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中国の城とは城市である。街全体を城壁で囲い民が生活をしている。王宮、役所、役人、兵隊も生活している。兵隊は城市の出入口を警備し外敵から街(民)を守る、これが中国の城です。長江の河口の街が1292年に上海県(中国は市の中に県がある)になり、明の時代1553年に倭寇(日本の海賊)の襲撃を受けて焦土となった。<br />街を守る為城壁を造る。高さ8m、外周4.5km、城門七ヶ所、見張り用の楼閣二ヶ所、を造り、城壁の周囲には巾20m、深さ5.7m、長さ5km、の濠も造った。その甲斐も有り、その後倭寇の襲撃から守られた。<br />1914年租界が発展し上海の街が急拡大し、城壁が交通の障害となり撤去された。城壁の石で濠を埋め道路になった。今の人民路と中華路で円形と成っている。<br />

上海の下町・城壁の中・2007年

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2007/08/04 - 2007/08/04

5074位(同エリア11698件中)

中国の風景

中国の風景さん

中国の城とは城市である。街全体を城壁で囲い民が生活をしている。王宮、役所、役人、兵隊も生活している。兵隊は城市の出入口を警備し外敵から街(民)を守る、これが中国の城です。長江の河口の街が1292年に上海県(中国は市の中に県がある)になり、明の時代1553年に倭寇(日本の海賊)の襲撃を受けて焦土となった。
街を守る為城壁を造る。高さ8m、外周4.5km、城門七ヶ所、見張り用の楼閣二ヶ所、を造り、城壁の周囲には巾20m、深さ5.7m、長さ5km、の濠も造った。その甲斐も有り、その後倭寇の襲撃から守られた。
1914年租界が発展し上海の街が急拡大し、城壁が交通の障害となり撤去された。城壁の石で濠を埋め道路になった。今の人民路と中華路で円形と成っている。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配

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  • 豫園の裏道にある梧桐路の朝、多くの人々が通行している。日本でも見られる懐かしい風景。<br />

    豫園の裏道にある梧桐路の朝、多くの人々が通行している。日本でも見られる懐かしい風景。

  • 大境閣の中にある城壁博物館(大境路269号、入場料5元)に展示されている明代の県城の地図。城壁が街を囲み東西南北七ヶ所の門と橋、二ヶ所の望楼、水門四ヶ所もあり水路が東から西へ2本県城を貫いているのが読み取れます。<br />

    大境閣の中にある城壁博物館(大境路269号、入場料5元)に展示されている明代の県城の地図。城壁が街を囲み東西南北七ヶ所の門と橋、二ヶ所の望楼、水門四ヶ所もあり水路が東から西へ2本県城を貫いているのが読み取れます。

  • 現在の上海市の地図、濠が埋められ北は人民路となり、南は中華路となり円形に成っている。北から南に河南南路、東から西に復興東路が走り県城を四分割している。現在河南南路の北よりに地下鉄工事中です。地名には九ヶ所の門が残っています。<br /><br />

    現在の上海市の地図、濠が埋められ北は人民路となり、南は中華路となり円形に成っている。北から南に河南南路、東から西に復興東路が走り県城を四分割している。現在河南南路の北よりに地下鉄工事中です。地名には九ヶ所の門が残っています。

  • 濠が埋められて道路となった中華路大境路交差点付近、城壁の跡は緑地帯になり交通量も多いです。濠は東小門で黄浦江に繋がっていました。<br /><br />

    濠が埋められて道路となった中華路大境路交差点付近、城壁の跡は緑地帯になり交通量も多いです。濠は東小門で黄浦江に繋がっていました。

  • 旧上海県城で最大の名所と言えば豫園です。地図の北東部にあり、豫園の着工は城壁完成後の1559年、完成は1577年で十八年間もかかっている。四川布政使(四川省使)を勤めた上海出身の潘充端が父の為に作った個人庭園でした。残念ながら完成を待たず父は亡くなりました。<br /><br />造園したのは明の名人、張南陽です。いたるところに太湖石(穴の空いた石)をふんだんに使ってあります。龍が屋根に飾られていますが皇帝に遠慮して爪が四本です。皇帝でも中国五本、韓国四本、日本三本となっていました。<br /><br />

