2020/08/24 - 2020/08/24
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YAMAJIさん
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千葉県の地形は、南が高く北に低くなっています。南部の安房・上総には愛宕山や清澄山、鹿野山など300ー400mの山がいくつかあり、北部の下総はせいぜい30mの丘陵台地がある程度で、その最も低い所が利根川流域です。1,000年前の東関東水系図を見ると、銚子方面からの海が深く入り込んでいて、香取の海といわれる入江を形成していました。毛野川(鬼怒川)や香澄ヶ浦(霞ヶ浦)、印旛浦が香取の海に通じており、常陸川を通って銚子へと流れていました。利根川は、暴れ川として名高く、荒川や渡良瀬川と入り乱れて流れ、東京湾に注いでいました。この地域は、たびたび増水と氾濫を繰り返す、洪水の常習地帯でした。
徳川家康は江戸に入府すると間もなく、江戸を水害から護り、農業を安定させ、水運の便を図ることを目的として、文禄3年(1594年)から、利根川を香取の海に結び付ける工事を開始します。しだいに利根川本流を東に向けて繋いでいき、承応3年(1654年)に60年間続いた工事がやっと完成しました。この結果、江戸の町を洪水から守る役割を果たすとともに、広く関東平野における洪水の制御、灌漑、新田開発に寄与し、また舟運の整備によって江戸を中心とする関東各地、さらに東北地方を結ぶ、物流輸送の大動脈が確立しました。
利根川東遷工事の完成により、利根川上流から大量の土砂が下流に運ばれ、堆積します。その結果として印旛沼は、利根川の氾濫のたびに水が印旛沼に逆流し、多大な洪水被害を蒙ることになりました。印旛沼の洪水を防ぐ方法として、4つの開削工事案が検討されました。第1案は、新川から検見川を経由して東京湾に排出するルート。第2案は、新川・桑納川から海老川を経由して東京湾へ排出するルート。第3案は、鹿島川・物井川から都川を経由して東京湾に排出するルート。第4案は、鹿島川・高崎川から作田川を経由して太平洋へ排出するルートでした。この中で、江戸時代から昭和まで、第1案の新川ー検見川ルートの開削工事が試みられました。
享保9年(1724年)に、水害防止と新田開発のため、平戸村の染谷源右衛門が幕府から数千両の資金を借り受け、平戸ー検見川間の疎水路の開削工事に着手するが、資金不足のため挫折してしまいます。 天明2年(1782年)に、浅間山の大噴火による利根川の川底が高くなり水害が頻発する。老中・田沼意次が幕府の事業として平戸ー検見川間の疎水路開削工事に着手したが、天明6年(1786年)の洪水で開削工事施設がことごとく壊されたことと、田沼の失脚により中止となります。 天保14年(1843年)に、老中・水野忠邦が5藩に命じて、現在の新川、花見川の工事が行われ、工程の7?8割まで進みますが、5ヶ月後の水野の失脚により中止となります。この工事が印旛沼疎水路の礎となりました。
大正7年(1918年)から大正11年(1922年)にかけて、長門川と利根川の合流地点に印旛水門が建設され、利根川の洪水時に起こる印旛沼への逆流(外水被害)は制御され、併せて小規模な排水ポンプによる内水の制御も行われます。しかしながら昭和期に入り、昭和13年(1938年)の集中豪雨により内水水害が発生、印旛水門の排水ポンプは完全に破損し、使用不能となります。この後は、再び印旛沼と周辺域が洪水被害を受けることになり、特に昭和16年(1941年)の集中豪雨による洪水は、明治以来100年間でも最大級の被害をもたらしました。この後も、昭和22年(1947年)のカスリーン台風、昭和23年(1948年)のアイリン台風、昭和24年(1949年)のキティ台風・・・昭和33年(1958年)のヘレン台風など、大規模な洪水被害は枚挙にいとまがありませんでした。
戦後、食糧難の解決と引揚げ者のための緊急開拓事業として、印旛沼の干拓事業が始まります。また、東京湾の千葉市臨海部の埋め立てが進み京葉工業地帯が形成され、工業用水の需要が高まっていきます。このような状況の中で、印旛沼周辺地域の洪水防止に加えて、農業用水、工業用水を供給する、多目的な印旛沼水管理施設の整備が開始されます。昭和35年(1960年)に印旛排水機場が完成し、昭和41年(1966年)に大和田排水機場、酒直揚水機場、酒直水門が相次いで完成しました。また、沼周囲を守るための延長約38kmの堤防と東京湾に排水するための延長約17kmの疎水路(上流部;新川、下流部;花見川)、西沼と北沼を短距離で結ぶ延長約3.8kmの捷水路などが新しく開削されていきます。そして昭和44年(1969年)に、ついに印旛沼開発事業は完了しました。享保9年(1724年)の最初の工事から実に244年を経過していました。
