2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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トゥールからのミニバンツアー2日目も同じ時間にツーリストインフォメーションに集合です。受付の開始を待っていると昨日1日一緒だったフランス人のおじさんが入ってきてお互いに驚きました。握手して朝のあいさつの後に尋ねると、同じツアーに参加だということが分かりました。この日はパリから来た中国人の留学生3人の6人ツアーでした。定時に出発して30分程でクルーの館、「クロ・リュセ城」に到着です。ここはフランソワ1世に招かれたレオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなる前の3年間を過ごした場所です。「アンボアーズ城」まで地下通路が繋がり、フランスワ1世は頻繁にダ・ヴィンチと会っていたそうです。昔何かのテレビ番組で見たことをいろいろと思い出しました。復元されたダ・ヴィンチの住居ではありますが、ここにダ・ヴィンチが住んでいたのだと思うと感無量の気分でした。また、ここはダ・ヴィンチパークと呼ばれる庭に数々の発明品に触れる事が出来るテーマパークでもあります。見学時間は45分と短いのですが、小さいお城なので庭園も含めてぎりぎりで見学出来ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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入口のプレートにダ・ヴィンチの名前が書かれています。アンボアーズの町外れと言った場所に静かに建つお城です。ここも割引料金で7.5ユーロで入れました。貰った日本語パンフレットも詳しい物で日本人の人気の高さを感じます。
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せっかくですので入り口のプレートで記念写真を撮っておきます。表は普通の住宅街のようですが、門を潜ると風景は一変して、広大な庭と美しい城館が見えてきます。
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ここは城と言うよりはお屋敷と言った方が良い感じの瀟洒な建物でした。薔薇色の煉瓦と石灰岩の組み合わせが上品です。15世紀の終わりにシャルル8世の所有になり、2世紀に渡り住居になったり夏の別荘に使われたそうです。摂政だったルイーズ・ド・サヴォアは後のフランソワ1世になる好戦的な性格のアングレート公と文学に造詣が深くエプタメロンの著者となるマルグリット・ド・ナヴァルをこの城で育てます。
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そしてこの城が現在も人気があるのはフランソワ1世と姉のマルグリット・ド・ナヴァルの熱烈なる支持を得たレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年の3年間をここで過ごした事によるでしょう。
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チケットを買った後は1度建物を離れた監視塔の螺旋階段を登って上階の回廊に出ます。この造りから「クロ・リュセ城」が要塞であったこともうかがえます。
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2階の回廊から館に入ります。最初の部屋がダ・ヴィンチの寝室になります。
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レプリカですがこれがダ・ヴィンチのベットです。この部屋でダ・ヴィンチが最期を迎えたと思うと感慨深いものがあります。この部屋からは「アンボワーズ城」が望めます。ベッドの天蓋には天使やキメラや海の動物の彫刻が施されています。
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フランソワ1世はダ・ヴィンチの死に際に立ち会ったとされています。そしてその瞬間はアングルなどの画家によって描かれています。19世紀フランス新古典主義の巨匠ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルのオリジナルの絵画は「プティ・パレ美術館」に収蔵されていますが、1週間後に行った際には見つける事が出来ませんでした。
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亡くなったダ・ヴィンチを抱きかかえるフランソワ1世の悲しみが伝わってきます。アングル作「レオナルドの死を看取るフランソワ1世」フランソワ1世はダ・ヴィンチを「モン・ペール」(我が父)と呼んで慕っていたそうです。
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レオナルドは1519年に67歳で亡くなりましたが、約500年も前の事にもかかわらず、この日もその死を悼むかのように新しい百合の花が生けられてありました。
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左側の出入り口上部のフレスコ画は16世紀のアカンサス葉模様で、黒檀に象牙と貝が象嵌されたイタリア製のルネサンスのデザインの収納箱などが置かれてあります。ロープパーテーションがちょっと興醒めですが、ダ・ヴィンチの亡くなった位置にあるベットですから仕方ありませんね。
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1471年にユグ・ダンボワズによって建てられたこの宮殿は、シャルル8世によって1490年にルイ11世の料理人だったエティエンヌ・ル・ルーから屋敷を購入し、フランスの王族のための「夏の家」として使われることになりました。その後フランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチに屋敷を与え、ダ・ヴィンチはこの城で亡くなります。
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その輝かしい所有者のおかげで、この家は今日「歴史的記念碑」として解体や再建から保護されています。1855年以降レオナルド・ダ・ヴィンチの人生と仕事と記憶に関する有名な博物館となり、最終的な所有者であるサン・ブリス家によって管理されています。
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レオナルドの作風を思わせる絵が飾ってありました。これは「アレクサンドリアの聖カタリーナ」で、フランスのいくつかの司教区では、17世紀初頭から聖なる日の義務とされ、数え切れない数の礼拝堂が聖カタリーナを守護聖人としており、カタリーナの像はほとんどの教会で彼女の拷問の道具であった車輪を象徴化した姿を見つける事が出来るほど人気のある聖人です。
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暖炉にはフランス王家の紋章と聖ミカエル修道会の首飾りが掲げられています。
