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瀬戸内海国立公園は、昭和9年、雲仙国立公園、霧島国立公園とともに、日本初の国立公園として指定されます。指定区域は、香川県の屋島のほか、小豆島の寒霞渓、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦周辺を含んでいます。<br />そして、今日の旅の始まり、屋島も瀬戸内海が一望できる景色が抜群なのですが、やはり源平の古戦場となったという歴史を思うとそれは格別。途中途中で入手した情報をもとにして、ひたすら平家物語ゆかりの史跡・古刹を訪ねました。

なんちゃって四国八十八か所、徳島・香川の旅(四日目・完)~源平の古戦場、屋島から五色台まで。ひたすら史跡と名刹を訪ねます~

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2013/11/24 - 2013/11/24

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たびたび

たびたびさん

瀬戸内海国立公園は、昭和9年、雲仙国立公園、霧島国立公園とともに、日本初の国立公園として指定されます。指定区域は、香川県の屋島のほか、小豆島の寒霞渓、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦周辺を含んでいます。
そして、今日の旅の始まり、屋島も瀬戸内海が一望できる景色が抜群なのですが、やはり源平の古戦場となったという歴史を思うとそれは格別。途中途中で入手した情報をもとにして、ひたすら平家物語ゆかりの史跡・古刹を訪ねました。

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  • 今日は、レンタカーで回るのですが、まだ店が開かないので、玉藻公園で時間調整しましょう。

    今日は、レンタカーで回るのですが、まだ店が開かないので、玉藻公園で時間調整しましょう。

  • 玉藻公園では、ちょうど高松市菊花展競技会をやっていました。今年で、58回ということですから、かなりの歴史を持っています。ただ、名前の通り、名誉を掛けたマジな大会のようで、大掛かりな飾りなどは限定的。とにかく一つ一つの出来栄えを鑑賞するという展示です。<br /><br />

    玉藻公園では、ちょうど高松市菊花展競技会をやっていました。今年で、58回ということですから、かなりの歴史を持っています。ただ、名前の通り、名誉を掛けたマジな大会のようで、大掛かりな飾りなどは限定的。とにかく一つ一つの出来栄えを鑑賞するという展示です。

  • 披雲閣は、玉藻公園の奥。江戸時代には、藩主が生活する御殿だったようですが、現在の披雲閣は、明治維新後に、松平家の12代当主が大正期に再建したもの。松平家の別邸として、また、香川の迎賓館としての建物となりました。周囲を見事な松の林が囲んで、うっそうとした雰囲気も見どころ。国の重要文化財です。<br /><br />

    披雲閣は、玉藻公園の奥。江戸時代には、藩主が生活する御殿だったようですが、現在の披雲閣は、明治維新後に、松平家の12代当主が大正期に再建したもの。松平家の別邸として、また、香川の迎賓館としての建物となりました。周囲を見事な松の林が囲んで、うっそうとした雰囲気も見どころ。国の重要文化財です。

  • レンタカーで向かった先は、屋島。高松のシンボルといった場所が見えてきました。名前のとおり、屋根のような平らな形をしているんですが、こっちから見るとこんな風です。<br />ところで、源平合戦の屋島の戦いは、一の谷の戦いに続いて、平氏の敗北が決定的となった戦い。今日は、どんなところに回れるでしょうか。

    レンタカーで向かった先は、屋島。高松のシンボルといった場所が見えてきました。名前のとおり、屋根のような平らな形をしているんですが、こっちから見るとこんな風です。
    ところで、源平合戦の屋島の戦いは、一の谷の戦いに続いて、平氏の敗北が決定的となった戦い。今日は、どんなところに回れるでしょうか。

  • しかし、まだ朝早いし焦らず、屋島に上る前に、四国村に寄りましょう。と思ったのですが、四国村もまだ時間前。仕方がないので、隣りの屋島神社に行ってみます。

    しかし、まだ朝早いし焦らず、屋島に上る前に、四国村に寄りましょう。と思ったのですが、四国村もまだ時間前。仕方がないので、隣りの屋島神社に行ってみます。

  • けっこう長い石段を、

    けっこう長い石段を、

  • 登った先に立派な門と本殿です。讃岐東照宮ということで、徳川家康を祀る神社。高松藩は、水戸藩のお兄さん筋にあたるバリバリの親藩。戊辰戦争の際も、四国で幕府方についたのは松山藩とこの高松藩の2藩だけだったと思います。

    登った先に立派な門と本殿です。讃岐東照宮ということで、徳川家康を祀る神社。高松藩は、水戸藩のお兄さん筋にあたるバリバリの親藩。戊辰戦争の際も、四国で幕府方についたのは松山藩とこの高松藩の2藩だけだったと思います。

  • 高松市内が遠くに見渡せて、ここもなかなかいいじゃないですか。

    高松市内が遠くに見渡せて、ここもなかなかいいじゃないですか。

  • 四国村は、屋島の南山麓。屋島ドライブウェイの入口辺りです。<br />ここは、四国全県から移築した江戸時代から明治時代の民家、伝統産業施設、灯台までの古建築が、敷地の中に点在しています。国指定の重要文化財建造物2棟、重要有形民俗文化財の建物6棟を含んでいます。

    四国村は、屋島の南山麓。屋島ドライブウェイの入口辺りです。
    ここは、四国全県から移築した江戸時代から明治時代の民家、伝統産業施設、灯台までの古建築が、敷地の中に点在しています。国指定の重要文化財建造物2棟、重要有形民俗文化財の建物6棟を含んでいます。

  • 四国村の駐車場に面して、緑がかった淡いブルーの2階建て洋館が建っています。これは、明治38年に建てられた、神戸の異人館を移築したものです。ここで、車を降りて、<br /><br /><br />

    四国村の駐車場に面して、緑がかった淡いブルーの2階建て洋館が建っています。これは、明治38年に建てられた、神戸の異人館を移築したものです。ここで、車を降りて、


  • 入口から園内に向かいます。

    入口から園内に向かいます。

  • 順路に従って進むと、

    順路に従って進むと、

  • まずはかずら橋。祖谷のかずら橋ほど高くはなのですが、そこそこ揺れて、かずら橋の醍醐味はそれなりに味わえます。

    まずはかずら橋。祖谷のかずら橋ほど高くはなのですが、そこそこ揺れて、かずら橋の醍醐味はそれなりに味わえます。

  • それを抜けると、農村歌舞伎舞台。この舞台では小豆島の地元の人が役者となり、歌舞伎芝居を演じたとのこと。茅葺平屋建てで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座がついて、江戸時代末期に建てられたよう。すり鉢状の地形を利用した周囲の観客席もも見事。いつでもスタンバイといった感じでした。<br /><br />