    旧上海県城で最大の名所と言えば豫園です。地図の北東部にあり、豫園の着工は城壁完成後の1559年、完成は1577年で十八年間もかかっている。四川布政使(四川省使)を勤めた上海出身の潘充端が父の為に作った個人庭園でした。残念ながら完成を待たず父は亡くなりました。

    造園したのは明の名人、張南陽です。いたるところに太湖石(穴の空いた石)をふんだんに使ってあります。龍が屋根に飾られていますが皇帝に遠慮して爪が四本です。皇帝でも中国五本、韓国四本、日本三本となっていました。

  • 豫園の入口の前に緑波池があり、その池の真ん中に東屋があるので湖心亭と名づけられた。1784年の建てられた湖心亭は喫茶室となっており、有名龍井茶を飲むことが出来るし、この二階から見る景色が素晴らしい。橋は九回曲がるので名がついた。悪霊(キョンシー)は真っ直ぐしか進めないので池に落ちるので湖心亭は守られる。<br />

    豫園の入口の前に緑波池があり、その池の真ん中に東屋があるので湖心亭と名づけられた。1784年の建てられた湖心亭は喫茶室となっており、有名龍井茶を飲むことが出来るし、この二階から見る景色が素晴らしい。橋は九回曲がるので名がついた。悪霊(キョンシー)は真っ直ぐしか進めないので池に落ちるので湖心亭は守られる。

  • 湖心亭のある緑波池の辺に建つ餐庁、明、清を偲ばせる、とんがり屋根の外観が印象的、上海随一と言われるあっさり味の点心が大人気。エビやきのこ、野菜、ハムなど様々な食材が使われ、種類も豊富。盛り付けも美しく。窓からながめる豫園の景観も悪くない。スターバックスの前で写真を撮ったので看板が写ってしまいました。<br /><br />

    湖心亭のある緑波池の辺に建つ餐庁、明、清を偲ばせる、とんがり屋根の外観が印象的、上海随一と言われるあっさり味の点心が大人気。エビやきのこ、野菜、ハムなど様々な食材が使われ、種類も豊富。盛り付けも美しく。窓からながめる豫園の景観も悪くない。スターバックスの前で写真を撮ったので看板が写ってしまいました。

  • 豫園で一番人気の小龍包の店、南翔は本店のある場所の地名、1階は調理場とお持ち帰り客用の売り場。上海人も並んで買うほど美味しい。2階のレストランは何時も並ぶ、3階は高級レストラン、熱々の汁が口いっぱいに広がる、観光客も必ず立ち寄ります。作っている所が良く見えるので安心です、勿論「ダンボール」は入っていないので安心して食べてください。<br /><br />

    豫園で一番人気の小龍包の店、南翔は本店のある場所の地名、1階は調理場とお持ち帰り客用の売り場。上海人も並んで買うほど美味しい。2階のレストランは何時も並ぶ、3階は高級レストラン、熱々の汁が口いっぱいに広がる、観光客も必ず立ち寄ります。作っている所が良く見えるので安心です、勿論「ダンボール」は入っていないので安心して食べてください。

  • お土産屋さんが並んでいる。路を広げて再開発、建物も明の時代風に統一、豫園に来る観光客相手に商売している。価格は安いものが多い、必ず値切ることを忘れずに。<br /><br />

