2011/04/21 - 2011/04/21
208位(同エリア790件中)
滝山氏照さん
佐倉市に出張の機会がありました。午前中に仕事を済ませ、京成佐倉駅南口から京成線に沿って臼井方面に15分ほど歩きますと国立歴史民俗博物館入口が見え、登りきった広場の右側が同博物館、そして広場を進むと佐倉城跡(さくらじょうせき、千葉県佐倉市城内町)が待ち受けています。
築城者は家康の落し胤とも言われる譜代大名土井利勝(どい・としかつ、1573~1644)です。家康は関ケ原の戦いで勝利したものの不安定な現況であることを十分認識しておりました。特に当地が江戸を東方から守る重要拠点という位置づけから、利勝に白羽の矢をたて、彼の入封後幕府の後押しもあり未完成だった鹿島城を整備拡張し現在の佐倉城としました。
土井利勝は家康、秀忠、家光の徳川三代に仕えた重臣ですがその後の城主も幕府老中に任じられるほどで、西の岡崎城と共に極めて格式の高いお城といえます。
さて当城は17世紀初めに築城されていますが、周辺は鹿島川支流から引き込んだ水堀や沼地を備え、まさしく戦国時代の立地条件を満たしています。また石垣を一切使用しない築城技術はさすがで自分としてはひじょうに見ごたえのある城址でした。
尚利勝及び利勝子孫の経緯は次の通りです。
まず利勝については慶長7年(1602)12月下総小見川藩1万石を与えられその後1万石加増され2万石知行となり、慶長15年(1610)1月下総佐倉藩3万2千石、同年8月老中就任、そして寛永10年(1633)4月下総古河藩16万石に転封、寛永15年(1638)11月に大老となります。
そして利勝死去に際し子息4名に分地を行い16万石から10万石に知行減、4代利久(としひさ)には嗣子なく没後下総古河藩10万石徐封、初代利勝貢献大により5代利益(とします)時に古河藩7万石で再興したものの志摩鳥羽藩7万石に移封、更に肥前唐津藩7万石に転封となります。
8代利里(としさと)時代は肥前唐津藩から再び下総古河藩7万石に戻り、10代利厚(としあつ)老中就任に伴い1万石加増して8万石、14代利与(としとも)まで続き明治維新により廃藩となります。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京成佐倉駅
JR錦糸町駅から総武快速線に乗り船橋駅下車、京成船橋駅に乗換え特急にて京成佐倉駅へのコースを取りました。 -
佐倉城跡地図
城跡を含む国立歴史民俗博物館案内板。老中土井利勝が徳川家康の命により築城した旨紹介されています。 -
城跡公園への通路
左右の樹木が整然として清清しい気持ちでした。 -
城址公園への通路
広場手前の樹木のきれいな花が心を和ませてくれます。 -
衛兵所跡
佐倉城は廃藩置県により廃城、その後佐倉連隊が置かれた経緯があります。 -
国立歴史民俗博物館
当日は時間を城跡訪問に使いたくてあえて入館を控えました。 -
城址公園案内図
鹿島川に臨む本丸跡の位置が印象的です。 -
二の丸及び本丸跡への案内板。
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二の丸跡
とっても広いので驚きです。 -
空堀
薮に覆われており視界が届かず状況が把握不可能です。 -
堅固な土塁
戦国時代の城跡を思い出させます。 -
空堀
かなり深い空堀です。 -
堀田正睦銅像
1841年に老中、1855年に老中首座に昇進、開国を唱えアメリカ総領事のT・ハリスと「日米修好通称条約」交渉に傾注しました。(説明文より) -
タウンゼント・ハリス銅像。
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大型空堀
これでは進入軍が這い上がることができません。 -
土塁案内板
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本丸跡土塁
とっても高く四方に囲まれています。さすがです。 -
犬のお散歩
広々とした本丸跡と高い土塁がすばらしいです!。 -
夫婦モッコク。不思議な樹木?!。
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夫婦モッコク案内板
利勝が植えた邸樹のひとつであったと考えられています。(説明文より) -
本丸から鹿島川の本支流を眺望
画面の手前が支流(高崎川)、その奥が鹿島川と思われます。この立地は戦国時代と同様に東方への防御が最大限に考慮され築城されている理由が理解できます。 -
土塁の上
土塁の上に立ちました。思った以上に幅が広いです。下を見下ろすと相当に高いナアと感じました。 -
本丸跡
手入れが行き届いてます。とても気持ちがいいです。 -
銅櫓跡案内板
利勝が将軍家から拝領した銅櫓を江戸城吹上庭園より移築したとの事です。太田道灌の作と言われています(説明文より) -
銅櫓跡
今は何もありません。ただ枠と石が敷き詰められているだけです。 -
巨大空堀。(どうやら自分は空堀が好きなようです。)
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佐倉陸軍病院跡案内板。
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陸軍病院跡地
テラスを配した当時としては洋風病棟だったそうです。(説明文より) -
兵営の便所跡案内板。
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便所の土台
整然と並んでます。いささか異常な印象を受けます。 -
便所の土台
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姥が池への階段通路
かなり下まで降りて行きます。(自分も相当疲れてきました。) -
姥が池案内板
家老の娘をおもりしていた姥が過って娘を池に落とし、娘は死んでしまい、その姥も自ら身を投げたそうです。以降「姥が池」と呼ばれているとの事です。(説明文より) -
姥が池
かなり広い池ですネ。江戸時代は「かきつばた」の名所だったそうです。(説明文より) -
円勝寺跡と愛宕神社跡
円勝寺は城内にあった真言宗の寺院だったそうですが明治に入り廃仏稀釈により消滅しました。愛宕神社は近隣町の氏神だったそうですが連隊建設後は立ち入り禁止となり他所へ移転を余儀なくされました。(説明文より)
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