2008/08/16 - 2008/08/16
10位(同エリア25件中)
中国の風景さん
- 中国の風景さんTOP
- 旅行記3944冊
- クチコミ2038件
- Q&A回答949件
- 3,928,851アクセス
- フォロワー153人
荊州といえばこの城壁だろう。関羽時代は土の城壁であったが、明、清代に改修された煉瓦になっている。それでも300年前の城壁が残っているのだから、すごいものだ。城壁はほとんど完全な形で残っており、山西省の平遥かここか、というぐらいだ。荊州城はぐるりと街を囲むように東西に長く楕円形になっている。城の規模は関羽時代と同じであり、城壁は高さ8〜9m、厚さ約10m、周囲は約10km。昔は城壁の上を馬で走ることができたようだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6ヶ所の老城門と新城門に囲まれている街並み。
-
武漢、漢口 金家頓にある武漢汽車客運総駅 7時発 3時間20分かけて荊州市沙市にある沙市江津汽車客運駅に着く。さらに駅前の道に来る19路の市内バスに乗って30分で荊州古城西門に着く。帰りは武漢 漢口の漢口捷に着く。時間によって着く場所が違うので注意。
-
西門を城内側より見る、片側2車線の道が車1台通れる通路となる。荊州は、赤壁の戦いの後、劉備が荊州7郡のうち数郡を譲ってくれと、孫権にお願いして、協議によって荊州は劉備のものとなった。
-
この空間を利用して特産の竹籠を製作実演しながら販売している。赤壁の戦いの後、荊州城は曹操の息子である曹仁が守っていた。そこを周瑜が攻め曹仁の追い出しに成功したが、その隙に諸葛亮の計略により、劉備が城を奪い取ったことになっている。
-
外門も車1台通れる通路です。人も通る為狭い通路です。そのとき、劉備が周瑜に説明したのが、四川を領地にするまで、「荊州を借りる」というものであった。その後、孫権の妹を劉備に娶らせそのときに劉備を暗殺しようとするが失敗、
-
外門側から内門を見る。果物などを販売している。また、四川を攻めに行くという口実で荊州城を占拠しようとするがそれも失敗、ことごとく計が失敗した周瑜は、諸葛亮を同じ時に生まれたことを悔やみながら、30歳半ばという若さで死んだ。
-
荊州城は周りを堀に囲まれており、しかも緑が多いため、水と緑と城壁が見事にマッチしている。城壁と外堀の間に遊歩道がある、時間があればゆっくり歩きたい。
-
内側の街並み、この街並みの手前は三国公園の入口です。ここから上ると有料だったので、下から見るだけとした。その後、劉備が四川を攻めに行く間、関羽がこの城を守ることとなったが、借りたまま孫権に返すことはなかった。そのため、中国では「劉備が荊州を借りる」ということは、返さないという意味になった
-
城門は敵を防ぐ門なので通路は狭い。関羽考案の、城門の内側にさらに城壁に囲まれた空き地があり、敵に城門を突破されてもここへ誘導して殲滅する仕掛けや、蔵兵洞という地下に兵士を潜ませる仕掛けがある。6つの城門があり、その中でも、大北門と東門が大きい門だろう。
-
6つの門の中で最大の門です。
-
関羽が、樊城を攻めたり、水淹七軍の水攻めに成功して曹軍を破ったり、ほう徳を斬り、于禁を生捕りするなど、一時期は無敵の関羽軍だった。そのとき凱旋して荊州城に帰ってくるのがこの街であり橋であった。住民はそれを歓声、歌や舞いで出迎えたという。それからこの街と橋は勝ちを得るということで、得勝街・橋になり今でもその名前が残っている。また、埃まみれになった赤兎馬を洗ったのも、このあたりの堀であったと言われている。北
大門を出てすぐのところにこの橋がある。 -
橋の向こうに見えるのが得勝街。昔ながらの雰囲気を残している街だった。
-
城壁の内側には緑豊かな道路がある。今回はこの道をバイクタクシーに乗って大北門から南門まで20元で交渉、途中で各門の写真を撮る。
-
人民路の南北に自動車、バスの交通の為、現代に造られた城門がある。他にも何ヶ所か自動車用の新しい門が造られた。
-
城門の間には何所でも出店が出ている。
-
ゲートボールのコートまであります。
-
外門と内門は直線でなく少し斜めにずれている。攻めにくく造られたのも関羽の考えか?