    それを抜けると、農村歌舞伎舞台。この舞台では小豆島の地元の人が役者となり、歌舞伎芝居を演じたとのこと。茅葺平屋建てで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座がついて、江戸時代末期に建てられたよう。すり鉢状の地形を利用した周囲の観客席もも見事。いつでもスタンバイといった感じでした。

  • ここからは、移築建物が次々とありまして。<br />旧山下家住宅は、寄棟造り茅葺、平屋建て。江戸時代における東讃岐の一般農家の典型という家屋。俗には「周囲(ぐるり)八間」と呼ばれた農家だそうです。家の半分は農作業用の土間で、残り半分はおくどさん。最低限度の機能が詰まっています。<br /><br />

    ここからは、移築建物が次々とありまして。
    旧山下家住宅は、寄棟造り茅葺、平屋建て。江戸時代における東讃岐の一般農家の典型という家屋。俗には「周囲(ぐるり)八間」と呼ばれた農家だそうです。家の半分は農作業用の土間で、残り半分はおくどさん。最低限度の機能が詰まっています。

  • 旧河野家住宅は、愛媛県の南、小田町の深い谷筋の奥まった急斜面にへばりつくように建っていたもの。入母屋造りの茅葺で、部屋の床はすべて竹敷き。各部屋にはいろりが切られて、寒い山間の住まいの特徴だそうです。<br /><br /><br />

    旧河野家住宅は、愛媛県の南、小田町の深い谷筋の奥まった急斜面にへばりつくように建っていたもの。入母屋造りの茅葺で、部屋の床はすべて竹敷き。各部屋にはいろりが切られて、寒い山間の住まいの特徴だそうです。


  • 砂糖しめ小屋の「砂糖しめ」とは、サトウキビの汁をしぼるという意味です。香川県内に2棟だけ残っていた小屋で、とても珍しいもの。

    砂糖しめ小屋の「砂糖しめ」とは、サトウキビの汁をしぼるという意味です。香川県内に2棟だけ残っていた小屋で、とても珍しいもの。

  • 内部中央に置かれた三個の石臼を牛が引いてまわし、回転する石臼の間にサトウキビを差し込んで汁をしぼっていたそうです。香川の和三盆の歴史を語る産業遺産でしょう。<br /><br />

    内部中央に置かれた三個の石臼を牛が引いてまわし、回転する石臼の間にサトウキビを差し込んで汁をしぼっていたそうです。香川の和三盆の歴史を語る産業遺産でしょう。

  • 左甚五郎の墓もこんなところにありました。

    左甚五郎の墓もこんなところにありました。

  • 説明によれば、四国の古い街道沿いには、あちこちにこうしたお堂が建っていたそうです。初めは村の入り口に悪霊払いの意味で建てられ、後に街道を行く人の接待の場として、または四国遍路の休み場としても利用されたもの。この茶堂は土佐から伊予へ越す龍王街道と呼ばれる道にあったものです。<br />

    説明によれば、四国の古い街道沿いには、あちこちにこうしたお堂が建っていたそうです。初めは村の入り口に悪霊払いの意味で建てられ、後に街道を行く人の接待の場として、または四国遍路の休み場としても利用されたもの。この茶堂は土佐から伊予へ越す龍王街道と呼ばれる道にあったものです。

  • 旧大久野島燈台は、三原瀬戸航路を照らす燈台として明治27年に点灯された灯台。基礎が3.8mの円形で、高さ5.1m、直径は3.1m。花崗岩の切石を積み、その上に鋳鉄製の灯台を置いています。白いペンキで塗られて、目立っていました。<br /><br />

    旧大久野島燈台は、三原瀬戸航路を照らす燈台として明治27年に点灯された灯台。基礎が3.8mの円形で、高さ5.1m、直径は3.1m。花崗岩の切石を積み、その上に鋳鉄製の灯台を置いています。白いペンキで塗られて、目立っていました。

  • 鍋島灯台は坂出市の沖合い、鍋島にあったもの。英国の技師R・H・ブラントンが設計した洋式燈台で、初点灯は明治5年です。<br />この職員宿舎の退息所は、翌年に建てられたもの。石造で、正面に円柱6本を建てたおしゃれな造りが目立っています。

    鍋島灯台は坂出市の沖合い、鍋島にあったもの。英国の技師R・H・ブラントンが設計した洋式燈台で、初点灯は明治5年です。
    この職員宿舎の退息所は、翌年に建てられたもの。石造で、正面に円柱6本を建てたおしゃれな造りが目立っています。

  • クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあり、明治36年に竣工、点燈しました。その後、燈台は無人化され、この退息所は不要になったことから、四国村に移築されたということです。レンガ造で、外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺の、見るからにがっちりした建物です。<br /><br /><br />

    クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあり、明治36年に竣工、点燈しました。その後、燈台は無人化され、この退息所は不要になったことから、四国村に移築されたということです。レンガ造で、外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺の、見るからにがっちりした建物です。


  • 楮蒸し小屋は、高知からの移築建物。

    楮蒸し小屋は、高知からの移築建物。

  • 土佐は高級和紙の産地ですが、この小屋では伝統の和紙づくりの作業が行われていました。つまり、切りそろえた楮やみつまたを束にして、釜に立て、上から桶をかぶせて蒸すという作業です。中央に釜があって、当時の様子を伝えていました。<br /><br /><br />

    土佐は高級和紙の産地ですが、この小屋では伝統の和紙づくりの作業が行われていました。つまり、切りそろえた楮やみつまたを束にして、釜に立て、上から桶をかぶせて蒸すという作業です。中央に釜があって、当時の様子を伝えていました。


  • 旧下木家住宅は、徳島からの移築建物。冬の間は雪で閉ざされる剣山麓。標高1000mのところにあった民家です。江戸中期の建物で、寄棟造り茅葺、間口七間、奥行四間で「本三六」の家と呼ばれるもの。間取りは、オモテ、ナイショ、ニワの三間に分かれます。<br /><br />

    旧下木家住宅は、徳島からの移築建物。冬の間は雪で閉ざされる剣山麓。標高1000mのところにあった民家です。江戸中期の建物で、寄棟造り茅葺、間口七間、奥行四間で「本三六」の家と呼ばれるもの。間取りは、オモテ、ナイショ、ニワの三間に分かれます。

  • ところで、園内には豊富な湧水があって、

    ところで、園内には豊富な湧水があって、

  • 傾斜を利用して、園内の隅々まで水が行きわたっています。

    傾斜を利用して、園内の隅々まで水が行きわたっています。

  • こちらの添水唐臼小屋の「添水(そうず)」というのは、竹筒に水を引きいれ、たまる水の重みで反転した竹筒が石などに当って音を鳴らし、畑を荒らす鳥獣を追い払うために作られたものだそうです。この小屋は徳島県美馬郡一字村木地屋にあって昭和30年ころまで使われていたのだそうです。<br /><br /><br />

