2018/01/15 - 2018/01/15
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YAMAJIさん
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江戸時代初期から中期までは、水戸街道新宿から佐倉までを「佐倉道」と呼んでいました。佐倉藩の藩主に任ぜられた土井利勝が、佐倉から江戸までの道を往復するようになり「佐倉道」と呼ばれるようになります。その後、本格的に参勤交代が始まると、街道筋に宿場が定められ、本陣や脇本陣が置かれ、房総の諸大名十数藩が利用する脇街道となっていきました。
江戸時代中期以降になると、庶民信仰の中から寺社参りの慣習が広まり、講を組んで集団で出かけて歩く風潮が生まれます。成田山では、江戸での御開帳を盛んに行った事などで人気を博し、その後の成田詣での基礎を築きました。このように、成田山詣での人々が街道の主役を占めるようになって、これまで「佐倉道」と呼ばれていたのが、いつの間にか、水戸街道新宿から成田までを「成田道」と呼ぶようになっていったのです。
この旅行記は、佐倉市の「佐倉道・成田道」13kmのうち、井野、上志津、ユーカリが丘、上座、臼井台、臼井を歩いた記録です。
2011/10/08 第1版
2012/10/26 第2版
2014/02/07 第3版
2018/01/15 第4版
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成田道は、水戸街道新宿から成田まで約52kmあり、八幡、船橋、大和田、臼井、佐倉、酒々井、成田の7つの宿場がありました。
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成田道の案内図(八千代市境~臼井)です。
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京成成田線の勝田台駅です。
勝田台駅は八千代市ですが、駅北口前の国道296号線のすぐ東は、佐倉市の井野地区です。国道296号線に沿って散策スタートです。 -
右手に井野郵便局が見えてきます。
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加賀清水の祠です。
セレモ志津ホールの向かいの小路(国道296号線左手)を、直進すると突き当りが加賀清水です。 -
加賀清水の親水公園です。
佐倉城主「大久保加賀守忠朝」が愛飲されたところから、「加賀清水」と呼ばれるようになりました。 -
今も清水が湧き出しています。
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成田山道標と常夜燈です。
国道296号線に戻って左手すぐの、アメニティハイム21前にあります。東日本大震災で倒壊し、市役所に引き取られ修復も済み、平成25年6月に帰ってきました。
向って右側の道標は天保2年(1831年)、七代目市川団十郎の建立です。中央の道標は明治27年(1894年)、岩田長兵衛の建立です。左の道標には天保11年(1840年)、古帳庵夫婦が詠んだ歌が刻まれています。常夜燈は文政10年(1827年)、茶屋「林家」の前に建立されたものです。 -
井野交差点です。
右に曲がると四街道方面と水道道路にでます。 -
京成成田線の志津駅です。
国道296号線の志津駅入口交差点のすぐ右手にあります。 -
志津駅入口交差点のすぐ手前の左手に、志津郵便局があります。
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京成成田線のユーカリが丘駅です。
ユーカリが丘は、デベロッパー山万が開発した近代的な街です。駅前には高層マンションが5棟、ウィシュトンホテル、ユーカリプラザ、イオンタウンなどが立ち並び、一戸建て住宅地域にはモノレールが循環しており、首都圏でも屈指の近代的なベットタウンです。 -
山万ユーカリが丘線のモノレール駅です。
ユーカリが丘の町を6駅で結んでいます。 -
ウィシュトンホテルです。
宿泊は180室で、ブライダルや各種宴会・会議にも対応しています。 -
ユーカリプラザです。
ワーナーマイカルシネマズをはじめ、文教堂書店、島村楽器、三越ギフトショップ、ブティック、お食事処、喫茶店など、テナントも充実しています。 -
高層マンション群です。
高さ100m級の超高層マンションが5棟立ち並んでいます。手前の駐車場は順天堂大学の建設予定地です。 -
上座荒具の庚申塔です。
ユーカリが丘駅前交差点で、京成成田線と国道296号線の間の道路を、200m進むと左手にあります。庚申塔が13基祀られており、元文5年(1740年)のものが1番古く、天保年間(1830~1843年)のものが6基あります。 -
上座の道標です。
国道296号線沿いの右手、ベビーショップの西松屋の真向かいにあります。正面に「成田山 岩田長兵衛」と刻まれており、明治27年(1894年)の建立です。 -
志津村道路元標です。
国道296号線沿いの右手、スーパージェーソンの交差点を東側に渡った電柱下にあります。旧道路法(大正9年施行)により、各市町村に1個づつ設置されています。この元標があることで、ここが旧志津村の中心だったことが判ります。 -
