2020/08/15 - 2020/08/15
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YAMAJIさん
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天文年間(1532?1555年)に、本佐倉城主の千葉親胤が、一族の鹿島幹胤に命じて築城を開始しますが、完成前に千葉親胤は家臣に暗殺され、鹿島幹胤も一時期ここに館を構えますが、死去により工事は中断します。この後、千葉邦胤の頃に工事を再開しましが、天正13年(1585)に同じく家臣に殺害され完成には至りません。未完の鹿島城は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めによって、千葉氏が滅亡し未完のままで残されました。
徳川家康がその要害に着目し、江戸の東の守りとして、慶長15年(1610)に幕府の重臣であった土井利勝を佐倉に入封させます。土井利勝は、台地上に未完のまま残された鹿島城を、約7年間の歳月をかけて、整備拡張し、現在の佐倉城を築きました。石垣をまったく使用せず、天然の地形を活かして、曲輪や土塁、水堀、空堀を築造し、強固な城を造りあげました。
江戸城の東の防衛拠点であると同時に、いざという時の搦め手として、代々譜代大名の居城となります。土井氏が古河城に移った後は、石川氏、松平氏、堀田氏、松平氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏、松平氏、と城主が目まぐるしく変わります。延亭3年(1746)に掘田正亮が入封後、堀田氏が6世126年間11万石を領有して、明治4年(1871)の廃藩置県により廃城となりました。
明治6年(1873)に、第一軍管区第二師団の営所が置かれたため、佐倉城の建物は全て取り壊されます。その後、歩兵第二連隊、歩兵第五十七連隊などの営所となりました。太平洋戦争後、陸軍の施設は全て撤去され、現在は佐倉城址公園と国立歴史民俗博物館となっています。
佐倉城は、城の主郭である本丸と二の丸、三の丸と家臣の屋敷割りがなされた、椎木曲輪、天神曲輪・広小路・中下町・大下町から構成されています。この他に、水堀の内側斜面に帯曲輪があり、主郭崖下の北側と南側に出丸を配置しています。城の建造物は、北側出丸の移築門以外残っていませんが、曲輪跡や門跡、土塁、水堀、空堀、角馬出し、天守台、出丸、急崖などが残っています。
昭和37年に、「佐倉城跡」として佐倉市指定史跡に登録されています。平成18年には、日本城郭教会の「日本100名城」に選定されました。
2012/10/05 第1版
2014/01/17 第2版
2020/08/15 第3版
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佐倉城址公園案内図です。
主郭跡(本丸、二の丸、三の丸)は良く保存されています。武家屋敷のあった椎木曲輪跡に国立歴史民俗博物館が、天神曲輪跡と中下町跡、大下町跡には、歴博くらしの植物苑と佐倉中学校、佐倉東高等学校が建っています。広小路跡は、自由広場になっており、お花見や秋祭りの駐車場となります。 -
佐倉城大絵図(江戸初期・・1644〜1648年、歴博発行資料より)です。
佐倉城全体が台地上にあり、急崖と水堀に囲まれています。主郭(本丸、二の丸、三の丸)には、深い空堀が廻らされていました。 -
佐倉城の復元図(江戸中期〜後記)です。
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大手門跡の解説板です。
佐倉城祉には、要所に写真を載せた、解説の看板が設置されています。 -
大手門跡の石柱です。
大手門は佐倉城の表門で、その中には武家屋敷が整備され、三の丸御殿や会所などが置かれていました。 -
佐倉中学校です。
天神曲輪があった所で、武家屋敷がありました。 -
佐倉東高等学校です。
中下町と大下町があった所で、武家屋敷がありました。 -
広小路の通りです。
大手門から三の丸まで、約400mの直線道路でした。 -
佐倉城址公園管理センターです。
佐倉東高校との境、自由広場(土が剥き出しの広場で、駐車場として利用されています)の隅にある、プレハブの建物です。佐倉城の天守閣の模型や江戸時代の古地図、日本100名城のスタンプなどがあります。管理センターの開館は、9:00?16:30です。 -
佐倉城の天守閣の模型です。
佐倉城の天守閣は、3重櫓で内部は5階という質素な造りでした。 -
日本100名城、「NO20 佐倉城」のスタンプです。
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歴博くらしの植物苑です。
天神曲輪があった所で、武家屋敷がありました。通りを挟んで広小路があり、現在の自由広場に三の丸御殿がありました。 -
佐倉城址の解説板です。
本佐倉城に移封されていた老中・土井利勝が徳川家康の命により、1611年から7年間をかけて築城半ばで廃城となっていた戦国期の鹿島城跡に佐倉城を築城し、その周辺に城下町が形成されました。以来、この城は西の小田原や北の川越などと共に江戸防護の要衝として、徳川譜代の有力大名たちが封ぜられ、幕府の老中職に就いた大名が徳川各藩中最多を数えたことから、俗に「老中の城」とも呼ばれました。築城から明治廃藩まで258年間に9家20大名が封ぜられ、そのうち通算141年を堀田氏が治め、幕末の筆頭家老としてハリスと日米修好通商条約交渉に身命を賭け、開国へと導いた19代・堀田正睦等を輩出しました。城下町が形成されてから約400年が経った現在でも基本的な町割は変わっておらず、町のあちこちに往時をしのばせる古い建物や史跡が沢山残っています。 -
