2012/12/14 - 2012/12/19
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世界文化遺産の旧市街に建つ、ペナン州立博物館などの紹介です。博物館の室内撮影は禁止されていましたので、外観と前庭の展示物だけの紹介になります。昼食の後の午後は自由時間でしたから、ツアーに参加して極楽寺とペナン・ヒルを見学しました。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)
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ペナン州立博物館に到着しました。バスの中からの博物館の建物光景です。入場しても写真撮影はできませんしたから、外回りだけの紹介です。校舎を改装した博物館内には、工芸品、写真、芸術品などの総合的なコレクションを通してペナンの多彩な歴史が紹介されています。(同上)
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イチオシ
ペナン州立博物館では過去に遡り、1800 年代、ペナン英国植民地の創始者フランシス ライト卿の時代から、この町の文化や物理的政治的アイデンティティがどのように変化してきたのかが見学できます。町の歴史を描いた絵画や描写、写真は重大な歴史的事件の証です。(同上)
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これも博物館のコレクションの一つです。船の碇が前庭に展示してありました。工芸品の中には、かつて海峡植民中国人の一族たちが所有していたアンティーク品のコレクションもあり、ペナンの歴史を生き生きと伝えています。(同上)
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1821年に建築されたこの建物は学校として利用され、1964年に博物館に生まれ変わりました。高いアーチと白い円柱はペナンの素晴らしい建築特徴を代表しています。館内はペナンおよび各国の芸術家の作品が収められたギャラリーと、町の歴史を説明した展示との 2 セクションに分かれています。(同上)
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ペナン史を年代順に記録した写真から博物館見学をスタートするのがお勧めとされます。1867 年のペナン大暴動を写したものや、第二次世界大戦中の様子の絵画なども見所のようです。(同上)
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初期イギリス植民地時代のペナンを見るには、東インド会社のロバート スミス船長による油絵が必見とされます。写真は、前庭に展示してあった各種のクラシック・カーです。(同上)
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中国の影響を受けているペナンの様子も展示され、中国人商人の邸宅のメインホールを復元した模型などもあります。この展示には、海峡植民中国人の一族たちが有していた室内靴や宝石類など豪華なアクセサリー、アヘンベッドなどの調度品など膨大なコレクションが含まれています。(同上)
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アートに興味があるなら、1 階の常設展示にある地元の芸術家の作品が見ごたえ満点です。常設展示の中には、マレーの船舶操縦技術を記録した一連の絵画や、旧ペナンの光景を描いたものもあります。(同上)
*写真は、展示されたクラシック・カーの説明文のようです。 -
外にある土産物ショップもお見逃しないように。これは、かつてペナン ・ヒルで運行されていた鉄道車両です。中では、アンティーク品や土産物が実際に販売されています。(同上)
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ペナン州立博物館はジョージタウン中心地のファーカー通りにあり、主要なバス路線を利用できます。博物館は金曜日と祝日を除き、毎日開館しています。入場料がかかります。(同上)
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ペナン州立博物館の建物光景(部分)です。『建物は、1896年に建てられたジョージタウンを代表するコロニアル建築です。』と紹介されていました。コロニアル建築とは、植民地建築のことで、世界の主要国が植民地または占領地に故国の建築様式またはインテリア・スタイルを残した様式を指します。(同上)
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ペナン州立博物館の建物紹介の看板の紹介です。ペナンでのコロニアル様式と言えば、イギリスの建築様式になります。イギリス植民地様式は、北米、中米、アフリカ、アジア、オセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)の国々に残ります。(同上)
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イチオシ
『コロニアル・ジョージアン・アーキテクチャー((Colonial Georgian architecture)』とも呼ばれている、イギリスの植民地時代の建築物の光景です。『ジョージアン・アーキテクチャー』は、『グルジア・アーキテクチャー』とも表記される、1714年から1830年の間にほとんどの英語圏の国で与えられた名前です。1714年8月から1830年6月まで続いて君臨したハノーバー家の最初の4人の英国君主、ジョージ1世、ジョージ3世、ジョージ4世に因んで名付けられました。イギリス諸島のいわゆるグルジアの大都市は、エジンバラ、バース、独立前のダブリン、ロンドン、そしてヨークとブリストルでした。(同上)
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グルジア建築は、植民地復興建築として19世紀後半に、そして20世紀初頭にイギリスではネオグルジア建築として復活しました。両方とも、グルジアのリバイバル建築とも呼ばれています。(同上)
*写真は、一部か読み取れませんでしたが、ペナン州立博物館の標識のようです。 -
ペナン州立博物館の敷地内から眺めた、ペナン市内の光景です。午前中はツアーメンバー揃っての見学でしたが、昼食を終わった午後には自由時間でした。オプショナル・ツアーで、極楽寺見学とペナン昼見学がありましたので、午後は、そちらに参加することにしました。(同上)
