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京成線臼井駅から徒歩約20分、下総台地の北西端に位置する臼井大地にあって、印旛沼に注ぐ手操川と鹿島川に挟まれた臼井城(うすいじょう、千葉県佐倉市臼井)を訪問しました。<br /><br />永久2年(1114)千葉常兼(ちば・つねかね、1045~1126)の三男、臼井常康(うすい・つねやす、生没不詳)が築城したことに始まると言われています。鎌倉時代の宝治元年(1247)の第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)と三浦半島に本拠を持ち最大御家人である三浦義村(みうら・よしむら、生年不詳~1239)との覇権争い(宝治の乱)に際し、三浦氏に与した臼井太郎・次郎は敗死して臼井氏は衰退します。<br /><br />享徳3年(1454)鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏の戦い(享徳の乱)が始まりその余波が千葉氏にも波及、鎌倉公方の支援の下傍流の馬加(まくわり)氏が嫡流千葉氏に反旗を翻し千葉氏は滅亡にさらされます。<br /><br />嫡流の後継達は公方と対立する上杉氏の支援を得る中で一時的ではありますが失地を回復、その実現に活躍したのが扇谷上杉氏家宰である太田道灌(おおたどうかん、1432~1486)でした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      <br /><br />文明10年(1478)小金城(現千葉県柏市)付近で戦い、馬加氏系の千葉孝胤(ちば・のりたね、1459?~1521?)を破り臼井城まで撤退させ、翌年には道灌の弟図書助の討死するという犠牲を払いながらも臼井城を攻め落とすことに成功します。<br /><br />然しながら惣領家の支配は続かず、弘治元年(1550)には原胤貞(はら・たねさだ、1507?~1569?)により臼井城は奪取され以降原氏の居城となります。<br /><br />天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原討伐により北条氏は滅亡、従来から上総里見氏と競合にあった事から小田原北条氏と連携を深めていた原氏の臼井城も豊臣軍の攻撃を受け落城します。<br /><br />天正19年(1591)に関東入部した徳川家康は新自領の要所に譜代の重臣を配置、臼井城には酒井家次(さかい・いえつぐ、1564~1618)が3万石で入封しますが、慶長9年(1604)に高崎藩に移封された後は廃城となります。<br /><br /><br /><br />2023年8月21日追記<br /><br />現地建立の説明板には次の通り記述されています。<br /><br />「 臼 井 城 跡<br /><br />千葉氏の一族臼井六郎常康が臼井に居を構え、臼井氏の中興の祖といわれる興胤(14世紀中頃)の代に、この城の基礎がおかれたと伝えられる。現在の遺構は15世紀以降のものと考えられるが、城跡は本丸、二ノ丸を中心として、空堀、土塁等の旧態をよく残している。<br /><br />戦国時代の末期には原氏が城主であったが、天正18年(1590)小田原落城により、千葉氏とともに滅んだ。以後酒井家次3万石の居城となって、慶長9年(1604)の転封まで使用された。太田道灌・上杉謙信の軍との攻防戦は有名である。<br />         昭和62年3月<br />                 佐倉市教育委員会 」<br /><br />

下総佐倉 道灌ゆかりの地を訪ねる・千葉氏庶流臼井常泰が築城し戦国期に道灌の支援をえて奪還を目指した嫡流千葉自胤が攻め倦んだ『臼井城』訪問

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2012/12/25 - 2012/12/25

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滝山氏照

滝山氏照さん

京成線臼井駅から徒歩約20分、下総台地の北西端に位置する臼井大地にあって、印旛沼に注ぐ手操川と鹿島川に挟まれた臼井城(うすいじょう、千葉県佐倉市臼井)を訪問しました。

永久2年(1114)千葉常兼(ちば・つねかね、1045~1126)の三男、臼井常康(うすい・つねやす、生没不詳)が築城したことに始まると言われています。鎌倉時代の宝治元年(1247)の第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)と三浦半島に本拠を持ち最大御家人である三浦義村(みうら・よしむら、生年不詳~1239)との覇権争い(宝治の乱)に際し、三浦氏に与した臼井太郎・次郎は敗死して臼井氏は衰退します。

享徳3年(1454)鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏の戦い(享徳の乱)が始まりその余波が千葉氏にも波及、鎌倉公方の支援の下傍流の馬加(まくわり)氏が嫡流千葉氏に反旗を翻し千葉氏は滅亡にさらされます。

嫡流の後継達は公方と対立する上杉氏の支援を得る中で一時的ではありますが失地を回復、その実現に活躍したのが扇谷上杉氏家宰である太田道灌(おおたどうかん、1432~1486)でした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

文明10年(1478)小金城(現千葉県柏市)付近で戦い、馬加氏系の千葉孝胤(ちば・のりたね、1459?~1521?)を破り臼井城まで撤退させ、翌年には道灌の弟図書助の討死するという犠牲を払いながらも臼井城を攻め落とすことに成功します。