上座交差点の右側に皇産霊神社の石碑が集められています。
皇産霊神社と刻まれた石碑1基と三山参拝記念塔14基、笠のみの石碑1基があります。 -
NTT志津電話交換センター前を通過します。
このあたりからカーブしながら、坂道を下っていきます。 -
手繰の坂(たぐりのさか)です。
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手繰不動尊です。
坂の途中の左側にあります。ここは廃寺となった真言宗の輪正寺跡で、祠の中には不動尊と大日如来が祀られています。 -
大師堂と安産子育て地蔵と15基の馬頭観音です。
手繰不動尊に隣接した輪正寺跡にあります。 -
右手に下志津の田園風景が広がります。
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スーパーマルエイの信号機の所で、国道296号線は手繰橋を渡ります。
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手繰橋からみた手繰川です。
手繰の地名は、古くは「田久里」の文字が用いられていましたが、年々起こる印旛沼の大洪水によって、手繰川も氾濫し、橋も道路も水没するため、両側に杭を打ち網を張り、舟に乗ってこの網を手繰って人々が渡ったことから、手繰という文字になったといいます。 -
手繰川のカワセミです。
手繰橋周辺は、カワセミ撮影の絶好のポイントで、運が良ければダイブするカワセミが見れるかもしれません。 -
弥右衛門坂(やえもんざか)です。
臼井台への上り坂です。手繰橋を渡ってすぐ、国道296号線と別れ、左の道路に入っていく。この旧道を直進していくと、成田道最大の難所と言われた弥右衛門坂が待っています。手繰の弥右衛門坂とこの先の新坂は、粘土質が厚く、ひどいぬかる道で坂の急さと相まって、成田道の難所とされ、この間を臼井峠と呼んでいました。江戸の豪商が、割石を利根川から印旛沼へ舟で運び、この難所の坂に敷き詰めたと伝わっています。 -
田久里砦跡です。
弥右衛門坂の途中右手にあります。宅地化の波に呑み込まれていますが、臼井城の6砦のひとつでした。 -
田久里砦跡の庚申塔です。
庚申塔の下部には三猿も彫られ、江戸中期の建立です。 -
庚申塚から細い芝生の道を下ると、長谷津児童公園があります。
この公園を入って右奥に、田久里砦跡の説明板があり、1114年に臼井六郎常康が、市川道の押さえとして、田久里砦を築いたと記載されていました。
また、妙見社と摂津の稲荷社、清龍権現の三祠がここに遷座されています。 -
弥右衛門坂に戻って、坂道を上りきった先に臼井台の丁字路があります。
正面に小さく臼井台の道標が見えてきます。 -
臼井台の文化3年(1806年)建立の道標です。
正面に「右成田ミち」、右側面に「左江戸みち」、左側面に「西さくば道」と刻まれています。さくば道とは、作場道=農道のことです。 -
実蔵院本堂です。
丁字路を左に折れて直進するとすぐに実蔵院です。1372年創建で、不動明王を本尊をする真言宗のお寺です。江戸時代には、佐倉藩臼井領の祈願寺でもありました。 -
実蔵院の明倫中学跡の石碑です。
明治36年(1903年)から昭和17年(1942年)まで、寺内に私立明倫中学があり、地域の青少年の教育に大きな貢献をしました。 -
実蔵院のコウヤマキ、樹齢150年です。
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妙覚寺本堂です。
実蔵院から戻り臼井台の丁字路を通過し、100m先を右に下っていくと妙覚寺です。1488年に日泰上人により開山された、釈迦如来を本尊とする日蓮宗のお寺です。境内には、明治初期臼井村役場が開設されていました。 -
雷電顕彰碑です。
明和4年(1767年)信濃国に生まれ、天明8年(1788年)松江藩主松平不味公のお抱え力士となり、四股名を「雷電」。初土俵から引退まで254勝10敗、優勝回数25回。享和元年(1801年)臼井で興行があり、臼井上宿の八重と出会う、晩年八重のふるさと臼井で余生を送ったと伝えられています。臼井台の妙覚寺山門前にあります。 -
臼井城址跡の碑です。
妙覚寺から旧道に戻り100m先を左折し、星神社手前を右に曲がって直ぐ左上に太田図書の墓があります。そこを右に曲がって行くと、左手が臼井城址公園の入口です。 -
二の丸と本丸を結ぶ土塁跡です。
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本丸跡です。
臼井城は、平安時代末期から鎌倉時代始め頃に(1100年代)、千葉氏の一族の臼井常康が居館を構えたのが始まりです。臼井氏中興の祖・興胤の代に(1300年代)、本格的な築城が行われました。原氏の時代(1500年代)には、東西約1km、南北約1.5kmの城郭を配し、王子台・稲荷台・田久里・宿内・仲台・洲崎の6砦を構え、外周に岩戸・師戸・先崎・小竹・志津の5支城を置き、鬼門に社寺を配し砦を兼ね、その間を舟運や間道をもって連絡するという、要塞堅固な平山城となりました。いくたの戦いの後、1604年約500年におよぶ下総統治の拠点であった臼井城は、廃城となりました。現在も空堀や土塁が良く残っています。 -