広小路(三の丸御殿)と三の丸を隔てる空堀です。
埋め立てられてかなり低くなっているものの、かなりの規模だったことがその痕跡からも覗えます。 -
三の門跡の解説板です。
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三の丸跡です。
三の丸は、内部が空堀によって細分化され、小姓長屋や侍番所などが置かれていました。桜の花が満開の時には、ブルーシートが敷かれ、お花見、酒盛り、カラオケで賑わいます。 -
三逕亭(茶室)です。
日曜と祝日には、表千家・裏千家の茶人によるお抹茶が、400円で楽します。 -
平成18年10月に建設された佐倉の偉人、堀田正睦公の銅像です。
1825年佐倉藩主になり、文武の奨励、藩民の生活の向上、藩校の拡充、諸侯に先駆けた蘭学の導入など、藩政の改革に努力されました。また1841年幕府老中に就き、1855年には老中首座となり、「攘夷」が叫ばれるなか、欧米列強に対抗する為には、貿易により国を富ませる必要があると「開国」を唱え、「日米修好通商条約」の締結に全力を傾けたことで知られています。 -
平成20年6月に建設されたタウンゼント・ハリスの銅像です。
ハリスは1855年に初代駐日総領事として着任し、堀田正睦公とともに「日米修好通商条約」の平和的締結に尽力した人物です。条約締結150年を記念して正睦公の銅像と並び建立さました。 -
レトロなトイレがあります。
いつも清潔に維持され感謝・感謝です。 -
東屋です。
姥が池に向かう一段低い位置にあります。紅葉の時期には、廻り一面いろは紅葉で真っ赤に染まります。 -
姥が池の解説板です。
三の丸にある姥が池は、佐倉城の水源になっていました。 -
姥ヶ池です。
天保年間にこの池のまわりで家老の娘をおもりしていた姥があやまって娘を池に落としてしまい、娘はそのまま沈んでしまつた。姥は困り果て身を投げたと伝えられ、以来「姥が池」と言われるようになりました。初夏には白いヒツジグサが池を埋め尽くす、また、鯉や亀が多数生息しているが、ブルーギルが爆発的に増えているのは困る物です。 -
三の丸と二の丸を隔てる空堀です。
かなりの深さがあり大規模です。完全に藪化していました。 -
二の門跡の解説板です。
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二の丸跡です。
二の丸には、対面所(御殿)や腰掛長屋(殿舎)、米蔵などが置かれていました。 -
二の丸と本丸を隔てる空堀です。
大きな空堀ですが藪化しています。紅葉の時期には、いろは紅葉で真っ赤に染まります。 -
一の門跡の解説板です。
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一の門跡です。
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本丸跡です。
本丸には、本丸御殿が建てられており、一番奥に3重櫓(内部は5階)の天守閣がありました。 -
土塁の解説板です。
佐倉城は、石垣のない土造りの城で、本丸の周囲は土塁に囲まれており、土塁の上に土塀が造られていました。 -
崖側(西側)の土塁です。
崖側の土塁は、ひときは高く見事です。 -
空堀側(東側)の土塁です。
空堀側の土塁は、低いことが判ります。 -
夫婦モッコクの解説板です。
佐倉城の築城の際に本丸等に植えられた庭樹の一つと考えられています。このモッコクは、二株であるが根元が癒合しており、樹高11M以上ありモッコクとしては巨木です。 -
夫婦モッコクです。
昭和27年に、「佐倉城の夫婦モッコク」として、千葉県指定天然記念物に登録されています。 -
天守閣跡です。
二段の土塁で築かれており、石垣が使われていません。天守閣は土塁に半分乗り上げて築かれていました。 -
天守閣跡と本丸跡です。
本丸跡の周囲の土塁斜面には、桜が植えられており、満開の時にはそれは見事です。芝生の広場は子供に大人気で、思い思いの遊びに興じる子供の歓声に包まれます。 -
銅櫓跡の解説板です。
その名のとおり銅瓦葺きの2重櫓で、小天守の役割を持っていました。江戸城の静勝軒(太田道灌時代の高楼建築)を、将軍より拝領し移築したものだと言われています。 -
銅櫓跡です。
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土塁上の通路です。
ここに土壁が造られており、30mを超える急崖が迫ります。 -
角櫓跡の案内板です。
角櫓は白漆喰瓦葺2重櫓で、千葉氏の根古屋城から移築したとの説があります。 -
角櫓跡です。
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台所門跡の案内板です。
不明門で、その名の通り普段は、「あかずのもん」だったのでしょう。 -
台所門跡です。
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本丸と二の丸を隔てる空堀です。
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二の丸に出てきました。
