2010/09/29 - 2010/09/29
246位(同エリア518件中)
不二山さん
★表紙の写真と以下の記事は、
ポンペイニュース[2010年11月7日ロイター]を引用しています。
・イタリア南部の世界遺産ポンペイで、約2000年前のものとされる「剣闘士たちの家」が6日朝に倒壊したことについて、考古学者や野党議員から政府を非難する声が上がっている。
・この建物は剣闘士が円形競技場で戦う前に訓練を受けていた場所とされ、壁には軍隊をテーマにしたフレスコ画が描かれていた。
・7日に現場を訪れたボンディ文化相によると、専門家は少なくともフレスコ画の一部を回収できるとしている。
・美術史家や周辺住民は、同遺跡の傷みが激しく補修が必要だと長年にわたり主張していたが、今回の倒壊を受けて文化省は、過去50年にわたり効果的な補修をしていなかったことを認めた。
・当局は、倒壊が豪雨によって引き起こされた可能性もあると説明しているが、批評家の多くは長年放置されてきたことが問題の本質だと指摘。ポンペイを国ではなく民間団体に管理させるべきだとの意見も出ている。
50年にわたり補修をしてこなかったとのことです。父は1963年5月26日にポンペイを訪れていますから、父が観た遺跡と私が観た遺跡は
ほぼ同じのようです。
ポンペイの像・銀食器・装飾品などは、ナポリ国立考古学博物館に展示されているようです。
この日は、曇りだったため、カプリ島の予定を変更し、
ポンペイへ行きました。
次の写真は、ナポリを出るところからになっています。
☆ナポリからの移動手段
NAPOLI CENTRALE 8:32 → POMPEI 09:01
トーマスクック イタリア640に表記
★名古屋博物館 ポンペイ展
渡欧する前に、観に行ってきました。
装身具・食器・家具・大理石や青銅製からできた高温浴室など
何点も展示されていました。
http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji100624.html
★この旅行記は、
ヨーロッパ6カ国 47日間 25都市訪問(14都市宿泊)のNO.20です。
★渡欧プランの旅行記は、
http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10483933/
この旅行記には、1963年の頃の亡父の地図等を載せています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ユースホステルからナポリセントラルまでメトロを利用。
5分ぐらい移動して、ポンペイ行きのホームを撮りました。
この駅はポンペイ以外にも、ソレント・カプリ・アマルフィーに
行く列車が出るので、よく利用しました。 -
チケットです。
確か、往復を購入しました。 -
ポンペイの駅に着きました。
-
駅構内の土産店には、兵士が馬車に乗っている
置物がありました。
我が家にもよく似たものがあります。
写真の中央の置物です。 -
似ています。
関連旅行記:
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10487645/ -
ポンペイに着いたのは、11時過ぎでした。
昼食には、やや早い時間でしたが、遺跡の中に入ったら、
食べられないといけないと思い、入口のお店に入りました。
2.3軒あり、どのお店にもフルーツが売られていました。
このラザニアは、とてもおいしかったです。
観光地の入口のお店なので、期待はしていなかったのですが、
今でも食べたくなるおいしさです。
ラザニアの他には、パンとミネラルウォーターが付いてきました。
そして、日本の喫茶店よく見かけるステンレス製のシュガーの入れ物に粉チーズが
入っていました。
また、写真の奥には、貝細工の灰皿が見えています。 -
チケットです。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
紀元62年 大地震によりポンペイは壊滅的な打撃
79年8月24日暑い夏の日 突然大地を揺るがすような
爆発音とともにヴェスヴィオ火山が噴火
爆風と火山れきがふもとのポンペイを襲い、人々の大半は
逃げる暇もなく灰・火山れきに埋もれた。
その後、1600年以上地中に埋もれたままとなったが、19世紀になると発掘が加速した。 -
目の前に広がる遺跡
父の手帳によると、
1963年5月26日
ポンペイ見学9:00〜11:30
ソレン12:30ト→カプリ→ナポリ18:20
と記してあります。
私は、暑い中、観光をしましたが、
父はちょうどよい気候だったようです。
ナポリの5月の平均気温は、23°です。 -
アリーナ門から入りました。
坂を登ったところで、振り返り入口を撮りました。 -
紀元前の街でありながら、
随所に住所表示されています。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
この表示は、1860年発掘指揮者が、ポンペイを
9つの区画に分類した際の表示。
私は、紀元前のものと勘違いをしていました。 -
各遺跡の名称がわかりません。
いつか、一つひとつ、
調べて記載していきたいと思っています。
ヨーロッパは広く、歴史も古い素晴らしいところです。
私は、知識もないまま、父が行った場所を回りましたが、
知りたいことがたくさん増えました。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
バシリカ
もっとも古い公共施設で、はじめは商取引所として、使われたが、後に法廷となった。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
アポロ宮殿の回廊とアポロ像
フォルム(公共広場)の西側に建つ大きな宮殿
現在の像は、レプリカだそうです。 -
-
-
イチオシ
洋画に出てくるような
白いスーツのジェントルマンです。 -
-
フレスコ画や床のタイル貼りが見事な
状態で見ることができました。
奇跡です。 -
-
地下への通路のようです。
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
共同水道 -
この地図は、現在のものです。
父が印をした地図を持って歩くと、痛んでしまいます。
なので、父が行ったところを現在の地図に書き写し、
それを持ち歩きました。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
写真の⑨は、ウェスパシアヌス神殿 -
父が訪れました。
-
遺跡の中央付近に、食事をしたり、
アイスクリームを食べたり、
お土産を売っている大きなお店がありました。
私はアイスクリームを買う時必ず「スモール」と
言っていましたが、たいてい多い量でした。 -
明かり取りでしょうか。
-
浴場でしょうか。
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
町の中心にあった浴場は社交場でした。
写真にあるいくつかの四角いものは、
衣類を入れる棚。
貧富の差・男女問わず、午前中は仕事、午後昼寝、
その後浴場へ来ていた。
裕福な人は何人もの奴隷と共に通っていた。
現在のように、垢すり・マッサージもあり、
他愛のない話や、商売の話をしていた。 -
彫刻です。
ミラノのドウーモにも、
このような像があったと思います。 -
ベッドか家具です。
渡欧前に行った名古屋博物館で、
たくさんの装飾品を観ることができましたが、
ここポンペイでは、どこに展示してあるのかわからず、
観ることができませんでした。
また、私が観た展示品の多くは、
このように埃が積もったまま、展示してありました。
当時に近い状態を“よし”としているのかな?
