2011/09/07 - 2011/09/07
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ドクターキムルさん
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鎌倉市西御門の法華堂跡には白旗神社が鎮座している、源頼朝公墓の参道前の神社側には「白旗神社 由緒記」が建っており、祭神は源頼朝公である。これにより、白旗神社の由緒が分かる。
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。
正治元年(1199年)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。
その後鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)「相承(そうしょう)院」が奉仕して祭祀を続け 明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。
法華堂が明治維新の際の神仏分離で白旗神社になったとあり、江戸時代まではこの地に法華堂が建っていたことになる。持仏堂は1段高い山腹にあったようで、それが源頼朝公墓として法華堂になったが、宝治合戦でこの法華堂に三浦一族500人余りが自尽し、その後は下の平地に移ったようだ。
現在の白旗神社の社殿は拝殿と本殿があり、明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営された。
(表紙写真は白旗神社拝殿)
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白旗神社前。
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「法華堂跡」(大正13年(1924年)、鎌倉町青年団)。
「法華堂跡
堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ 頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル 建保五年五月 和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時 将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ処ナリ 寶治元年六月五日三浦康村此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢尽キテ一族郎党五百余人ト供ニ自尽シ満庭朱殷ニ染メシ処トス
大正十三年三月建 鎌倉町青年團」
(建保五年は1217年、寶治元年は1247年にあたる) -
白旗神社由緒記。
「白旗神社 由緒記
祭神 源頼朝公
例祭日 一月十三日
由緒
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。
正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。
その後鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)「相承(そうしょう)院」が奉仕して祭祀を続け 明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。
現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。
持仏−−守り本尊として、常に身近に置いて信仰する仏像。」 -
白旗神社。社殿(拝殿と本殿)は明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営された。
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狛犬。
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狛犬。
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「源頼朝公法華堂之旧蹟」。
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「頼朝公 白旗大明神」。
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「源頼朝公法華堂之旧蹟」。
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白旗神社拝殿。
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白旗神社拝殿に掛かる「白旗明神」の扁額。
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白旗神社本殿。
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白旗神社本殿。
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白旗神社本殿。
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墓石。
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頼朝が使ったとされる井戸。
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「頼朝御供用井」。
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「源頼朝公顕彰碑」石碑(平成12年(2000年)7月、源頼朝会)。
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