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隣はフランソワ1世の姉であるマルグリット・ド・ナヴァルの部屋です。この部屋は煉瓦の長手積みと小口積みを組み合わせています。床は数字を型押ししたテラコッタのタイル貼りです。
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マルグリット・ド・ナヴァルはナバラ王エンリケ2世の王妃で、フランス・ルネサンス期の文芸の庇護者として知られ、自身も「エプタメロン(七日物語)」に代表される作品を残した文人でもあります。そしてフランス王フランソワ1世の姉でもあります。
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鸚鵡を手にとまらせた肖像画のマルグリット・ド・ナヴァルにも美しい白百合の花が捧げられていました。白い百合はフランス王家を象徴する花でもあります。王の公式画家のフランソワ・クルーエの手による作品です。
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壁には15世紀後半から16世紀にかけての「キャベツの葉」と呼ばれるフランドルのタペストリーが掛けられ、想像上の動物を狩猟する場面が表わされています。
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「クロ・リュセ城」は人気があるので我々のミニバンツアー以外にも大型のバスで乗り付けた団体さんの姿もありました。
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ロワール渓谷の8つの古城を2日掛けて回りましたが、自分が実際に住むとしたらこのくらいの大きさで、内装もこれくらいくたびれた感じが良いなと思いました。
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それは廊下に置かれたアンティークの陶器の飾り棚があったからかもしれません。
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階段を降りた次の部屋はアンヌ・ド・ブルターニュの礼拝堂がありました。前日の最後に行ったランジェ城でシャルル8世と結婚した女性です。だんだんフランス王家の家系図が頭に入ってきました。アンヌはたくさんの子供を産みますが幼いうちに亡くなってしまいます。アンヌはアンボワーズの喧騒を避けてここで祈りを捧げたそうです。
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礼拝堂はチョーク石(凝宮)で造られたゴシック様式の外観ですが、ダ・ヴィンチの弟子たちによって描かれた壁画で飾られています。「受胎告知」「最後の審判」そして城に名前を付けたかもしれないドアの上に「乙女座ルシス」と呼ばれる最後の絵があります。
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1人祈りを捧げるにはちょうど良い大きさの瀟洒な礼拝堂です。我が家には子供がいないのでアンヌの気持ちは分かりませんが、シャルル8世との間に6人の子供をもうけ、再婚したルイ12世との間には7人の子供をもうけますが成人したのは2人だけだったそうです。
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この空間にいたであろう500年前の人々のことを想いながらしばらく礼拝堂で祈りを捧げました。
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天井は紺碧に塗られ星がちりばめられ、王家の百合が連続したヴォールドで支えられています。要石には聖ミッシェルの首飾りに囲まれたフランス軍の百合の紋章が彫られています。
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4面のフレスコ画はレオナルド・ダ・ヴィンチのアトリエの弟子たちによって描かれたそうです。見返りの入り口上部には光の聖母、右には受胎告知、左には聖母の被昇天が描かれています。三日月に乗った聖母は「ヴィルゴ・ルシス」光の聖母と呼ばれクロ・リュセのリュセの語源になったと考えられています。
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今までで見た数々の礼拝堂の中でも一番落ち着ける雰囲気をたたえていたと思います。
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18世紀の応接間に移りました。18世紀にはこの城はアンボワーズ家に所有されていました。フランス革命の際も手際良く人権擁護を掲げ、略奪や破壊から免れました。そのためこの部屋はその当時の内装が残されています。
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ダ・ヴィンチの住んだ16世紀のころはこの部屋をアトリエとして使い、ルーブル美術館に収蔵されている「洗礼者ヨハネ」はこの部屋で完成されています。
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ヴェネツィアのシャンデリアと壁を飾るのはルノーとアルミードの物語と、トルコ人のエルサレム占領を主題としたオービュソンのタペストリーが飾られています。
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500年前も今日と同じような優しい外光がダ・ヴィンチのアトリエに差し込んでいたのでしょうか。
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上品なイタリア製の象嵌細工のテーブルがさりげなく置かれていました。
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さりげなくダ・ヴィンチの作品が飾られているのが憎いです。
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ルネッサンス様式の大広間はダ・ヴィンチがお客を迎えた部屋です。フランソワ1世をはじめ諸侯や大使や芸術家が迎えられたのでしょう。ダ・ヴィンチは1518年6月19日に「クロ・リュセ城」で盛大なパーティを開催し、フランス国王フランシス1世の数々の贈り物と寛大さに感謝しました。
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この催しはダ・ヴィンチが1490年1月13日にミラノで主催したフェスタ・デル・パラディシオとベルナルド・ベリンシオーニの演劇と多くの類似点がありました。また、惑星、星、太陽、月、12の星を走らせた天を象徴する青いキャンバスで天体の動きを表してゲストを感動させたそうです。
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「ロランの歌」を表わしたトゥルネーの初期のタペストリーの一部です。ローランの歌はシャルルマーニュの甥であるローランを称える約4000行の韻文十音綴から成る叙事詩のことで、レコンキスタの初期の戦いともいえるシャルルマーニュ率いるフランク王国とイベリア半島のイスラム帝国の戦い(ロンスヴォーの戦い)を描いた物語です。
