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涅槃仏寺院とその向かいにある緬仏寺の紹介です。タイ国、ミャンマー国、それにマレーシア国のイギリス植民地時代などが重なったため、イギリスの植民地だったマレーシア国で、仏教寺院が隣り合わせになったようです。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)

2012暮、マレーシア旅行記2(21/32):12月18日(2):ペナン島、泰仏寺(涅槃仏寺院)、緬仏寺(ミャンマー寺)

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2012/12/14 - 2012/12/19

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旅人のくまさん

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涅槃仏寺院とその向かいにある緬仏寺の紹介です。タイ国、ミャンマー国、それにマレーシア国のイギリス植民地時代などが重なったため、イギリスの植民地だったマレーシア国で、仏教寺院が隣り合わせになったようです。(ウィキペディア、るるぶ・マレーシア)

  • 涅槃仏寺院は、『泰仏寺』とも呼ばれるタイ王国系の仏教寺院です。『涅槃像の裏側は納骨堂になっており、たくさんの信者の骨壺がおさめられています』とも紹介されていました。イギリス植民地だったのは、マレーシアが、1895年のマラッカ獲得に始まり1941年まで、ミャンマー(ビルマ)が(1937~1948年)です。タイは、外交力で植民地化を免れています。(同上)

    涅槃仏寺院は、『泰仏寺』とも呼ばれるタイ王国系の仏教寺院です。『涅槃像の裏側は納骨堂になっており、たくさんの信者の骨壺がおさめられています』とも紹介されていました。イギリス植民地だったのは、マレーシアが、1895年のマラッカ獲得に始まり1941年まで、ミャンマー(ビルマ)が(1937~1948年)です。タイは、外交力で植民地化を免れています。(同上)

  • 仏像の印相(いんそう)の『施無畏印と与願印』はすでに紹介しましたが、この仏像の印相は、『説法印(転法輪印)』になるようです。お釈迦様が説法をされている際のジェスチャーを交えながらお話になり、そのお姿を形に表したものと言われ、いくつかのバリエーションがあります。例えば、両手を胸の前まで挙げ、親指と中指などで輪を作る形などです。(同上)

    仏像の印相(いんそう)の『施無畏印と与願印』はすでに紹介しましたが、この仏像の印相は、『説法印(転法輪印)』になるようです。お釈迦様が説法をされている際のジェスチャーを交えながらお話になり、そのお姿を形に表したものと言われ、いくつかのバリエーションがあります。例えば、両手を胸の前まで挙げ、親指と中指などで輪を作る形などです。(同上)

  • 次の仏像の印相は、『來迎印(らいげいいん)』に似ているようでしたが、少し違っていました。この印相がぴったりする解説は見当たりませんでした。両手の印相は、『下品下生』に似ていましたが、阿弥陀如来の『下品下生』は、親指と薬指との組み合わせです。阿弥陀如来の印相は、指で輪をつくるのが特徴とされます。(同上)

    次の仏像の印相は、『來迎印(らいげいいん)』に似ているようでしたが、少し違っていました。この印相がぴったりする解説は見当たりませんでした。両手の印相は、『下品下生』に似ていましたが、阿弥陀如来の『下品下生』は、親指と薬指との組み合わせです。阿弥陀如来の印相は、指で輪をつくるのが特徴とされます。(同上)

  • 阿弥陀如来の印相は、輪を作る指の違いで三種類あるようです。親指と人差し指で輪を作るのが上生(じょうしょう)、親指と中指で輪を作るのが中生(ちゅうしょう)、親指と薬指で輪を作るのが下生(げしょう)です。この二つの組み合わせで、九種類の印がつくられます。これらを総称して『九品来迎印(くぽんらいごういん)』と呼ばれています。親指と小指の組み合わせがありませんでした。(同上)

