2014/04/26 - 2014/04/26
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Tam-Kさん
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NHK大河ドラマ軍師官兵衛にちなみ、東播磨の名族、別所長治の三木城址と、この三木城攻めの際、織田方の秀吉が本陣を置いた平井山の付城跡を訪ねてみました。
三木城は東播磨地方の中央、兵庫三木市の中央部に位置し、南側に続く山間部から突き出した丘の上に築かれ、西側の美嚢川が自然の要害をなしています。この城を構成する丘は、西、北、東の三方を崖で囲まれ、東西約550m、南北450mの長方形状の領域となっています。この長方形状の丘の北西端に本丸を配し、その南に二の丸、本丸の東が新城、その北側に鷹尾山城と4つの独立した曲輪で構成されており、更に鷹尾山城の南側の山の尾根伝いに宮の上要害を置くことにより、南の山間部への防御を高めているようです。
写真は、三木城本丸からの眺めです。正面に美嚢川、そして美嚢川の鉄橋を渡る神戸電鉄の列車、その背後に三木の街並みが広がり、その奥には豊かな緑の丘陵地が広がっています。
三木城へは神戸新開地から神戸電鉄で1時間弱、三木城本丸曲輪の崖の真下、城のすぐ北に三木上の丸駅があり、ここからかってのこの街の目抜き通り、ナメラ通商店街を抜けて徒歩約10分程度、結構気軽に本丸付近まで辿り着くことができます。
今回は、この三木城と共に、攻城側である秀吉の本陣が置かれた平井山付城跡、そして官兵衛と共に優れた軍略を発揮し、二兵衛と評され、この三木城攻めの際、荒木村重の有岡城に幽閉された官兵衛の帰還を待たずして病に散った竹中半兵衛の眠る廟所などを巡ってみました。
また、三木は古くから金物の町としても有名であり、道の駅三木では職人さんの包丁研ぎなども見学、更に街中を巡っていて見つけた旧国鉄三木線の三木駅にも寄ってみました。当然ながらご当地グルメも、三木城の近く、美嚢川沿いの道沿いに見つけた洒落たお店、かつメシをランチに頂きました。
これまで行った関連旅行記です。
第一編 広峯神社と御師屋敷跡
http://4travel.jp/travelogue/10845071
第二編 加古川(正室 光(てる)姫(幸圓)の故郷)
http://4travel.jp/travelogue/10852251
第三編 英賀(毛利水軍との合戦の地)&亀山本坊本徳寺
http://4travel.jp/travelogue/10865294
第四編 姫路文学館「播磨灘物語」展と姫路城
http://4travel.jp/travelogue/10866914
第五編 西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝
http://4travel.jp/travelogue/10871054
第六編 書写山 圓教寺
http://4travel.jp/travelogue/10878436
第七編 妻鹿 国府山城、御着(姫路埋蔵文化財センター)
http://4travel.jp/travelogue/10867385
第八編 三木城址と秀吉本陣、平井山付城跡
http://4travel.jp/travelogue/10879951
第九編 備中高松城と庭瀬城(境目七城)
http://4travel.jp/travelogue/10888291
第十編 黒田家中興の地、備前福岡
http://4travel.jp/travelogue/10891040
第十一編 北近江 長浜
http://4travel.jp/travelogue/10904386
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
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神戸電鉄粟生線、阪神、阪急、山陽の各私鉄が相互乗り入れする神戸高速鉄道の新開地駅から鈴蘭台経由で三木へ向かいます。
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三木の市街地の真ん中を流れる美嚢川、
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この美嚢川を神戸電鉄が渡ったところに三木城があります。
鉄橋を渡りきった右上の台地が本丸曲輪、秀逸に鉄砲狭間があしらわれた城壁が城を模擬するかのように設置されています。 -
神戸電鉄三木上の丸駅、すぐ上が本丸です。
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三木上の丸駅から線路沿いに数十m、神戸電鉄の高架をくぐってナメラ通り商店街へ入っていきます。
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この通りの名前、ナメラというのうはちょっと変わった名前だとは思いませんか。
この商店街も最近全国各地の地方都市ではどこでも見られるいわゆるシャッター通り、この通りのあるお店の軒先にこの通りの名前、ナメラの由来が書かれた張り紙がありました。商店街を歩いていてたまたま見つけたのですが、それによるとこの地区は三木城と美嚢川に挟まれた湿地帯で、城側からせり出した丘の崖部分の岩石が滑りやすかったことから、滑原と書いてナメラ、このような地名となったそうです。 -
ナメラ通りから左に入る道があり、ここが三木城への登り口、稲荷神社の鳥居があります。この稲荷神社は正に三木城の本丸曲輪の上にあります。
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三木城本丸、別所長治公の像があります。
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長治公の像のすぐ脇に天守台らしき土盛があります。
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この天守台上にかっては天守がそびえていたのでしょうか、本丸の稲荷神社の絵馬に本丸天守の絵がありました。この天守は司馬遼太郎さンの「播磨灘物語」、正に官兵衛の生涯を描いた作品ですが、この小説のさし絵、ここでは挿画と呼ぶそうですが、日本画家西山英雄さんも三木城としてこの天守の絵を描かれています。
