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 国宝の金銅毘盧遮那仏座像や金銅阿弥陀如来座像をはじめ、急な石段を登って、一番高い場所にあった観音殿にも参詣しました。

2013春、韓国旅行記26(6/19):4月9日(4):慶州、仏国寺、大雄殿、観音殿、毘盧殿、毘盧遮那仏、羅漢殿

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2013/04/08 - 2013/04/10

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旅行記グループ 2013春、韓国旅行記26

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 国宝の金銅毘盧遮那仏座像や金銅阿弥陀如来座像をはじめ、急な石段を登って、一番高い場所にあった観音殿にも参詣しました。

  • 観音殿の扁額のズームアップ光景です。ゆったりとした書体の三文字でした。落款の文字の全部は読み解けませんでしたが、孫在●らしい名前でした。

    イチオシ

    観音殿の扁額のズームアップ光景です。ゆったりとした書体の三文字でした。落款の文字の全部は読み解けませんでしたが、孫在●らしい名前でした。

  • 斜め前から眺めた、観音殿((クァンオンジョ)の建物光景です。小振りな造りの再建された建物でした。

    斜め前から眺めた、観音殿((クァンオンジョ)の建物光景です。小振りな造りの再建された建物でした。

  • 観音殿((クァンオンジョ)の甍の光景です。隣の毘盧殿に比べ高い位置にあるのは、南海の果てにあるという観音様の浄土、補陀洛迦山を表したものとされます。

    観音殿((クァンオンジョ)の甍の光景です。隣の毘盧殿に比べ高い位置にあるのは、南海の果てにあるという観音様の浄土、補陀洛迦山を表したものとされます。

  • 観音殿から見下ろした仏国寺の境内の東面の光景です。

    観音殿から見下ろした仏国寺の境内の東面の光景です。

  • 同じく、観音殿から見下ろした仏国寺の境内の東面の光景です。山裾の傾斜に沿って、幾重もの回廊が見えます。

    同じく、観音殿から見下ろした仏国寺の境内の東面の光景です。山裾の傾斜に沿って、幾重もの回廊が見えます。

  • 観音殿の周りは、回廊ではなく石塀で囲われていました。大きな石を塗り込めた土壁のようにも見えます。

    観音殿の周りは、回廊ではなく石塀で囲われていました。大きな石を塗り込めた土壁のようにも見えます。

  • 毘盧殿の建物光景です。この建物に祀られているのは、統一新羅時代に造成された金銅毘盧遮那仏です。

    毘盧殿の建物光景です。この建物に祀られているのは、統一新羅時代に造成された金銅毘盧遮那仏です。

  • 少しズームアップした、毘盧殿の建物光景です。毘盧遮那仏は、日本では東大寺の大仏等と同じです。サンスクリット語の『ヴァイローチャナ』の音訳で、『光明遍照(こうみょうへんじょう)』を意味します。

    少しズームアップした、毘盧殿の建物光景です。毘盧遮那仏は、日本では東大寺の大仏等と同じです。サンスクリット語の『ヴァイローチャナ』の音訳で、『光明遍照(こうみょうへんじょう)』を意味します。

  • 毘盧殿の扁額です。1973年の復元の工事の際、高麗時代の様式で再建された建物とされます。

    毘盧殿の扁額です。1973年の復元の工事の際、高麗時代の様式で再建された建物とされます。

  • 仏国寺(プルグクサ)の境内光景です。寺院の最盛時の8世紀は、約60棟の木造建築で寺院は構成されていたようです。しかし、李氏朝鮮時代の仏教弾圧で寂れました。

    仏国寺(プルグクサ)の境内光景です。寺院の最盛時の8世紀は、約60棟の木造建築で寺院は構成されていたようです。しかし、李氏朝鮮時代の仏教弾圧で寂れました。

  • 毘蘆殿(ビロジョン)に祀られている、統一新羅時代に造成された金銅毘盧遮那仏です。毘盧遮那仏は、太陽、光明の象徴とされています。仏様の中でも最も高い位置の華厳仏国の主人となる仏様です。この金銅仏は、国宝第26号に指定されています。