    こちらの添水唐臼小屋の「添水(そうず)」というのは、竹筒に水を引きいれ、たまる水の重みで反転した竹筒が石などに当って音を鳴らし、畑を荒らす鳥獣を追い払うために作られたものだそうです。この小屋は徳島県美馬郡一字村木地屋にあって昭和30年ころまで使われていたのだそうです。


  • 東讃岐の引田町馬宿に生まれた久米通賢は平賀源内と並ぶ讃岐を代表する江戸時代の科学者。江戸時代、香川県の塩の生産量は全国の半分近くを占めていましたが、その製塩の基盤をつくったのが久米通賢だということです。<br />

    東讃岐の引田町馬宿に生まれた久米通賢は平賀源内と並ぶ讃岐を代表する江戸時代の科学者。江戸時代、香川県の塩の生産量は全国の半分近くを占めていましたが、その製塩の基盤をつくったのが久米通賢だということです。

  • 旧中石家住宅は、平家の落人村として有名な祖谷の民家。主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち並ぶ様子は、傾斜が急な祖谷地方の特徴を表しているのだそうです。並びに隠居した老人用の離れがあり、とても低い縁が設けられていて、家族の優しさが感じられました。<br /><br />

    旧中石家住宅は、平家の落人村として有名な祖谷の民家。主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち並ぶ様子は、傾斜が急な祖谷地方の特徴を表しているのだそうです。並びに隠居した老人用の離れがあり、とても低い縁が設けられていて、家族の優しさが感じられました。

  • 旧黒瀬家丸亀藩御用蔵は、江戸後期の建築で、もともとは京極藩御用の米蔵です。切妻造り本瓦葺の屋根に、高い海鼠壁や、正面にある4つのひさしの付いた戸口、格子窓が美しく、力強い印象を受ける意匠となっています。<br /><br />

    旧黒瀬家丸亀藩御用蔵は、江戸後期の建築で、もともとは京極藩御用の米蔵です。切妻造り本瓦葺の屋根に、高い海鼠壁や、正面にある4つのひさしの付いた戸口、格子窓が美しく、力強い印象を受ける意匠となっています。

  • 隣りの石橋は何でしたっけ。。

    隣りの石橋は何でしたっけ。。

  • 旧前田家土蔵は、高知県高知市布師田にあったもの。外壁は三段のひさしがあって、雨が壁面を痛めるのを防ぐ役割をしているそうです。ただ、意匠的には、それが豪華な感じ。また、蔵の入り口には蔵の番をするための隠居屋と離れ座敷が付属していて、これも大きな特徴でしょう。

    旧前田家土蔵は、高知県高知市布師田にあったもの。外壁は三段のひさしがあって、雨が壁面を痛めるのを防ぐ役割をしているそうです。ただ、意匠的には、それが豪華な感じ。また、蔵の入り口には蔵の番をするための隠居屋と離れ座敷が付属していて、これも大きな特徴でしょう。

  • 四国村の説明によれば、「この建物は、香川県と愛媛県の境の三豊郡箕浦に建っていました。北側が海、南側が山という地形の箕浦には、藩政時代、2つの番所がありましたが、海側の警備にあたっていた方は残っておらず、地元民が詰めていたこの番所だけが残っています。」とのこと。前には「讃州豫州境從是東丸亀領」とある石柱も移されています。

    四国村の説明によれば、「この建物は、香川県と愛媛県の境の三豊郡箕浦に建っていました。北側が海、南側が山という地形の箕浦には、藩政時代、2つの番所がありましたが、海側の警備にあたっていた方は残っておらず、地元民が詰めていたこの番所だけが残っています。」とのこと。前には「讃州豫州境從是東丸亀領」とある石柱も移されています。

  • 旧吉野家住宅は、徳島県海部郡由岐町伊座利にあった漁師の家。 <br />

    旧吉野家住宅は、徳島県海部郡由岐町伊座利にあった漁師の家。

  • 太平洋に面した断崖の下にあった、切妻造り平屋建て本瓦葺きの家ですが、強風を防ぐための周囲の石垣が特徴です。石垣の上に木造船が置かれたり、敷地内に網が置かれたり、リアルな感じが印象に残ります。<br /><br />さて、なんだかんだで、1時間以上かかってしまいました。しかし、これだけのものをよく集めてきました。明治村のように豪華なものではありませんが、四国がどんなところなのかのイメージが膨らむことは間違いありません。<br />

    太平洋に面した断崖の下にあった、切妻造り平屋建て本瓦葺きの家ですが、強風を防ぐための周囲の石垣が特徴です。石垣の上に木造船が置かれたり、敷地内に網が置かれたり、リアルな感じが印象に残ります。

    さて、なんだかんだで、1時間以上かかってしまいました。しかし、これだけのものをよく集めてきました。明治村のように豪華なものではありませんが、四国がどんなところなのかのイメージが膨らむことは間違いありません。

  • さて、屋島に向かいます。<br />源平屋島合戦の史跡といっても、屋島の辺り一帯が古戦場です。<br />屋島ドライブウェイの途中には屋島から広く周囲を見下ろせる場所に「源平屋島古戦場」の標識がありました。

    さて、屋島に向かいます。
    源平屋島合戦の史跡といっても、屋島の辺り一帯が古戦場です。
    屋島ドライブウェイの途中には屋島から広く周囲を見下ろせる場所に「源平屋島古戦場」の標識がありました。

  • 見えている範囲でも、あちこちいろんなところがあるんですねえ。

    見えている範囲でも、あちこちいろんなところがあるんですねえ。

  • なるほど。行ってみたくなりましたが、どうなんでしょう。<br />しかし、まずは、屋島に上らねば。。

    なるほど。行ってみたくなりましたが、どうなんでしょう。
    しかし、まずは、屋島に上らねば。。

  • 駐車場から、まずは屋島寺へ。ここは、四国八十八ヶ所の第八十四番札所です。屋島山頂にあっても、かなり大きなお寺。三回くらい来ていると思いますけど、やっぱり、定番コースなので、ここに寄らないわけにはいきません。<br />

    駐車場から、まずは屋島寺へ。ここは、四国八十八ヶ所の第八十四番札所です。屋島山頂にあっても、かなり大きなお寺。三回くらい来ていると思いますけど、やっぱり、定番コースなので、ここに寄らないわけにはいきません。

  • 境内には、屋島寺の守護神でもあるという屋島の禿狸という大きな像。日本三名狸に数えられる狸は、矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓います。その子孫が屋島の禿狸です。<br />

    境内には、屋島寺の守護神でもあるという屋島の禿狸という大きな像。日本三名狸に数えられる狸は、矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓います。その子孫が屋島の禿狸です。

