2018/01/15 - 2018/01/15
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YAMAJIさん
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江戸時代の日本橋から成田までの宿場と距離は、次のようになっていました。
日本橋ー(日光街道、8.9km)ー千住ー(水戸街道、6.1km)ー新宿ー(以降は成田道、9.3km)ー八幡ー(5.4km)ー船橋ー(12.6km)ー大和田ー(7.3km)ー臼井ー(5.9km)ー佐倉ー(3.4km)ー酒々井ー(7.9km)ー成田
水戸街道から新宿で別れるルート以外に、日本橋から水路で江戸川河港の行徳に上陸し、八幡または船橋で合流し、成田へ向かうルートもありました。行徳へ向かう船は、もともと塩を江戸へ運ぶためのものであったが、幕末の頃には成田山に参拝する人々を乗せるようになりました。
この旅行記は、佐倉市の「佐倉道・成田道」13kmのうち、臼井田、江原台、角来、海鱗寺町、並木町、新町、弥勒町、本町を歩いた記録です。
2011/10/09 第1版
2012/10/26 第2版
2014/02/07 第3版
2014/08/21 第4版
2018/01/15 第5版
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成田道の案内図(臼井田~酒々井町境)です。
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臼井田の京成成田線の線路です。
国道296号線は線路と並行して走っています。今日はここから散策スタートです。 -
線路を渡った所が、印旛沼浄水場(千葉県工業用水、JFEスチール)があります。
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線路の向こうに臼井田の干拓が広がります。
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八丁坂の石塔群です。
新臼井田交差点を通過して、八丁坂を上るすぐ左手の藪の前にあります。
寝ていた石塔群が、綺麗に立てられ横一列に並べられていました。 -
石塔群の中に馬頭観音像があります。
高さ118cmの江戸初期の馬頭観音像です。 -
八丁坂(はっちょうざか)です。
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江原台へ上っていった交差点手前左側に、江原刑場跡に残る供養塔があります。
江戸時代ここには、江原刑場がありました。供養塔には「南無妙法蓮華経」と刻まれています。この供養塔は、寛政8年(1796年)に建立されています。 -
聖隷佐倉市民病院です。
国道296号線は、江原台で水道道路と合流します。この変形交差点を左折し、250m直進すると聖隷佐倉市民病院です。ここには以前、腎臓移植バンクが置かれた国立佐倉病院がありました。 -
角来の坂(かくらいのさか)です。
聖隷病院から戻ると、国道296号線は直線道路が続きます。直線道路が終わり坂を下っていくと、左の丘の上に角来の八幡宮神社があります。 -
角来の八幡宮神社です。
急な石段を上りきったところに本殿があります。 -
角来八幡宮神社のアカガシ、樹齢250年です。
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角来の馬頭観音です。
角来八幡神社下の商店を、左に入って50m先左にあります。 -
馬頭観音の石碑です。
佐倉藩八代城主堀田正信は、万治3年(1660年)老中の政治を弾劾し幕府に諫書を提出し、無断で只一騎佐倉城に馳せ向った。そして、角来の八幡神社の前に差し掛かったとき、疲れ果てた馬はついに倒れ息絶えたという。正信の諫書は認められず、江戸を無断で退去した罪により、所領佐倉藩10万石は没収されています。それから83年経った延亭3年(1746年)に、山形から佐倉へ転封となった堀田正亮(後に11万石老中首座となる)によって、そのとき倒れた馬を供養するため角来馬頭観音が建立されました。 -
坂を下り切った所の信号を右に入っていくと、佐倉消防署角来出張所があります。
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角来の右手には、印南・飯重の田園風景が広がります。
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鹿島橋のお地蔵様です。
江戸時代の中頃からあったようです。高さ240cmとかなり大きなお地蔵様です。 -
角来を過ぎると鹿島橋を渡ります。
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鹿島橋からみた鹿島川です。
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鹿島川では、へら鮒釣りが行われていました。
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安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に鹿島橋と水堀(三十三間堀)が紹介されています。
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鹿島橋を渡って左に、うなぎと川魚料理の鹿島園があります。
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市営菖蒲園跡の石碑です。
昭和32年から昭和50年まで、ここに市立の菖蒲園がありました。昭和46年には、花菖蒲が佐倉市の「市の花」に採用されています。 -
佐倉城の水堀(三十三間堀)です。
佐倉城は三方を水堀で守られていました。 -
田町の道標です。
歴史博物館交差点にあります。正面に「岩名仁王道」、右側面に「飯野観音道」と刻まれています。 -
歴史博物館交差点です。
