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 韓国屈指の名刹、仏国寺の見学です。石窟庵と合わせ、世界文化遺産に登録されている古刹です。

2013春、韓国旅行記26(4/19):4月9日(2):慶州、仏国寺、天王門・四天王像、青雲橋、白雲橋橋

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2013/04/08 - 2013/04/11

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旅行記グループ 2013春、韓国旅行記26

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旅人のくまさん

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 韓国屈指の名刹、仏国寺の見学です。石窟庵と合わせ、世界文化遺産に登録されている古刹です。

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  • 仏国寺の天王門((チョンワンムン)です。四天王像は、須弥山の四洲を守る守護神とされます。四天王は、日本でもお馴染の名前です。

    仏国寺の天王門((チョンワンムン)です。四天王像は、須弥山の四洲を守る守護神とされます。四天王は、日本でもお馴染の名前です。

  • 天王門に置かれた四天王像の内の二体です。持国天と増長天像です。この守護神は、もともとはインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下でしたが、後に仏教の守護神として採り入れられました。

    天王門に置かれた四天王像の内の二体です。持国天と増長天像です。この守護神は、もともとはインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下でしたが、後に仏教の守護神として採り入れられました。

  • 韓国の四天王像は、どことなくおおらかで、ユーモラスさが漂います。こちらもインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として採り入れられました。広目天と多聞天像です。

    韓国の四天王像は、どことなくおおらかで、ユーモラスさが漂います。こちらもインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として採り入れられました。広目天と多聞天像です。

  • 『増長天』のズームアップ光景です。四天王の一体で、南方を護る守護神として造像される場合が多いようです。また、甲冑姿で、唐代の武将風の姿で表されます。本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられました。

    『増長天』のズームアップ光景です。四天王の一体で、南方を護る守護神として造像される場合が多いようです。また、甲冑姿で、唐代の武将風の姿で表されます。本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられました。

  • 『持国天』のズームアップ光景です。東方を護る守護神として造像される場合が多いとされます。中国の民間信仰においては、白い顔で琵琶を持った姿で表されます。

    『持国天』のズームアップ光景です。東方を護る守護神として造像される場合が多いとされます。中国の民間信仰においては、白い顔で琵琶を持った姿で表されます。

  • 多聞天像のズームアップ光景です。毘沙門天(びしゃもんてん)とも呼ばれます。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は『多聞天』、独尊像として造像安置する場合は『毘沙門天』と呼ぶのが通例とされます。手には宝塔を持っています。

    多聞天像のズームアップ光景です。毘沙門天(びしゃもんてん)とも呼ばれます。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は『多聞天』、独尊像として造像安置する場合は『毘沙門天』と呼ぶのが通例とされます。手には宝塔を持っています。

  • 広目天像のズームアップ光景です。西方を護る守護神とされることが多いようです。また、持物は、古くは筆を持ち、巻物に何かを書き留めている姿で表現されてきました。この像は、右手に龍を掴んでいます。

    広目天像のズームアップ光景です。西方を護る守護神とされることが多いようです。また、持物は、古くは筆を持ち、巻物に何かを書き留めている姿で表現されてきました。この像は、右手に龍を掴んでいます。

  • 上の方の16石段が白雲橋、その下の17石段が青雲橋です。あわせて33段ある二つの橋は、仏教でいう33天を意味し、この石段を登って門を潜ると、そこはお釈迦様の彼岸世界である仏の国を表わすとされます。

    イチオシ

    上の方の16石段が白雲橋、その下の17石段が青雲橋です。あわせて33段ある二つの橋は、仏教でいう33天を意味し、この石段を登って門を潜ると、そこはお釈迦様の彼岸世界である仏の国を表わすとされます。