ちょうど姫路文学館で開催されていた「播磨灘物語」で見ることができました。
姫路文学館「播磨灘物語」展の旅行記 http://4travel.jp/travelogue/10866914 -
天守台にある別所長治公、辞世の句碑です。
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本丸曲輪、この辺りに御殿などが立ち並んでいたのでしょうか。
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曲輪の美嚢川側には白壁の塀が建てられていました。恐らく昭和の時代に城を強調する意味でこのような鉄砲狭間を備えた白壁の塀が建てられたのではないでしょうか。こういった城跡には当時とは全く異なる模擬天守が建てられている光景を目にすることがあり、違和感を感じるものです。ここもこれに近いものがありますが、それ程目立つものではなく、まぁいいかぁ、っというような感じです。
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本丸からの眺めです。
美嚢川の鉄橋を颯爽と駆け抜ける神戸電鉄、そして背後に広がる丘陵地、この周辺は播州平野が南の加古川から明石にかけて広がる稲美野が開けたちであり、昔から豊かな収穫が得られる地だったのでしょう。 -
本丸の北の端に位置する稲荷神社、
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この稲荷神社の拝殿に天守の描かれた絵馬がありました。
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稲荷神社と旧三木女学校の木造校舎との間を通る道、この道は本丸と二の丸を分かつ堀切りとなっていたのではないでしょうか。
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旧三木女学校の木造校舎が残る二の丸曲輪内です。この校舎は文化財の展示もされているようですが、この日はお休みで入れませんでした。
木造の2階建て後者とその右も木造の講堂、こういう兎建物はなかなか味があっていいですね。是非とも保存を願いたいものです。 -
この二の丸には私立の図書館と美術館があり、この図書館にて企画展「黒田勘兵衛と三木城合戦」という展示が2階で開催されていましたので覗いてみました。
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秀吉の織田勢による三木城責めは、広範囲に付け城を気付き、長期の攻城戦によって三木城方の兵糧が底をつき、降伏を待つというものでした。責め側としては極力兵の損耗を回避し勝利を収めるという点では合理的だったのかもしれませんが、責められ側としては何とも無残なものだったことでしょう。別所方としては必ずや毛利の助けが来るものと信じ、この戦へと入ったことでしょうが、毛利方としても小早川、吉川の毛利両川に加え瀬戸内の水軍も伴い、宇喜多勢1万5千と合せ総勢8万の大軍で天正5年、播磨、美作、備前の国境に位置する尼子勝久、山中鹿之助が守る上月城を囲むに到たのですが、戦国きっての曲者と謳われる宇喜多直家の動向に不穏なものがあったことから、総大将毛利輝元は後方で陣をしく何とも不安定な陣立を強いられ、その後、上月城落城と共に仁を引き、結局播磨への毛利の進撃は行われることはありませんでいた。それでも水軍や本願寺の一向宗、更には織田方を裏切った荒木村重などからの支援を頼りに籠城を続けるもの、囲みの手は強まることはあっても緩むことはなく、僅かな補給もたたれ城内は凄惨を極めたことでしょう。
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秀吉が本陣を置いた平井山の付城に関する資料も展示されてありました。この平井山は三木城の北側正面の田園地帯を挟んだ向かい側に連なる山の尾根伝いに築かれており、北面に突き出た三木城から出入りが一望できたのではないでしょうか。
また、三木城の北側の開けた田園地帯は東西に広がっており、東には志染川沿いに和田村四合谷村ノ口付城などが、南は三木城から続く山間部を三木城西の美嚢川に対し、三方を包むように二重の付城群が配されていたようです。こと南面の防御に関しては、瀬戸内海側からの毛利、そして兵庫(神戸)道からの本願寺による補給路を立つという意味で、鉄壁の守りが敷かれていたのではないでしょうか。
この企画展を見て思ったのですが、三木市は三木城での秀吉との戦に関して、これら多数の付け城に関する綿密な調査が行われ、多数の資料などがまとめられており、この地域の方々の歴史に関する思い入れが感じられル気がしました。三木市のこういった取り組みは高清に対して貴重な財産となり、地域活性化の一助としてとても良い活動をされているという風に感じました。 -
本丸と二の丸の東側を一直線に走る道、二の丸の南端の部分にある十字路、この道のきたに向かう道は本丸、二の丸の東側の堀切かほりとなっていたので花でしょうか、この道のさらに東、住宅街となっていますが、その先は一案高い高台が三木市役所の北側に広がっており、ここが新城の曲輪があった場所ではないでしょうか。
この十字路を西に伸びる下り道は正に二の丸の堀切、そして南へ向かうと別所長治公と照子夫人の首塚がある雲龍寺に向かいます。 -
高源山雲龍寺、曹洞宗の寺院です。
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この寺は、三木城の曲輪内にあり、三木城の籠城戦で一度焼失したそうです。
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寺の裏手に長治公と照子婦人の首塚がありました。
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雲龍寺の裏手の道を東に登っていくと三木市役所の建物があります。
ちょうどこの市役所の建物の前に鷹尾山城の曲輪が広がっていたのではないでしょうか。この辺りは完全に造成されており、当時の面影を忍ぶ遺構は見当たりませんでいた。 -
市役所南側の駐車場、この駐車場前の道あたりに高尾山城と南の山間部を隔てる堀などがあったのではないでしょうか。