右端のコンクリートの門の所が、佐倉城の田町門跡です。ここまでが、江戸初期から中期の「佐倉道」です。交差点を右に上っていくと、国立歴史民俗博物館と佐倉城址公園です。 -
安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に田町門と水堀(三十三間堀)が紹介されています。
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国立歴史民俗博物館です。
原始・古代から現代に至るまで、日本の歴史と日本人の民俗世界を、実物資料と精密な複製品や復元模型などを取り入れ、だれもが容易に理解できるよう展示されています。 -
歴博のエントランスです。
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佐倉城の本丸跡です。
佐倉城は印旛沼へ注ぐ鹿島川、高崎川を外堀とし、台地上に土塁を加えて築城した平山城で、石垣を用いていません。戦国のなかごろ、千葉氏の一族鹿島幹胤によつて初めて築かれたと伝えられ、別名、鹿島山城とも呼ばれていました。千葉邦胤もここに本城を移そうとしたがなかばにして果たせず、後に徳川家康がその要害に着目し、土井利勝に命じ1611年から7年間をついやし、1618年ごろ完成しました。以来、徳川幕府は江戸の守りとして老中格の譜代の諸侯九氏を封じました。
1746年山形から堀田氏が再び移封し、六代126年間11万石を領有して明治維新に及んだが、1873年(明治6年)第一軍管第二師団の営所が置かることがきまり、城の施設はことごとく壊されました。1874年(明治7年)日本最初の軍隊歩兵第二連隊が佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、西南戦争、日清戦争、日露戦争にこの地から出征して往きました。1909年(明治42年)には、第二連隊にかわつて歩兵五七連隊が移転し、1944年(昭和19年)のフイリピン戦でこの地から出征した多くの兵士の命が失われ、歩兵五七連隊は壊滅しました。
佐倉城、佐倉連隊跡地は、1964年(昭和39年)に公園として計画され整備が進められ、「歴博」の愛称で親しまれている国立歴史民俗博物館が、1983年(昭和58年)3月に、この佐倉城址公園跡に建設され開館しました。佐倉城趾公園は、春の桜、初夏の菖蒲、晩秋の紅葉の時期には、沢山の人々で賑わいます。 -
佐倉城の天守閣跡です。
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本丸跡の夫婦モッコク、樹齢400年です。
佐倉城の築城の際に本丸等に植えられた庭樹の一つと考えられています。この、モッコクは、二株が根元で融合しており、樹高11M以上ありモッコクとしては巨木です。千葉県指定天然記念物です。 -
城址公園の子規の句碑。
1894年開通したばかりの総武鉄道で、佐倉を訪れたさい歌った句「常磐木や冬されよさる城の跡」が刻まれています。 -
歴史博物館の交差点に戻り、お堀に沿って進み次のT字路を右折します。さらに次のT字路を左折し進むと、茅葺きの民家が見えてきます。
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海隣寺坂(かいりんじざか)です。
急な坂道のため荷車が上れないので、後押しする(おっぺす)人夫がいたことから、「おっぺし坂」ともいわれていたそうです。 -
佐倉市役所です。
急な坂を上るとすぐ、佐倉市役所の入口に出てきます。ここで国道296号線に合流です。佐倉市民17万6千人の行政サービスの中心です。 -
佐倉市役所の敷地にある忠霊塔です。
印旛郡市町村・八千代市の過去の戦争による戦没者の遺骨・遺品が安置され、1万有余の御霊が祀られています。 -
ヤマニみそ本店がすぐ左に見えています。
明治20年創業の老舗の味噌醸造業者で、昔ながらの製法を守り続けています。 -
海鱗寺本堂です。
ヤマニみそ本店の向かいの道を入ると海鱗寺です。1662年創建の時宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。千葉氏累代の供養塔があり、佐倉市指定文化財です。 -
海鱗寺の墓地にある千葉氏累代の供養塔です。
忠霊塔の右横を入ると海鱗寺の墓地があります。佐倉市役所の建屋と駐車場は、元は海鱗寺の境内だったところです。 -
新町交差点の手前左手に大津屋があります。
大正8年創業の人気の落花生屋さんで、千葉県の特産品・落花生を自社工場で丹念に煎り上げた人気商品が店頭に並んでいます。 -
新町交差点の佐倉町道路元標です。
旧道路法(大正9年施行)により、各市町村に1個づつ設置されました。ここは、佐倉藩高札場跡があった場所でもあり、ここが旧佐倉町の中心だったことが判ります。 -
安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に海隣寺・麻賀多神社と新町交差点周辺が紹介されています。
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新町交差点に建つ平井家住宅です。
大正時代と昭和初期の建築意匠や技法を見ることができ、伝統的な民家(商家)の間取りや姿を今に伝えています。国の登録有形文化財です。 -
麻賀多神社の拝殿です。
新町の変形交差点を右に入るとすぐ麻賀多神社です。佐倉の総鎮守で稚産霊命(わかむすびのみこと)を祭っています。 -
麻賀多神社の大神輿です。
今日数少ない江戸神輿の代表的存在です。佐倉藩の家臣と町方が協力して、360両の経費をかけ製作されたもので、佐倉市指定文化財です。 -
旧河原家の門塀です。
麻賀多神社の南400mの所に武家屋敷があります。江戸時代の武家屋敷のうち、現在は旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3棟の屋敷が公開されており、華美を戒めた質素倹約な造りの中に、それぞれの石高に応じた違いが見られます。庭の様相や屋敷の裏に作られた畑からも、当時の武士の生活が隙間見られます。 -
旧河原家の母屋です。
千葉県指定文化財です。 -
旧但馬家の門塀です。
