上郡・佐用旅行記(ブログ) 一覧に戻る
NHK大河ドラマ軍師官兵衛にちなみ兵庫県佐用町を訪ねてみました。<br />佐用町は姫路の北西約40km、播州の西の端に位置します。特にこの佐用町の上月城は、播磨、備前、美作の三国との国境近くに位置し、地勢上非常に重要な地であり、当然ながら織田方、毛利方による熾烈な攻防の地となりました。また、ここ佐用町の福原城(佐用城)は、播磨入りした秀吉勢が最初に落とした毛利方に属す城であり、官兵衛、半兵衛による最初の軍略が繰り広げられた戦の地としても有名です。<br />今回は佐用の三城と呼ばれる「福原城」、「上月城」、「利神城」と共にNHK大河ドラマ軍師官兵衛のタイトルバックにもなっている「飛龍の滝」などを訪ねてみました。<br /><br />写真は、佐用町南部、智頭鉄道久崎駅の近くにある飛龍の滝です。ここは、NHK大河ドラマ軍師官兵衛のロケ地にもなった場所です。<br /><br />これまで行った関連旅行記です。<br /><br />第一編 広峯神社と御師屋敷跡<br />  http://4travel.jp/travelogue/10845071<br />第二編 加古川(正室 光(てる)姫(幸圓)の故郷)<br /> http://4travel.jp/travelogue/10852251<br />第三編 英賀(毛利水軍との合戦の地)&亀山本坊本徳寺 <br /> http://4travel.jp/travelogue/10865294<br />第四編 姫路文学館「播磨灘物語」展と姫路城<br /> http://4travel.jp/travelogue/10866914<br />第五編 西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝<br /> http://4travel.jp/travelogue/10871054<br />第六編 書写山 圓教寺<br /> http://4travel.jp/travelogue/10878436<br />第七編 妻鹿 国府山城、御着(姫路埋蔵文化財センター)<br /> http://4travel.jp/travelogue/10867385<br />第八編 三木城址と秀吉本陣、平井山付城跡<br /> http://4travel.jp/travelogue/10879951<br />第九編 備中高松城と庭瀬城(境目七城)<br /> http://4travel.jp/travelogue/10888291<br />第十編 黒田家中興の地、備前福岡<br /> http://4travel.jp/travelogue/10891040<br />第十一編 北近江 長浜<br />http://4travel.jp/travelogue/10904386<br /><br /><br />天正5年、羽柴秀吉の播磨入りに続き、西播磨での毛利方への戦が始まることとなりました。その最初の舞台となったのが佐用の地です。佐用は播磨の西の端、隣国である備前、美作と隣接しており、こと備前には毛利方に与する宇喜多直家がおり、何者かもわからぬ織田方の秀吉へつくより、直接の驚異として毛利が常々あることから、毛利方につくことはむしろ自然のなりゆきだったことでしょう。佐用では上月城の上月景貞、福原城の福原則尚、利神城の別所貞道が毛利方に組みしていました。この中でまず福原城、次いで上月城が攻略され、最後に残った利神城は前の二城のあっけない落城を受けて織田方に下り、これによって秀吉の播磨平定は僅か一ヶ月で完了することとなりました。<br />ここ佐用においてまず最初に攻略さられたのが福原城、この戦では官兵衛からの献策で城の三方から責め掛かり、一方を空ける、これによって多勢に無勢の福原方は空けられた一方の側から多くが逃亡、これによりたった1日でこの福原城は落城することとなりました。この三方を固め、一方を開ける孔子の兵法「囲師必闕」、これにより早期に戦の雌雄が決し、織田方の勇猛果敢さが示されることとなりました。官兵衛と半兵衛が初の連携によって進められたこの戦、これが官兵衛にとって軍師として第一歩を踏み出した瞬間といってもよいかもしれませんね。これを機に官兵衛、半兵衛の二兵衛による軍略が冴え渡って行ったのはよく知られています。。<br /><br />

