、朱雀、村上両天皇は兄弟。本尊は阿弥陀如来坐像です。

    朱雀天皇が先帝の村上天皇崩御の後、その遺志を受けて、天暦6年(952年)に大蔵院を建立したのが始まりで、朱雀・村上両天皇を開基としています。ちなみに、朱雀、村上両天皇は兄弟。本尊は阿弥陀如来坐像です。

  • こちらは、門の脇にある地蔵堂です。

    こちらは、門の脇にある地蔵堂です。

  • 本満寺は、本圀寺から分立した日蓮宗の本山。

    本満寺は、本圀寺から分立した日蓮宗の本山。

  • 江戸時代には徳川吉宗の病気平癒を祈願し、

    江戸時代には徳川吉宗の病気平癒を祈願し、

  • 幕府の祈願所ともなっています。<br />

    幕府の祈願所ともなっています。

  • 境内の枝垂桜が見事で、まだ花は咲いていませんでしたが、枝振りからでもその華やかさが伝わってくるようでした。

    境内の枝垂桜が見事で、まだ花は咲いていませんでしたが、枝振りからでもその華やかさが伝わってくるようでした。

  • さっき、お昼を食べたところなんですが、この魚熊は、鯖寿司と書いた看板があって、鯖寿司が名物なんですね。<br />それなら寄ってみましょう。中に入るとお客さんでほぼ満席。人気なんですね。これは期待が持てます。<br />

    さっき、お昼を食べたところなんですが、この魚熊は、鯖寿司と書いた看板があって、鯖寿司が名物なんですね。
    それなら寄ってみましょう。中に入るとお客さんでほぼ満席。人気なんですね。これは期待が持てます。

  • で、予定通り、鯖寿司をいただきます。見た目は、艶々した分厚い鯖が鮮やかな色合い。ほとんど完璧です。味の方も、鯖が酢に馴染んでこれもいい。いいんですが、ただ、全体としては、これではちょっと塩がきつ過ぎるような。うーん、せっかくこれだけいいんで、薄塩だったら評価できるんですけど。。かなり惜しいなあと思います。

    で、予定通り、鯖寿司をいただきます。見た目は、艶々した分厚い鯖が鮮やかな色合い。ほとんど完璧です。味の方も、鯖が酢に馴染んでこれもいい。いいんですが、ただ、全体としては、これではちょっと塩がきつ過ぎるような。うーん、せっかくこれだけいいんで、薄塩だったら評価できるんですけど。。かなり惜しいなあと思います。

  • さて、寺町の通りはこんな感じ。河原町の辺りの寺町通りとはえらい違いです。

    さて、寺町の通りはこんな感じ。河原町の辺りの寺町通りとはえらい違いです。

  • 少しバックして、天寧寺は、曹洞宗の寺院。もとは会津城下にあったのですが、天正年間に、現在地に移転しました。

    少しバックして、天寧寺は、曹洞宗の寺院。もとは会津城下にあったのですが、天正年間に、現在地に移転しました。

  • 江戸時代の茶人金森宗和の墓があることでも知られますが、山門から見た比叡山の眺望が一幅の絵のように見えることから「額縁門」と言われ、一番の見どころだと思います。

    江戸時代の茶人金森宗和の墓があることでも知られますが、山門から見た比叡山の眺望が一幅の絵のように見えることから「額縁門」と言われ、一番の見どころだと思います。

  • 傍らに紅梅がちょこっと咲いていました。

    傍らに紅梅がちょこっと咲いていました。

  • 寺町から上御霊神社へ。

    寺町から上御霊神社へ。

  • この神社は、平安遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、

    この神社は、平安遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、

  • 早良親王など非業の死を遂げた八柱の神霊を神泉苑の御霊会で祀ったのが始まり。<br />

    早良親王など非業の死を遂げた八柱の神霊を神泉苑の御霊会で祀ったのが始まり。

  • また、1467年、室町幕府の管領、畠山政長がこの神社の森に立てこもって、

    また、1467年、室町幕府の管領、畠山政長がこの神社の森に立てこもって、

  • 西軍畠山義就と一戦を交えたのが応仁の乱の始まりとされます。

    西軍畠山義就と一戦を交えたのが応仁の乱の始まりとされます。

  • 上御霊神社の前にあるのが水田玉雲堂。白い暖簾のお菓子屋さんです。唐板が看板商品で、名前は、遣唐使である真備が中国から伝えた菓子に由来するのだとか。 <br />

