2014/02/08 - 2014/02/08
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Tam-Kさん
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NHK大河ドラマ軍師官兵衛にちなみ、小早川隆景麾下、浦宗勝率いる毛利水軍を奇策をもって破り、官兵衛その人を一躍歴史の表舞台に押上げた合戦の地、姫路の英賀を訪れてみました。
写真は、英賀城址公園にある天守台風の石積みです。
これまで行った関連旅行記です。
第一編 広峯神社と御師屋敷跡
http://4travel.jp/travelogue/10845071
第二編 加古川(正室 光(てる)姫(幸圓)の故郷)
http://4travel.jp/travelogue/10852251
第三編 英賀(毛利水軍との合戦の地)&亀山本坊本徳寺
http://4travel.jp/travelogue/10865294
第四編 姫路文学館「播磨灘物語」展と姫路城
http://4travel.jp/travelogue/10866914
第五編 西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝
http://4travel.jp/travelogue/10871054
第六編 書写山 圓教寺
http://4travel.jp/travelogue/10878436
第七編 妻鹿 国府山城、御着(姫路埋蔵文化財センター)
http://4travel.jp/travelogue/10867385
第八編 三木城址と秀吉本陣、平井山付城跡
http://4travel.jp/travelogue/10879951
第九編 備中高松城と庭瀬城(境目七城)
http://4travel.jp/travelogue/10888291
第十編 黒田家中興の地、備前福岡
http://4travel.jp/travelogue/10891040
第十一編 北近江 長浜
http://4travel.jp/travelogue/10904386
天正5年5月、毛利両川の一翼、小早川隆景麾下、浦宗勝率いる毛利水軍が突如姫路の南西、英賀の浦に約5千の兵で上陸、これに対し官兵衛麾下の黒田勢は僅かに1千足らずなるも、夕刻に上陸した毛利勢に対し翌早暁に急襲、寡兵の黒田方は篭城との油断と船旅の疲れで毛利勢は一時混乱状態となるも、名将浦宗勝、敵は寡兵と見抜き反攻に出ようと体制を立直しつつありました。その時、日の出と共に黒田勢の後方に突如現れたおびただしい旗や歓声、これを播磨方の後詰とみて毛利方は総崩れ、海路敗走となり、黒田勢の勝利となりました。この戦でキーとなった黒田方の後詰を装った地元の民、百姓、このような場に民、百姓の救援が得られるところなど、官兵衛の治世の妙が現れたでしょうか。いずれにしろ播磨の一豪族の家臣に過ぎない官兵衛が西国の雄、毛利を破ったという事実、姫路に知将有り、これは当時大きな衝撃となって伝わり、播磨に名将あり、官兵衛の名が世に知らしめられた瞬間だったのではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、こういった歴史の舞台となった英賀という地を訪れてみました。また、今回は英賀に関連してJR姫路駅の南、山陽電車の亀山駅すぐにある亀山御坊本徳寺も合わせて訪れてみました。
今回英賀を訪れてみて感じたのですが、海岸沿いは埋め立てが進んで工業地帯となっており、当時の英賀の浦を忍ばせるような場所はどうにも見つけ出すことは困難、すると英賀の戦の際、毛利方についた三木氏の英賀城跡が公園となっており、先ずはこの英賀城跡から訪れてみることにしました。すると、この英賀には播磨における一向宗門徒の拠点、英賀本徳寺が存在し、三木氏と一向宗との繋がり、そして一向宗の本拠地である顕如の石山本願寺と毛利による信長包囲網など、様々な接点上にこの地があるとうことが見えてきました。毛利水軍による天正4年の石山本願寺への兵糧の搬入をめぐる木津川口の戦にもこの英賀が密接に絡んでおり、10年におよぶ織豊との対峙の末の和睦、英賀城落城後の英賀本徳寺の亀山への移転、これにより現在の亀山御坊本徳寺が成立、更に顕如没後、本願寺を継いだ准如、そして教如による東西本願寺の分離、これがこの播磨、姫路の地にも影響を与えていたなど、とても興味深いことを今回学ぶことができました。
また、地元のグルメ? 姫路でありながら結構本格的な博多風とんこつラーメンが味わえる店、元祖長浜ラーメン「金豚」にもよってみました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 自家用車
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JR神戸線、英賀保駅の南西、徒歩10分程度でしょうか、住宅街の中にある公園、英賀城址公園です。英賀城本丸がこの付近にあったことから城址公園として整備されたのしょうか、公園の真ん中に天守台を思わす石垣がありました。
公園の真ん中にぽつんと有る低い石垣、恐らく城址公園を演出するために造られたのでしょうか、そんな雰囲気です。石積み自身、自然石でなく切り出された石が使われているようであり、恐らく戦国当時のものなら自然石の石積みでしょうね、、、
この城自身は秀吉によって三木城陥落後に攻められ落城、その後再建等されていないため、これといった特徴的な遺構などは残っていないようです。 -
イチオシ
ここ英賀城は、三木氏の居城でした。三木氏は源頼朝の旗揚げに呼応した伊予の豪族、後に鎌倉幕府下で伊予守に任ぜられた河野氏の末裔とされ、播磨では赤松と並ぶ名族でした。
