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 葛原岡神社社務所の向かいには「藤原仲能之墓」(昭和11年(1931年)3月、鎌倉町青年団)石碑が建っている。藤原仲能(なかよし)の墓と伝承されてきた塚もあり、こんもりとしたところに木が立っている。この場所は、道智(どうち)の塚または阿古耶尼(あこやに)の塚であると伝えられていたが、海蔵寺伝によると、藤原仲能の墓と考えられる。藤原仲能は、鎌倉幕府の評定衆を務め、建長5年(1253年)、六代将軍宗尊親王の命によって、七堂伽藍を有する寺院を建立し、海蔵寺の中興に尽くしたが建長8年(1256年)に亡くなる。死後、道智禅師といわれたという。その位牌が海蔵寺に現存している。<br />(表紙写真は「藤原仲能之墓」(鎌倉町青年団、昭和11年(1936年)史跡碑)

藤原仲能の墓

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2010/01/09 - 2010/01/09

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 葛原岡神社社務所の向かいには「藤原仲能之墓」(昭和11年(1931年)3月、鎌倉町青年団)石碑が建っている。藤原仲能(なかよし)の墓と伝承されてきた塚もあり、こんもりとしたところに木が立っている。この場所は、道智(どうち)の塚または阿古耶尼(あこやに)の塚であると伝えられていたが、海蔵寺伝によると、藤原仲能の墓と考えられる。藤原仲能は、鎌倉幕府の評定衆を務め、建長5年(1253年)、六代将軍宗尊親王の命によって、七堂伽藍を有する寺院を建立し、海蔵寺の中興に尽くしたが建長8年(1256年)に亡くなる。死後、道智禅師といわれたという。その位牌が海蔵寺に現存している。
(表紙写真は「藤原仲能之墓」(鎌倉町青年団、昭和11年(1936年)史跡碑)

  • 石碑後の伝藤原仲能の墓。

    石碑後の伝藤原仲能の墓。

  • 「藤原仲能之墓」(鎌倉町青年団、昭和11年(1936年)。

    「藤原仲能之墓」(鎌倉町青年団、昭和11年(1936年)。

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