2020/08/24 - 2020/08/24
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YAMAJIさん
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印旛沼は千葉県民の大切な水瓶です。2012年度の統計によると、1年間に16,239万立方メートルが使われています。工業用水として、6,338万立方メートルが、東京湾の臨海工業地帯に送られています。農業用水として、6,411万立方メートルが、印旛沼周辺の12市町村の農地約7千ヘクタールに供給されています。水道用水として、3,490万立方メートルが、柏井浄水場(千葉市花見川区)へ送られ、千葉県営水道として、一般家庭に送られています。
印旛沼の水を排出する目的は二つあります。まず一つは、台風などの大雨で印旛沼への流入が多いときには、洪水を防ぐために印旛機場のポンプを運転し、印旛沼の水を利根川に排出します(最大毎秒92立方メートル)。また、それでも水位が下がらないときは、大和田機場を運転し花見川を経由して東京湾へ排出します(最大毎秒120立方メートル)。もう一つは、印旛沼のように水の移動が少ない水域(閉鎖性水域)は、水質が悪化しやすくなります。これを改善するため、洪水時以外にも、印旛沼に溜った水を流動化させるため、大和田機場を運転しています。
印旛機場と大和田機場が、洪水を防ぐために印旛沼の水を利根川や東京湾へ排出するための施設であり、逆に酒直機場は、印旛沼に水を蓄えて利用するために、利根川の水を印旛沼に汲み上げる施設です。酒直機場は、利根川に水が十分に流れている時に、長門川を経由して印旛沼に利根川の水をポンプで汲み上げています(最大毎秒20立方メートル)。
印旛沼開発施設の概要は以下の通りです。
1.印旛機場(昭和35年完成)
印旛沼の水位を調整するため、長門川から利根川に洪水を排出する施設。総排出量;毎秒92立方メートル。
2.大和田機場(昭和41年完成)
印旛沼の水位を調整するため疎水路下流部(花見川)を通じて、東京湾に洪水を排出する施設。総排出量;毎秒120立方メートル。
3.酒直機場(昭和41年完成)
利根川の余剰水及び利根川河口堰、上流ダム等の開発水量を印旛沼に汲み入れる施設。総揚水量;毎秒20立方メートル。
4.酒直水門(昭和41年完成)
印旛沼の水位を堰上げるため水位調整する施設。洪水吐ゲート;3門、調整ゲート;2門、舟通ゲート;1門、魚道;2ヶ所。
5.調整池堤防(昭和44年完成)
北部調整池(延長約16.6km)、西部調整池(延長21.5km)、疎水路上流部(新川両岸)(延長約18.8km)。
6.捷水路(昭和42年完成)
印旛沼の北沼と西沼を繋ぐ新しく開削された水路。延長約3.8km。
7.疎水路(昭和43年完成)
西沼から大和田機場、東京湾へと繋ぐ新しい水路。上流部(新川)延長約9.4km、下流部(花見川)延長約7.9km。
参考資料等;小川元著「印旛沼周遊記」、水資源開発公団千葉用水総合事務所編「印旛沼ものがたり」、栗原東洋著「印旛沼開発史」、関東農政局資料「印旛沼開発の歴史」、水資源機構資料「千葉用水総合事業」、千葉県資料「印旛沼地域の農業用水管理の概要」、印旛沼流域水循環健全化会議資料「印旛沼学習指導の手引き」など
2014/01/31 第1版
2020/08/24 第2版
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平成22年から農林水産省により「国営印旛沼二期農業水利事業」が始まり、古くなった農業用水14機場を6機場にまとめるとともに、用水路(パイプライン)の更新整備が進められており、令和5年にはすべて完成する予定で工事が進んでいます。
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宗吾西機場です。
印西市の山田にある農業用の揚排水機場で、受益面積は586haです。平賀機場、酒々井機場、飯野台機場、萩山機場、飯野第2機場を統合して、令和2年には竣工する予定です。 -
干拓の碑です。
江戸時代からの印旛沼洪水の除去と印旛沼の干拓事業が、昭和54年度を以って全て完了したことを記念し、昭和55年に建立されています。 -
中央干拓です。(8月撮影)
中央干拓工事は、昭和42年に着工し昭和54年に完成しています。 -