    イチオシ

    毘蘆殿(ビロジョン)に祀られている、統一新羅時代に造成された金銅毘盧遮那仏です。毘盧遮那仏は、太陽、光明の象徴とされています。仏様の中でも最も高い位置の華厳仏国の主人となる仏様です。この金銅仏は、国宝第26号に指定されています。

  • 日本との因縁が深い石塔です。この石塔は、厳重に柵で囲ってありました。高麗時代初期に建造と推定されています。1905年に一時日本に持ち出されたものの1933年に返還され、現在の位置に置かれました。宝物第61号に指定されています。傍らに『仏国寺舎利塔』の石碑がありました。

    イチオシ

    日本との因縁が深い石塔です。この石塔は、厳重に柵で囲ってありました。高麗時代初期に建造と推定されています。1905年に一時日本に持ち出されたものの1933年に返還され、現在の位置に置かれました。宝物第61号に指定されています。傍らに『仏国寺舎利塔』の石碑がありました。

  • 羅漢殿(ナハンジョン)の建物光景です。羅漢殿は、毘蘆殿に西側の一段下がった場所に位置しています。阿羅漢 (あらはん)は、サンスクリット語の『アルハット』の中国語への音訳です。仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者を指します。羅漢殿は、特に修行に秀でた16人の弟子が祀られた新しい建物です。

    羅漢殿(ナハンジョン)の建物光景です。羅漢殿は、毘蘆殿に西側の一段下がった場所に位置しています。阿羅漢 (あらはん)は、サンスクリット語の『アルハット』の中国語への音訳です。仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者を指します。羅漢殿は、特に修行に秀でた16人の弟子が祀られた新しい建物です。

  • 発掘調査の結果、確認された建物遺構のようです。柵で囲われた中に礎石が見えています。建物の名前は特定されたでしょうが、再建するには至っていない区域のようです。

    発掘調査の結果、確認された建物遺構のようです。柵で囲われた中に礎石が見えています。建物の名前は特定されたでしょうが、再建するには至っていない区域のようです。

  • 開け放たれた扉から振り返って眺めた、建物の光景です。先ほど見学した羅漢殿の扁額が見えていました。羅漢殿の南の境内に下る石段の上の門の扉です。

    開け放たれた扉から振り返って眺めた、建物の光景です。先ほど見学した羅漢殿の扁額が見えていました。羅漢殿の南の境内に下る石段の上の門の扉です。

  • 仏国寺の境内の西端を下りながらの見学です。左手に見える回廊は、無説殿の西面の建物です。

    仏国寺の境内の西端を下りながらの見学です。左手に見える回廊は、無説殿の西面の建物です。

  • 仏国寺の境内の西端を下りながらの見学が続きます。回廊の内側の光景です。

    仏国寺の境内の西端を下りながらの見学が続きます。回廊の内側の光景です。

  • 通路脇に石造の遺物が並べられた場所の光景です。説明表示がありませんから、経緯は分かりませんが、仏教弾圧の際に廃棄された品かも知れません。

    通路脇に石造の遺物が並べられた場所の光景です。説明表示がありませんから、経緯は分かりませんが、仏教弾圧の際に廃棄された品かも知れません。

  • 通路脇に石造の遺物のズームアップ光景です。使い古された石臼のようでした。李氏朝鮮時代の仏教弾圧は15世紀初頭にはじまり、16世紀には更に徹底されました。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられました。

    通路脇に石造の遺物のズームアップ光景です。使い古された石臼のようでした。李氏朝鮮時代の仏教弾圧は15世紀初頭にはじまり、16世紀には更に徹底されました。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられました。

  • 仏国寺境内の西方面の光景です。境内の周りの光景といった方がよさそうです。仏国寺も李朝の儒教徹底のための斥仏政策の対象になりました。石窟庵が見つかったのは19世紀、仏国寺も20世紀までは完全な廃墟となっていました。