官兵衛ゆかりの西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝

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2014/03/29 - 2014/03/29

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旅行記グループ 官兵衛ゆかりの地

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Tam-K

Tam-Kさん

NHK大河ドラマ軍師官兵衛にちなみ兵庫県佐用町を訪ねてみました。
佐用町は姫路の北西約40km、播州の西の端に位置します。特にこの佐用町の上月城は、播磨、備前、美作の三国との国境近くに位置し、地勢上非常に重要な地であり、当然ながら織田方、毛利方による熾烈な攻防の地となりました。また、ここ佐用町の福原城(佐用城)は、播磨入りした秀吉勢が最初に落とした毛利方に属す城であり、官兵衛、半兵衛による最初の軍略が繰り広げられた戦の地としても有名です。
今回は佐用の三城と呼ばれる「福原城」、「上月城」、「利神城」と共にNHK大河ドラマ軍師官兵衛のタイトルバックにもなっている「飛龍の滝」などを訪ねてみました。

写真は、佐用町南部、智頭鉄道久崎駅の近くにある飛龍の滝です。ここは、NHK大河ドラマ軍師官兵衛のロケ地にもなった場所です。

これまで行った関連旅行記です。

第一編 広峯神社と御師屋敷跡
  http://4travel.jp/travelogue/10845071
第二編 加古川(正室 光(てる)姫(幸圓)の故郷)
 http://4travel.jp/travelogue/10852251
第三編 英賀(毛利水軍との合戦の地)&亀山本坊本徳寺 
 http://4travel.jp/travelogue/10865294
第四編 姫路文学館「播磨灘物語」展と姫路城
 http://4travel.jp/travelogue/10866914
第五編 西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝
 http://4travel.jp/travelogue/10871054
第六編 書写山 圓教寺
 http://4travel.jp/travelogue/10878436
第七編 妻鹿 国府山城、御着(姫路埋蔵文化財センター)
 http://4travel.jp/travelogue/10867385
第八編 三木城址と秀吉本陣、平井山付城跡
 http://4travel.jp/travelogue/10879951
第九編 備中高松城と庭瀬城(境目七城)
 http://4travel.jp/travelogue/10888291
第十編 黒田家中興の地、備前福岡
 http://4travel.jp/travelogue/10891040
第十一編 北近江 長浜
http://4travel.jp/travelogue/10904386


天正5年、羽柴秀吉の播磨入りに続き、西播磨での毛利方への戦が始まることとなりました。その最初の舞台となったのが佐用の地です。佐用は播磨の西の端、隣国である備前、美作と隣接しており、こと備前には毛利方に与する宇喜多直家がおり、何者かもわからぬ織田方の秀吉へつくより、直接の驚異として毛利が常々あることから、毛利方につくことはむしろ自然のなりゆきだったことでしょう。佐用では上月城の上月景貞、福原城の福原則尚、利神城の別所貞道が毛利方に組みしていました。この中でまず福原城、次いで上月城が攻略され、最後に残った利神城は前の二城のあっけない落城を受けて織田方に下り、これによって秀吉の播磨平定は僅か一ヶ月で完了することとなりました。
ここ佐用においてまず最初に攻略さられたのが福原城、この戦では官兵衛からの献策で城の三方から責め掛かり、一方を空ける、これによって多勢に無勢の福原方は空けられた一方の側から多くが逃亡、これによりたった1日でこの福原城は落城することとなりました。この三方を固め、一方を開ける孔子の兵法「囲師必闕」、これにより早期に戦の雌雄が決し、織田方の勇猛果敢さが示されることとなりました。官兵衛と半兵衛が初の連携によって進められたこの戦、これが官兵衛にとって軍師として第一歩を踏み出した瞬間といってもよいかもしれませんね。これを機に官兵衛、半兵衛の二兵衛による軍略が冴え渡って行ったのはよく知られています。。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
2.5