然しながら惣領家の支配は続かず、弘治元年(1550)には原胤貞(はら・たねさだ、1507?~1569?)により臼井城は奪取され以降原氏の居城となります。

天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原討伐により北条氏は滅亡、従来から上総里見氏と競合にあった事から小田原北条氏と連携を深めていた原氏の臼井城も豊臣軍の攻撃を受け落城します。

天正19年(1591)に関東入部した徳川家康は新自領の要所に譜代の重臣を配置、臼井城には酒井家次(さかい・いえつぐ、1564~1618)が3万石で入封しますが、慶長9年(1604)に高崎藩に移封された後は廃城となります。



2023年8月21日追記

現地建立の説明板には次の通り記述されています。

「 臼 井 城 跡

千葉氏の一族臼井六郎常康が臼井に居を構え、臼井氏の中興の祖といわれる興胤(14世紀中頃)の代に、この城の基礎がおかれたと伝えられる。現在の遺構は15世紀以降のものと考えられるが、城跡は本丸、二ノ丸を中心として、空堀、土塁等の旧態をよく残している。

戦国時代の末期には原氏が城主であったが、天正18年(1590)小田原落城により、千葉氏とともに滅んだ。以後酒井家次3万石の居城となって、慶長9年(1604)の転封まで使用された。太田道灌・上杉謙信の軍との攻防戦は有名である。
         昭和62年3月
                 佐倉市教育委員会 」

交通手段
私鉄 徒歩
  • 臼井城址公園<br /><br />城跡は整備されて城址公園となっています。

    臼井城址公園

    城跡は整備されて城址公園となっています。

  • 臼井城跡石標<br /><br />

    臼井城跡石標

  • 臼井城跡説明板

    臼井城跡説明板

  • 臼井城跡説明板

    臼井城跡説明板

  • 臼井城郭地形図(説明板より一部抜粋)<br />

    臼井城郭地形図(説明板より一部抜粋)

  • 空堀<br /><br />本丸から二の丸に繋がる土橋の南側空堀は駐車場となっています。

    空堀

    本丸から二の丸に繋がる土橋の南側空堀は駐車場となっています。

  • 空堀<br /><br />深い空堀が見られます。

    空堀

    深い空堀が見られます。

  • 二の丸跡<br /><br />広々とした二の丸跡は来場者の遊びの場所となっています。<br /><br />

    二の丸跡

    広々とした二の丸跡は来場者の遊びの場所となっています。

  • 土橋<br /><br />二の丸から本丸に渡る所に土橋が施され、敵の進入を制限しています。<br />この土橋はかつては幅2mほどでありましたが、公園化に当たり整備するための機材を搬入するため広げられ今では5mほどになっています。

    土橋

    二の丸から本丸に渡る所に土橋が施され、敵の進入を制限しています。
    この土橋はかつては幅2mほどでありましたが、公園化に当たり整備するための機材を搬入するため広げられ今では5mほどになっています。

  • 空堀<br /><br />土橋から見た北側空堀は幅が20mもありそうで広がっています。

    空堀

    土橋から見た北側空堀は幅が20mもありそうで広がっています。

  • 空堀<br /><br />土橋から見た南側空堀には一部駐車場となっています。

    空堀

    土橋から見た南側空堀には一部駐車場となっています。

  • 土橋の説明板

    土橋の説明板

  • 本丸土塁<br /><br />二の丸から土橋を経て本丸にたどり着いた所に大きな土塁ががありますが、反対側にも同様の土塁があることから横矢櫓跡かと思われます。

    本丸土塁

    二の丸から土橋を経て本丸にたどり着いた所に大きな土塁ががありますが、反対側にも同様の土塁があることから横矢櫓跡かと思われます。

  • 本丸土塁<br /><br />上述の土塁と同様に横矢櫓跡として使用された土塁と思われます。

    本丸土塁

    上述の土塁と同様に横矢櫓跡として使用された土塁と思われます。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡<br /><br />

    本丸跡

  • 本丸跡展望<br /><br />臼井駅方向を展望します。

    イチオシ

    本丸跡展望

    臼井駅方向を展望します。

  • 本丸跡<br /><br />擬木が施され景観を損なわなよう配慮された公園となっています。

    本丸跡

    擬木が施され景観を損なわなよう配慮された公園となっています。

  • 本丸跡<br /><br />僅かながら崩れた土塁が確認できます。

    本丸跡

    僅かながら崩れた土塁が確認できます。

  • 空堀<br /><br />本丸跡から見た複雑な形状をした土塁が見えます。

    空堀

    本丸跡から見た複雑な形状をした土塁が見えます。

  • 土塁<br /><br />

    土塁

  • 土塁と空堀<br /><br />土塁と空堀をうまく工夫して表面を複雑にし、敵の進入を困難にさせています。

    土塁と空堀

    土塁と空堀をうまく工夫して表面を複雑にし、敵の進入を困難にさせています。

  • 搦手口(からめてぐち)<br /><br />緊急時本丸脱出して印旛沼方面に逃れる道かと思われます。

    搦手口(からめてぐち)

    緊急時本丸脱出して印旛沼方面に逃れる道かと思われます。

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