-
外門の外では路面のトコヤが店開き。
-
何所の城門も庶民の道として活用している。
-
城閣のある東門、特に東門は観光地化されており、城壁に上ると展示コーナーがあるし、周辺に店も多くレンタサイクルもある。なお、城門に上るにはどこも有料だ。城門近辺だけ有料地区になっており、それ以外は自由に歩くことができる。
-
この城門の間は芝生に覆われた広場です。
-
外門に荊州城の文字が見える。観光用のカートも見える。
-
荊州城の東南の角には小東門があり、この城、唯一の水門であった。当時、この門から堀にでると、長江まで船で行くことができた。劉備が公安(荊州の南側で長江の南岸)の大本営にいたとき、船で荊州にやってきて、この城門からいつも登城したことから、公安門という名前がついた。今では小東門の後ろに必ず公安門と名前がついている。公安門から城外に出ると、堀がすぐそばにあり、非常に気持ちのよい場所だ。対岸には屈原像が見える(張飛
一担土も同じ方面)。今は水門の機能はないものの、当時のことは想像できる。なお、公安門の城内側には刑務所があり、ちょうど見張り室がある。それを写真撮影してしまうと、上から怒鳴られるので注意。 -
外門を抜けると外堀に出る、水門の為橋は無い。
-
外門と外堀の間は狭い場所しかない。
-
南門の内側には刑州関帝廟が向かい会っている。その為か人通りも多い。
-
南門だけ外門と内門の他に左右の門がある。
-
この空間に中国将棋の同好の人達が集まっている。何台もの将棋台が並んでいる。
-
小さな出店や自転車、オートバイなど庶民の人通りが一番多い城門です。
-
城壁の中の街に住むのと、城壁の外の村に住むこの差が今の城壁ではないか?
-
城壁と外堀の間の遊歩道、一周出来る。
-
城壁と外堀の間の遊歩道、一周出来る。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
三国志・統括編・蜀の国編1・劉備・関羽・張飛・孔明・趙雲
-
三国志の宝物
2007/07/07~
上海
-
無錫の三国志・三国城
2007/10/27~
無錫
-
三国志・大三国志展
2008/07/08~
高尾・八王子
-
三国志の荊州故城・1/3
2008/08/16~
荊州
-
三国志の荊州関帝廟・2/3
2008/08/16~
荊州
-
三国志の荊州三国公園・3/3
2008/08/16~
荊州
-
中国料理店の三国志
2008/08/25~
亀戸
-
三国志の中国影視城
2008/10/21~
北京
-
三国志の琢州・張飛廟
2008/10/21~
河北省
-
三国志の琢州・桃園の誓
2008/10/21~
河北省
-
三国志の正定趙雲故里
2008/10/22~
石家荘
-
三国志の正定趙雲廟
2008/10/22~
石家荘
-
三国志の年画
2008/11/18~
蘇州
-
三国志の上海欽賜仰殿道観
2009/04/22~
上海
-
三国志の横店映画村・1/2
2009/05/12~
浙江省
-
三国志の横店映画村・2/2
2009/05/12~
浙江省
-
三国志の成都武侯祠・1/2
2009/06/16~
成都
-
三国志の成都武侯祠・2/2
2009/06/16~
成都
-
三国志の遺跡
2010/12/15~
上海
-
三国志の書籍
2010/12/15~
上海
-
浅草の牛丼三国志・吉野家・すき家・松屋
2012/01/21~
浅草
-
上海の牛丼・三国志
2012/01/24~
上海
-
特別展・「三国志」・東京国立博物館平成館
2019/07/31~
上野・御徒町
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 三国志・統括編・蜀の国編1・劉備・関羽・張飛・孔明・趙雲
0
32