  • 17段の青雲橋と、16段の白雲橋を登って到達する、『紫霞門』の扁額がある建物のズームアップ光景です。青雲橋と白雲橋は、国宝23号に指定された石段です。17段の青雲橋と、16段の白雲橋を登って到達する、『紫霞門』の扁額がある建物のズームアップ光景です。青雲橋と白雲橋は、国宝23号に指定された石段です。創建当時、石橋の下には、池があったようです。

    17段の青雲橋と、16段の白雲橋を登って到達する、『紫霞門』の扁額がある建物のズームアップ光景です。青雲橋と白雲橋は、国宝23号に指定された石段です。17段の青雲橋と、16段の白雲橋を登って到達する、『紫霞門』の扁額がある建物のズームアップ光景です。青雲橋と白雲橋は、国宝23号に指定された石段です。創建当時、石橋の下には、池があったようです。

  • 『青雲橋・白雲橋』のタイトルがあった説明プレートです。ハングルの英文の下の日本語説明文もありました。8世紀の中期、仏国寺の創建時に造られた橋と説明されていました。

    『青雲橋・白雲橋』のタイトルがあった説明プレートです。ハングルの英文の下の日本語説明文もありました。8世紀の中期、仏国寺の創建時に造られた橋と説明されていました。

  • 境内に生える樹木の光景です。常緑樹では松の木が多いようでした。奥の方には、新緑の落葉樹が立ち並んでいました。

    境内に生える樹木の光景です。常緑樹では松の木が多いようでした。奥の方には、新緑の落葉樹が立ち並んでいました。

  • こちらは落葉樹の光景です。年代を経たらしい幹回りと枝振りでした。根元を保護するためでしょうか、低い石囲いがありました

    こちらは落葉樹の光景です。年代を経たらしい幹回りと枝振りでした。根元を保護するためでしょうか、低い石囲いがありました

  • 張り出した石垣の上に立つ楼閣の光景です。『泛影楼(ポミョンル)』と呼ばれています。紫霞門(チャハムン)と安養門(アニャンムン)をつなぐ楼閣です。

    張り出した石垣の上に立つ楼閣の光景です。『泛影楼(ポミョンル)』と呼ばれています。紫霞門(チャハムン)と安養門(アニャンムン)をつなぐ楼閣です。

  • 『泛影楼(ポミョンル)』の前から眺めた、西側の『安養門』方面の建物光景です。

    『泛影楼(ポミョンル)』の前から眺めた、西側の『安養門』方面の建物光景です。

  • 『泛影楼(ポミョンル)』の前から眺めた、東側の『紫霞門』方面の建物光景です。

    『泛影楼(ポミョンル)』の前から眺めた、東側の『紫霞門』方面の建物光景です。

  • 四本の細長い石柱が立った光景です。この幢竿支柱は、お寺の入口や行事を知らせるための旗を掲揚する旗竿立だったようです。何度も見学していますが、実際に旗竿が掲揚された光景は目にしたことがありません。

    四本の細長い石柱が立った光景です。この幢竿支柱は、お寺の入口や行事を知らせるための旗を掲揚する旗竿立だったようです。何度も見学していますが、実際に旗竿が掲揚された光景は目にしたことがありません。