    上御霊神社の前にあるのが水田玉雲堂。白い暖簾のお菓子屋さんです。唐板が看板商品で、名前は、遣唐使である真備が中国から伝えた菓子に由来するのだとか。

  • 味は、小麦粉、砂糖がお餅のようにがっちり固まって、香川の堅い瓦せんべいを薄くするとこうなるんだろうなあという感じ。ただ、見た目の焼き色の美しさは、ため息が出るくらい。これだけでも、十分に価値があるというものです。<br />

    イチオシ

    味は、小麦粉、砂糖がお餅のようにがっちり固まって、香川の堅い瓦せんべいを薄くするとこうなるんだろうなあという感じ。ただ、見た目の焼き色の美しさは、ため息が出るくらい。これだけでも、十分に価値があるというものです。

  • みや古食堂は、烏丸通。食堂がメインだと思いますが、店頭では少し生菓子も販売していて、

    みや古食堂は、烏丸通。食堂がメインだと思いますが、店頭では少し生菓子も販売していて、

  • お花見団子をいただきました。赤、白、緑が季節感いっぱい。お菓子屋さんではないので、余計な甘さとかは目立ちません。この普通がいいのだと思います。

    お花見団子をいただきました。赤、白、緑が季節感いっぱい。お菓子屋さんではないので、余計な甘さとかは目立ちません。この普通がいいのだと思います。

  • 続いての三時知恩寺は、同志社大学今出川キャンパスの東隣。浄土宗の門跡寺院です。北朝4代後光厳天皇の皇女見子内親王が北朝3代崇光天皇の御所で一条西洞院にあった入江殿を寺に改めたのが始まり。<br />三時知恩寺の名前は、これは宮中における1日6回の勤行のうち昼間の3回をこの寺で行うようになったことからということです。<br />

    続いての三時知恩寺は、同志社大学今出川キャンパスの東隣。浄土宗の門跡寺院です。北朝4代後光厳天皇の皇女見子内親王が北朝3代崇光天皇の御所で一条西洞院にあった入江殿を寺に改めたのが始まり。
    三時知恩寺の名前は、これは宮中における1日6回の勤行のうち昼間の3回をこの寺で行うようになったことからということです。

  • 足利将軍室町第跡は、付近の地図掲示板には載っていたのですが、探してもなかなかわからない。仕方がないので、散髪屋さんで尋ねたら、ここですの答え。その散髪屋さんの敷地の角にそれと書かれた石標が立っていました。<br />ここは、室町幕府三代将軍足利義満が造営した将軍家の邸宅跡。邸内の樹木や苑地が美しかったことから花の御所とも称された邸宅です。

    足利将軍室町第跡は、付近の地図掲示板には載っていたのですが、探してもなかなかわからない。仕方がないので、散髪屋さんで尋ねたら、ここですの答え。その散髪屋さんの敷地の角にそれと書かれた石標が立っていました。
    ここは、室町幕府三代将軍足利義満が造営した将軍家の邸宅跡。邸内の樹木や苑地が美しかったことから花の御所とも称された邸宅です。

  • 大聖寺は、かつての室町幕府の跡地に建つ天皇家ゆかりの尼門跡寺院。室町幕府は、花の御所とも言われたことから、この寺は御寺御所とも称します。<br />

    大聖寺は、かつての室町幕府の跡地に建つ天皇家ゆかりの尼門跡寺院。室町幕府は、花の御所とも言われたことから、この寺は御寺御所とも称します。

  • 開基は、日野宣子。足利義満の正室、日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃でもあった人物です。<br />この辺りは、鎌倉幕府の関係が多い一角でした。

    開基は、日野宣子。足利義満の正室、日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃でもあった人物です。
    この辺りは、鎌倉幕府の関係が多い一角でした。

  • 一方で、現在の同志社大学の場所は、かつて薩摩藩邸があった場所。薩長同盟の秘密会談は、この藩邸で始まります。最終的な締結は、小松帯刀邸。坂本龍馬が西郷を説き伏せ、薩摩側から同盟を申し入れさせたといわれます。維新後は、会津藩士山本覚馬の所有となりますが、新島の学校建設構想に理解を示し、格安でこの地を譲り渡したのだそうです。