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  • 佐用の三城、まず最初に訪れたのは福原城です。<br />写真は落城した福原城主、藤馬允則尚が祀られたもので、この城の主郭部にある福原霊社です。<br />福原城は、JR姫新線、佐用駅と上月駅ののちょうど中間地点、佐用が川沿いに走る国道373号線沿いにありました。<br />この福原城は、この城跡に置かれた案内板によると佐用兵庫助範家によって築城されたとのことです。佐用範家といえば赤松円心の家臣、鎌倉幕府の命で後醍醐方の征伐に鎌倉から上洛した名越勢と、赤松勢が淀川沿いの久我畷(伏見辺り)の戦った際、大将の名越高家を一箭のもとに討ち取ったというお話は有名ですね。この福原城はそんな豪傑が築いた城だったのですね。その後、この城は赤松三六家衆のひとり、福原氏によって引き継がれ、戦国の世に至った様です。<br /><br />佐用町のHPに福原城に関するものがありました。<br /> http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2237

    佐用の三城、まず最初に訪れたのは福原城です。
    写真は落城した福原城主、藤馬允則尚が祀られたもので、この城の主郭部にある福原霊社です。
    福原城は、JR姫新線、佐用駅と上月駅ののちょうど中間地点、佐用が川沿いに走る国道373号線沿いにありました。
    この福原城は、この城跡に置かれた案内板によると佐用兵庫助範家によって築城されたとのことです。佐用範家といえば赤松円心の家臣、鎌倉幕府の命で後醍醐方の征伐に鎌倉から上洛した名越勢と、赤松勢が淀川沿いの久我畷(伏見辺り)の戦った際、大将の名越高家を一箭のもとに討ち取ったというお話は有名ですね。この福原城はそんな豪傑が築いた城だったのですね。その後、この城は赤松三六家衆のひとり、福原氏によって引き継がれ、戦国の世に至った様です。

    佐用町のHPに福原城に関するものがありました。
     http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2237

    福原城跡 名所・史跡

    福原城(佐用城) 小さな城ですが曲輪などの遺構が良く残っています。 by Tam-Kさん
  • 福原城は、南北に流れる佐用川とその西に迫る山との間に築かれた平山城で、現存する曲輪とみられる地形からみると、南北150m、東西100mの長方形城の城地となっています。曲輪は東の川側から3段の積み上がり、東側のほそ長い曲輪が最も高く、その背後、西側は山間部との間を断つように深い堀切が設けられています。福原霊社は、この一番高い曲輪跡にあり、この廓がこの城の主郭、本丸となり、東に向かっての各段が二の丸、三ノ丸のような構成になっていました。<br /><br />佐用町の官兵衛ゆかりの地に関するパンフレットに、福原城の縄張りの図がありました。<br /> http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/common/imageview.jsp?id=2264&amp;imgid=4

    福原城は、南北に流れる佐用川とその西に迫る山との間に築かれた平山城で、現存する曲輪とみられる地形からみると、南北150m、東西100mの長方形城の城地となっています。曲輪は東の川側から3段の積み上がり、東側のほそ長い曲輪が最も高く、その背後、西側は山間部との間を断つように深い堀切が設けられています。福原霊社は、この一番高い曲輪跡にあり、この廓がこの城の主郭、本丸となり、東に向かっての各段が二の丸、三ノ丸のような構成になっていました。

    佐用町の官兵衛ゆかりの地に関するパンフレットに、福原城の縄張りの図がありました。
     http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/common/imageview.jsp?id=2264&imgid=4