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紋章を掲げた天使の姿の薪を置く台が可愛らしいです。
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タペストリーの中にはギリシャ神話の場面も描かれていました。これはゼウス(ユピテル)とラトーナの娘のディアナ(額に月の冠)で銀の弓を引いています。奥に見える小さい姿は兄妹のアポロンかもしれません。ヴェルサイユ庭園の巨大なラトーナの噴水にも彼らの姿があります。
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とてもシックでセンスの良さを感じさせるインテリアと調度品です。冬の寒さが無ければ住んでみたくなります。
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厨房を通って地下に降りるとレオナルド・ダ・ヴィンチの発明品の模型が展示してあります。これらはIBMで製作された模型とのことで、これは「戦車」でダ・ヴィンチは銃を同時に何発も発射できるよう扇状の戦車を考案しました。外部は亀の甲羅のような形をしていて一部が入口となっており、内部に30以上の銃が設置されて、連続して攻撃できる造りになっています。
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連射式の銃を発明したのもダ・ヴィンチだったのですね。
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これはクレーンのようなものでしょうか。
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自転車のチェーンも動力車もダ・ヴィンチの発明だったのだと初めて知りました。
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これは螺旋状のチューブを回転させることにより低いところから高い所へ水を汲み上げる装置です。後に行った公園の池には原寸大の物があって体験することが出来ました。
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これは船の断面模型で、羽を回転させることで船を前進させる装置だと分かります。蒸気機関が発明されることにより実現された1つの例だと思います。
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1度中庭に出ると別棟の建物があり、博物館とレストランとミュージアムショップになっていました。ここでの見学時間は45分しかないので博物館だけの見学しかできませんでした。
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左上にパラシュートの模型がありますが、2008年にスイス人の方がこのパラシュートを再現してヘリコプターからダイブして成功したというニュースがありました。その横のヘリコプターは昔の全日空の尾翼に描かれていたマークだったので懐かしく思えます。その横にはハングライダーとしか思えない模型と、右側には翼の揚力を実験するためのような模型もありました。
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左には過去からあるアーチ構造の模型がありますが、アーチの素材の自重による圧縮させる構造についても研究しており、イスタンブールのガラタ橋の案をオスマン帝国のスルタンに提案しています。横には2重螺旋階段の模型があります。円錐形の霊廟の模型と小さい1輪車はオドメーター(走行距離計)で、一番右は風速計でした。
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良く出来た模型が仕上がりも色も綺麗なので見ていても楽しいです。子供のおもちゃみたいですが、浚渫(しゅんせつ)船やブレード付きボートなどの発明品です。
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一緒に並んで写真を撮っていた女の子の後ろ姿がダ・ヴィンチの後ろ姿に似ていたので写真に入れてみました。模型を見ていたら目があったのですが、その端正に整った顔はダ・ヴィンチの描いた天使のようでした。ヴェロッキオ工房時代に描いた「キリストの洗練」のあの左側の天使がこの世に現れたのかと思いました。
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もう少し小さい木製の模型があれば買いたいところです。実際にトイレに立ち寄った際にミュージアムショップを覗いたら、模型のようなものが並んでいました。
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見学時間があと30分あったら休憩したい所ですが、見学時間が限られているので庭園の見学に急ぎます。
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カフェのあるテラスの木立の中に集落が見えます。そして小高い丘の上には「アンボアーズ城」が望めました。あの城とここが地下通路で繋がっているのでしょうか?500メートルほどの距離があるので、ちょっと信じられませんでした。
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高台の城の直下には池があり、機械で作った霧が立ち上っています。これまで見てきた古城の庭園とはまた違った自然のままの7ヘクタールの公園が「レオナルドの庭」として残されています。
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城館の前に広がる芝生の庭だけが人の手の入った後を感じます。
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芝生の庭にはいくつかの模型もあり、実際に手で触って動かすこともできます。さすがにプロペラを回転させてもヘリコプターは空には浮かびません。
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1991年のブルース・ウィルス主演の「ハドソンホーク」というコメディ映画が好きなのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明したとされる錬金術を実現した機械にまつわるストーリーで、ダ・ヴィンチの発明もいろいろ出てきます。
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戦車の模型もかなりリアルでした。この戦車も回転させることが出来ます。
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アルミの管の中には螺旋状のプロペラがあり、回転することにより池の水が上の水槽にたまるという仕掛けです。かなり力が必要なので妻はへっぴり腰になっています。ダ・ヴィンチの発明はモーターなどの動力が確保できれば役に立つと思ました。
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ジュネヴェラ・デ・ペンチの肖像の一部がタペストリーになって吊られていますが、肖像画では一番怖い顔をなぜ選んだのでしょうか?