    一方で、現在の同志社大学の場所は、かつて薩摩藩邸があった場所。薩長同盟の秘密会談は、この藩邸で始まります。最終的な締結は、小松帯刀邸。坂本龍馬が西郷を説き伏せ、薩摩側から同盟を申し入れさせたといわれます。維新後は、会津藩士山本覚馬の所有となりますが、新島の学校建設構想に理解を示し、格安でこの地を譲り渡したのだそうです。

  • 同志社は、京都御所の北にあって、キャンパス内には美しい赤いレンガの建物が立ち並んで、キリスト教系らしいアカデミックな雰囲気が漂います。八重の桜ですっかり有名になった八重の夫である新島襄が創始者。明治8年に設立された同志社英学校が前身ですが、今では、同志社幼稚園や同志社女子大学まで含む巨大な学校法人に成長しています。

    同志社は、京都御所の北にあって、キャンパス内には美しい赤いレンガの建物が立ち並んで、キリスト教系らしいアカデミックな雰囲気が漂います。八重の桜ですっかり有名になった八重の夫である新島襄が創始者。明治8年に設立された同志社英学校が前身ですが、今では、同志社幼稚園や同志社女子大学まで含む巨大な学校法人に成長しています。

  • 今度は、岡崎公園の方面に移動します。<br />妙伝寺は、京都日蓮宗八本山の一つ。室町時代の文明9年(1477年)、日意上人によって創建されました。

    今度は、岡崎公園の方面に移動します。
    妙伝寺は、京都日蓮宗八本山の一つ。室町時代の文明9年(1477年)、日意上人によって創建されました。

  • 日意上人は元天台僧であったのですが、身延山久遠寺の日朝上人に帰依して日蓮宗に改宗した人物。後に、日蓮上人の真骨を勧請し西身延と称されるようになっています。

    日意上人は元天台僧であったのですが、身延山久遠寺の日朝上人に帰依して日蓮宗に改宗した人物。後に、日蓮上人の真骨を勧請し西身延と称されるようになっています。

  • こちらは、聞名寺。

    こちらは、聞名寺。

  • 境内には、「明眼(あけめ)地蔵」と呼ばれる眼病にご利益のある地蔵が安置されています。

    境内には、「明眼(あけめ)地蔵」と呼ばれる眼病にご利益のある地蔵が安置されています。

  • 少し離れたところにある京都満足稲荷神社は、文禄年間、豊臣秀吉が伏見城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請したのが始まり。その後、江戸時代になってから、現在の場所に移ってきたようです。<br /><br />

    少し離れたところにある京都満足稲荷神社は、文禄年間、豊臣秀吉が伏見城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請したのが始まり。その後、江戸時代になってから、現在の場所に移ってきたようです。

  • 満足という名前は変わっていますが、秀吉が祭神の加護にすこぶる「満足」したことに由来するとされていて、明るいイメージの秀吉にぴったりの由来でしょう。

    満足という名前は変わっていますが、秀吉が祭神の加護にすこぶる「満足」したことに由来するとされていて、明るいイメージの秀吉にぴったりの由来でしょう。

  • 本妙寺は、赤穂浪士ゆかりの寺。四十七士の1人であった貝賀弥左衛門友信の墓があるほか、その子孫、9代目の斎藤トラが赤穂義士の遺品である貝賀の手槍、義士たちの手紙などを奉納しました。

    本妙寺は、赤穂浪士ゆかりの寺。四十七士の1人であった貝賀弥左衛門友信の墓があるほか、その子孫、9代目の斎藤トラが赤穂義士の遺品である貝賀の手槍、義士たちの手紙などを奉納しました。

  • 入口脇のお堂では、安置された四十七士の木像も覗くことができます。

    入口脇のお堂では、安置された四十七士の木像も覗くことができます。

  • かなり寄り道しましたが、岡崎公園に到着しました。<br />石垣と周囲を濠で囲んだような地形ですが、ここには、かつて法勝寺など、六勝寺と総称される6つの寺があった場所。<br />幕末の頃は、空き地だったところに、明治時代になって、琵琶湖疏水が引かれると目が向けられ、内国勧業博覧会の会場となります。そして、その跡に平安神宮、その他の文化施設が建てられ、一気に公園として整備されることとなりました。