    イチオシ

    阿弥陀如来の印相は、輪を作る指の違いで三種類あるようです。親指と人差し指で輪を作るのが上生(じょうしょう)、親指と中指で輪を作るのが中生(ちゅうしょう)、親指と薬指で輪を作るのが下生(げしょう)です。この二つの組み合わせで、九種類の印がつくられます。これらを総称して『九品来迎印(くぽんらいごういん)』と呼ばれています。親指と小指の組み合わせがありませんでした。(同上)

  • 最初に『涅槃像の裏側は納骨堂』と紹介した、その『納骨堂』の光景になるようです。日本の『納骨堂』は、『屋外にある墓地ではなく、主に建物の中などに個人や家族で遺骨を納められる施設です。その多くが、継承を前提としない永代供養のお墓であり、お寺の敷地内などに設置されることが一般的です』、と紹介されていました。(同上)

    最初に『涅槃像の裏側は納骨堂』と紹介した、その『納骨堂』の光景になるようです。日本の『納骨堂』は、『屋外にある墓地ではなく、主に建物の中などに個人や家族で遺骨を納められる施設です。その多くが、継承を前提としない永代供養のお墓であり、お寺の敷地内などに設置されることが一般的です』、と紹介されていました。(同上)

  • 同じく、『納骨堂』の紹介です。近代設備の中の『納骨堂』のイメージでした。日本では、ライフスタイルの変化、価値観の多様化により、『新しい形のお墓』を探すニーズにより、納骨堂、永代供養墓(塔)のほか、樹木葬(樹林墓地)、海洋葬なども増えているようです。(同上)

    同じく、『納骨堂』の紹介です。近代設備の中の『納骨堂』のイメージでした。日本では、ライフスタイルの変化、価値観の多様化により、『新しい形のお墓』を探すニーズにより、納骨堂、永代供養墓(塔)のほか、樹木葬(樹林墓地)、海洋葬なども増えているようです。(同上)

  • マレーシアのイギリス植民地時代の紹介です。年表から抜粋した紹介です。(同上)<br />〇1795年:イギリスがマラッカを獲得。<br />〇1805年:トーマス・ラッフルズがペナンに派遣され、ペナンで積んだ経験が後のシンガポール建設の参考となりました。<br />*写真は、壁面のレリーフ装飾の光景です。仏教史当たりのようです。

    マレーシアのイギリス植民地時代の紹介です。年表から抜粋した紹介です。(同上)
    〇1795年:イギリスがマラッカを獲得。
    〇1805年:トーマス・ラッフルズがペナンに派遣され、ペナンで積んだ経験が後のシンガポール建設の参考となりました。
    *写真は、壁面のレリーフ装飾の光景です。仏教史当たりのようです。

  • 〇1819年:トーマス・ラッフルズがシンガポールの地政学上の重要性に着目、ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得しました。<br />〇1821年:クダ・スルタン国はシャムに征服され、統治されました。<br />〇1824年:イギリス・オランダ両国で、マレー半島 (マラッカ海峡) を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結しました。(続く)

    〇1819年:トーマス・ラッフルズがシンガポールの地政学上の重要性に着目、ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得しました。
    〇1821年:クダ・スルタン国はシャムに征服され、統治されました。
    〇1824年:イギリス・オランダ両国で、マレー半島 (マラッカ海峡) を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結しました。(続く)

  • 〇1824年(続き):イギリスはスマトラ島西海岸のベンクーレンとオランダのマラッカを交換、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー半島に英領植民地を得る。<br />〇1826年:イギリスとシャムがバーニー条約を締結し、イギリス領マラッカ海峡植民地が成立。(続く)<br />*写真は、推測ですが国王ご夫妻のようです。

    〇1824年(続き):イギリスはスマトラ島西海岸のベンクーレンとオランダのマラッカを交換、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー半島に英領植民地を得る。
    〇1826年:イギリスとシャムがバーニー条約を締結し、イギリス領マラッカ海峡植民地が成立。(続く)
    *写真は、推測ですが国王ご夫妻のようです。