    お土産屋さんが並んでいる。路を広げて再開発、建物も明の時代風に統一、豫園に来る観光客相手に商売している。価格は安いものが多い、必ず値切ることを忘れずに。

  • 豫園商城の内側は浅草の仲見世のように間口の小さな土産物屋が並んでいます。レストランや喫茶店もあり、手軽に上海の雰囲気が楽しめます。<br /><br />

    豫園商城の内側は浅草の仲見世のように間口の小さな土産物屋が並んでいます。レストランや喫茶店もあり、手軽に上海の雰囲気が楽しめます。

  • 豫園に隣接した場所で再開発して路を広げ建物も明の時代風に統一、商品は工芸品的なものが多い、茶器などの店もある。廟市として古くから繁盛していた。<br />

    豫園に隣接した場所で再開発して路を広げ建物も明の時代風に統一、商品は工芸品的なものが多い、茶器などの店もある。廟市として古くから繁盛していた。

  • 上海の土地神として霍光、泰裕佰らをまつる廟、明の永楽年間の創建、万暦年間の牌楼が南入口に現存する。門前市の廟市は昔から商業活動の中心に成っていた。1994年より道観としての宗教活動を再開した。<br /><br />

    上海の土地神として霍光、泰裕佰らをまつる廟、明の永楽年間の創建、万暦年間の牌楼が南入口に現存する。門前市の廟市は昔から商業活動の中心に成っていた。1994年より道観としての宗教活動を再開した。

  • 1882年開設の上海最大の道教寺院、全真派の道士除至誠が開いた雷祖殿でした。六年後に徐至誠が北京の白雲観から明版の正統道蔵八百巻を上海に持ち帰る。2005年斜橋より大境閣の隣に移設された。<br />

    1882年開設の上海最大の道教寺院、全真派の道士除至誠が開いた雷祖殿でした。六年後に徐至誠が北京の白雲観から明版の正統道蔵八百巻を上海に持ち帰る。2005年斜橋より大境閣の隣に移設された。

  • 中国は道教か仏教と思われがちですが意外とイスラム教も多い、シルクロードの交易によってイスラム教も入って来た。旧県城内にも何ヶ所か寺が残っている。1869年北部に教徒によって建てられたものでイスラム寺院らしくない、仏教寺院に良く似たアレンジで信仰が残りました。<br /><br />

    中国は道教か仏教と思われがちですが意外とイスラム教も多い、シルクロードの交易によってイスラム教も入って来た。旧県城内にも何ヶ所か寺が残っている。1869年北部に教徒によって建てられたものでイスラム寺院らしくない、仏教寺院に良く似たアレンジで信仰が残りました。

  • 1870年に黄氏の私的な庵として建設された。中華人民共和国が成立した後廃寺となっていた。1983年に復活し上海仏学院の尼寺となりました。<br />入口に線香や紙銭を売っています。<br />

    1870年に黄氏の私的な庵として建設された。中華人民共和国が成立した後廃寺となっていた。1983年に復活し上海仏学院の尼寺となりました。
    入口に線香や紙銭を売っています。

  • 一名「慈雲禅院」明の万暦年間潘充端(豫園の創設者)により創建と伝えられる。潘氏が准河の水上に漂う沈香木製の観音像を拾ったことを縁起する。<br />文革の破壊を経て1989年より上海仏教協会等の資金により修復再建され、江南最大の比丘尼道場となる。<br /><br />

    一名「慈雲禅院」明の万暦年間潘充端(豫園の創設者)により創建と伝えられる。潘氏が准河の水上に漂う沈香木製の観音像を拾ったことを縁起する。
    文革の破壊を経て1989年より上海仏教協会等の資金により修復再建され、江南最大の比丘尼道場となる。

  • 県城内の孔子廟であり学校でした。1855年老西門の近くに移設され、1931年上海最初の図書館となる。文革後1983年再建、毎週日曜日敷地内で古本市が開かれている。<br /><br />

    県城内の孔子廟であり学校でした。1855年老西門の近くに移設され、1931年上海最初の図書館となる。文革後1983年再建、毎週日曜日敷地内で古本市が開かれている。

  • 県城の北西部、中華路に沿った位置に大境閣がある。小北門のすぐ傍で城壁の上に造られた望楼でした。1914年の城壁撤去の時、工事事務所となった為そのまま残った。1995年修復され楼閣内に上海城壁博物館も出来た。<br />