本丸跡より西印旛沼を望む。
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太田図書の墓です。
1478年千葉孝胤は、上杉氏の重臣太田道灌に破れ、臼井俊胤の守る臼井城に撤退、翌年道灌の弟太田図書助資忠は千葉自胤(武蔵千葉氏)と臼井城を攻撃、図書助ほか53名が戦死しました。臼井城の一角三の丸跡に、墓が残っています。 -
新坂(にいさか)です。
臼井城跡から旧道に戻り先を進むと、急な坂道になり、下りきったところの信号で国道296号線に合流します。左にまがり直進すると中宿交差点です。 -
雷電の墓です。
雷電と妻八重、幼くして亡くなった子供も一緒に眠っています。新坂を下ってすぐ右に曲り(国道296号線に合流する手前です)、妙伝寺の奥の墓地にあります。 -
国道296号線に合流しました。
突き当りが中宿交差点です。 -
安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に江戸末期の臼井宿が紹介されています。江戸寄りから片町、上宿、中宿、下宿、新町と宿場町が形成されており、180軒余りの旅籠や茶店などが軒を連ねていました。
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「成田名所図会」には、臼井宿の街並みだけでなく、街道を行きかう人々や旅籠で寛ぐ旅人が、生き生きと描かれています。
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中宿交差点にある石碑です。
「明治天皇臼井行在所」の石碑と臼井町道路元標が集められています。中宿は臼井宿の中心であったところです。 -
「明治天皇臼井行在所」の石碑です。
明治十四年(1881年)と明治十五年(1882年)に、明治天皇が三里塚種畜場に行幸の際、往復とも御昼餐を御召されたところです。 -
臼井町道路元標です。
旧道路法(大正9年施行)により、各市町村に1個づつ設置されました。この元標があることで、ここが旧臼井町の中心だったことが判ります。 -
長源寺本堂です。
中宿の交差点を右折してすぐ50m先を、右に曲がって行くと長源寺です。1570年に道誉上人により開山された、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗のお寺です。ここは明治6年開設の臼井小学校の発祥の地です。 -
長源寺境内の百万遍念仏供養塔と双体石仏です。
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道誉上人の墓です。
1515年に和泉国日根群鳥取庄(大阪府)に生まれ、1551年に千葉大厳寺を開山し、1555年に東京芝の増上寺の第9世貫主になり、1570年には臼井の新大厳寺(長源寺)を開山するなど、関東地方で活躍されて、1574年60歳で亡くなっています。上人のお墓は長源寺の墓所にあります、ここには長嶋茂雄の生家の墓もあります。 -
国道296号線に戻り進むとすぐ左手に、長嶋茂雄の生家があります。
長嶋茂雄の生家は建て替えられ、兄武彦も平成23年に亡くなっています。長嶋茂雄はこの地(千葉県印旛郡臼井町)で、昭和11年(1936年)2月20日に、父;利、母;ちよの次男として生まれています。 -
左手に臼井郵便局があります。
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臼井郵便局のすぐ先の右側に、和菓子の老舗太田堂があります。
「焼栗くん」と「緑茶きんつば」がお勧めです。「焼栗くん」は、生地に佐倉産米粉を使い、その中に渋皮付きの栗をまるまる一つ入れています。「緑茶きんつば」は、北海道産大手亡(おおでぼう)と吟味した緑茶「ささみどり」とのやさしい調和は、香り豊で味わいのある一品に仕上がっています。 -
すぐに臼井の京成成田線の踏切です。
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踏切を渡り三叉路に臼井の道標があります。
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江戸の商人達によって文化3年(1806年)建立された道標で、正面に「西江戸道」、左側面に「東成田道」、右側面に「南飯重生ヶ谷道」と刻まれています。
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この道標には「さくら道」と刻まれています。
上記の道標よりさらに古い道標で、建立当時は「成田道」ではなく「佐倉道」と呼ばれていたことが判ります。 -
光勝寺本堂です。
1100年代臼井城を築城した、臼井常康の創建といわれています。本堂の閻魔大王は、印旛沼に漂着した頭部を用いて作られたものと伝えられています。臼井氏の初期の頃の菩提寺です。 -
光勝寺の一遍上人像。
お寺は、臼井の京成成田線の踏み切りを成田方面に100m先の右の小高い丘の中腹にあります。ここが今日のゴールとなりました。
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