  • 城の南側から主郭部の福原霊社方向を望みます。<br />現在は田んぼとなっていますが、段丘状に積み上げたtれた曲輪の構造をよく見ることができます。

    城の南側から主郭部の福原霊社方向を望みます。
    現在は田んぼとなっていますが、段丘状に積み上げたtれた曲輪の構造をよく見ることができます。

  • 主各部の福原霊社、左の端の細い道の部分が堀切跡のようです。

    主各部の福原霊社、左の端の細い道の部分が堀切跡のようです。

  • 主郭部からすぐ東、1段下の曲輪部分を望みます。

    主郭部からすぐ東、1段下の曲輪部分を望みます。

  • 主郭東側、2段目と3段目の曲輪の間の段差部分です。

    主郭東側、2段目と3段目の曲輪の間の段差部分です。

  • 城地の北側のおける各段の曲輪、この道の辺りはかって堀切か、堀となっていたように思えます。

    城地の北側のおける各段の曲輪、この道の辺りはかって堀切か、堀となっていたように思えます。

  • 1段目の曲輪、北側から回り込んでみました。

    1段目の曲輪、北側から回り込んでみました。

  • 1段目の曲輪、城の南西部の端から主郭部分を望みます。

    1段目の曲輪、城の南西部の端から主郭部分を望みます。

  • 城の南側は、現在では集落となり、田んぼが広がり、民家が点在しています。<br />かっては深い森となっており、官兵衛のとった囲師必闕の要点となる部分がこの辺りだったのでしょうか、、、<br /><br />福原城は、このように小城ですが、曲輪や堀切などの遺構が案外、きちんと残っており、見て歩く上でとても興味を引かれる点が多々ありました。<br />天守が現存する大きな城を見に行ったことはあるのですが、こういった小城跡を訪れたのは今回が初めて、以外の楽しさにこういった無名の小城めぐりにちょっと嵌ってしまいそうな気がします。

    城の南側は、現在では集落となり、田んぼが広がり、民家が点在しています。
    かっては深い森となっており、官兵衛のとった囲師必闕の要点となる部分がこの辺りだったのでしょうか、、、

    福原城は、このように小城ですが、曲輪や堀切などの遺構が案外、きちんと残っており、見て歩く上でとても興味を引かれる点が多々ありました。
    天守が現存する大きな城を見に行ったことはあるのですが、こういった小城跡を訪れたのは今回が初めて、以外の楽しさにこういった無名の小城めぐりにちょっと嵌ってしまいそうな気がします。

  • 姫新線の上月駅

    姫新線の上月駅

  • この駅舎は「ふれあいの里、上月特産物直売所」となっており、新鮮な地元で採れた野菜などが販売されていました。<br />

    この駅舎は「ふれあいの里、上月特産物直売所」となっており、新鮮な地元で採れた野菜などが販売されていました。

  • ここでは、おみやげにしいたけ200円、菊菜100円を買ってみました。量も充分、味もGood! とてもお値打ちでした。

    ここでは、おみやげにしいたけ200円、菊菜100円を買ってみました。量も充分、味もGood! とてもお値打ちでした。

  • 福原城に続いて上月城を次に訪れてみました。<br />上月城は、JR姫新線、上月駅から南へ1km程度、ここも佐用川に沿って走る国道373号線から少し入ったところにあります。<br /><br />上月城は写真の山の頂上部、尾根伝いに展開された山城となっています。<br /><br />上月城は、今回のNHK大河ドラマでは、上月氏が城主となっています。ただし、これについては諸説あるようで、そもそも西播磨を領していた赤松政範がこの一帯を領しており、上月氏のその後の足取りの不明確さなど、謎が多いようです。

    福原城に続いて上月城を次に訪れてみました。
    上月城は、JR姫新線、上月駅から南へ1km程度、ここも佐用川に沿って走る国道373号線から少し入ったところにあります。

    上月城は写真の山の頂上部、尾根伝いに展開された山城となっています。

    上月城は、今回のNHK大河ドラマでは、上月氏が城主となっています。ただし、これについては諸説あるようで、そもそも西播磨を領していた赤松政範がこの一帯を領しており、上月氏のその後の足取りの不明確さなど、謎が多いようです。