  • この後、宝物館へ。ここの浜田泰介の日本画は、とってもお勧め。浜田泰介は、宇和島市の出身で、幼いころのお遍路さんの思い出などを語っていて、ほのぼのとします。<br />なお、屋島寺の宝物館の雪の庭ですが、見れるといっても、実際のところは、庭には入れないので、宝物館の建物のベランダから遠くに眺めるくらい。平たい岩が地上にむき出しになっていて、それを庭の景色としています。雪のように白いかなあ?という岩です。<br /><br />

    イチオシ

    この後、宝物館へ。ここの浜田泰介の日本画は、とってもお勧め。浜田泰介は、宇和島市の出身で、幼いころのお遍路さんの思い出などを語っていて、ほのぼのとします。
    なお、屋島寺の宝物館の雪の庭ですが、見れるといっても、実際のところは、庭には入れないので、宝物館の建物のベランダから遠くに眺めるくらい。平たい岩が地上にむき出しになっていて、それを庭の景色としています。雪のように白いかなあ?という岩です。

  • 屋島寺を出て、血の池。源平合戦に勝利した源氏が観音様に戦勝お礼詣でをして血の付いた刀を洗って以来、水が赤くなったといわれます。<br />ここからさらに進んで、

    屋島寺を出て、血の池。源平合戦に勝利した源氏が観音様に戦勝お礼詣でをして血の付いた刀を洗って以来、水が赤くなったといわれます。
    ここからさらに進んで、

  • 談古嶺は、獅子の霊巌、遊鶴亭と並び、屋島山上三大展望台のひとつ。<br />

    談古嶺は、獅子の霊巌、遊鶴亭と並び、屋島山上三大展望台のひとつ。

  • 豊臣秀吉の姉、村雲尼がここに来た際、源平合戦の武士や公達たちを偲び、談古嶺と命名したのだそうです。対岸は五剣山で、ダイナミックな庵治石の石切り場も見えました。<br />

    豊臣秀吉の姉、村雲尼がここに来た際、源平合戦の武士や公達たちを偲び、談古嶺と命名したのだそうです。対岸は五剣山で、ダイナミックな庵治石の石切り場も見えました。

  • ここから、遊歩道を一周します。

    ここから、遊歩道を一周します。

  • どんどん

    どんどん

  • 歩いて、

    歩いて、

  • 反対側に

    反対側に

  • 向かいます。

    イチオシ

    向かいます。

  • で、これがもう一つの展望台、獅子の霊巌。

    で、これがもう一つの展望台、獅子の霊巌。

  • 獅子の霊巌は、談古嶺、遊鶴亭と並んで、屋島の三大展望台の一つですが、中でもここが一番メジャーでしょう。

    獅子の霊巌は、談古嶺、遊鶴亭と並んで、屋島の三大展望台の一つですが、中でもここが一番メジャーでしょう。

  • この展望台からは、瀬戸内海に面した高松市内が眼下に見下ろせて、

    この展望台からは、瀬戸内海に面した高松市内が眼下に見下ろせて、

  • 夜景もきれいそう。<br />

    夜景もきれいそう。

  • 瓦投げに興じるグループもいたりして、雄大な景色の中の開放感を思いっきり楽しんでいました。なお、名前は展望台の下に獅子の形をした岩があるからだそうですが、私にはよく分かりませんでした。

    瓦投げに興じるグループもいたりして、雄大な景色の中の開放感を思いっきり楽しんでいました。なお、名前は展望台の下に獅子の形をした岩があるからだそうですが、私にはよく分かりませんでした。

  • 傍らにあるのがれいがん茶屋。お店は景色のいい屋島の断崖の際に建てられて、ここが一番眺めがいい場所かも。お茶屋さんではあるのですが、どちらかと言えば獅子の霊巌の中心的な観光センターという感じでしょうか。瓦投げの瓦もここで買います。<br /><br />

    傍らにあるのがれいがん茶屋。お店は景色のいい屋島の断崖の際に建てられて、ここが一番眺めがいい場所かも。お茶屋さんではあるのですが、どちらかと言えば獅子の霊巌の中心的な観光センターという感じでしょうか。瓦投げの瓦もここで買います。

  • あとは、駐車場に向かうのですが、こっちの方がお店があって賑やかですね。

    あとは、駐車場に向かうのですが、こっちの方がお店があって賑やかですね。

  • と、なんかイベントの練習中。女性の殺陣ですが、動きが早くて、けっこう本格的です。

    と、なんかイベントの練習中。女性の殺陣ですが、動きが早くて、けっこう本格的です。

  • では、再び、屋島ドライブウェイから戻ります。<br />なお、乗用車は、往復610円で、上がる際に徴収されます。一方で、山上の駐車場は無料なので、まあ妥当かもしれません。

    では、再び、屋島ドライブウェイから戻ります。
    なお、乗用車は、往復610円で、上がる際に徴収されます。一方で、山上の駐車場は無料なので、まあ妥当かもしれません。

  • わら家は、四国村に隣接する、超人気のうどん屋さん。昼には早いですが、ここでお腹に入れておいた方が、落ち着いて回れるでしょう。<br />

    わら家は、四国村に隣接する、超人気のうどん屋さん。昼には早いですが、ここでお腹に入れておいた方が、落ち着いて回れるでしょう。

  • 実は、30年前にたらいうどんを食べに来て以来の訪問です。今回は、冷たい生醤油うどん。しこしこしたコシのあるうどんが、さっぱりしていてとてもうまい。正統派の讃岐うどんの店だなあと改めて実感しました。<br />

    イチオシ

    実は、30年前にたらいうどんを食べに来て以来の訪問です。今回は、冷たい生醤油うどん。しこしこしたコシのあるうどんが、さっぱりしていてとてもうまい。正統派の讃岐うどんの店だなあと改めて実感しました。

  • 洲崎寺は、屋島の古戦場に関わる街歩きをしようと思って訪ねました。<br />実は、さっきの屋島寺で、地元のボランティアの人から、ここに駐車すると効率よくスポットに回れるよと教えてもらって、見どころスポットの地図もいただいたんです。<br />

    洲崎寺は、屋島の古戦場に関わる街歩きをしようと思って訪ねました。
    実は、さっきの屋島寺で、地元のボランティアの人から、ここに駐車すると効率よくスポットに回れるよと教えてもらって、見どころスポットの地図もいただいたんです。

  • ちなみに、このお寺も、源平合戦ゆかりの寺。源義経の身代わりとなった佐藤継信がここに運ばれ、それが縁で継信の菩提寺となりました。<br />境内の銀杏が紅葉真っ盛りで、とてもきれいでした。<br />

    ちなみに、このお寺も、源平合戦ゆかりの寺。源義経の身代わりとなった佐藤継信がここに運ばれ、それが縁で継信の菩提寺となりました。
    境内の銀杏が紅葉真っ盛りで、とてもきれいでした。