    かなり寄り道しましたが、岡崎公園に到着しました。
    石垣と周囲を濠で囲んだような地形ですが、ここには、かつて法勝寺など、六勝寺と総称される6つの寺があった場所。
    幕末の頃は、空き地だったところに、明治時代になって、琵琶湖疏水が引かれると目が向けられ、内国勧業博覧会の会場となります。そして、その跡に平安神宮、その他の文化施設が建てられ、一気に公園として整備されることとなりました。

  • この日、京都観世会館では、一門の練習発表会だったようで、そんなつもりはなかったのですが、玄関のところから「どうぞ、どうぞ。」とどんどん舞台の方に案内されてしまいました。まあ、それも縁でしょうと思って、しばらく謡を見学させてもらいました。<br />

    この日、京都観世会館では、一門の練習発表会だったようで、そんなつもりはなかったのですが、玄関のところから「どうぞ、どうぞ。」とどんどん舞台の方に案内されてしまいました。まあ、それも縁でしょうと思って、しばらく謡を見学させてもらいました。

  • よく通る艶のある声に、鼓の音がアイの手を入れる。鼓は、想像していたポンポンという高い音ではなくて、かすれたような響きもあって、まだ練習が足りないのかなあ。それでも能舞台の立派さもあって、幽玄の世界を少しは感じることができました。ありがとうございました。

    よく通る艶のある声に、鼓の音がアイの手を入れる。鼓は、想像していたポンポンという高い音ではなくて、かすれたような響きもあって、まだ練習が足りないのかなあ。それでも能舞台の立派さもあって、幽玄の世界を少しは感じることができました。ありがとうございました。

  • 平安神宮の鳥居を過ぎて、

    平安神宮の鳥居を過ぎて、

  • 疎水の方へ。

    疎水の方へ。

  • 岡崎公園から、この疎水に沿って、南禅寺や疎水記念館まで桜の散歩道が続きます。それが、六勝寺のこみち。<br />ちなみに、六勝寺の名前は、平安末期に建立された法勝寺、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺の六勝寺があったことから。今では、地名となっています。

    岡崎公園から、この疎水に沿って、南禅寺や疎水記念館まで桜の散歩道が続きます。それが、六勝寺のこみち。
    ちなみに、六勝寺の名前は、平安末期に建立された法勝寺、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺の六勝寺があったことから。今では、地名となっています。

  • 向かいは動物園。家族連れの歓声が聞こえてきます。

    向かいは動物園。家族連れの歓声が聞こえてきます。

  • と、こちらは大きな和菓子屋さんですね。<br />

    と、こちらは大きな和菓子屋さんですね。

  • 店頭にも写真のあった「雅車」がとても斬新なデザインで気になったのですが、ばら売りはなし。

    店頭にも写真のあった「雅車」がとても斬新なデザインで気になったのですが、ばら売りはなし。

  • 代わりに、二番人気という「菜の花しぐれ」をいただきました。表面の黄色い色のひび割れた隙間から薄緑色がのぞいていて、この色合いはまさに菜の花のイメージそのものです。お菓子は見た目はとても大事。これだけ目を楽しませてくれれば、いうことなしでしょう。

    代わりに、二番人気という「菜の花しぐれ」をいただきました。表面の黄色い色のひび割れた隙間から薄緑色がのぞいていて、この色合いはまさに菜の花のイメージそのものです。お菓子は見た目はとても大事。これだけ目を楽しませてくれれば、いうことなしでしょう。

  • さらに、琵琶湖疏水記念館へと

    さらに、琵琶湖疏水記念館へと

  • 向かいます。

    向かいます。

  • 琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水事業の歴史に関する展示がかなり充実していて、ビデオの解説もとても分かりやすい。一次疎水が、工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎によって考案され、水力発電とレイクラインによる琵琶湖との水運の両方を兼ね備えた画期的な内容であったことは知っていましたが、二次疎水では、市街電車の導入と上水道の普及が進み、それまで井戸が主流だった京都の街が大きく変わったことも興味深い内容だと思います。

    琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水事業の歴史に関する展示がかなり充実していて、ビデオの解説もとても分かりやすい。一次疎水が、工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎によって考案され、水力発電とレイクラインによる琵琶湖との水運の両方を兼ね備えた画期的な内容であったことは知っていましたが、二次疎水では、市街電車の導入と上水道の普及が進み、それまで井戸が主流だった京都の街が大きく変わったことも興味深い内容だと思います。