  • 先ずは上月城の麓にある資料館に寄ってみました。<br />この資料館、入場料は大人200円、中に入ると上月城のみでなく、他の佐用町にあるたくさんの城跡についての展示がありました。佐用の地は、播磨の最奥部であり、多くの谷が入り組んだ地形となっています。このため、谷ごとに勢力を振るう豪族などがあり、その拠点、拠点に城が築かれていったのではないでしょうか。

    先ずは上月城の麓にある資料館に寄ってみました。
    この資料館、入場料は大人200円、中に入ると上月城のみでなく、他の佐用町にあるたくさんの城跡についての展示がありました。佐用の地は、播磨の最奥部であり、多くの谷が入り組んだ地形となっています。このため、谷ごとに勢力を振るう豪族などがあり、その拠点、拠点に城が築かれていったのではないでしょうか。

  • 上月城山頂部の本丸にあった説明板に、この城の縄張り配置図がありました。<br />東側の尾根に本丸、そして尾根伝いに西へ二の丸、三ノ丸が連続するしており、本丸の東、三の丸の西側へそれぞれ麓と通じる通路が設けられ、その途中で堀切りなどの防御が巡ています。<br /><br />上月城を紹介する佐用町HPです。<br /> http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2236

    上月城山頂部の本丸にあった説明板に、この城の縄張り配置図がありました。
    東側の尾根に本丸、そして尾根伝いに西へ二の丸、三ノ丸が連続するしており、本丸の東、三の丸の西側へそれぞれ麓と通じる通路が設けられ、その途中で堀切りなどの防御が巡ています。

    上月城を紹介する佐用町HPです。
     http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2236

  • 上月城への登山道入口です。<br />資料館前の山沿い、川を渡ったところにあります。

    上月城への登山道入口です。
    資料館前の山沿い、川を渡ったところにあります。

  • まずここから尾根に向かって登って行きます。登山道が整備されていますが、上りは案外急で、結構息切れしてしまいながらも黙々と登っていきました。

    まずここから尾根に向かって登って行きます。登山道が整備されていますが、上りは案外急で、結構息切れしてしまいながらも黙々と登っていきました。

  • ようやく尾根の部分まで登りつきました。<br />尾根中腹が小さな曲輪のように少し開けたいました。

    ようやく尾根の部分まで登りつきました。
    尾根中腹が小さな曲輪のように少し開けたいました。

  • ここから少し下界の景色を眺めることができました。<br />ここで一休み、、、

    ここから少し下界の景色を眺めることができました。
    ここで一休み、、、

  • 更に尾根伝いに登って行きます。

    更に尾根伝いに登って行きます。

  • この延々と続く登り、城攻めの際は甲冑、具足を身につけて戦いながら登っていくなんて現在人にとっては信じられませんね。<br />このように攻めにくい山城ですが、織田勢の上月城攻めでは城の水の手を断ち、城兵が疲弊し、味方の裏切りによって城主が討たれ、あっさりと落城することとなりました。

    この延々と続く登り、城攻めの際は甲冑、具足を身につけて戦いながら登っていくなんて現在人にとっては信じられませんね。
    このように攻めにくい山城ですが、織田勢の上月城攻めでは城の水の手を断ち、城兵が疲弊し、味方の裏切りによって城主が討たれ、あっさりと落城することとなりました。

  • 本丸の下にある堀切部分です。わかりにくいのですが、道筋を横切るように溝のように窪んだ堀切が分かります。<br /><br />ここからが更に急勾配の登り、本丸までもう一息です。