  • 〇1836年:フランシス・ライトの息子でペナン出身のウィリアム・ライトが南オーストラリアのアデレード建設を開始。<br />〇1840年:ジェームズ・ブレマー率いる英国極東艦隊が、海峡植民地シンガポールから阿片戦争へ出撃。ジェームズ・ブルックがサラワクの反乱の鎮圧に協力。<br />〇1841年:サラワク王国がブルネイ・スルタン国から独立。(続く)

    〇1836年:フランシス・ライトの息子でペナン出身のウィリアム・ライトが南オーストラリアのアデレード建設を開始。
    〇1840年:ジェームズ・ブレマー率いる英国極東艦隊が、海峡植民地シンガポールから阿片戦争へ出撃。ジェームズ・ブルックがサラワクの反乱の鎮圧に協力。
    〇1841年:サラワク王国がブルネイ・スルタン国から独立。(続く)

  • 〇1842年:ジェームズ・ブルックがサラワク王国の国主となる。<br />〇1855年:イギリスとシャムが通商貿易に関するボーリング条約 (不平等条約)を締結。<br />〇1874年:イギリス領マラヤ成立。<br />〇1882年:阿片戦争で有名なランスロット・デントのデント商会のデント兄弟がイギリス北ボルネオ会社による北ボルネオ(スールー王国とブルネイ王国)の統治を開始。(続く)<br />*写真は、推測ですが、『泰仏寺』の高僧坐像のようです。

    〇1842年:ジェームズ・ブルックがサラワク王国の国主となる。
    〇1855年:イギリスとシャムが通商貿易に関するボーリング条約 (不平等条約)を締結。
    〇1874年:イギリス領マラヤ成立。
    〇1882年:阿片戦争で有名なランスロット・デントのデント商会のデント兄弟がイギリス北ボルネオ会社による北ボルネオ(スールー王国とブルネイ王国)の統治を開始。(続く)
    *写真は、推測ですが、『泰仏寺』の高僧坐像のようです。

  • 〇1888年7月:イギリス北ボルネオ会社により統治され、イギリス保護国北ボルネオが成立。<br />〇1909年:英泰条約により、クダ・スルタン国はイギリスに移譲され、イギリス領マラヤとなる。<br />〇1941年:日本軍がコタバル近郊に上陸、太平洋戦争の開戦。<br />〇1942年:日本軍がマラヤ(日本占領時期のマラヤ)及び北ボルネオ(日本占領時期のイギリス領ボルネオ)全域を占領。クダ王国はシャムの占領下、その他の地域は日本軍の軍政下に入る。(続く)<br />*写真は、同じく、推測ですが、『泰仏寺』の高僧坐像のようです。

    〇1888年7月:イギリス北ボルネオ会社により統治され、イギリス保護国北ボルネオが成立。
    〇1909年:英泰条約により、クダ・スルタン国はイギリスに移譲され、イギリス領マラヤとなる。
    〇1941年:日本軍がコタバル近郊に上陸、太平洋戦争の開戦。
    〇1942年:日本軍がマラヤ(日本占領時期のマラヤ)及び北ボルネオ(日本占領時期のイギリス領ボルネオ)全域を占領。クダ王国はシャムの占領下、その他の地域は日本軍の軍政下に入る。(続く)
    *写真は、同じく、推測ですが、『泰仏寺』の高僧坐像のようです。

  • 〇1945年:太平洋戦争が終結、マラヤ・北ボルネオがイギリスの支配下に復帰。<br />〇1946年:イギリスがマラヤに有するクダ・シンガポール以外の植民地の集合体のマラヤ連合が発足。北ボルネオのサラワク王国がイギリス領サラワクに。<br />〇1948年:マラヤ連合の再編とクダ王国の加入によりマラヤ連邦が発足。連邦発足直後からマラヤ危機が発生 (1948~1960年)。<br />〇1957年:マラヤ連邦(初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン)が独立。(続く)