  • 今度は白河院並びに法勝寺跡。京都動物園の北側の通りに表示がありました。<br />ちなみに、白河院とは北家藤原氏の別荘だったものを白河天皇に献上。その後、天皇はこの地に法勝寺を建立。金堂、五大堂、講堂、阿弥陀堂などが建ち並ぶ大伽藍の寺だったようですが、文治元年(1185)の大地震で大半は倒壊してしまったということです。

    今度は白河院並びに法勝寺跡。京都動物園の北側の通りに表示がありました。
    ちなみに、白河院とは北家藤原氏の別荘だったものを白河天皇に献上。その後、天皇はこの地に法勝寺を建立。金堂、五大堂、講堂、阿弥陀堂などが建ち並ぶ大伽藍の寺だったようですが、文治元年(1185)の大地震で大半は倒壊してしまったということです。

  • この奥が、しがくのやど 京都 白河院。私学共済加入者、年金者を対象としているようですが、一般の利用者もOKのようです。玄関に白河院跡の表示があって、それに付随して、京都市指定名勝の白河院庭園の案内もあったので、ちょっと拝見させてもらいました。池泉回遊式の庭園は豊かな水をたたえて、傍らに立つ数寄屋作りの別館と合わせて、ちょっと隠れ家のような光景。京都らしい風雅を感じました。<br />ここからは、四条河原町の方に帰ることにします。

    この奥が、しがくのやど 京都 白河院。私学共済加入者、年金者を対象としているようですが、一般の利用者もOKのようです。玄関に白河院跡の表示があって、それに付随して、京都市指定名勝の白河院庭園の案内もあったので、ちょっと拝見させてもらいました。池泉回遊式の庭園は豊かな水をたたえて、傍らに立つ数寄屋作りの別館と合わせて、ちょっと隠れ家のような光景。京都らしい風雅を感じました。
    ここからは、四条河原町の方に帰ることにします。

  • 近くにある菓子・茶房 チェカは、小さなお店。しかし、人気のお店なんでしょうか、若い女性が集まって、ここだけ賑やかな感じ。つられて入ってみました。

    近くにある菓子・茶房 チェカは、小さなお店。しかし、人気のお店なんでしょうか、若い女性が集まって、ここだけ賑やかな感じ。つられて入ってみました。

  • いただいたのは、シュークリーム。つるんとした外観でなんということはなかったのですが、このクリームかなり行けてます。生クリームとカスタードクリームを合わせたクリームでしょうが、その配分がピンポイントでこれしかないというような感じで、絶妙の濃厚さと軽さを表現しています。どこに出しても恥ずかしくない素晴らしい出来栄えだと思います。

    いただいたのは、シュークリーム。つるんとした外観でなんということはなかったのですが、このクリームかなり行けてます。生クリームとカスタードクリームを合わせたクリームでしょうが、その配分がピンポイントでこれしかないというような感じで、絶妙の濃厚さと軽さを表現しています。どこに出しても恥ずかしくない素晴らしい出来栄えだと思います。

  • 満願寺は、岡崎地区。京都動物園の北側の日蓮宗の寺。<br />満願寺は、縁起によると、菅原道真の乳母、多治比文子に関係します。多治比文子は菅原道真の霊夢を感じ、西ノ京に一堂を建立し、道真自作の天神像を安置したのですが、「菅原道真公の霊の示現」から、号が示現山となっています。<br />

    満願寺は、岡崎地区。京都動物園の北側の日蓮宗の寺。
    満願寺は、縁起によると、菅原道真の乳母、多治比文子に関係します。多治比文子は菅原道真の霊夢を感じ、西ノ京に一堂を建立し、道真自作の天神像を安置したのですが、「菅原道真公の霊の示現」から、号が示現山となっています。