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ペナン州立博物館の近くにあった、日本で言えばマンションらしい建物の光景です。その脇から、ペナン市街の光景が見えていました。マンションらしい建物からは、ペナン市街、殊に、世界遺産のジョージ・タウンが一望できそうでした。(同上)
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これで、午前中の見学はお終いです。昼食のためにジョージ・タウンのホテルに戻り、午後からは自由散策になります。ツアーに参加して、極楽寺とペナン・ヒルの見学の予定です。(同上)
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午前中の見学を終わった後、昼食を済ませた後にホテルに戻ることになりました。そのホテル付近の光景です。撮影場所は、『フレンドシップ・パーク』の付近になるようです。(同上)
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昼食を終えて、午後の見学に出発しました。ここはまだ、世界遺産のジョージ・タウンの町並み光景です。最初に向かったのは、『アイルイタムの丘』に建つ極楽寺です。ジョージ・タウンからは数キロほどの内陸部のようでした。(同上)
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同じく、『アイルイタムの丘』に建つ極楽寺に向かう途中の光景です。空の模様が少し怪しくなってきたようですが、期待値も入りますが、すぐに雨が降り出すような雲の厚さではなさそうです。(同上)
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次第に郊外の景色に変わってきました。ここから、『アイルイタムの丘』に建つ『極楽寺』の概要について紹介します。寺の開祖はジョージ・タウンのピット・ストリートの寺の住職『妙蓮法師(Beow Lean)』です。妙蓮師は、福州市の鼓山涌泉寺の僧でしたが、1885年にペナン島に渡り、アイルイタムの丘に寺を建立することを決断しました。(同上)
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客家(はっか)系の華人実業家の、張弼士(Cheong Fatt Tze)、張煜南、謝春生(Chea Choon Seng)、戴喜雲(Tye Kee Yoon)、鄭景貴(Chung Keng Kooi)等が資金を提供しました建築は1893年にはじまり、1904年に第1期工事を完成しました。当時の清朝の光緒(こうしょ)帝は、極楽寺のために7万巻の経典や石碑を贈りました。(同上)
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イチオシ
丘の上に建つ、『極楽寺』の堂宇が見えてきました。少し話が外れますが、清朝の第11代皇帝の『光緒帝(在位:1875~1908年)』について紹介しておきます。廟号は『徳宗(とくそう)』、在世時の元号の光緒を取って『光緒帝』と呼ばれます。第8代皇帝の『道光帝(在位:1782~1850年)』の第7子の醇親王奕譞の第2子として生まれました。母は西太后の妹です。従兄の第10代皇帝の『同治(どうち)帝:在位:1861~1875年』)が早世した後に、権力保持を狙う伯母の西太后によって擁立されました。即位したのは3歳の時でしたから、実権は『西太后(せいたいこう:1835~1908年)』が握りました。『光緒帝』は、暗殺されたとのうわさがありましたが、2000年代の科学的調査により、毛髪から致死量をはるかに超えるヒ素が検出され、暗殺説の確率が高くなりました。(同上)
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『光緒帝』の暗殺説について、もう少し補足しておきます。毒殺の犯人についてはいくつかの説があります、
〇西太后犯人説:『崇陵伝信録』及び『清稗類鈔』等が唱えます。死去直前の西太后が毒殺を命じたという説です。自分の死期を悟った西太后が、自分よりも光緒帝を長生きさせないために毒殺したと記しています。(続く) -
〇袁世凱犯人説:第12代皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ:1906~1967年)』の自伝『わが半生』に述べられています。清朝最後の皇帝(在位:1908年12月~1912年2月)です。
〇李蓮英犯人説:慈禧外伝』及び徳齢の『瀛台泣血記』等。長年西太后に仕えていた宦官。
〇その他毒殺説:『逸経』等にある、侍医が毒殺したとする説など。(同上) -
駐車場の脇にずらりと並んだ史郎石造の光景です。推測になりますが、釈迦の10大弟子当たりのようです。1.舎利弗 2.目連 3.大迦葉 4.須菩提 5.富楼那 6.迦旃延 7.阿那律 8.優波離 9.羅睺羅 10.阿難の10人です。(同上)
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『アイルイタムの丘』から眺めた麓の光景です。極楽寺はその後も拡張を続けています。巨大なパゴダ(万仏宝塔)は、1915年から1930年までかけて作られました。巨大な観音像ははじめグラスファイバー製で1986年に作られましたが壊れてしまい、現在の観音像は2002年に公開された二代目です。これらは、後ほど紹介します。(同上)
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『アイルイタムの丘』から眺めた麓の光景が続きます。極楽寺は数多くの建築物で溢れています。(同上)
〇パゴダ:非常に目立つパゴダは、下層が中国式の八角形の塔、中層がタイ式、上層がビルマ式という奇抜な構造をしています。
〇正殿(大雄宝殿):1896年建立の古い建物で、扁額は光緒帝の揮毫です。 -
極楽寺の数多くの建築物の紹介の続きです。(同上)
〇青銅の巨大な観音像:30.2メートルの高さをもち、丘の高い所に鎮座しています。斜行エレベーターで昇ります。
〇ほかに大士殿、天王殿、五方仏殿、無量寿塔、放生池などがあります。
*これ等も、後ほど紹介します。 -
『アイルイタムの丘』から眺めた周りの山々の光景です。中高層ビルが、山の麓や、中腹まで迫っていました。その先に見えている海は、マラッカ海峡になるようです。その対岸も見えていましたが、少し霞んでいました。(同上)
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