2007/12/28 - 2007/12/28
284位(同エリア897件中)
中国の風景さん
- 中国の風景さんTOP
- 旅行記3927冊
- クチコミ2038件
- Q&A回答952件
- 3,631,933アクセス
- フォロワー151人
龍門古鎮は富春江の南岸に位置しています。東漢時代の文学家厳子陵がここを遊覧し、「山紫水明で、中原龍門にも勝る」と絶賛したことで龍門と名付けられました。龍門古鎮はその古さで名を馳せています。今でもたくさんの明清時代の建築物が保存されていて、各建築物群の間は卵石畳の小徑にて繋がり、小徑は四方八方に通じています。「大雨の日に村全体を廻っても靴は濡れない」といわれています。村の90%以上の住民は三国時代東呉孫権の後世で、中国古代宗族集中居住の典型的な例です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
68元 いままでの料金で一番高い、入口に売り場があります。
旅程 蘭州市宿泊 往き 蘭渓客運西駅8時10分発 乗換 富陽市汽
車西駅10時45分着 48元 乗換 龍門古鎮11時10分着 5元。
帰り 龍門古鎮2時45分発 5元 富陽市汽車西駅3時15分発
1元 富陽市汽車新駅3時45分発 8元 杭州火車駅5時着 杭州T
780特快5時47分発 44元 上海南火車駅7時26分着 軌道3
号線虹口足球場8時10分着 5元 -
バスが近づくと江の対岸に見えるので降ろしてもらう。道路全てがバス停なので何所でも乗り降りできる。
-
中を歩いて見て、正に迷陣です。
-
完全な巨大迷路、杭州の南、富陽市龍門にある。
-
地域10ヶ所の案内板には中国語、英語、日本語、韓国語で説明している。以下の文章は写しです。 -
龍門は東漢時代の名士殷子陵が龍門山を遊覧した際残った「此地山青水秀、呂梁龍門を勝る」という賞嘆でその名を得た。数千年来、孫権の後裔はこの地で生活していて、次第に現在の2千余戸、七千人以上の江南一の大村に発展してきた。村内には明清時代の古代建築風格をそのまま保存している。躍龍橋入口手前の河に架かる石橋。
-
そろばん発祥の地、沢山の古い算盤が展示してある。
-
孫権の画像
-
孫権の祖父鐘から始まり父の堅、兄策、本人、子供の登が見える。
-
第一世より現在までの家系が示されている。
-
村内の道は狭く路面は石が敷き詰められ、両側から家の壁が迫ってくる。道は曲がりくねって見通す事が出来ない迷路です。
-
住居として使われている。住民の生活が見える。
-
龍門老街は延々1キロも続き、四五メートル?の広さである。街に老舗が軒を並べていて、それぞれ特色を持っている。その大半は前に店後に仕事場、或は前に店後に住居と言う構成になっている。商業活動の忙しさと仕事の暇の平穏と互いに相まって、明清時期、山村市街の独特の雰囲気が現れた。
-
村内の道は玉石を梯子のように並べてある。
-
三国志では関羽は孫権の騙し討ちに会い首を切られた。今では商売の神様として敵国に祀られている。
-
承恩堂の入口、入口は大きな石の門がある。
-
南船北馬と言われ呉の国は長江や運河を利用しての船の戦が得意でした。
-
街の人々がお昼を食べている。
-
村を遇り抜けた龍門渓は千年の古鎮を育ててきた。村民は渓流に沿って住居を横う。民風が素朴で、農耕と読書の伝統を守ってきた。古風の民居が軒を並べ、整然している。その間を逍遥して古鎮独特の雰囲気に耽って帰りをお忘れになるだろう。
-
屋根付きの橋、両側に長椅子が並ぶ。
-
孫暁梅故居
-
陳蔵堂
-
百歩廰が周りの幾つかの庁と「井」の形を成す建築群は龍門典型的な古代建築様式である百歩庁は散々災難に遭って来たが、その独特な長廊構造は元通りで、堂々とした風格は以前として残っている。崩れた垣とひび割れた壁が世の転変を語っている。
-
百花庁
-
子孫庁
-