  • ここからは、歩いて周辺の源平スポットを訪ねます。<br />弓流しの跡は、義経の関係。源氏の大将、源義経は勝に乗じて海中に打ち入って戦ううち、脇下にはさめていた弓を海中に落としてしまいます。義経は、平家方の越中次郎兵衛盛嗣に熊手にかけられ危うく海中に落ちかかるところだったのですが、それでも、太刀で熊手をあしらい左手のムチで弓をかき寄せ引きあげたというのです。<br />弓を平家方に拾われて、「源氏の大将ともあろう者がこんな弱い弓を使っているのか」ともの笑いになるのをおそれたものだといわれていて、面白い話ではあります。<br /><br />

    ここからは、歩いて周辺の源平スポットを訪ねます。
    弓流しの跡は、義経の関係。源氏の大将、源義経は勝に乗じて海中に打ち入って戦ううち、脇下にはさめていた弓を海中に落としてしまいます。義経は、平家方の越中次郎兵衛盛嗣に熊手にかけられ危うく海中に落ちかかるところだったのですが、それでも、太刀で熊手をあしらい左手のムチで弓をかき寄せ引きあげたというのです。
    弓を平家方に拾われて、「源氏の大将ともあろう者がこんな弱い弓を使っているのか」ともの笑いになるのをおそれたものだといわれていて、面白い話ではあります。

  • 射落畠は、源義経の四天王の一人佐藤継信戦死の場所。継信は、藤原秀衡の庇護をうけていた源義経が頼朝の挙兵を知り、参陣する際、弟の忠信とともに義経に従います。そして、屋島の合戦において、大将義経の身代わりとなり、ここで平家の雄将能登守教経の強弓に射落されました。享年、28歳。<br /><br /><br />

    射落畠は、源義経の四天王の一人佐藤継信戦死の場所。継信は、藤原秀衡の庇護をうけていた源義経が頼朝の挙兵を知り、参陣する際、弟の忠信とともに義経に従います。そして、屋島の合戦において、大将義経の身代わりとなり、ここで平家の雄将能登守教経の強弓に射落されました。享年、28歳。


  • 総門は、源平の合戦、屋島の戦いの史跡。<br />安徳天皇を奉じる平氏は、屋島の内裏ができるまで六萬寺を行在所とします。その際、ここに門を構えて海辺の防御に備えるとともに、上陸の拠点とするのですが、その門がこの総門です。ただ、源氏の急襲により、あっという間に源氏軍の手におちたので、源氏の総門とも呼ばれるそうです。<br /><br /><br />

    総門は、源平の合戦、屋島の戦いの史跡。
    安徳天皇を奉じる平氏は、屋島の内裏ができるまで六萬寺を行在所とします。その際、ここに門を構えて海辺の防御に備えるとともに、上陸の拠点とするのですが、その門がこの総門です。ただ、源氏の急襲により、あっという間に源氏軍の手におちたので、源氏の総門とも呼ばれるそうです。


  • こちらは、一息。屋島の古戦場巡りで佐藤継信の墓を探している途中、国道沿いに見つけた和菓子屋さんです。高松の中心部からは離れていますが、そこそこの店構え。地元のリピータもそれなりにいるんでしょう。<br />

    こちらは、一息。屋島の古戦場巡りで佐藤継信の墓を探している途中、国道沿いに見つけた和菓子屋さんです。高松の中心部からは離れていますが、そこそこの店構え。地元のリピータもそれなりにいるんでしょう。

  • いただいたのは、おはぎです。おはぎは、米と餡子の組み合わせ。どっちかが勝っているものなんですが、私はお米が勝っている方が好きなんです。で、ここのも敢えて分けるとそのタイプ。力をもらって元気回復。また、街歩きを再開しました。<br />

    いただいたのは、おはぎです。おはぎは、米と餡子の組み合わせ。どっちかが勝っているものなんですが、私はお米が勝っている方が好きなんです。で、ここのも敢えて分けるとそのタイプ。力をもらって元気回復。また、街歩きを再開しました。

  • 佐藤継信の墓は、源平合戦の際、義経の身代りとなって戦死した佐藤継信の墓。これと並んで建つのは太夫黒の墓と言って、後白河法皇から義経に賜わった馬の墓。佐藤継信は、平家随一の猛将平教経に射られると、この太夫黒に乗せられ運ばれます。太夫黒は、継信の供養のためにと屋島の地に残されますが、太夫黒もほどなく息を引き取ったと言われます。<br /><br />

    佐藤継信の墓は、源平合戦の際、義経の身代りとなって戦死した佐藤継信の墓。これと並んで建つのは太夫黒の墓と言って、後白河法皇から義経に賜わった馬の墓。佐藤継信は、平家随一の猛将平教経に射られると、この太夫黒に乗せられ運ばれます。太夫黒は、継信の供養のためにと屋島の地に残されますが、太夫黒もほどなく息を引き取ったと言われます。

  • 続いて、祈り岩。源平合戦の時、那須与一宗高が扇の的を射ようとして、この岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えかし」と祈ったと言われます。屋島の戦いのハイライトの一つでしょう。<br /><br />

    続いて、祈り岩。源平合戦の時、那須与一宗高が扇の的を射ようとして、この岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えかし」と祈ったと言われます。屋島の戦いのハイライトの一つでしょう。

  • 景清錣引伝説は、「かげきよしころびきでんせつ」と読みます。源平合戦、屋島の戦いの際、この辺りで平家軍団一の豪傑とされる悪七兵衛景清と源氏の美尾屋十郎が一騎打ちしたと伝わります。太刀を折られ、逃げる源氏の美尾屋十郎のカブトを、平家の悪七兵衛景清は、熊手で引っかけ、強い腕の力でカブトの錣を引きちぎります。景清の剛勇さと十郎の首の強さをお互いに称賛したと言われます。命のやり取りのさ中とはいえ、武者の名誉を何よりも大事にしていた時代の気風を伝える伝説でしょう。<br />

    景清錣引伝説は、「かげきよしころびきでんせつ」と読みます。源平合戦、屋島の戦いの際、この辺りで平家軍団一の豪傑とされる悪七兵衛景清と源氏の美尾屋十郎が一騎打ちしたと伝わります。太刀を折られ、逃げる源氏の美尾屋十郎のカブトを、平家の悪七兵衛景清は、熊手で引っかけ、強い腕の力でカブトの錣を引きちぎります。景清の剛勇さと十郎の首の強さをお互いに称賛したと言われます。命のやり取りのさ中とはいえ、武者の名誉を何よりも大事にしていた時代の気風を伝える伝説でしょう。

  • こちらの駒立岩は、源平合戦の主役の一人、那須与一に関係する場所。那須与一は、近くの祈り岩で神明に祈願した後、海の中のこの岩まで駒を進め、ここで足場を定めて、波にゆれ動く船の扇の的を射落としたと伝わります。ただ、駒立岩は、意外に小さなもの。満ち潮の時は隠れてしまうそうです。<br /><br />なるほど。平家物語に登場する場面ばかりです。ちょっと知識不足でイメージが膨らみにくいところもありましたが、さすが屋島の古戦場という感じです。<br />さて、ここからお遍路にも向かいましょう。