圃場整備事業落成記念之碑です。
印西市の平賀・山田地区圃場整備事業の、昭和45年と昭和61年施行事業(新農業改善圃場整備事業)の記念碑で、平成元年に建立されています。 -
圃場整備竣功記念碑です。
印西市の平賀・山田地区の圃場整備事業は、昭和45年度に着工し昭和49年度に完成しています。この記念碑は昭和63年の建立で、旧平賀機場の敷地の中に建っています。 -
中央排水路です。
中央排水路(中央干拓低地排水路)では、中川などの河川から流入した水と水田などから流入した水を、宗吾北機場と宗吾西機場のポンプで汲み上げ、北印旛沼と西印旛沼に排水しています。 -
土地改良事業完成記念碑です。
佐倉市・酒々井町の大佐倉・酒々井地区の土地改良事業は、昭和38年に着工し昭和43年に完成しています。この記念碑は昭和52年の建立で、旧酒々井機場の敷地の中に建っています。 -
酒々井町築山からの中央干拓地です。(10月撮影)
酒々井町の築山は、資産家・木内常右衛門邸の築庭であった場所でした。晴れた日には筑波山をはじめ、富士山も見えたそうです。明治天皇も、この素晴らしい眺望をご覧になるため、明治14年と明治15年の4回御休憩されています。 -
宗吾北機場です。
成田市の下方にある農業用の揚排水機場で、受益面積は635haです。平成29年に増築部分を含めて竣工しています。 -
江川(延長3,166m)です。
成田市の台方干拓地区で北印旛沼に合流しています。 -
江川でのブラックバス釣りです。
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甚兵衛翁之碑、甚兵衛の渡し(北須賀ー吉高)がありました。
直訴するべく江戸へと向かう佐倉惣五郎は、この渡しで舟に乗りました。禁を破って佐倉惣五郎を印旛沼の対岸の吉高まで送りとどけたのが渡し守・甚兵衛で、渡しの名はこの渡し守に由来しています。甚兵衛は佐倉惣五郎を送った後、印旛沼に身を投じたといわれています。 -
白山甚兵衛機場です。
成田市の松崎にある農業用の揚水機場で、受益面積は983haです。白山機場と甚兵衛機場を統合して平成27年に竣工しています。 -
土地改良事業記念之碑です。
成田市の谷津地区の土地改良事業は、昭和41年に着工し昭和50年に完成しています。この記念碑は平成16年の建立で、旧甚兵衛機場の前に建っています。 -
印旛捷水路です。
新しい水路をまっすぐ作ることによって、西印旛沼と北印旛沼の水を流れ やすくしました。これが延長約3.8kmの印旛捷水路で、昭和40年に掘削工事に着工し、昭和42年に完成しています。 -
山田橋(県道65号線)と市井橋です。(6月撮影)
印旛捷水路の代表的な風景で、ナウマン象の発掘地点から撮影、奥が山田橋で手前が市井橋です。 -
ナウマン象発掘地点のプレートです。
ナウマン象の化石は、昭和41年の印旛捷水路工事の掘削作業中に発見されました。当時、日本で頭、胸、足の骨がそろって発見されたのはこれが初めてで、貴重な資料であったため発掘調査が行われ、約3万年前の化石と判明しました。 -
印旛捷水路と成田スカイアクセス線です。
ちょうどスカイライナーが通過中でした。成田スカイアクセス線と並行して国道464号線が走っています。 -
吉高水位観測所です。
10分毎に印旛沼の水位を観測し、千葉用水総合管理所(八千代市大和田)に送信しています。すべてテレメータシステムで運用・管理されています。 -
甚兵衛大橋(国道464号線)です。
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甚兵衛大橋からの北印旛沼と筑波山です。(7月撮影)
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江戸時代に発行された、「利根川図志」の印旛沼です。
江戸時代末期の印旛沼周辺の交通図で、地名、道、渡しが解りやすく描かれています。 -
松虫川(延長3,615m)です。
印西市の吉高地区で北印旛沼に合流しています。 -
吉高の船着き場です。
今日もモモイロペリカンの、「カンタ君」が迎えてくれました。「カンタ君」が印旛沼に住み着いて20年が経ちました。 -
吉高機場です。
印西市の長門屋にある農業用の揚排水機場で、受益面積は619haです。吉高機場と物木機場を統合して平成31年に竣工しています。 -