  • 本堂は、二重入母屋造りにもこしが付いて、ちょっとびっくりするような威容です。ここは、けっこう優れものの観光スポットかもしれません。

    本堂は、二重入母屋造りにもこしが付いて、ちょっとびっくりするような威容です。ここは、けっこう優れものの観光スポットかもしれません。

  • もう今日の旅も終盤ですが、美よし菓舗は、岡崎公園から市役所に帰ってくる途中の二条通り沿い。風情のある構えの店舗に誘われて、ふらりと寄ってみました。

    もう今日の旅も終盤ですが、美よし菓舗は、岡崎公園から市役所に帰ってくる途中の二条通り沿い。風情のある構えの店舗に誘われて、ふらりと寄ってみました。

  • 赤、白、緑の花見団子が鮮やかで、これをいただきました。お花見の季節には定番のおだんごですよねと言ったら、「そうじゃない季節は、緑だけの茶団子になったりしますけど、内容は同じです。」との答え。まあ、それはそうでしょう。しかし、そういう意味では、通年作りつづけているおだんご。もっちりしただんごの粘りはさすがのおいしさには長年の積み重ねを感じる出来栄えです。

    赤、白、緑の花見団子が鮮やかで、これをいただきました。お花見の季節には定番のおだんごですよねと言ったら、「そうじゃない季節は、緑だけの茶団子になったりしますけど、内容は同じです。」との答え。まあ、それはそうでしょう。しかし、そういう意味では、通年作りつづけているおだんご。もっちりしただんごの粘りはさすがのおいしさには長年の積み重ねを感じる出来栄えです。

  • 同じ通りにある京華堂利保は、これも有名な和菓子屋さんですよね。看板商品の「濤々(とうとう)」は麩焼きのおせんべいで餡を挟んだものなんですが、この餡には大徳寺納豆が練り込まれているんです。

    同じ通りにある京華堂利保は、これも有名な和菓子屋さんですよね。看板商品の「濤々(とうとう)」は麩焼きのおせんべいで餡を挟んだものなんですが、この餡には大徳寺納豆が練り込まれているんです。

  • 注文すると、「じゃあ、今作ってきます」。やっぱり老舗の丁寧さは違いますね。初めに一口かじると、大徳寺納豆がけっこうきつくて変わった感じが前面に出るんですが、すぐに馴染んでしまうとねっとり味わい深い甘さが浸みてきます。印象的なお菓子です。

    注文すると、「じゃあ、今作ってきます」。やっぱり老舗の丁寧さは違いますね。初めに一口かじると、大徳寺納豆がけっこうきつくて変わった感じが前面に出るんですが、すぐに馴染んでしまうとねっとり味わい深い甘さが浸みてきます。印象的なお菓子です。

  • さらに進むとこんなところにも、大きなお寺。<br />頂妙寺は、京都市内にある日蓮宗の本山の一つ。下総国出身の僧日祝によって、文明5年(1473年)に創建されました。<br /><br />

    さらに進むとこんなところにも、大きなお寺。
    頂妙寺は、京都市内にある日蓮宗の本山の一つ。下総国出身の僧日祝によって、文明5年(1473年)に創建されました。

  • 現在の京都市下京区と中京区にまたがる広大な敷地を持つ寺院だったのですが、天文5年(1536年)の天文法華の乱では焼失。堺に避難した時期もあったようです。

    現在の京都市下京区と中京区にまたがる広大な敷地を持つ寺院だったのですが、天文5年(1536年)の天文法華の乱では焼失。堺に避難した時期もあったようです。

  • やっと、先斗町に帰ってきました。

    やっと、先斗町に帰ってきました。

  • そして、賑やかな木屋町通りの一角にあるのが、瑞泉寺。秀吉に謀反の疑いを掛けられ切腹させられた豊臣秀次の菩提を弔う寺です。<br />豊臣秀次の石塔である秀次悪逆塚は、高瀬川の工事中に偶然発見されたもの。高瀬川の開削を行っていた角倉了以は、これによって、この寺を建立したのだそうです。

    そして、賑やかな木屋町通りの一角にあるのが、瑞泉寺。秀吉に謀反の疑いを掛けられ切腹させられた豊臣秀次の菩提を弔う寺です。
    豊臣秀次の石塔である秀次悪逆塚は、高瀬川の工事中に偶然発見されたもの。高瀬川の開削を行っていた角倉了以は、これによって、この寺を建立したのだそうです。

  • あとは、辺りで気になっていたスポットをいくつか。<br />アートコンプレックス1928は、旧毎日新聞社京都支局にある劇場。演劇でもない、ミュージカルでもない、サーカスでもない!という感動エンターテイメント「ギア -GEAR-」が好評のようです。建物は、おしゃれなレストランもあったり、一階は展示スペース。五人の若手画家の作品展をやっていました。建物がモダンで雰囲気があるので、こうした展示会には打ってつけ。楽しく拝見いたしました。