三木氏は、秀吉の播磨入りの後、三木の別所氏と共に毛利と通じて反旗を翻し、その後、秀吉による攻めによって英賀城の落城、三木氏当主通秋は九州へ落のびたということです。この英賀城は当時、浜辺に面した巨大な水城であり、その周囲には大きな街並みが形成されていたということです。 -
公園にあった石碑、城門あとでしょうか。
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この城址公園の隣には更に大きな矢倉公園というのがありました。名前からここも旧曲輪の一部だったのでしょうか。ここにも城門跡と思しき石碑がありました。
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城跡公園の南にある英賀神社の裏手に土塁跡がありました。
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土塁の裏側です。ほんの数十メートル程度ですが土塁跡が残っていました。
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次に城址公園の南側にある英賀神社に行ってみまいた。
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正面に拝殿があります。
ここにはにと戦争に関する慰霊の碑などがありました。 -
この英賀神社は、播磨國風土記にも記述がある、非常に長い歴史をもつ由緒正しい神社だそうです。この神社は英賀城内にあり、秀吉の英賀城攻めで一度は焼失したものの後に再建され、明治維新の神格制度でも県社となるなど高い格式を有する神社のようです。
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本殿も立派ですね。
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この神社の説明の中で英賀城に関する記述もありました。
英賀神社のHPです。
http://www.agajinja.jp/common/map/c_map_frame.html
ここに、英賀御堂についての記述があり、それによるとこの英賀の地に本願寺蓮如によって英賀御堂が築かれ、これが播磨における一向宗布教の拠点となり、その周囲には大きな門前町とも城下町ともいうものが形成され、これら英賀の一向宗徒は英賀集衆と呼ばれ、三木氏もその宗徒であったようです。
つまり秀吉や官兵衛といった織田方、一向宗と正面切って敵対している織田方になど三木氏が従う由もなく、当然本願寺と通じる毛利との繋がりが深くなります。こういったつながりから、天正4年の石山本願寺への毛利水軍による兵糧搬入に際しても、その中継基地としての役割を務め、木津川口での大勝に対し、三木氏ならびに英賀衆も少なからず貢献していたんじゃないでしょうか。このため播磨一円での織田色を強めようとする官兵衛に対し、毛利がクサビを打つべく派遣した浦宗勝率いる水軍も、その上陸にあたって英賀の浦を選んだということも充分に頷ける気がします。 -
この神社には播磨灘物語の石碑があります。
播磨灘物語、正に官兵衛の半生を綴った大作ですね。
この石碑は司馬さんにとって初めての文学碑というのは有名なお話ですね。
また、ここ英賀は司馬さんのご先祖がおられ、英賀城に篭城してたというようなことを司馬さん御本人がお話されています。そういった意味でも播磨灘物語は司馬さんにとってもなかなか思い入れのあった一作だったような気がします。
官兵衛の姿というのはやはりこの播磨灘物語によって我々は築かれており、この点でいくと「軍師官兵衛」少しスマートすぎるようなところも、、、 -
秀吉による英賀城攻略は、三木城攻めが収束し、向後の憂いをなくした天正8年、この2年前の天正6年には第二次木津川口の戦いがありました。その際、久鬼嘉隆率いる九鬼水軍の鉄甲船の前に毛利水軍は惨敗、このため英賀に対する毛利の支援も滞り、石山本願寺自体も長年の織田方との戦いに疲弊しつつあり、攻める秀吉側としては充分に機が熟したといった状況、結局英賀城は一ヶ月程度で落城、多くの一向宗徒が住まう町家もすべて焼き尽くされ、灰燼と化したようです。
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英賀城址公園から南に進んでみました。するとその先の海岸線が全て埋め立てられ、人工島となって大きな工場群が立ち並び、英賀の浦といった雰囲気はどこにも感じることができませんでした。
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夢前川岸の堤防から海の方向を眺めてみました。
英賀城址公園の隣にあった矢倉公園がちょうどこの夢前川の堤防沿いにありました。英賀城はこの夢前川を外堀とし、一方を海に面した要害となっていたんじゃないでしょうか。この川を眺めながら当時を偲んでみました。
(実は後でわかったのですがこの辺が英賀御堂、毛利水軍が上陸後に陣を張っていた場所であり、英賀の合戦の場だったのですね。) -
英賀城址公園から南へ数百メートルの住宅地の中に官兵衛印の旗を見つけ、近寄ってみるとなんとそこは本丸跡、てっきり城址公園が本丸と思いきや実はこちらが本丸があった所だったようです。
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本丸の石碑横に立つ案内番です。
この地図は南北が逆さ(北が下)のため非常に見にくいです。
近くを歩く地元の方に聞いたところ、ここの北側にある英賀小学校の隣に大きな案内図があるという情報を得ることができました。 -
英賀小学校の隣の公園に立つ案内板です。
これによると本丸と思っていた城址公園は曲輪の最外周に位置しており、全く本丸とはかけ離れた位置、というより城郭の中心たる本丸などは東の端、ここ西の端は、城の主郭の外側、総構のような位置でした、、、^^!