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とっても日本的なモミジが紅葉していました。多分今年のもみじ狩りはこれが最後だろうと思ったらその通りになりました。
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敷地の一番奥には15世紀ころの建物を使ったオーベルジュがありました。時間があればここでお昼でも食べたいところですが、残された時間はいくらもありません。このレストランでは15世紀の料理が食べられるとのことです。
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鳩小屋がありました。1エティエンヌ・ル・ルーに建てられた15世紀半ばの鳩の家で、1000羽の鳥を飼育することが出来たそうです。
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現在は鳩を飼っていないので、それぞれの住み家に照明が入れられていました。鳩は繁殖が難しいのでフランスでは高級食材です。香港の有名な鳩料理の店に行って以来、鳩は食べてないなと思いました。
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この城にも薔薇が美しく咲いていました。後ろには紅葉したモミジが綺麗に色づいています。
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公園の中にはダ・ヴィンチについて学べる展示もありますが、ボタンを押して説明を聞いている時間はありません。
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見学者の多くは公園まで足を延ばさないようで、我々以外に歩いている人はほとんど見かけません。
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可動式の跳ね上げ橋がありましたが、これは自分で動かせるわけではないようでした。
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「レオナルドの庭」には原寸大の模型が木立の中に点在しています。
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この傾斜路の部分が跳ね上げられて、交通を遮断したり川を行く船の通行が出来たのだと思います。
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広大な敷地に40枚のタペストリーがあるそうです。時間的に全部を回ることは出来ないので、有名どころが揃ったとこで記念写真を撮っておきました。
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妻は妻なりに絵のポーズをとっているようです。
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結構サービス精神があるのだと感心しました。
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ダ・ヴィンチはロワール渓谷の湿気の多いこの地域を散歩して、植物や岩や水を観察したそうです。ダ・ヴィンチの歩いた跡をたどって自然についての考察を感じられるように、絵画にも描かれた植物が植えてあると書かれてありました。
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ダ・ヴィンチは「猫科の一番小さな動物、つまり猫は最高傑作である」という言葉を残しているほど猫好きだったそうです。
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ダ・ヴィンチが生涯にわたって水の動きを分析し描き続けたことを説明しています。トゥールビヨンはここでは渦巻きといった意味だと思います。
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池に立ち込める霧はダ・ヴィンチの発明とは関係なく、池の周りの植生を保つための装置なのだと感じました。が、幻想的な風景なので、霧の中からダ・ヴィンチが現れそうな気もします。
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イタリアのペストの被害を受けて発明された二重橋は、家畜用の通路と人間のための通路を区別することを目的に設計されました。
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アルムはサトイモ科の植物の総称で、矢じり状の葉と仏炎苞の花を咲かせます。
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シクラメンはフランス語でもシクラメンなのだと知りました。ダ・ヴィンチの絵に描かれた植物が植えられていますが、季節が悪いのかどれも花は咲いていません。
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すみれの花も残念ながら季節が外れてしまっています。薔薇と共に母が家の庭で大切に育てていたのを思い出します。
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ボッティチェルリのプリマベーラに描かれた花を全部調べたら、すべて実際にある花だったという話を聞いたことがありますが、ダ・ヴィンチも同じだったのですね。
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ダ・ヴィンチの残したスケッチを眺めていたら、またスケッチブックを持って旅したい気分になってきました。
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45分という滞在時間は少々短かったと感じましたが、すぐ近くに「アンボワーズ城」があるので次の見学に気持ちを移します。
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