    仏国寺境内の西方面の光景です。境内の周りの光景といった方がよさそうです。仏国寺も李朝の儒教徹底のための斥仏政策の対象になりました。石窟庵が見つかったのは19世紀、仏国寺も20世紀までは完全な廃墟となっていました。

  • 石仏は首を切られ、金銅仏などは溶かされて武器にされました。李氏朝鮮時代、仏教が大弾圧され、1万以上あったとされる仏教寺院は、16世紀半ばには、僅か36ヵ寺だったとされます。秀吉による『文禄・慶長の役』は16世紀末の159年に始まり、1598年に終わりましたから、秀吉軍による大規模な寺院焼き討ちや、韓国文化破壊は、筋違いの議論の可能性があります。

    石仏は首を切られ、金銅仏などは溶かされて武器にされました。李氏朝鮮時代、仏教が大弾圧され、1万以上あったとされる仏教寺院は、16世紀半ばには、僅か36ヵ寺だったとされます。秀吉による『文禄・慶長の役』は16世紀末の159年に始まり、1598年に終わりましたから、秀吉軍による大規模な寺院焼き討ちや、韓国文化破壊は、筋違いの議論の可能性があります。

  • 大きな石を塗り込めた土壁と、細い竹を編んだような塀とが交差した場所の光景です。外の仕切りが土壁、内側の間仕切りが竹壁のようでした。

    大きな石を塗り込めた土壁と、細い竹を編んだような塀とが交差した場所の光景です。外の仕切りが土壁、内側の間仕切りが竹壁のようでした。

  • この辺りに並べられていた石類は、加工の跡がありました。仏国寺が廃棄された15世紀の頃の遺物が混じっているようでした。

    この辺りに並べられていた石類は、加工の跡がありました。仏国寺が廃棄された15世紀の頃の遺物が混じっているようでした。

  • 境内案内図には、『記念品店』と記されていた建物です。極楽殿の西側に位置する場所です。

    境内案内図には、『記念品店』と記されていた建物です。極楽殿の西側に位置する場所です。

  • 仏国寺境内を一周しての見学を終え、安養門と紫霞門が並ぶ場所まで戻ってきました。今見えている建物は、その中間にある『泛影楼(ポミョンル)』です。

    仏国寺境内を一周しての見学を終え、安養門と紫霞門が並ぶ場所まで戻ってきました。今見えている建物は、その中間にある『泛影楼(ポミョンル)』です。

  • 私服で見学されていた生徒さん達の光景です。ハンドマイクを持って先生が説明されていましたが、後ろの方は上の空の人達が多かったようです。後方に旗立ての4本の石柱が見える場所です。

    私服で見学されていた生徒さん達の光景です。ハンドマイクを持って先生が説明されていましたが、後ろの方は上の空の人達が多かったようです。後方に旗立ての4本の石柱が見える場所です。

  • 再集合場所の山門に向かう前の前庭のような境内光景です。松などの庭木越しに眺めた石橋と石垣の光景です。境内の整地作業の方達の姿がありました。

    再集合場所の山門に向かう前の前庭のような境内光景です。松などの庭木越しに眺めた石橋と石垣の光景です。境内の整地作業の方達の姿がありました。

  • 同じ場所から眺めた、前庭のような境内の光景が続きます。東北方面の光景です。

    同じ場所から眺めた、前庭のような境内の光景が続きます。東北方面の光景です。

  • 同じく、山門に向かう前に撮影した境内光景です。ここはまだ、安養門と紫霞門が並ぶ場所に近い西側方面の光景です。右手に石橋や4本の石柱が見えています。

    同じく、山門に向かう前に撮影した境内光景です。ここはまだ、安養門と紫霞門が並ぶ場所に近い西側方面の光景です。右手に石橋や4本の石柱が見えています。

  • 同じく、山門に向かう前に撮影した前庭のような境内光景の紹介の最後です。木々が生い茂る東方面の光景です。

    同じく、山門に向かう前に撮影した前庭のような境内光景の紹介の最後です。木々が生い茂る東方面の光景です。

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