    本丸の下にある堀切部分です。わかりにくいのですが、道筋を横切るように溝のように窪んだ堀切が分かります。

    ここからが更に急勾配の登り、本丸までもう一息です。

  • ようやく山頂部の本丸曲輪に到着しました。<br />ここには案内板とベンチがひとつ、そしてかっての城主であった赤松氏の顕彰碑がありました。<br />この曲輪の前、東側には2段の曲輪があり、その下に先程の堀切があります。<br />また、今回は行けなかったのですが南面にも2段の曲輪が広がっているようであり、本丸は堅い守りで支えられていたようです。

    ようやく山頂部の本丸曲輪に到着しました。
    ここには案内板とベンチがひとつ、そしてかっての城主であった赤松氏の顕彰碑がありました。
    この曲輪の前、東側には2段の曲輪があり、その下に先程の堀切があります。
    また、今回は行けなかったのですが南面にも2段の曲輪が広がっているようであり、本丸は堅い守りで支えられていたようです。

  • 本丸の裏側、東側はそのすぐ下に下り、少し先を登ったところに二の丸曲輪が続いています。

    本丸の裏側、東側はそのすぐ下に下り、少し先を登ったところに二の丸曲輪が続いています。

  • 二の丸です。

    二の丸です。

  • ここからの眺めがいいです。

    ここからの眺めがいいです。

  • 尾根伝いに続く曲輪群、

    尾根伝いに続く曲輪群、

  • 二の丸側から本丸への登り口です。

    二の丸側から本丸への登り口です。

  • 上月城の下り、登り口の少し先にあった石碑のところへ行きました。<br />ここには尼子氏と山中鹿之助の慰霊碑となっていました。<br /><br />やはりこの上月城といえば、尼子勝久、山中鹿之助幸盛の悲劇が多くの方々は思い浮かべるのではないでしょうか。尼子氏再興を願い、官兵衛や秀吉と組みして佐用攻めでともに戦い、この上月城はこの両名に預けられることとなりました。しかし、その直後、毛利両川、山陰側からの吉川元春、山陽側からの小早川に率いられた毛利と宇喜多、5万の大群に包囲されることとなりました。秀吉の織田方も官兵衛共々この救援に駆けつけ、毛利側と対峙することとなりますが、三木での別所長治はじめ播磨での多くの武将の毛利方への寝返り、信長からの上月を見捨てよとの命により、織田方は戦線離脱、孤軍奮闘の末、上月城は兵糧も尽きて降伏、尼子勝久は切腹、山中鹿之助も鞆の浦への護送中に誅殺され、尼子再興はここに潰えてしまいました。

    上月城の下り、登り口の少し先にあった石碑のところへ行きました。
    ここには尼子氏と山中鹿之助の慰霊碑となっていました。

    やはりこの上月城といえば、尼子勝久、山中鹿之助幸盛の悲劇が多くの方々は思い浮かべるのではないでしょうか。尼子氏再興を願い、官兵衛や秀吉と組みして佐用攻めでともに戦い、この上月城はこの両名に預けられることとなりました。しかし、その直後、毛利両川、山陰側からの吉川元春、山陽側からの小早川に率いられた毛利と宇喜多、5万の大群に包囲されることとなりました。秀吉の織田方も官兵衛共々この救援に駆けつけ、毛利側と対峙することとなりますが、三木での別所長治はじめ播磨での多くの武将の毛利方への寝返り、信長からの上月を見捨てよとの命により、織田方は戦線離脱、孤軍奮闘の末、上月城は兵糧も尽きて降伏、尼子勝久は切腹、山中鹿之助も鞆の浦への護送中に誅殺され、尼子再興はここに潰えてしまいました。

  • 佐用三城の最後、利神城に向かいます。<br />佐用の市街地から国道373号を北に向かいます。すると中国道を通り抜け、暫く進むと前方の山の上に何やら城郭らしきものが見えてきました。<br /><br />利神城を紹介する佐用町HPです。<br /> http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2242

    イチオシ

    佐用三城の最後、利神城に向かいます。
    佐用の市街地から国道373号を北に向かいます。すると中国道を通り抜け、暫く進むと前方の山の上に何やら城郭らしきものが見えてきました。