また、駐車場の向こう側の山の頂に宮ノ上要害が連なっていたと思われます。この宮ノ上要害も現在では完全に消滅してしまっているようです。 -
本丸、二の丸の西、美嚢川との間、ナメラ通りと平行して美嚢川沿いに走る道沿いに、三木市の商工会議所や観光案内所があります。
観光案内所のすぐ隣に江戸時代に建てられた商家、国登録有形文化財旧玉置家住宅があります。 -
旧玉置家住宅は、文政9年(1826)に切手会所、いわゆる銀行のような金融機関として建てられたもので、建物を入ったところの母屋、中庭、一番奥に離れと土藏が並んで建ち、離れの裏は美嚢川を望む裏庭となっています。
庫の写真は、玄関の先にある台所、竈の周りに椅子とテーブルなどが置かれ、カフェとなっています。 -
中庭の屋根の部分に取り付けられた忍び返し、金融機関だけあってさすがに厳重な防御がなされているんですね。
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離れ2階から見下ろす中庭
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離1階の座敷から望む美嚢川眺めです。
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裏庭に出ると蔵と離れがならんでいます。
この蔵、窓の開講の配置が面白いですね、この蔵は「おかめ」と呼ばれているそうです。 -
そして離の更に奥、そこにもうひとつの蔵が、こちらは口の部分がちょっとユニークですね、「ひょっとこ」だそうです。
「おかめ」と「ひょっとこ」、こんな遊び心、いいですね! -
この日は天気もよく、とても居心地の良さそうな裏庭でした。
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母屋の入口すぐの店の間、勘定場があります。
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母屋の座敷では甲胄展が行われていました。
地元の方たが手作りで造られた作品が並んでいました。なかなか見事です。 -
そろそろお昼も過ぎたのでランチに、
旧玉置家の斜め前にあった白壁の町家風のカフェに入ってみました。
「ゆのやま」です。 -
ここでは加古川のソールフードとして有名なかつメシがあったのでこれを注文、ご飯の上に薄めのビフカツとたっぷりんドミグラス風ソース、そして付け合せの茹でたキャベツ、定番のかつメシの組み合わせですね。ビフカツにたっぷりのソースを絡め、茹でキャベツを載せて頂きました。ビフカツが軟らかく、ソースとの相性もよく、またシャッキとした食感の茹でキャベツとの組み合わせはとてもよかったです!美味しいランチが頂けました。
ごちそうさまでした。
この後、三木城を離れて北の方へ、秀吉の本陣があった平井山へ向かいます。 -
三木城のある三木市の市街地から北に3キロ程度行ったところに平井山があります。
先ずは平井山の麓にある軍師、竹中半兵衛の廟所へ、 -
平井山ぶどう園の中に半兵衛の廟所があります。
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美濃国、菩提山城主竹中半兵衛重治、美濃を収める斉藤龍興に仕え、僅かな手勢で稲葉山城を手中に収め、その後、斉藤氏の滅亡後、秀吉に仕えた名軍師、竹中半兵衛、官兵衛と共に二兵衛と呼ばれ、その優れた軍略は天下に比類なきものだったのではないでしょうか。
三木城攻めの最中、摂津有岡城に幽閉された官兵衛の帰還を待たず、36歳にして病に倒れた半兵衛、その人となりに尊崇の念を抱く人も少なからずおられるのではないでしょうか。 -
半兵衛の廟所の先に平井山付城跡への登り口があります。
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山頂部本陣が張られた主郭部、三木城に面する南側三方に土塁が巡らされ、この主郭を中心に尾根伝いに鶴翼のように陣地が広がっており、斜面には段状の平坦地が多数設けられ、多くの兵が駐屯可能なようになっているようです。
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本陣跡に立てられた旗です。
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ここからは正面に三木城の前から広がる田園地帯が一望でき、別所方の動きが一目に眺められたことでしょう。
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主郭東側の曲輪にある櫓台城の土盛、ここに物見用の櫓が建てられていたのでしょうか。
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各曲輪の南側は急峻な崖となっており、堅い防御線となっています。
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三木の街の中でおもしろものを見つけました。
旧三木線、三木駅です。 -
加古川線の枝線として、北条線、鍛冶屋線と共にこの三木線もありましたが、JR発足で三木鉄道として開業しました。ただ業績が思わしくなく、結局廃線となってしまいました。
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三木鉄道の終端、車止めです。
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旧線路の上を面白い台車がありました。
子供たちに大人気です! -
道の駅、三木です。
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三木は金物の町、ここではたくさんの金物が売られていました。
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また職人さんによる包丁研ぎも行われていました。
三木城址とその周囲に巡らされた付け城群、この辺りは多くのこういった遺跡が残っており、三木市による調査や保存が行われていました。三木はとても興味深く、面白いところです。
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