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旧但馬家の母屋です。
佐倉市指定文化財です。 -
旧武居家の門塀と生垣です。
土塁と生垣で、馬上の人より邸内が見えないよう工夫されていました。 -
旧武居家の母屋です。
国の登録有形文化財です。 -
新町交差点に戻り国道296号線とお別れです。
これから新町通りを歩きます。
江戸時代には、旅籠や茶店など多くの町屋が建ち並び、秋祭りには山車や御神酒所、御神輿が練り歩き、「佐倉新町江戸まさり」と言われたほど、賑わいました。 -
右側に蔵六餅本舗木村屋本店があります。
明治15年創業の和菓子処で、「蔵六餅」「栗蔵六」「梅のかほり」「くずきりそうめん」など、佐倉を代表する銘菓を製造販売しています。 -
右側に三谷屋呉服店があります。
寛政創業の老舗の呉服屋さんです。 -
右側に佐倉市立美術館があります。
房総ゆかりの作家の作品を中心に収集しており、佐倉市ゆかりの浅井忠の作品の収蔵で知られています。 -
佐倉市立美術館のエントランスです。
旧川崎銀行佐倉支店の建物を活かしており、千葉県指定文化財です。 -
左側に佐倉町並み情報館、佐倉一里塚があります。
幕末に桂小五郎(かつらこごろう)が宿した「油屋」の跡地で、現在の建物は、明治に入り今井氏が「駿河屋」の名前で呉服商を営んだ、築120年程の古民家です。佐倉歴史遺産・文化遺産巡りのガイドや郷土史の講演活動を行っています。 -
右側に小川園本店があります。
明治45年創業のお茶の製造・販売の老舗です。明治4年廃藩置県で刀を捨てた佐倉藩士達が、生活のため「同協社」を設立し、荒野を開墾しお茶の栽培・製造を始めました。最盛期には、茶園180ヘクタール、総製茶量1200トンにのぼり、海外にまで輸出されました。「同協社」は大正9年に解散しましたが、小川園により佐倉茶の伝統が守り続けられています。 -
右側に佐倉新町おはやし館があります。
郷土の文化・伝統行事・物産の紹介、観光情報の提供を行う憩いの場です。秋祭りの山車の展示、佐倉囃子伝承の場ともなっています。 -
佐倉新町おはやし館に常設展示されている、肴町の山車人形「竹生島龍神」です。
新町六町と弥勒町の豪商達が明治12?13年に江戸日本橋近辺から7体の人形山車を買い、現在に伝えています。山車人形は、江戸時代から明治初期に作られた物です。 -
佐倉新町おはやし館に常設展示されている、二番町の山車人形「玉井」です。
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甚大寺本堂です。
歴史生活資料館の向かいの路地を入ると、甚大寺があります。1615年創建の天台宗のお寺で、本尊は十一面観音菩薩です。佐倉藩主堀田家の菩提寺で、千葉県指定文化財です。 -
甚大寺の堀田正睦(ほったまさよし)公の墓。
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甚大寺の堀田正倫(ほったまさとも)公の墓。
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堀田家墓地のナギ、樹齢200年です。
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新町通りに戻り、突き当りを右に曲がった左手に、新町郵便局があります。
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教安寺本堂です。
新町通りを突き当り、左に曲がり蘭学通りに入るとすぐ右に、教安寺があります。1625年創建の浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。「簾製阿弥陀如来図」は、佐倉市指定文化財です。 -
教安寺のマキ、樹齢200年です。
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左に老舗の寝具店の三谷屋ふとん店があります。
新町の三谷屋呉服店(江戸中期創業)の分家にあたり、明治5年に創業しています。手作り布団が自慢です。 -
三谷屋ふとん店の真向かいに、三谷家住宅があります。
主屋と袖蔵は明治17年に、座敷屋は昭和10年に建てられています。佐倉の伝統的な商家として貴重な建物です。 -
三谷家住宅の手前の道路を右に曲がり、直進すると旧堀田邸があります。
最後の佐倉藩主堀田正倫の邸宅で、明治時代の上級和風邸宅として、庭園とともに残っている貴重な建造物で、国の重要文化財です。 -
旧堀田邸の畳廊下です。
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旧堀田邸の客間です。
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旧堀田邸から蘭学通りに戻ると、すぐ久保町の坂(くぼまちのさか)です。
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蘭学通りの終点、本町交差点にある、佐倉順天堂記念館正門です。
「順天堂」は、1843年蘭医・佐藤泰然が、医学塾兼外科の診療所として創建したものです。順天堂からは多くの優秀な人材が育ち、彼らはその後日本の近代医学の発展に大きな役割を果たしています。 -
佐倉順天堂記念館庭の佐藤泰然の銅像 です。
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佐倉順天堂記念館です。
現在の順天堂記念館の建物は、1858年に建てられた物で、千葉県指定史跡です。 -
昌柏寺本堂です。
本町交差点を暫く直進すると、右に昌柏寺があります。1576年創建の日蓮宗のお寺で、本尊は釈迦尼仏です。 -
昌柏寺のケヤキ、樹齢350年です。
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藤坂(ふじさか)です。
佐倉市と酒々井町との境界です。ここが今日のゴールです。
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