参考資料等;小川元著「印旛沼周遊記」、水資源開発公団千葉用水総合事務所編「印旛沼ものがたり」、栗原東洋著「印旛沼開発史」、関東農政局資料「印旛沼開発の歴史」、水資源機構資料「千葉用水総合事業」、千葉県資料「印旛沼地域の農業用水管理の概要」、印旛沼流域水循環健全化会議資料「印旛沼学習指導の手引き」など
2014/01/31 第1版
2020/08/24 第2版
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1000年前の東関東水系図です。
銚子方面からの海が深く入り込んでいて、香取の海といわれる入江を形成しています。毛野川(鬼怒川)や香澄ケ浦(霞ケ浦)、印旛浦が香取の海を通じて、常陸川を通って銚子へと流れ出ています。渡良瀬川と利根川、荒川は江戸湾(東京湾)に流れ出ています。 -
江戸時代初期の利根川東遷事業です。
文禄3年(1594年)に始まった工事は、60年後の承応3年(1654年)にやっと完成しています。広く関東平野における洪水の制御、灌漑、新田開発に寄与し、舟運の整備により江戸を中心とした物流の大動脈が確立しました。 -
明治時代後期の高瀬舟を利用した物流の様子です。
利根川と江戸川の主要な河岸と航路、印旛沼の主要都市、それらの物資の流れが判ります。 -
掘削工事計画には4案が検討されました。
第1案は、印旛沼ー新川ー検見川ー東京湾ルート。第2案は、印旛沼ー新川ー桑納川ー海老川ー東京湾ルート。第3案は、印旛沼ー鹿島川ー物井川ー都川ー東京湾ルート。第4案は、印旛沼ー鹿島川ー高崎川ー作田川ー太平洋ルートでした。 -
印旛沼開発事業前後の印旛沼の姿です。
北部干拓と西部干拓が行われた北印旛沼地域と中央干拓が行われた中央排水路地域、鹿島干拓が行われた鹿島川下流地域での印旛沼の面積減少が目立ちます。 -
印旛沼の生態系の変化です。
昭和30年代と現代の動植物の変化が、解りやすく図解されています。 -
印旛沼の土地利用と水収支です。
昭和40年ごろと平成19年の土地利用の変化と水収支の変化が、解りやすく図解されています。 -
現在の印旛沼流域図です。
印旛沼の流域は、下総地域の13市町村に及んでいます。
印旛沼の面積;11.55平方km(北沼;6.26平方km、西沼;5.29平方km)。印旛沼の周囲;26.4km。水深;最大2.5m、平均1.7m。流域面積;541.1平方km。流域人口;78万人。 -
花見川と京成成田線です。
印旛疎水路下流部(花見川)は、大和田機場から東京湾(幕張の浜、検見川の浜)まで延長7.9kmです。この間に水位調整用の天戸制水門と長作制水門があります。 -
大和田機場と水資源開発公団千葉用水総合事務所です。
印旛機場のポンプをフル稼働して利根川に排水しても 、印旛沼の水位がまだ下がらない時は、大和田機場のポンプを運転して、花見川を通して 東京湾に排水します。このとき、大和田機場の 排水能力は、毎秒120立方メートルです。 -
大和田排水機場竣工記念碑です。
大和田機場の工事は、昭和38年に着工し昭和41年に完成しています。この記念碑は昭和41年の建立で、大和田機場の敷地の中に建っています。 -
大和田機場の屋外に、初代の羽根車が展示されています。
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大和田機場前の新川です。
印旛疎水路上流部(新川)は、大和田機場から阿宗橋まで延長9.4kmです。 -
桑納川(延長5,400m)です。
八千代市の桑納・麦丸地区で新川に合流しています。 -
八千代橋(国道16号線)です。
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八千代橋前の新川と遊歩道です。
新川の堤防の上は、遊歩道兼サイクリングロードとして整備されています。 -
八千代橋付近でのヘラブナ釣りです。
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神崎川(延長14,560m)です。
八千代市の平戸・堀の内地区で新川に合流しています。 -
堀之内・船尾地区の干拓地(平戸干拓)です。
終戦後の平戸干拓工事は、昭和21に着工し昭和27年に完成しています。 -
新川サイクリングロードです。
東京湾から利根川まで、花見川ー新川ー西印旛沼ー印旛捷水路ー北印旛沼ー長門川と、約50kmのサイクリングロードが整備されています。 -
神野・保品地区基盤整備事業竣工記念碑です。