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二の丸の崖側(南側)の土塁です。
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佐倉城の礎石の解説板です。
「歴博」の研究棟を建設する際に、発掘調査され旧陸軍の営所跡を発見します。兵舎跡の基礎には、大量の石が詰めてあり、その石は佐倉城が建設された際の礎石と判明しました。陸軍の営所を置く際に、佐倉城の建物が取り壊され、その基礎が転用された物でした。 -
二の丸に残る佐倉城の礎石です。
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柱を建てた跡が残る礎石もあります。
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三の丸跡に出てきました。
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椎木門跡の解説板(三の丸から椎木曲輪へ通じる門)です。
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馬出し空堀の解説板です。
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馬出し空堀です。
復元された椎木門馬出しで、何時も手入れが行き届き見事です。佐倉城にはこの他にも、馬出し空堀があったようです。 -
馬出し空堀です。
椎木曲輪と椎木門の間にありました。 -
椎木曲輪の解説板です。
武家屋敷があった曲輪で、現在は国立歴史民族博物館が建っています。 -
国立歴史民俗博物館です。
原始・古代から現代に至るまでの歴史や日本人の民俗世界をテーマに、実物資料に加えて精密な複製品や学問的に裏ずけられた複製模型などを積極的に取り入れ、日本の歴史と文化について、誰でも容易に理解を深められるよう展示されています。 -
歴博の駐車場です。
駐車場は、台地下に2箇所と台地上に3箇所あります。桜の満開の時期には、臨時駐車場も設けられ、車でくる人には助かります。 -
円勝寺跡・愛宕神社跡の解説板です。
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愛宕坂です。
田町門から椎木曲輪へ上がる坂は、愛宕神社の下にあるため「愛宕坂」とよばれていました。 -
田町門跡・愛宕坂の解説板です。
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田町門跡です。
佐倉道・成田道(成田街道)の、「田町」側から城内へ入る門で、門の裏手に番所がありました。 -
土塁の解説板です。
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水堀に沿って築かれた土塁です。
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成田街道(国道296号線)沿いの水掘(三十三間堀)です。
台地下の水堀は、佐倉城を囲むように造られていました。台地下の湿地・湿田と水堀・土塁、30mを超える急崖と、佐倉城の守りの固さが覗えます。 -
本丸の急崖です。
佐倉城の周囲を30mを超える急崖が守っています。 -
北側の出丸の水堀です。
出丸の三方を水堀が囲んでいます。 -
北側の出丸の移築門です。
この門は佐倉城内の移築門のようですが、どの門だったかは不明です。 -
北側の出丸です。
北側と南側の2ケ所の出丸は、本丸を台地下で守るように造られています。 -
北側の出丸の土塁は、出丸を囲んでかなり高く造られています。
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土塁上の通路です。
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帯曲輪跡の説明版です。
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帯曲輪跡です。
本丸の崖下を囲むように造られた曲輪で、北側の出丸跡から南側の出丸跡へ通じる通路が上下2本あり、上側の通路が帯曲輪です。 -
南側の出丸の水堀です。
出丸の三方を水堀が囲んでいます。 -
南側の出丸です。
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南側の出丸の土塁は、北側の出丸の土塁より低くなっていました。
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佐倉城の南側の水堀跡です。
南側の出丸から三の丸御殿の台地下まで、一直線に大規模な土塁が見られます。この道路は、かつては水堀で、土塁と並行して造られていました。 -
坂下門跡です。
三の丸に通じる浅間坂の上り口にあります。 -
大規模な土塁、城南堤の石柱です。
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城南堤です。
大規模な土塁上には桜並木が続き、春には見事に咲き誇ります -
佐倉城の「御城印」です。
佐倉ふるさと広場売店「仏蘭花」で、1枚300円で購入しました。
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