この案内板によればやはり英賀城は南面を浜辺、西を夢前川、東を水尾川に挟まれた天然の要害を利用した造りとなっており、浜側にはさらに港も設けられていたようです。
また、英賀御堂、英賀本徳寺は城郭の西の境界部、現在では夢前川が流れる位置に存在していたようです。正に先ほど眺めていた夢前川の河口あたりこそ、毛利水軍が上陸し、陣を敷いていた場所だったのです。 -
英賀城の港跡といわれる田井ケ浜の石碑、ここに港が整備されいた、つまりこの辺りがは当時の英賀の浦にあたる所ということでしょうか。
現在では随分と内陸です。 -
この日は、英賀城址公園、そして英賀神社を訪ねたのですが、英賀神社で英賀衆や英賀御堂、後の英賀本徳寺について知ることができました。また、英賀城陥落後、英賀本徳寺は秀吉の命により現在の位置、亀山に移転したということで、JR姫路駅の南西、山陽電車亀山駅すぐの亀山御坊本徳寺も訪ねてみました。
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別格別院本徳寺、地元では御坊さんと呼ばれ久しまれているということです。
亀山御坊本徳寺は、播磨における真宗の一大道場、現在は浄土真宗本願寺派に属するそうです。
秀吉にしても英賀城は落としたもの信徒の人心を変えることなど不可能であり、そういった点でも一向宗に対してある程度の融和的な処置が必要だったのでしょうか。そのため大きな弾圧は行わず、別の場所に移転させる、これは本願寺の石山、すなわち大阪から京都へ移転させたのと同じ施策なのでしょか。また、本願寺自体も顕如の長男、タカ派と言われた教如を疎んじたのか、秀吉はハト派の担ぐ三男准如を顕如の後継とし、その後家康によって教如は東本願寺、真宗大谷派を成立、これによって一向宗は東西両本願寺に分裂、これは一向宗の力を分散させるという家康の政治的狙いもあってのことでしょう。この分裂で亀山本徳寺は本願寺派となりました。しかし、播磨での真宗大谷派再興も進み、本願寺派に近かった池田輝政から本田忠政に領主が変わった際、船場(姫路駅の東側に位置します)の地に船場御坊本徳寺が成立したようです。 -
イチオシ
山門をくぐりその正面の隠し塀を左に進むと大きな本堂が現れます。本当に大きく立派なお堂ですね。
中では法要が行われているようで、念仏を唱える声が漏れ聞こえていました。
この境内は大河ドラマ軍師官兵衛のロケにも使用されたということです。 -
大きな本堂の隣には立派な書院、そして庫裏がならび、書院と庫裏の間に大玄関があります。
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とても立派な玄関です。
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庫裏、ここは社務所となっており、左側奥に入口がありました。
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イチオシ
庫裏の前、外壁の角部分に城郭の隅櫓を思わせる太鼓櫓がありました。
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長屋塀が続きます。
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毎月第四日曜日に楽市楽座が開催されているようですね。
きっと賑わうんでしょうね。 -
飾磨街道、本徳寺山門前の道は旧街道だったのでしょうか、かっては多くの商家や宿場が立ち並び、賑わっていたんじゃないでしょうか。
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姫路のグルメというとちょと違和感があるかもしれませんが、長浜ラーメンの美味しいお店、元祖長浜ラーメン「金豚」によってみました。
ここは、博多出身の知人がけっこう本格的と認めるとんこつラーメンのお店です。 -
たっぷりのごまと紅ショウガを載せていただきました。
濃厚ですが意外とすっきると飲めるスープ、硬めの細麺との相性も良く、とてもおいしく頂きました。
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