    利神城を紹介する佐用町HPです。
     http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2242

  • 山頂部に築かれた石垣の曲輪群、利神城です。<br />この地域も冬場は朝霧によく包まれるそうで、雲突城とも呼ばれているように正に天空に浮かぶかのような城となるのでしょうね。<br /><br />写真の利神城ですが、現在の姿は関ヶ原後、播磨、備前、淡路の三国を領した池田輝政の甥、由之が北の支城として整備されたものであり、官兵衛の佐用責め当時、別所氏が領していた頃の名残を偲ぶものはないようです。<br /><br />宿場町、平福の旅行記です。<br /> http://4travel.jp/travelogue/10871425<br />

    イチオシ

    地図を見る

    山頂部に築かれた石垣の曲輪群、利神城です。
    この地域も冬場は朝霧によく包まれるそうで、雲突城とも呼ばれているように正に天空に浮かぶかのような城となるのでしょうね。

    写真の利神城ですが、現在の姿は関ヶ原後、播磨、備前、淡路の三国を領した池田輝政の甥、由之が北の支城として整備されたものであり、官兵衛の佐用責め当時、別所氏が領していた頃の名残を偲ぶものはないようです。

    宿場町、平福の旅行記です。
     http://4travel.jp/travelogue/10871425

  • ここは別所氏が去り、更に時がめぐり、播磨を池田輝政が治めた後、北播磨の守りとして築かれた近世的な城だったようです。ここには山頂の天守台に三層の天守を備えた城郭が築かれ、麓の平福はその城下町として形成されていったようです。<br /><br />現在は宿場町平福の町並みから、佐用川を渡った利神山の麓、城主の屋敷跡だった辺りには大阪から鳥取への急行が走る智頭急行の平福駅があり、各停しか止まりませんが、電車でここを訪れるのは比較的便利です。

    ここは別所氏が去り、更に時がめぐり、播磨を池田輝政が治めた後、北播磨の守りとして築かれた近世的な城だったようです。ここには山頂の天守台に三層の天守を備えた城郭が築かれ、麓の平福はその城下町として形成されていったようです。

    現在は宿場町平福の町並みから、佐用川を渡った利神山の麓、城主の屋敷跡だった辺りには大阪から鳥取への急行が走る智頭急行の平福駅があり、各停しか止まりませんが、電車でここを訪れるのは比較的便利です。

  • 平福の資料館で展示されていた利神城の航空写真です。<br />係員の方から撮影を許して頂き、撮りました。山頂の尾根伝いに鶴翼を広げたように展開する石垣積の曲輪群、まるで竹田城を彷彿させるようです。兵庫には姫路城や竹田城、篠山城、更に中世城郭の祖とも言える白旗城、置塩城、環状山城など全く城郭の宝庫ですね!<br /><br />利神城の麓、宿場町平福の旅行記は以下です。

    平福の資料館で展示されていた利神城の航空写真です。
    係員の方から撮影を許して頂き、撮りました。山頂の尾根伝いに鶴翼を広げたように展開する石垣積の曲輪群、まるで竹田城を彷彿させるようです。兵庫には姫路城や竹田城、篠山城、更に中世城郭の祖とも言える白旗城、置塩城、環状山城など全く城郭の宝庫ですね!