    あとは、辺りで気になっていたスポットをいくつか。
    アートコンプレックス1928は、旧毎日新聞社京都支局にある劇場。演劇でもない、ミュージカルでもない、サーカスでもない!という感動エンターテイメント「ギア -GEAR-」が好評のようです。建物は、おしゃれなレストランもあったり、一階は展示スペース。五人の若手画家の作品展をやっていました。建物がモダンで雰囲気があるので、こうした展示会には打ってつけ。楽しく拝見いたしました。

  • 矢田地蔵尊は、寺町通りの繁華街の一角。本尊は「代受苦地蔵」。火焔の中に身を置かれ、地獄で罪人を救っている地蔵の姿を彫刻して祀ったものと伝えられています。<br />8月16日には、六道珍皇寺で迎い鐘をついた後に矢田地蔵尊で送り鐘をつき、夜は大文字の送り火でご精霊をお送りするというのが京都の伝統行事だそうです。

    矢田地蔵尊は、寺町通りの繁華街の一角。本尊は「代受苦地蔵」。火焔の中に身を置かれ、地獄で罪人を救っている地蔵の姿を彫刻して祀ったものと伝えられています。
    8月16日には、六道珍皇寺で迎い鐘をついた後に矢田地蔵尊で送り鐘をつき、夜は大文字の送り火でご精霊をお送りするというのが京都の伝統行事だそうです。

  • とり市老舗は、マツタケやタケノコなど、京都を代表する季節のものが出る時期になると、テレビ等では決まってここが紹介されます。

    とり市老舗は、マツタケやタケノコなど、京都を代表する季節のものが出る時期になると、テレビ等では決まってここが紹介されます。

  • マツタケ5万円とか、タケノコ2万円とか、その値段にはかなりのインパクトがあるのですが、一方で、炊き込みご飯の素とか庶民的な商品も扱っています。

    マツタケ5万円とか、タケノコ2万円とか、その値段にはかなりのインパクトがあるのですが、一方で、炊き込みご飯の素とか庶民的な商品も扱っています。

  • 今回はタケノコご飯の素をいただきまして、自宅で炊いてみました。ほっこりした味わいを存分に家族で楽しみました。

    イチオシ

    今回はタケノコご飯の素をいただきまして、自宅で炊いてみました。ほっこりした味わいを存分に家族で楽しみました。

  • 天性寺は、寺町通りの繁華街。この寺は、大和の当麻寺、当麻曼荼羅を織ったという伝説の中将姫ゆかりの寺。当麻寺の念仏堂にいた眼誉道三という人物が中将姫の遺徳を都の人々に広めるために室町時代の大永年間に創建。後奈良天皇の皇后、吉徳門院栄子の<br />帰依を得て、山号を与えられたということです。

    天性寺は、寺町通りの繁華街。この寺は、大和の当麻寺、当麻曼荼羅を織ったという伝説の中将姫ゆかりの寺。当麻寺の念仏堂にいた眼誉道三という人物が中将姫の遺徳を都の人々に広めるために室町時代の大永年間に創建。後奈良天皇の皇后、吉徳門院栄子の
    帰依を得て、山号を与えられたということです。

  • 新京極の奥に、たらたら坂というちょっとした坂があります。そのたらたら坂にあるきんつばのお店が西谷堂。これまで、なんとなくあるのは分かっていたのですが、店頭のきんつばをみてびっくり。表面にいろんな材料がトッピングされた、目に楽しいきんつばの数々。面白いですねえ。

    新京極の奥に、たらたら坂というちょっとした坂があります。そのたらたら坂にあるきんつばのお店が西谷堂。これまで、なんとなくあるのは分かっていたのですが、店頭のきんつばをみてびっくり。表面にいろんな材料がトッピングされた、目に楽しいきんつばの数々。面白いですねえ。

  • しかし、話を聞くと、今のきんつばは、羊羹に小麦粉を付けて焼いただけの簡単なものが多くなっているだとか、きんつばは、刀のつばだから、まるい形じゃないときんつばじゃないとか。けっこうこだわりもあるようで。。<br />いただいたきんつばも、粒餡のうまさが光って、正統派の味わいのような気がしました。