    こちらの駒立岩は、源平合戦の主役の一人、那須与一に関係する場所。那須与一は、近くの祈り岩で神明に祈願した後、海の中のこの岩まで駒を進め、ここで足場を定めて、波にゆれ動く船の扇の的を射落としたと伝わります。ただ、駒立岩は、意外に小さなもの。満ち潮の時は隠れてしまうそうです。

    なるほど。平家物語に登場する場面ばかりです。ちょっと知識不足でイメージが膨らみにくいところもありましたが、さすが屋島の古戦場という感じです。
    さて、ここからお遍路にも向かいましょう。

  • 四国八十八か所の第八十五番札所である五剣山八栗寺へは、この八栗ケーブルを利用することになります。八栗登山口駅から八栗山上駅は、往復900円。長さ0.7km、高低差167mです。緑とオレンジの二両が走っていて、かわいらしい車両。ちょっと和みました。<br />

    四国八十八か所の第八十五番札所である五剣山八栗寺へは、この八栗ケーブルを利用することになります。八栗登山口駅から八栗山上駅は、往復900円。長さ0.7km、高低差167mです。緑とオレンジの二両が走っていて、かわいらしい車両。ちょっと和みました。

  • こちらが終点の駅です。八栗寺は、ここから歩きます。

    こちらが終点の駅です。八栗寺は、ここから歩きます。

  • 八栗寺は、四国八十八ヶ所の第八十五番札所。標高375mの五剣山の中腹です。<br />

    八栗寺は、四国八十八ヶ所の第八十五番札所。標高375mの五剣山の中腹です。

  • 山頂駅から歩くこと5分。

    イチオシ

    山頂駅から歩くこと5分。

  • 多宝塔が見えてきて、紅葉がとてもきれいです。

    多宝塔が見えてきて、紅葉がとてもきれいです。

  • 本堂は、背後に五剣山をいただいて、建っていました。<br />

    イチオシ

    本堂は、背後に五剣山をいただいて、建っていました。

  • なお、名前はもともと八国寺。弘法大師が唐の留学から帰ったところ、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていたことから八栗寺へ改名したと伝えられます。<br />

    なお、名前はもともと八国寺。弘法大師が唐の留学から帰ったところ、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていたことから八栗寺へ改名したと伝えられます。

  • 紅葉も見れて、けっこう機嫌よく帰途につきました。その途中に、えらく繁盛しているうどん屋さんを発見しました。<br />うどん本陣 山田家です。<br />

    紅葉も見れて、けっこう機嫌よく帰途につきました。その途中に、えらく繁盛しているうどん屋さんを発見しました。
    うどん本陣 山田家です。

  • 大きな家屋のお店ですが、庭の方まで、待っている人がわんさか。やっと呼び出されて奥の座敷に上がりました。<br /><br />

    大きな家屋のお店ですが、庭の方まで、待っている人がわんさか。やっと呼び出されて奥の座敷に上がりました。

  • さて、うどんの方は麺全体がふかふかした柔らかさ。ちょっと違和感のあるコシですね。一方で、出汁はとても洗練された味わい。讃岐うどんはうどんが命。出汁のうまさは邪魔になるというくらいの感じがする店もあるんですが、その対極かと思います。

    さて、うどんの方は麺全体がふかふかした柔らかさ。ちょっと違和感のあるコシですね。一方で、出汁はとても洗練された味わい。讃岐うどんはうどんが命。出汁のうまさは邪魔になるというくらいの感じがする店もあるんですが、その対極かと思います。

  • 悪くはないですが、素朴な讃岐うどんとは違うように思いました。<br />

    悪くはないですが、素朴な讃岐うどんとは違うように思いました。

  • 次に訪れたのは志度寺。<br />海女の墓は、志度寺を入ってすぐ。志度寺には「海女の玉取り伝説」という有名なお話が伝わっていまして、それに因むもの。竜神に奪われてた「面向不背(めんこうふはい)の玉」を取り戻すため、身分を隠して志度へやってきた藤原不比等は海女と契り、玉の奪還を海女に頼みます。命に代えて玉を奪還した海女との間に出来た一子房前は、海女との約束通り藤原家の跡取りとなったというのです。<br /><br /><br />

    次に訪れたのは志度寺。
    海女の墓は、志度寺を入ってすぐ。志度寺には「海女の玉取り伝説」という有名なお話が伝わっていまして、それに因むもの。竜神に奪われてた「面向不背(めんこうふはい)の玉」を取り戻すため、身分を隠して志度へやってきた藤原不比等は海女と契り、玉の奪還を海女に頼みます。命に代えて玉を奪還した海女との間に出来た一子房前は、海女との約束通り藤原家の跡取りとなったというのです。


  • こちらは、生駒親正の墓。生駒親正は、秀吉の家来として出世し、関ヶ原の戦いの際には讃岐の大名だった武将。現在の高松の開発に大きな貢献をしています。

    こちらは、生駒親正の墓。生駒親正は、秀吉の家来として出世し、関ヶ原の戦いの際には讃岐の大名だった武将。現在の高松の開発に大きな貢献をしています。

  • ところで、志度寺は、四国八十八ヶ所の第八十六番札所。五重塔に、<br /><br />

    ところで、志度寺は、四国八十八ヶ所の第八十六番札所。五重塔に、

  • 本堂、

    本堂、

  • 三門と街中でも、大寺の風格が漂います。

    三門と街中でも、大寺の風格が漂います。

  • この三門を出てすぐのところなのですが、<br />平賀源内の墓は、志度寺の塔頭の一つ常楽寺の境内。志度寺の山門を出てすぐの場所が常楽寺ですし、またその常楽寺の門を入って、すぐ右手が平賀源内の墓。たくさんの墓所に囲まれた場所を想像していたのですが、この墓だけポツンとありまして、孤高の人、源内の人を表しているような感じでした。<br /><br />

    この三門を出てすぐのところなのですが、
    平賀源内の墓は、志度寺の塔頭の一つ常楽寺の境内。志度寺の山門を出てすぐの場所が常楽寺ですし、またその常楽寺の門を入って、すぐ右手が平賀源内の墓。たくさんの墓所に囲まれた場所を想像していたのですが、この墓だけポツンとありまして、孤高の人、源内の人を表しているような感じでした。

  • これも近くにある平賀源内記念館は、その平賀源内の業績を紹介する施設。西洋画や色鮮やかな源内焼。エレキテルに、戯作浄瑠璃など、内容は当然多彩です。館内では、ビデオで紹介する「源内奇才劇場」もあって、気軽に楽しめます。<br /><br />