    利神城の麓、宿場町平福の旅行記は以下です。

  • 利神城の城下町でもあり、因幡街道の宿場町、平福の町並みです。<br /><br />宿場町、平福の旅行記です。<br /> http://4travel.jp/travelogue/10871425

    利神城の城下町でもあり、因幡街道の宿場町、平福の町並みです。

    宿場町、平福の旅行記です。
     http://4travel.jp/travelogue/10871425

  • 官兵衛ゆかりの佐用の旅、最後にNHK大河ドラマ軍師官兵衛のタイトルバックのロケ地となった、飛龍の滝を訪れてみました。<br />ここは上月城から佐用川沿いに更に南下した智頭急行の久崎駅から、山の中へ約4キロ入り込んだところにあります。

    官兵衛ゆかりの佐用の旅、最後にNHK大河ドラマ軍師官兵衛のタイトルバックのロケ地となった、飛龍の滝を訪れてみました。
    ここは上月城から佐用川沿いに更に南下した智頭急行の久崎駅から、山の中へ約4キロ入り込んだところにあります。

  • 久崎駅に着いた時、偶然にも列車が到着しました。しかもここで上下の列車がすれ違うらしく、下り側(鳥取方面)の赤い列車、上り側(上郡方面)の青い列車が列んで停車している光景に出会うことができました。<br />一両編成の可愛い車両です。

    イチオシ

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    久崎駅に着いた時、偶然にも列車が到着しました。しかもここで上下の列車がすれ違うらしく、下り側(鳥取方面)の赤い列車、上り側(上郡方面)の青い列車が列んで停車している光景に出会うことができました。
    一両編成の可愛い車両です。

  • 偶然ながらラッキーです!<br /><br />

    偶然ながらラッキーです!

  • 飛龍の滝への登り口、

    飛龍の滝への登り口、

  • 飛竜ノ滝のすぐ下側ある一筋の滝、このすぐ上に飛龍の滝があります。

    飛竜ノ滝のすぐ下側ある一筋の滝、このすぐ上に飛龍の滝があります。

  • 飛龍の滝です。<br /><br />飛龍の滝を紹介する佐用町HPです。<br /> http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2241

    イチオシ

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    飛龍の滝です。

    飛龍の滝を紹介する佐用町HPです。
     http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2241

    飛龍の滝 自然・景勝地

  • 少し水量が少ないため、大河ドラマの画像に比べ迫力が相当欠けます。<br />滝の写真は今回はじめて撮ったのですが、本当に難しいですね。

    イチオシ

    少し水量が少ないため、大河ドラマの画像に比べ迫力が相当欠けます。
    滝の写真は今回はじめて撮ったのですが、本当に難しいですね。

  • 最後に中国道、揖保川PA、官兵衛かかしがここでおもてなしです。<br /><br /><br />奥播磨名物かかしの里の旅行記です。<br /> http://4travel.jp/travelogue/10803394<br /><br />西播磨、佐用の三城を訪ねました。どれも個性的でとても興味深い城跡を巡ることができました。

    最後に中国道、揖保川PA、官兵衛かかしがここでおもてなしです。


    奥播磨名物かかしの里の旅行記です。
     http://4travel.jp/travelogue/10803394

    西播磨、佐用の三城を訪ねました。どれも個性的でとても興味深い城跡を巡ることができました。

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官兵衛ゆかりの地

この旅行記へのコメント (2)

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  • fuzzさん 2014/04/01 18:18:24
    こんにちは(#^.^#)
    はじめましてTam-Kさん。

    投票して頂いてありがとうございます<(_ _)>

    旅行から帰ったばかりで、お礼が遅れてすみません。

    兵庫県の旅行記にお邪魔しています。
    やはり大河ドラマや朝ドラは影響力が大きいですね。
    旅行記は三月末のようですね。
    こちら岩手は日陰には未だに雪が残っていますよ。
    もちろん山には雪が積もっています。

    飛龍の滝、いいですね。
    テレビと同じ場所をロケするってワクワクしますよね。

    fuzz

    Tam-K

    Tam-Kさん からの返信 2014/04/02 23:19:53
    RE: こんにちは(#^.^#)
    こんばんは、fuzzさん

    コメント頂き、ありがとうございました。
    また、飛龍の滝にも投票して頂き、こちらもありがとうございました。

    今年は大河ドラマの影響で姫路辺りが盛り上がっています。
    機会があったら是非いらしてみてください。

    Tam-K

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