    しかし、話を聞くと、今のきんつばは、羊羹に小麦粉を付けて焼いただけの簡単なものが多くなっているだとか、きんつばは、刀のつばだから、まるい形じゃないときんつばじゃないとか。けっこうこだわりもあるようで。。
    いただいたきんつばも、粒餡のうまさが光って、正統派の味わいのような気がしました。

  • 坂本龍馬、中岡慎太郎が刺客に襲われた醤油屋、近江屋跡は、四条河原町の賑やかな通り沿い。「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立っています。襲われたのは、大政奉還の翌月。京都見廻組の手による暗殺でした。霊山歴史館には、その時使われた刀が展示されています。<br />

    坂本龍馬、中岡慎太郎が刺客に襲われた醤油屋、近江屋跡は、四条河原町の賑やかな通り沿い。「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立っています。襲われたのは、大政奉還の翌月。京都見廻組の手による暗殺でした。霊山歴史館には、その時使われた刀が展示されています。

  • うどんミュージアムは、全国の特徴あるうどんを揃えた展示施設かと思ったら、これは食堂です。全国から取り寄せたうどんを販売もしていますが、それを注文して、ここでいただくというもの。<br />ラーメンなどは、特定のスペースに全国の人気ラーメン店がいくつか出店して、味めぐりができるのがありますが、ここは一軒でどこのうどんでも対応するというもの。それを初めて知って、ゆで方も、出汁も、具材も、全部違いますから、ちょっとありえないと思うんですが。。<br />

    うどんミュージアムは、全国の特徴あるうどんを揃えた展示施設かと思ったら、これは食堂です。全国から取り寄せたうどんを販売もしていますが、それを注文して、ここでいただくというもの。
    ラーメンなどは、特定のスペースに全国の人気ラーメン店がいくつか出店して、味めぐりができるのがありますが、ここは一軒でどこのうどんでも対応するというもの。それを初めて知って、ゆで方も、出汁も、具材も、全部違いますから、ちょっとありえないと思うんですが。。

  • いくつか注文したら、それは品切れですの答え。やっぱり人気は偏りますよね。仕方ないので、和歌山の梅うどんにあいました。讃岐うどん風のこしの強いうどんにさっぱりした梅のつゆがいい感じ。しかし、それにしても、これって本場の味なのかなあ。知らないので確かめようもない。五島うどんを試したかったのですが、それは品切れ。それに、五島うどんの本場の茹で方はとろとろになるまでゆでるやり方。それをそのまま出したら、あまり受けないかも。お客さんは、その時、五島うどんはそんなものと考えるか、五島うどんはうまいのに、この店がうまくないと考えるか。いずれにしても、高いハードルがいっぱいあるビジネスモデルじゃないかと思います。<br /><br />ということで、3日目も終了。明日は、舞鶴の予定です。

    いくつか注文したら、それは品切れですの答え。やっぱり人気は偏りますよね。仕方ないので、和歌山の梅うどんにあいました。讃岐うどん風のこしの強いうどんにさっぱりした梅のつゆがいい感じ。しかし、それにしても、これって本場の味なのかなあ。知らないので確かめようもない。五島うどんを試したかったのですが、それは品切れ。それに、五島うどんの本場の茹で方はとろとろになるまでゆでるやり方。それをそのまま出したら、あまり受けないかも。お客さんは、その時、五島うどんはそんなものと考えるか、五島うどんはうまいのに、この店がうまくないと考えるか。いずれにしても、高いハードルがいっぱいあるビジネスモデルじゃないかと思います。

    ということで、3日目も終了。明日は、舞鶴の予定です。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ジバゴさん 2016/03/21 13:26:35
    関西あちこち四日間(三日目)〜やっぱり、京都は余裕、余裕。西陣から京都御所の北側、寺町辺りをあちこち歩きます〜
    はじめまして。 
    かなりの移動距離ですが歩く時間はどの位かかったのでしょうか?

    大雅、光琳、乾山、信長の墓所情報が参考になりました。
    5月に魯山人の墓所に行く予定ですので併せてお参りしてきます。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2016/03/22 12:57:29
    RE: 関西あちこち四日間(三日目)〜やっぱり、京都は余裕、余裕。西陣から京都御所の北側、寺町辺りをあちこち歩きます〜
    大雅、光琳、乾山、信長の墓所だけを見るのなら半日もあれば十分でしょう。ただ、光琳、乾山の墓あたりは道が分かりにくい∪もしれません。

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