    これも近くにある平賀源内記念館は、その平賀源内の業績を紹介する施設。西洋画や色鮮やかな源内焼。エレキテルに、戯作浄瑠璃など、内容は当然多彩です。館内では、ビデオで紹介する「源内奇才劇場」もあって、気軽に楽しめます。

  • 平賀源内先生遺品館は、平賀源内記念館から500mくらい離れています。こちらは、平賀源内の旧邸と一緒の施設。源内の銅像や、平賀源内ゆかりの薬草園もあります。<br />なお、源内の父は、高松藩の軽輩御蔵番。近くに蔵の跡もあるようでした。<br />

    平賀源内先生遺品館は、平賀源内記念館から500mくらい離れています。こちらは、平賀源内の旧邸と一緒の施設。源内の銅像や、平賀源内ゆかりの薬草園もあります。
    なお、源内の父は、高松藩の軽輩御蔵番。近くに蔵の跡もあるようでした。

  • これは薬草園。国の登録有形文化財に指定された平賀源内の生家の裏庭に整備されたもの。平賀源内は、多彩な才能を発揮した奇才ですが、本草学者としても一流。園内には、あまちゃ、まんりょうなど、けっこう多くの種類が植えられていて本格的。片手間に作られた薬草園ではありません。<br /><br /><br />

    これは薬草園。国の登録有形文化財に指定された平賀源内の生家の裏庭に整備されたもの。平賀源内は、多彩な才能を発揮した奇才ですが、本草学者としても一流。園内には、あまちゃ、まんりょうなど、けっこう多くの種類が植えられていて本格的。片手間に作られた薬草園ではありません。


  • 裏に回ると源内先生の銅像もあります。頭が小っちゃいですね。<br />さて、時間が押せ押せになってきました。急いで、高松市内に戻りましょう。

    裏に回ると源内先生の銅像もあります。頭が小っちゃいですね。
    さて、時間が押せ押せになってきました。急いで、高松市内に戻りましょう。

  • ただ、途中、ちょっとこちらで休憩。<br />道の駅 源平の里むれです。<br /><br />

    ただ、途中、ちょっとこちらで休憩。
    道の駅 源平の里むれです。

  • 国道沿いで、広々しているしかなりよく整備された施設です。観光案内の施設が駐車場に近い場所にあって、奥が地元の特産品の販売所。販売所はかなり立派で、けっこう賑わっていました。<br />

    国道沿いで、広々しているしかなりよく整備された施設です。観光案内の施設が駐車場に近い場所にあって、奥が地元の特産品の販売所。販売所はかなり立派で、けっこう賑わっていました。

  • そして、どうしても回りたかった高松平家物語歴史館に到着。

    そして、どうしても回りたかった高松平家物語歴史館に到着。

  • 平家物語をテーマにした蝋人形館だけに、まずは平清盛がお迎えです。

    平家物語をテーマにした蝋人形館だけに、まずは平清盛がお迎えです。

  • ここからは、四国出身の首相の蝋人形もあって、<br />三木首相に、

    ここからは、四国出身の首相の蝋人形もあって、
    三木首相に、

  • 吉田茂、

    吉田茂、

  • あーうーの大平首相も、よくできています。

    あーうーの大平首相も、よくできています。

  • これは、正岡子規。へえー。こんな怖い感じの人だったんですね。風貌からすると、正岡子規こそ、軍人に相応しかったかもしれません。

    これは、正岡子規。へえー。こんな怖い感じの人だったんですね。風貌からすると、正岡子規こそ、軍人に相応しかったかもしれません。

  • そして、いよいよ二階がメインの平家物語展示です。ひよどり越えの義経、弁慶は馬に乗って崖を駆け下るありさま。これ以上ないくらいダイナミックに表現されています。びっくりですねえ。

    イチオシ

    そして、いよいよ二階がメインの平家物語展示です。ひよどり越えの義経、弁慶は馬に乗って崖を駆け下るありさま。これ以上ないくらいダイナミックに表現されています。びっくりですねえ。

  • 平家物語の世界は、平家が武勇と知略でどんどんのし上がっていくころから、

    平家物語の世界は、平家が武勇と知略でどんどんのし上がっていくころから、

  • 絶頂期を迎える場面。

    絶頂期を迎える場面。

  • 奢れる清盛というか、無常の世というか。これは仏御前が祇王寺を訪ねる場面ですね。

    奢れる清盛というか、無常の世というか。これは仏御前が祇王寺を訪ねる場面ですね。

  • 平家に対する反発の気配は少しずつですが、動き出します。鹿ケ谷の陰謀が発覚して、薩摩に島流しに合う俊寛です。まあ、これはまだまだほんの小さなものでしたが。。

    平家に対する反発の気配は少しずつですが、動き出します。鹿ケ谷の陰謀が発覚して、薩摩に島流しに合う俊寛です。まあ、これはまだまだほんの小さなものでしたが。。

  • しかし、平家のおごりはますますエスカレートしていきます。

    しかし、平家のおごりはますますエスカレートしていきます。

  • 公家の列への乱暴狼藉も誰も止めることはできません。

    公家の列への乱暴狼藉も誰も止めることはできません。

  • 富士川の戦いで、大軍が逃げ帰るという大失態。源氏の勢力はすでに侮れない力を持ち始めていました。

    富士川の戦いで、大軍が逃げ帰るという大失態。源氏の勢力はすでに侮れない力を持ち始めていました。

  • 奈良の焼打ちは、平家の焦りもあってのもの。平重衡は、源氏になびく、東大寺、興福寺などを先手必勝とばかりに焼討にしてしまいます。

    奈良の焼打ちは、平家の焦りもあってのもの。平重衡は、源氏になびく、東大寺、興福寺などを先手必勝とばかりに焼討にしてしまいます。

  • そんな中、要の清盛は熱病に犯され、帰らぬ人に。頼朝の首を墓前に捧げよとの遺言も、平家の劣勢は覆うべくもなく、むなしいものとなって行きます。

    そんな中、要の清盛は熱病に犯され、帰らぬ人に。頼朝の首を墓前に捧げよとの遺言も、平家の劣勢は覆うべくもなく、むなしいものとなって行きます。

  • 屋島の戦いは、一の谷の合戦に続いて平家の敗北を決定づけた戦い。<br />そんな中で、戦いは個人の運命も変えていく。熊谷直実は、敵将の一人平敦盛の首をあげますが、相手が自分の息子と同じくらいでしかない若武者であることに気づき、愕然としてしまいます。

    イチオシ

    屋島の戦いは、一の谷の合戦に続いて平家の敗北を決定づけた戦い。
    そんな中で、戦いは個人の運命も変えていく。熊谷直実は、敵将の一人平敦盛の首をあげますが、相手が自分の息子と同じくらいでしかない若武者であることに気づき、愕然としてしまいます。

