2010/01/09 - 2010/01/09
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ドクターキムルさん
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鎌倉源氏山にある葛原岡には日野俊基の墓があり、史跡に指定されている。また、明治21年(1888年)には日野俊基を祀る神社として葛原岡神社が創建されている。
日野俊基は後醍醐天皇の側近であり、天皇の命を受 け、執権北条高時の時代に鎌倉幕府打倒を企てた公家のひとりである。企てが事前に漏れ京都で捕えらえられたが、一度は赦された。しかし、再び討幕を企て捕らえられ、鎌倉に送られた後、この地で斬首された。処刑される直前、移送される俊基が化粧坂に差し掛かったとき、俊基の家来である左衛門尉助光が 警護の侍に懇願し、俊基の妻からの手紙を渡すことができたという。俊基は「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん」という辞世の歌を詠み、この世を去った。翌元弘3年(1333年)、 新田義貞の大軍が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は終焉を迎えた。
日野俊基の墓前には、「贈従三位日野公墓碑銘」石碑(明治17年)が建っている。日野俊基の生前の階位は従四位下であったが、明治17年になって従三位が贈られた。4階級特進である。現在、警察官や自衛隊隊員、外交官などが殉職すると2階級特進することがあるが、旧日本軍の規定には4階級特進まであった。しかし、実施された例はこの日野俊基だけであろう。律令制下においては三位以上を公卿とすることから、四位の中級貴族が神社に祭られるのであるからそれ相応の階位、従三位が必要と思われたのであろう。
墓の端に「俊基朝臣墓所」(大正6年(1917年)3月、鎌倉町青年会)の立派な史跡碑が建っているが、「贈従三位日野公墓碑銘」石碑と比べるとみすぼらしい。
(表紙写真は日野俊基の墓)
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