  • 赤松の光景です。植樹されたものではなく、もともとこの場所に自生していた松のようです。韓国は松茸の生産国の一つです。

    赤松の光景です。植樹されたものではなく、もともとこの場所に自生していた松のようです。韓国は松茸の生産国の一つです。

  • アカマツ(赤松)のズームアップ光景です。二葉松に分類される、マツ科マツ属の常緑針葉樹です。別名はメマツ(雌松)です。

    アカマツ(赤松)のズームアップ光景です。二葉松に分類される、マツ科マツ属の常緑針葉樹です。別名はメマツ(雌松)です。

  • 『安養門』の扁額が懸った建物光景です。青雲橋・白雲橋と同じ形式の石橋ですが、規模は小さめの蓮華橋と七宝橋の石段があります。国宝22号に指定された石段です。

    『安養門』の扁額が懸った建物光景です。青雲橋・白雲橋と同じ形式の石橋ですが、規模は小さめの蓮華橋と七宝橋の石段があります。国宝22号に指定された石段です。

  • 手前側の『泛影楼(ポミョンル)』と、その右奥の『紫霞門(チャハムン)』方面の建物光景です。

    手前側の『泛影楼(ポミョンル)』と、その右奥の『紫霞門(チャハムン)』方面の建物光景です。

  • 満開だったレンギョウ(連翹)の黄色の花です。モクセイ科レンギョウ属の落葉性低木広葉樹です。春頃の韓国旅行ではお馴染みの花です。

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    満開だったレンギョウ(連翹)の黄色の花です。モクセイ科レンギョウ属の落葉性低木広葉樹です。春頃の韓国旅行ではお馴染みの花です。

  • 回廊で囲まれた境内の西南角の光景です。敷地に傾斜がありますから、南面では、かなり高い石垣となっていました。

    回廊で囲まれた境内の西南角の光景です。敷地に傾斜がありますから、南面では、かなり高い石垣となっていました。

  • 回廊で囲われた境内の南面の光景です。長い石を使って縦と横に枠を設けた石垣の積み方です。日本では目にしたことがありません。

    回廊で囲われた境内の南面の光景です。長い石を使って縦と横に枠を設けた石垣の積み方です。日本では目にしたことがありません。

  • 落葉樹が新緑を迎えていた境内の光景です。楓をはじめ、紅葉と黄葉が綺麗な仏国寺です。

    落葉樹が新緑を迎えていた境内の光景です。楓をはじめ、紅葉と黄葉が綺麗な仏国寺です。

  • 極楽殿が置かれている区画の光景だったようです。今は通行禁止になっている、安養門が中央の出入口になる区画です。

    極楽殿が置かれている区画の光景だったようです。今は通行禁止になっている、安養門が中央の出入口になる区画です。

  • 『極楽殿』の扁額が懸った建物光景です。極楽殿には、すべての衆生を救済し、西方極楽浄土に往生させる阿弥陀如来の像が安置されています。

    『極楽殿』の扁額が懸った建物光景です。極楽殿には、すべての衆生を救済し、西方極楽浄土に往生させる阿弥陀如来の像が安置されています。

  • 豊臣秀吉が派遣した遠征軍と、明およびその朝貢国である李氏朝鮮の軍との攻防戦は、朝鮮半島と海上が戦場となりました。その当時の戦力に勝った国の間の攻防戦は、16世紀における世界最大規模の戦争とされます。

    豊臣秀吉が派遣した遠征軍と、明およびその朝貢国である李氏朝鮮の軍との攻防戦は、朝鮮半島と海上が戦場となりました。その当時の戦力に勝った国の間の攻防戦は、16世紀における世界最大規模の戦争とされます。

  • 極楽殿は文禄・慶長の役で焼失しました。現在目にする建物は、朝鮮時代の1750年に修復されたものが、更に1925年に再建されたものとされます。

    極楽殿は文禄・慶長の役で焼失しました。現在目にする建物は、朝鮮時代の1750年に修復されたものが、更に1925年に再建されたものとされます。

  • 再び、極楽殿の建物の正面光景です。仏国寺の木造建築は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592~1598年)で大きな被害を受けました。仏国寺の建物の再建が始まったのは、時代が下って日本の統治時代(1910~1945年)とされます。

    再び、極楽殿の建物の正面光景です。仏国寺の木造建築は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592~1598年)で大きな被害を受けました。仏国寺の建物の再建が始まったのは、時代が下って日本の統治時代(1910~1945年)とされます。

  • ベンガラ色の扉に付けられた金具の光景です。使われないよう金属管を金具でとめてありました。かつては、ノック代わりに使われたようです。

    ベンガラ色の扉に付けられた金具の光景です。使われないよう金属管を金具でとめてありました。かつては、ノック代わりに使われたようです。

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