  • 戦いには華やかな場面もあって。<br />那須与一の見事な働きなど、源氏の勢いは増すばかりです。

    戦いには華やかな場面もあって。
    那須与一の見事な働きなど、源氏の勢いは増すばかりです。

  • そして、最後の壇ノ浦。安徳天皇の入水場面は、もう哀れというか、何んというか。物語はここに極まり、涙を誘うしかない場面です。

    イチオシ

    そして、最後の壇ノ浦。安徳天皇の入水場面は、もう哀れというか、何んというか。物語はここに極まり、涙を誘うしかない場面です。

  • 周囲には、最後死に場所を求める平家の武将に、

    イチオシ

    周囲には、最後死に場所を求める平家の武将に、

  • 呆然とする平家の大将。

    呆然とする平家の大将。

  • 討ち死にし、波間に漂う多くの兵も、もはや海の藻屑となるしかないでしょう。

    イチオシ

    討ち死にし、波間に漂う多くの兵も、もはや海の藻屑となるしかないでしょう。

  • 一方、戦いの中助け出された建礼門院は、平家の人々の冥福を祈って、大原の山奥で余生を送ります。

    一方、戦いの中助け出された建礼門院は、平家の人々の冥福を祈って、大原の山奥で余生を送ります。

  • そして、平家の盛衰を語る琵琶法師が物語を伝え、滅んだとはいえ平家の時代があったことの意味を我々に教えてくれる。また、多くの戦死者の供養にもなっているんでしょう。<br />いすれにしても、日本人の心の中に諸行無常を植えつけたことが、その後の歴史や文化に計り知れない影響を与えているのは、間違いないことだと思います。

    そして、平家の盛衰を語る琵琶法師が物語を伝え、滅んだとはいえ平家の時代があったことの意味を我々に教えてくれる。また、多くの戦死者の供養にもなっているんでしょう。
    いすれにしても、日本人の心の中に諸行無常を植えつけたことが、その後の歴史や文化に計り知れない影響を与えているのは、間違いないことだと思います。

  • ここで、もう終わろうか迷ったのですが、せっかくなので、もう少し、車を走らせます。<br />やってきたのは、白峯寺。四国八十八ヶ所の第八十一番札所です。<br />

    ここで、もう終わろうか迷ったのですが、せっかくなので、もう少し、車を走らせます。
    やってきたのは、白峯寺。四国八十八ヶ所の第八十一番札所です。

  • 五色台の山頂近くにあって、ふもとからかなりのくねくね道を上りました。<br />

    五色台の山頂近くにあって、ふもとからかなりのくねくね道を上りました。

  • 弘法大師のほか、三井寺を開いた円珍が白峯大権現の神託を受け、

    弘法大師のほか、三井寺を開いた円珍が白峯大権現の神託を受け、

  • 千手観世音菩薩を刻み安置したといいます。

    千手観世音菩薩を刻み安置したといいます。

  • 讃岐に流されこの地で没した崇徳天皇の陵墓も、すぐ隣りです。<br />

    讃岐に流されこの地で没した崇徳天皇の陵墓も、すぐ隣りです。

  • 白峯御陵は、崇徳上皇が保元の乱の首謀者として、讃岐国に流され、この地で亡くなった悲劇の帝の御陵。

    白峯御陵は、崇徳上皇が保元の乱の首謀者として、讃岐国に流され、この地で亡くなった悲劇の帝の御陵。

  • 上皇は、百人一首にも選ばれるほどの和歌の才能を持ち、一方で、のちに怨霊になって平清盛らを悩ませたとも伝えられます。<br />

    上皇は、百人一首にも選ばれるほどの和歌の才能を持ち、一方で、のちに怨霊になって平清盛らを悩ませたとも伝えられます。

  • ところで、五色台は、赤峰、黄峰(黄ノ峰)、黒峰、青峰、白峰の5峰に因むもの。高松市内からでもすぐだと思っていたのですが、もうほとんど坂出市でした。<br />それでも、夕暮れの瀬戸内海の眺めは一見の価値あり。平野に小高い山もいくつか見えて、香川らしい風景が目の前に広がっていました。<br /><br />

    ところで、五色台は、赤峰、黄峰(黄ノ峰)、黒峰、青峰、白峰の5峰に因むもの。高松市内からでもすぐだと思っていたのですが、もうほとんど坂出市でした。
    それでも、夕暮れの瀬戸内海の眺めは一見の価値あり。平野に小高い山もいくつか見えて、香川らしい風景が目の前に広がっていました。

  • さて、帰りは高松空港から。かなり時間はぎりぎりです。<br />そんな中で、香南楽湯は、道の駅のつもりで寄ってみたのですが、香南楽湯という名前の通り、ほとんど温泉が中心の施設です。お客さんも、温泉目当てのよう。<br />お土産物の販売スペースもないことはないのですが、温泉に上がっていく前のスペースを利用したものです。<br /><br />

    さて、帰りは高松空港から。かなり時間はぎりぎりです。
    そんな中で、香南楽湯は、道の駅のつもりで寄ってみたのですが、香南楽湯という名前の通り、ほとんど温泉が中心の施設です。お客さんも、温泉目当てのよう。
    お土産物の販売スペースもないことはないのですが、温泉に上がっていく前のスペースを利用したものです。

  • 何んとか、高松空港に到着。すっかり暗くなっていましたが、間に合ったようです。<br />結局、空港への距離はしれていたのですが、この辺りは平野なので、道路があちこち走っている。どこからでも空港に行けるのですが、逆にそれがかえって、本当に空港に向かっているのかなあという不安にもなる。妙な感じの道でした。<br /><br />で、空港では最後もうどんにしましょうか。<br /><br />

    何んとか、高松空港に到着。すっかり暗くなっていましたが、間に合ったようです。
    結局、空港への距離はしれていたのですが、この辺りは平野なので、道路があちこち走っている。どこからでも空港に行けるのですが、逆にそれがかえって、本当に空港に向かっているのかなあという不安にもなる。妙な感じの道でした。

    で、空港では最後もうどんにしましょうか。

  • うどん王の炊事場は、高松空港の二階。うどんとラーメンの店ということで、ちょっとどっちつかずだなあと思ったのですが、結果は、なかなかいい。<br />細めでツルツルした麺は、コシも程よし。これなら香川の旅、最後のうどんで悪くないと思いました。<br />以上で、四日間の旅は終了。お疲れ様でした。<br /><br />

    うどん王の炊事場は、高松空港の二階。うどんとラーメンの店ということで、ちょっとどっちつかずだなあと思ったのですが、結果は、なかなかいい。
    細めでツルツルした麺は、コシも程よし。これなら香川の旅、最後のうどんで悪くないと思いました。
    以上で、四日間の旅は終了。お疲れ様でした。

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