吉高・埜原地域の水循環の説明板です。
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堤防とサイクリングロードです。
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下井の船着き場です。
岸壁が整備された北印旛沼で一番大きな漁港です。7月下旬には、自生の蓮の花が満開になります。 -
下井水位観測所です。
各水位観測所には洪水に備えて、水防団待機水位、はん濫注意水位、避難判断水位、はん濫危険水位が設定されています。 -
萩原・長門屋・下井地区の干拓地(西部干拓)です。
江戸初期から新田開発が始まった地域で、昭和20年代から干拓事業が本格化しました。 -
東日本大震災から復旧した堤防です。
下井地区の堤防(サイクリングロード)は、東日本大震災の時に大きな亀裂が入ったり、一部崩落した場所もありました。このため、吉高から酒直間のサイクリングロードを通行止めにして、重機による全面的な修復が行われました。 -
北印旛沼と成田スカイアクセス線です。(7月撮影)
北印旛沼と長門川の合流地点では、6月と7月の梅雨の時期に、サンカノゴイが観察できます。ここは日本でも数少ないサンカノゴイの営巣地です。 -
酒直水門です。
大雨及び洪水の時(印旛沼満水時)に、印旛沼の水を長門川に流す水門です。 -
酒直機場です。
印旛機場と大和田機場は洪水を防ぐために、印旛沼の水を利根川や東京湾へ排出するための施設であり、逆に酒直機場は印旛沼に水を貯えて利用するために、利根川の水を印旛沼に汲み上げる施設です。酒直機場の揚水能力は、毎秒20立方メートルです。 -
印旛沼の水の流れです。
印旛機場や印旛水門、酒直機場、酒直水門、大和田機場の役割が理解できます。 -
酒直・安食の干拓地(北部干拓)です。
江戸初期から新田開発が始まった地域で、昭和20年代から干拓事業が本格化しました。 -
圃場整備竣功記念碑です。
栄町の安食地区の圃場整備事業は、昭和43年に用排水路事業が開始され、昭和53年には区画整理事業が完成しています。この記念碑は昭和54年の建立で、旧白山機場の敷地の中に建っています。 -
長門川(延長5,138m)です。
印西市の下井地区と栄町の酒直地区で北印旛沼と合流し、栄町の安食・和田地区で利根川と合流しています。 -
安食側の土手の桜並木です。
長門川の専用サイクリングロードは、整備計画中で現在は車道を走ります。栄町側の土手には桜並木が続き、このあたりの桜は河津桜との看板がありました。 -
前新田浄水場です。
長門川水道企業団が運営・管理する浄水場で、栄町の全域と印西市の一部に水道水を供給しています。 -
埜原機場です。
印西市の安食卜杭にある農業用の揚水機場で、受益面積は593haです。令和5年3月に増築部分を含めて竣工予定です。 -
JR成田線を渡ります。
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長門橋(国道356号線)とドラゴンカヌー乗り場です。
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印旛機場です。
台風などの大雨で印旛沼への流入が多い時は、洪水を防ぐために印旛機場のポンプを運転し、印旛沼の水を長門川を通して、利根川に排水します。このときの、印旛機場の排水能力は、毎秒92立方メートルです。 -
印旛機場の説明板です。
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印旛機場の屋外に、初代の羽根車が展示されています。
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印旛水門です。
利根川が洪水のときに水門を閉めて、長門川・印旛沼への水の流入を防ぎます。又、印旛沼・長門川の水位が上がった時は、長門川からの水をまずこの水門から利根川に流します。 -
印旛水門之碑です。
印旛水門の工事は、大正7年に着工し大正11年に完成しています。これにより、洪水時の利根川からの逆流が、抑えられるようになりました。この記念碑は大正11年の建立で、印旛水門の前に建っています。 -
長門川と利根川の合流地点です。
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