    県城の北西部、中華路に沿った位置に大境閣がある。小北門のすぐ傍で城壁の上に造られた望楼でした。1914年の城壁撤去の時、工事事務所となった為そのまま残った。1995年修復され楼閣内に上海城壁博物館も出来た。

  • 1995年の修復のとき二階に城壁の内側を見ることが出来るようになった。<br /><br />

    1995年の修復のとき二階に城壁の内側を見ることが出来るようになった。

  • 二階には三国志の関羽を祭った関帝廟があります。将軍で亡くなった関羽は後に帝に成り、最後は神様と成った。信義を重んじた事から商売の神様となり中国人の住むところには必ず廟が出来た。横浜の中華街にも関帝廟があります。<br />

    二階には三国志の関羽を祭った関帝廟があります。将軍で亡くなった関羽は後に帝に成り、最後は神様と成った。信義を重んじた事から商売の神様となり中国人の住むところには必ず廟が出来た。横浜の中華街にも関帝廟があります。

  • 千年以上の歴史を持ち人々が生活をしてきた街、細い路地が曲がりくねって迷路ようです。洗濯物の下を、頭を下げながら歩いていく(上海ではズボンなどの洗濯物の下を、頭を下げて歩くと、「人の下に着く」となり嫌う)と懐かしい匂いがする。<br /><br />古い街にはトイレが無い、「馬桶」と言う木の桶(蓋アリ)を部屋の隅に置き用を足す、朝、集積場所に捨てに行き水で洗って道端に干します。そんな生活もまもなく無くなる日が近い気がします。<br /><br />

    千年以上の歴史を持ち人々が生活をしてきた街、細い路地が曲がりくねって迷路ようです。洗濯物の下を、頭を下げながら歩いていく(上海ではズボンなどの洗濯物の下を、頭を下げて歩くと、「人の下に着く」となり嫌う)と懐かしい匂いがする。

    古い街にはトイレが無い、「馬桶」と言う木の桶(蓋アリ)を部屋の隅に置き用を足す、朝、集積場所に捨てに行き水で洗って道端に干します。そんな生活もまもなく無くなる日が近い気がします。

  • <br />完全に破壊され瓦礫となった街、最近まで多くの人々が先祖代々住んでいた街、上海市の再開発で立ち退きを余儀なくされ、慣れ親しんだ街を離れ郊外へ移り住んで行った人々は寂しい生活を送っているのか?中国は土地の個人所有が出来ないので強制的に移住させられる。跡地には高層マンションが建てられるが高額で地元の人は買えないようです。<br /><br />万博に名を借り、再開発は建設会社が行うが立退料が安い、話合に応じず、住んでいるのに取り壊す、暴力行為、脅し等日本のバブル期の悪徳不動産と同じです。遅ればせながら07年10月から私的財産権を保護する物権法が施行されます。<br />


    完全に破壊され瓦礫となった街、最近まで多くの人々が先祖代々住んでいた街、上海市の再開発で立ち退きを余儀なくされ、慣れ親しんだ街を離れ郊外へ移り住んで行った人々は寂しい生活を送っているのか?中国は土地の個人所有が出来ないので強制的に移住させられる。跡地には高層マンションが建てられるが高額で地元の人は買えないようです。

    万博に名を借り、再開発は建設会社が行うが立退料が安い、話合に応じず、住んでいるのに取り壊す、暴力行為、脅し等日本のバブル期の悪徳不動産と同じです。遅ればせながら07年10月から私的財産権を保護する物権法が施行されます。

  • 1910年に完成した高さ約36mの火の見櫓。辛亥革命の武装蜂起の合図の鐘がならされる。鐘楼は現存するが、鐘は文革時に取り外される。<br /><br />

    1910年に完成した高さ約36mの火の見櫓。辛亥革命の武装蜂起の合図の鐘がならされる。鐘楼は現存するが、鐘は文革時に取り外される。

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