    〇1945年:太平洋戦争が終結、マラヤ・北ボルネオがイギリスの支配下に復帰。
    〇1946年:イギリスがマラヤに有するクダ・シンガポール以外の植民地の集合体のマラヤ連合が発足。北ボルネオのサラワク王国がイギリス領サラワクに。
    〇1948年:マラヤ連合の再編とクダ王国の加入によりマラヤ連邦が発足。連邦発足直後からマラヤ危機が発生 (1948~1960年)。
    〇1957年:マラヤ連邦(初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン)が独立。(続く)

  • 〇1962~1966年:インドネシアとマレーシアの対立。<br />〇1963年:シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立。<br />〇1965年:シンガポールがマレーシアから追放される形で分離独立。<br />〇1968~1989年:共産主義者の反乱。<br />〇1969年5月10日:1969年総選挙実施。<br />〇1969年5月13日:マレーシア史上最悪の民族衝突であるマレー人と中国人の間の衝突「5月13日事件」が起きる。(続く)

    〇1962~1966年:インドネシアとマレーシアの対立。
    〇1963年:シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立。
    〇1965年:シンガポールがマレーシアから追放される形で分離独立。
    〇1968~1989年:共産主義者の反乱。
    〇1969年5月10日:1969年総選挙実施。
    〇1969年5月13日:マレーシア史上最悪の民族衝突であるマレー人と中国人の間の衝突「5月13日事件」が起きる。(続く)

  • 〇1970年7月:緊急条例発布。<br />〇1970年9月:ラーマン首相辞任、第2代首相にアブドゥル・ラザク就任。<br />〇1974年:クアラルンプールを連邦の首都に定める。<br />〇1975年:ラザク首相が急死、フセイン・オンが首相に昇格。第3代首相に。<br />〇1981年:マハティール首相就任(~2003年)<br />〇1981年:マハティール首相がルックイースト政策を提唱。<br />〇1984年:サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領に。(続く)

    〇1970年7月:緊急条例発布。
    〇1970年9月:ラーマン首相辞任、第2代首相にアブドゥル・ラザク就任。
    〇1974年:クアラルンプールを連邦の首都に定める。
    〇1975年:ラザク首相が急死、フセイン・オンが首相に昇格。第3代首相に。
    〇1981年:マハティール首相就任(~2003年)
    〇1981年:マハティール首相がルックイースト政策を提唱。
    〇1984年:サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領に。(続く)

  • 〇1991年:ワワサン2020の開始。<br />〇1999年:首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転。首都機能が2010年までに移転される。<br />〇2003年 :アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相就任。<br />〇2009年:アブドラ首相は、2008年3月の総選挙で国民戦線が3分の2議席を確保できなかったため、二期目の任期4年を残し首相を退任。<br />〇2009年4月:マレーシア与党連合・国民戦線の中核政党統一マレー国民組織(UMNO)のナジブが首相に就任。(続く)

    〇1991年:ワワサン2020の開始。
    〇1999年:首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転。首都機能が2010年までに移転される。
    〇2003年 :アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相就任。
    〇2009年:アブドラ首相は、2008年3月の総選挙で国民戦線が3分の2議席を確保できなかったため、二期目の任期4年を残し首相を退任。
    〇2009年4月:マレーシア与党連合・国民戦線の中核政党統一マレー国民組織(UMNO)のナジブが首相に就任。(続く)

  • 次は、三次に亘る英緬戦争を経て、現在のミャンマーのすべての地域を占領して、1886年1月1日にイギリス領インド帝国の一州としたミャンマー(ビルマ)との関係の紹介です。三次に亘る英緬戦争は次の通りです。<br />〇第一次英緬戦争(1824~1826年):現ラカイン州などが併合されました。<br />〇第二次英緬戦争(1852年):下ビルマが併合されました。<br />〇第三次英緬戦争(1885年):上ビルマが併合されました。<br />〇1887年以降はビルマ統治法の下、イギリス本国のビルマ省とインド・ビルマ大臣により、インドとは別個に支配されました。(続く)