八千代市の神野・保品地区基盤整備事業は、水田の大区画化と乾田化を目的として、平成5年度に着工し平成14年度に完成しています。 -
新阿宗橋前の新川です。
阿宗橋ー大和田機場(新川)から大和田機場ー東京湾(花見川)までを、印旛放水路(疎水路)といい総延長18,960mあります。 -
阿宗橋(県道263号線)、保品の渡し(保品ー吉田)がありました。
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阿宗橋から西印旛沼が始まっています。
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新先崎橋(手繰川河口)です。
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手繰川(延長7,257m)です。
佐倉市の先崎干拓・臼井台干拓地区で西印旛沼に合流しています。 -
堤防とサイクリングロードと桜並木です。
新川と西印旛沼のサイクリングロードは、桜並木が良く整備されています。 -
江戸時代に発行された、「利根川図志」の臼井八景です。
元禄11年(1698年)に臼井の隠士信斎が、中世の臼井氏・原氏時代を偲び歌を詠んでいます。「舟戸ノ夜雨」「遠部ノ落雁」「飯野ノ暮雪」「師戸ノ帰帆」「瀬戸ノ秋月」「城嶺ノ夕照」「光勝寺晩鐘」「洲崎ノ晴嵐」の八景です。 -
舟戸の船着き場です。
印旛沼で漁をするさっぱ船と釣り人達のボート基地となっています。土 日・祭日になると、モーターボートの発着場に早変わりします。舟戸の船着き場の近くに、2ケ所のモーターボート駐船場があります。 -
千葉県内水面水産研究所です。
手賀沼・印旛沼における魚介類相調査やヤマトシジミ資源のモニタリング。水田と河川を結ぶ簡易な魚道構造の策定と、抽水植物帯が水産資源の再生産に果たす機能の解明。漁業者及び地域住民などが行う漁場環境保全活動等に対する技術指導。養殖管理や魚病の診断・対策指導等の養殖技術指導 。ホンモロコ発眼卵やナマズふ化仔魚を有償配布して、養殖生産を支援 。利根川におけるシラスウナギの来遊時期などを調査 。健全で活力の高いアユ放流用種苗を作出するため、新規系統群の作出と種苗生産用親魚の養成 。県内に生息するミヤコタナゴの生息地別の系統保存と繁殖に欠かせないイシガイ科二枚貝の飼育試験などを行っています。 -
舟戸の渡し(舟戸ー師戸)跡の碑です。
千葉県内水面水産研究所の正門前に建っています。
昭和38年に佐倉市臼井と印旛村(現在の印西市)師戸迄の舟戸大橋が完成するまで、渡し船が活躍していました。舟戸の渡しは、下総と常陸を結ぶ重要な渡しでした。 -
舟戸大橋(県道64号線)は架け替え工事中です。(2020年8月撮影)
昭和38年に完成して以来、50年が経過し老朽化が進んでいました。また、橋には歩道が無く、近年の交通量の増加と相まって、歩行者や自転車にとっては、大変危険な状況が続いていました。このため平成26度から舟戸大橋の架け替え工事が始まっています。 -
舟戸水位観測所です。
10分毎に印旛沼の水位を観測し、千葉用水総合管理所(八千代市大和田)に送信しています。すべてテレメータシステムで運用・管理されています。 -
師戸の船着き場です。
岸壁が整備された西印旛沼で一番大きな漁港です。多くのさっぱ船が係留されていました。 -
師戸川(延長6,690m)です。
印西市の師戸地区で西印旛沼に合流しています。 -
印旛沼公園からの西印旛沼です。(3月撮影)
西印旛沼を見下ろす丘の上に広がるのが、県立印旛沼公園です。師戸城跡の保存を目的の第一に開設されました。師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏の居城である臼井城の支城として、14世紀に築かれ、その後何度か改築され、16世紀中頃に現存の形となったと推定されています。城主については、江戸時代初期に書かれた「臼井家由来抜書」に名前の見える、臼井氏四天王の一人である師戸四郎がこの城に関係があったと考えられています。印旛沼の対岸にあった臼井城とは「渡し」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられています。1566年の上杉謙信の臼井城攻めではその猛攻を防いだが、1590年の豊臣氏による下総攻略により臼井城が落城し、師戸城も命運を共にしました。 -
金比羅様の船着き場です。
師戸の金比羅神社の近くにある小さな船着き場です。 -
一本松機場です。
印西市の瀬戸にある農業用の揚水機場で、受益面積は651haです。昭和42年に竣工しています。令和4年度までに建屋の補修工事が予定されています。 -
一本松地域の水循環の説明板です。