青山に抱かれ、清らかな小河が流れ、村中酒の匂いが鼻をつき、風情が心地よく、村外稲の香りが漂い、鳥の囀りが聞こえる。龍門は独特な郷土風情を醸し出している。畑、農具と農民はのどかな田園牧歌を歌いあげている。
-
龍門の美しさは山紫水明の四文字で総括できる。古鎮は龍門山により建てられ、山が高く聳え立っていて、草木が青々と茂っている。龍門滝を源とした龍門渓は曲がりうねっていて、村中を通り抜ける。「小橋、流水、人家」は「天人合一」の調和の絵を描き出している。 -
龍門渓で洗濯をする村人。
-
太婆橋
-
明朝嘉靖年、龍門は早魃の被害を受けた。義士孫朝は家産を傾け、被災の人民を救済し、更に全村の代わりに朝廷に食糧を納めた。孫朝の義挙を称揚するため、当地の官庁は牌楼を建てた。「義門」の二文字は当時の県知事奚朴の直筆である。孫朝の慈善行為が解釈した「義」は孫氏家族が千百年来伝承の美徳となった。
-
積善堂
-
世徳堂
-
硯池夜月 硯池 (案内板)
一筋の清らかな泉水、微風に掠められている水亭高殿、泉水により建てられ白く冴えた月が空高くかかっていて、読書人はまだ灯火勉強を続けている。大きな硯のような池は、読書が家族の最大の希望であり科挙に及第し、功名を得、祖先の名を上げることが龍門の若者の理想であることを明示している。 -
明哲堂
-
山楽堂、の龍の彫り物
-
孫氏一族は古くから豪傑が多い。三国時代の英雄孫権、兵法大家孫武、孫臏、また中国革命の先駆者孫中山、皆龍門孫氏と切っても切れない血筋を引いている。由緒ある家族史は龍門濃厚の宗族文化を作り出した。
-
戦台
-
数百棟の明清時代の古宅が古鎮に林立していて幾筋の玉石で敷いた道で貫いて、まるで迷宮のようだ。深くて長い巷と静寂庭院は龍門の主旋律を作っていた。深い巷の両側は龍門人の生活の場所で、静かで多彩である。
-
春及堂
-
慶錫堂
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
三国志・魏の国編・曹操・呉の国編・孫権
-
江南の富春江・龍門古鎮・三国志・東呉孫権
2007/12/28~
杭州
-
三国志の南京呉の国
2008/02/20~
南京
-
三国志の合肥逍遥津
2008/04/15~
合肥
-
三国志の合肥新城遺址
2008/04/17~
合肥
-
三国志の鎮江甘露寺
2008/05/14~
鎮江
-
三国志の武漢亀山公園
2008/06/17~
武漢
-
三国志の武漢黄鶴楼
2008/06/17~
武漢
-
三国志の赤壁古戦場・1/3
2008/06/19~
武漢
-
三国志の赤壁古戦場・2/3
2008/06/19~
武漢
-
三国志の赤壁古戦場・3/3
2008/06/19~
武漢
-
三国志の龍華寺・孫権・三国志・2008年
2008/11/19~
上海
-
三国志の亳州・1/3
2009/02/18~
安徽省
-
三国志の亳州・2/3
2009/02/18~
安徽省
-
三国志の亳州・3/3
2009/02/18~
安徽省
-
三国志の小昆山陸遜故里
2009/10/07~
上海
-
三国志の官渡の戦い
2010/03/02~
河南省
-
三国志の洛陽白馬寺
2010/03/03~
洛陽
-
三国志の虎牢関・河南省・董卓軍と反董卓連合軍の決戦地
2010/03/03~
河南省
-
三国志の許昌春秋楼
2010/03/03~
河南省
-
三国志の許昌関帝廟
2010/03/03~
河南省
-
三国志の許昌灞陵橋
2010/03/03~
河南省
-
三国志の許昌受禅台
2010/03/03~
河南省
-
三国志の洛陽関林
2010/07/01~
洛陽
-
三国志の洛陽漢魏故城
2010/07/02~
洛陽
-
三国志の洛陽・古都
2010/07/03~
洛陽
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 三国志・魏の国編・曹操・呉の国編・孫権
0
40