    次は、三次に亘る英緬戦争を経て、現在のミャンマーのすべての地域を占領して、1886年1月1日にイギリス領インド帝国の一州としたミャンマー(ビルマ)との関係の紹介です。三次に亘る英緬戦争は次の通りです。
    〇第一次英緬戦争(1824~1826年):現ラカイン州などが併合されました。
    〇第二次英緬戦争(1852年):下ビルマが併合されました。
    〇第三次英緬戦争(1885年):上ビルマが併合されました。
    〇1887年以降はビルマ統治法の下、イギリス本国のビルマ省とインド・ビルマ大臣により、インドとは別個に支配されました。(続く)

  • 〇イギリスによるミャンマーの植民地統治体制:イギリスは直接支配によって新しい州を支配し、以前の政府構造に多くの変更を加えました。君主制は廃止、ティーボー王は追放され、政教分離がなされました。仏教の僧侶は君主制の支援に強く依存していたため、これは大きな痛手となりました。<br />〇ビルマが中国の朝貢国だったことから、イギリスは北京への朝貢を続けました。(続く)

    〇イギリスによるミャンマーの植民地統治体制:イギリスは直接支配によって新しい州を支配し、以前の政府構造に多くの変更を加えました。君主制は廃止、ティーボー王は追放され、政教分離がなされました。仏教の僧侶は君主制の支援に強く依存していたため、これは大きな痛手となりました。
    〇ビルマが中国の朝貢国だったことから、イギリスは北京への朝貢を続けました。(続く)

  • *第二次世界大戦時のミャンマー(ビルマ)の状況です。<br />〇1942年:日本軍のビルマ侵攻により、ビルマは日本軍の占領下に置かれました。占領状態は日本の支援でビルマ国の独立がラングーンで宣言された1943年まで続きます。しかし、日本はビルマ植民地の全土を完全に征服することはできていません。<br />〇1943年:日本の支援を受けビルマ国(1943~1945年)として独立。(続く)

    *第二次世界大戦時のミャンマー(ビルマ)の状況です。
    〇1942年:日本軍のビルマ侵攻により、ビルマは日本軍の占領下に置かれました。占領状態は日本の支援でビルマ国の独立がラングーンで宣言された1943年まで続きます。しかし、日本はビルマ植民地の全土を完全に征服することはできていません。
    〇1943年:日本の支援を受けビルマ国(1943~1945年)として独立。(続く)

  • 〇1945年:連合国軍が日本軍を破り、ビルマを奪還。再びイギリス植民地に。また、ビルマ国政府は日本に亡命。<br />〇イギリス当局はアウンサンとその他の関係者を反逆罪および日本への協力の罪で裁こうとしましたが、マウントバッテン卿はアウンサンの大衆人気を考えれば裁判は不可能だと考えました。<br />〇1947年4月:アウンサンと社会主義者が主導するAFPFLが制憲議会選挙で圧勝。<br />〇1947年7月:アウンサン(日本名:面田紋次)が暗殺される。32歳でした。(続く)

    〇1945年:連合国軍が日本軍を破り、ビルマを奪還。再びイギリス植民地に。また、ビルマ国政府は日本に亡命。
    〇イギリス当局はアウンサンとその他の関係者を反逆罪および日本への協力の罪で裁こうとしましたが、マウントバッテン卿はアウンサンの大衆人気を考えれば裁判は不可能だと考えました。
    〇1947年4月:アウンサンと社会主義者が主導するAFPFLが制憲議会選挙で圧勝。
    〇1947年7月:アウンサン(日本名:面田紋次)が暗殺される。32歳でした。(続く)

  • ミャンマー様式の仏教寺院の『緬仏寺』の山門光景です。マレーシアとミャンマーはイギリスに統治された歴史があり、植民地時代にミャンマーから移ってきたミャンマー系住民によって建てられた仏教寺院です。このビルマ寺院は、1803年建立のペナンでは最古の仏教寺院であり、唯一のビルマ寺院でもあります。『ダーミカラマ・ビルマ寺院(Dharmikarama Burmese Temple)』とも呼ばれているようです。山門の上に『緬仏寺』の文字とともに記されていました。(続く)