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瀬戸の渡し(瀬戸ー土浮)跡の案内柱です。
土浮の渡しとも呼ばれ昭和35年まで、印旛村(現在の印西市)瀬戸と佐倉市土浮を結ぶ渡し船が活躍していました。 -
花台大川岸からの西印旛沼です。(8月撮影)
印西市瀬戸の徳性院からの眺めは素晴らしく、遠く富士山や東京スカイツリーも見ることができます。2月の4日ー13日には徳性院の駐車場前に、富士山に沈む夕日(ダイヤモンド富士)を狙って多数のカメラマンが並びます。 -
瀬戸水位観測所です。
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双子橋(印旛捷水路の西印旛沼河口)です。
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双子公園の船着き場です。
近くにモーターボートの駐船場があるので、漁をするさっぱ船だけでなく、土日・祭日にはモーターボートが発着に利用するようです。 -
印旛沼浄水場です。
JFE向けの工業用水と千葉地区の臨海工業地帯向けの工業用水を、西印旛沼から取水しここで浄水し送水しています。 -
間野台調圧塔です。
鋼鉄製で高さ40mあります。印旛沼浄水場で取水・浄化された水は、この調圧塔で圧力をかけ、臨海工業地帯に送水しています。 -
堤防とサイクリングロードと桜並木です。
写真の左が西印旛沼、中央に堤防、その右にサイクリングロードと桜並木、さらに右に農業用水路があります。 -
臼井水位観測所です。
各水位観測所には洪水に備えて、水防団待機水位、はん濫注意水位、避難判断水位、はん濫危険水位が設定されています。 -
印旛沼取水場です。
千葉県営水道と印旛広域水道の水道用水を、西印旛沼から取水し柏井浄水場に送ります。 -
飯野竜神橋(鹿島川河口)です。(8月撮影)
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佐倉ふるさと広場の風車(リーフデン)と佐蘭花(売店・休憩所・トイレなど)、そして中央に遊覧船です。(8月撮影)
印旛沼の遊覧船は、イベント時(チューリップ祭りなど)や土・日曜日に運行されています。また貸切船としての運航は、片道6kmの西印旛沼コースと片道12kmの甚兵衛コースが有ります。 -
鹿島川での千葉国体カヌー競技風景です。(2010年10月撮影)
2010年の千葉国体の時に、飯野竜神橋から上流にカヌースプリットコース(200mと500m)が整備されました。 -
鹿島干拓の関連碑です。
中央の記念碑は昭和36年建立の、鹿島干拓竣功記念碑です。左の記念碑は平成19年建立の、県営ほ場整備事業(大区画)鹿島地区竣工記念碑です。右の記念碑は平成23年建立の、飯野機場改修事業竣工記念碑です。 -
鹿島干拓竣功記念碑です。
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鹿島干拓です。(8月撮影)
終戦後の鹿島干拓工事は、昭和21年に着工し昭和31年に完成しています。 -
名喰戸橋の北側水路での、寒ブナ(マブナ)、クチボソ、タナゴ釣りです。
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サンセットヒルズからの西印旛沼です。(5月撮影)
西印旛沼を一望できるポイントで、沈みゆく夕陽の絶景に加え、富士山、東京スカイツリーも見られます。 -
鹿島川(延長18,909m)です。
佐倉市の角来地区で西印旛沼に合流しています。 -
印旛沼土地改良区です。
印旛沼土地改良区(水土里ネット印旛沼)は、水源の確保、用水施設の整備と管理、排水施設の整備と管理、地域の水田や畑地の整備、農村地域活性化への取り組み、農村地環境保全への取り組みなどを行っています。 -
印旛沼開発と土地改良竣功之碑です。
国営事業としては、昭和21年ー昭和43年に、干拓事業、土地改良事業、工業用水事業が実施さています。県営事業及び団体営事業としては、農地造成、農地整備、かんがい排水、圃場整備などの事業が実施されています。この記念碑は昭和53年の建立で、印旛沼土地改良区の敷地の中に建っています。 -
佐倉浄水場です。
五井・姉崎地区の臨海工業地帯向けの工業用水を、鹿島川から取水しここで浄水し送水しています。 -
羽鳥調圧塔です。
鋼鉄製で高さ42mあります。佐倉浄水場で取水・浄化された水は、この調圧塔で圧力をかけ、臨海工業地帯に送水しています。 -
羽鳥調圧塔は、ロボットに見えると評判です。
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