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    ミャンマー様式の仏教寺院の『緬仏寺』の山門光景です。マレーシアとミャンマーはイギリスに統治された歴史があり、植民地時代にミャンマーから移ってきたミャンマー系住民によって建てられた仏教寺院です。このビルマ寺院は、1803年建立のペナンでは最古の仏教寺院であり、唯一のビルマ寺院でもあります。『ダーミカラマ・ビルマ寺院(Dharmikarama Burmese Temple)』とも呼ばれているようです。山門の上に『緬仏寺』の文字とともに記されていました。(続く)

  • 『緬仏寺』があるこの界隈には、かつてミャンマー人の集落があったようです。ミャンマーは、長い間イギリスの植民地時代があり、そのことと関係しているようでした。涅槃仏寺院の見学に時間を割き過ぎましたので、こちらの『緬仏寺』の紹介は急ぎ足になってしまいました。(続く)

    『緬仏寺』があるこの界隈には、かつてミャンマー人の集落があったようです。ミャンマーは、長い間イギリスの植民地時代があり、そのことと関係しているようでした。涅槃仏寺院の見学に時間を割き過ぎましたので、こちらの『緬仏寺』の紹介は急ぎ足になってしまいました。(続く)

  • 『緬仏寺』の狛犬光景です。随分とお洒落で、ハイカラな姿でした。白地に凝った造りの黄金の飾りが印象的でした。おそらく2頭の対で置かれていたようですが、もう片方の獅子像は確認できず、撮影もできませんでした。(続く)

    『緬仏寺』の狛犬光景です。随分とお洒落で、ハイカラな姿でした。白地に凝った造りの黄金の飾りが印象的でした。おそらく2頭の対で置かれていたようですが、もう片方の獅子像は確認できず、撮影もできませんでした。(続く)

  • 高さ10メートルチされる、巨大な釈迦如来像の光景です。『施無畏印と与願印』と思われる印相の手が、殊更大きく誇張された立像でした。この仏教寺院の御本尊のようでした。穏やかで、静謐さを感じさせるお顔でした。黄金の衣装が、一際光を放っていました。(続く)

    イチオシ

    高さ10メートルチされる、巨大な釈迦如来像の光景です。『施無畏印と与願印』と思われる印相の手が、殊更大きく誇張された立像でした。この仏教寺院の御本尊のようでした。穏やかで、静謐さを感じさせるお顔でした。黄金の衣装が、一際光を放っていました。(続く)

  • 仏教の大元は、紀元前三世紀頃に二つに分裂したとされています。 日本には『大乗仏教』が伝わりましたが、ミャンマーでは『上座部仏教』が信仰されています。 大衆の中に入ってその苦しみを救うことを目的とする大乗仏教に対し、上座部仏教は各自がブッダの教えを守り、悟りを開くことを第一とするようです。(続く)<br />(追記):この時点でミャンマーの仏教寺院は見学していませんでしたが、2019年に見学することが出来ました。

    仏教の大元は、紀元前三世紀頃に二つに分裂したとされています。 日本には『大乗仏教』が伝わりましたが、ミャンマーでは『上座部仏教』が信仰されています。 大衆の中に入ってその苦しみを救うことを目的とする大乗仏教に対し、上座部仏教は各自がブッダの教えを守り、悟りを開くことを第一とするようです。(続く)
    (追記):この時点でミャンマーの仏教寺院は見学していませんでしたが、2019年に見学することが出来ました。

  • 駆け足での撮影でしたから、部分的な撮影可紹介できませんが、黄金色で屋根が葺かれた寺院の光景です。ミャンマーには、『パガン王朝(1044~1314年)』の12世紀に、スリランカから『上座部仏教』が伝来しました。スリランカは人口の約70%が信仰していて、2012年では1422万人の信徒を持つとされ、スリランカ憲法第9条において、仏教に『第一の地位』を与えると明記されています。(続く)

    駆け足での撮影でしたから、部分的な撮影可紹介できませんが、黄金色で屋根が葺かれた寺院の光景です。ミャンマーには、『パガン王朝(1044~1314年)』の12世紀に、スリランカから『上座部仏教』が伝来しました。スリランカは人口の約70%が信仰していて、2012年では1422万人の信徒を持つとされ、スリランカ憲法第9条において、仏教に『第一の地位』を与えると明記されています。(続く)

  • 先ほど紹介した『上座部仏教』は、『南伝仏教』とも呼ばれ、私がこれまで経験した国の中では、最も古く、最も敬虔に仏教を崇拝している様に感じました。『スリランカの仏教は、分別説部(赤銅鍱部)の流れを汲み、パーリ語経典を奉じる『上座部仏教』と称する仏教であり、シンハラ人を中心に信仰を集めます(ウィキペディア)』(続く)

    先ほど紹介した『上座部仏教』は、『南伝仏教』とも呼ばれ、私がこれまで経験した国の中では、最も古く、最も敬虔に仏教を崇拝している様に感じました。『スリランカの仏教は、分別説部(赤銅鍱部)の流れを汲み、パーリ語経典を奉じる『上座部仏教』と称する仏教であり、シンハラ人を中心に信仰を集めます(ウィキペディア)』(続く)

  • 寺院の中で販売されているように見えた、玉を使ったような置物軍の光景です。値段を聞けば、玉が本物かどうか判断が付くようでしたが、幸い(?)販売する人の姿は見えませんでした。ミャンマーやタイなど東南アジアに広まった『上座部仏教』は、先ほど紹介したスリランカの仏教が起源とされます。(続く)

    寺院の中で販売されているように見えた、玉を使ったような置物軍の光景です。値段を聞けば、玉が本物かどうか判断が付くようでしたが、幸い(?)販売する人の姿は見えませんでした。ミャンマーやタイなど東南アジアに広まった『上座部仏教』は、先ほど紹介したスリランカの仏教が起源とされます。(続く)

  • マレーシア等の植民地時代を紹介しましたが、主な国の一覧は次の通りです。<br />〇スペイン:1571年フィリピンを植民地。<br />〇オランダ:1602年インドネシアを植民地。<br />〇イギリス:1852年ビルマ、1895年マレーシアを植民地。<br />〇フランス:1863年カンボジア、1885年ベトナム、1899年ラオスを植民地。(続く)

    マレーシア等の植民地時代を紹介しましたが、主な国の一覧は次の通りです。
    〇スペイン:1571年フィリピンを植民地。
    〇オランダ:1602年インドネシアを植民地。
    〇イギリス:1852年ビルマ、1895年マレーシアを植民地。
    〇フランス:1863年カンボジア、1885年ベトナム、1899年ラオスを植民地。(続く)

  • 締め括りに、タイ国が植民地を免れた理由です。タイは海外にお米を輸出することでその立場を確立させました。周りがお米を作っていなかったので需要は常にあり、さらにイギリスとフランスとの貿易を積極的に行っていくことで緩衝地帯になり植民地化を免れました。また、タイは日本と同盟を組み第二次世界大戦の敗戦国となりましたが、戦勝国に対して『宣戦布告無効宣言』をだして切り抜けました。(以上)

    締め括りに、タイ国が植民地を免れた理由です。タイは海外にお米を輸出することでその立場を確立させました。周りがお米を作っていなかったので需要は常にあり、さらにイギリスとフランスとの貿易を積極的に行っていくことで緩衝地帯になり植民地化を免れました。また、タイは日本と同盟を組み第二次世界大戦の敗戦国となりましたが、戦勝国に対して『宣戦布告無効宣言』をだして切り抜けました。(以上)

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