日本だと、ガラスケースに入っていて、
細かい部分を観ることができるように展示してありますよね。
お国柄の違いなのかもしれません。 -
浴場と思われます。
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
丸窓の明かりに照らし出されるフォルム浴場の熱冷室。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
丸窓の下にある大理石製の水盤。
中央の穴から絶え間なく、お湯が湧き出し、それで体を洗った。
この水盤の反対側には、熱いお湯の浴場がある。 -
父が来ています。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
地図の⑯は「ラビュントスの家」
⑰は、「ファウノの家」でした。 -
父は、この像の場所に印を付けています。
ポンペイは広いのに、父は2時間半で回っています。
事前に観たいところをチェックしていたか、
足早にサッサーと歩く父でしたから、印象に残ったところを
地図に記したのか、どちらかだと思います。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
個人住宅では最大といわれ
1区画を占める豪華な家「ファウノの家」。
写真の青銅像は、ギリシャ様式の大広間にある。
当時、この青銅像は、天窓の真下に位置し
雨水だめの中央に置かれている。
底は細かい模様のモザイクで装飾されている。 -
-
-
-
高い位置に作られています。
祭壇なのでしょうか。。 -
食べ物屋さんの内部です。
-
続いて、食べ物屋さんです。
釜が見えます。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
居酒屋の大理石のカウンター
埋められた壺にワインや食べ物を入れ売っていた。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
遺跡 「悲劇詩人の家」の食堂
大きな家の広間には天窓があり、その真下には、雨水だめがあります。
雨水だめは、家の中に池を再現していると思っていましたが、それだけではなく、天窓からの光が雨水だめの水面に反射してさらに広間を照らすようになっていました。
こういう、家に住み〜た〜い -
ポンペイ遺跡でよくみた家の中庭です。
入口は、道路に面していて、門があります。
門をくぐると、このような中庭があり、
池というか、水辺が作られています。
その中庭を中心として、その周りに幾つもの
部屋が並んでいました。
各部屋には窓があり、当時のといっても紀元前の
人々の日常生活を知ることができます。
私の夢のまた夢ですが、
こういう開放的な家に住みたいです。 -
わかりずらいかもしれませんが、
家の中庭に作られている池です。 -
イチオシ
両サイドには、家が見えています。
そして、その家のすぐ前には、歩道があります。
さらに、中央には歩道より低い位置に作られた
馬車道があります。
驚くことに、馬車が何度も行き交ったため、
わだちが出来ています。石のわだちです。
適切な写真がなくて残念ですが、
馬車・牛車道のところどろこに、
歩道と同じぐらいの高さの石が置いてあります。
これは、人が道を渡るとき危なくないように、
置いてありました。馬車道を渡るとき、
人は飛び石をして渡っていたようです。
現在でいう横断歩道の白い部分に
大きな石が置かれているといった感じで
人も馬車も通れるようになっていました。 -
紀元前に、こうした文明が存在したことを
目の当たりにし感動しました。 -
-
イチオシ
下水・排水も整備されていたようです。
-
イチオシ
道の要所には、水飲み場がありました。
この写真は、左右に道が分かれている
分岐点となっています。
当時の街は、賑やかで活気があふれていたことでしょう。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
共同水道 -
このような、大型の水がめ?
またはベンチ?がところどころの家にありました。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
パン製造工場の遺跡
溶岩製の臼で粉を挽きました。 -
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
粉を挽くと、写真にある半円形の口の窯で、
早朝からパンを焼いていた。 -
道の脇に、石のベンチが
ところどころにありました。
老人や、子どもたちが、集っていたのでしょうか。。 -
よく見ると文字が刻まれています。
-
-
-
向こうにヴェスヴィオ火山が見えます。
-
アップで撮ったヴェスヴィオ火山です。
この火山が大噴火して、
このポンペイの人々の生活を一昼夜で
滅ぼしてしまいました。
★http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4
噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスは
ポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。
市民の多くが火砕流発生前にローマなどに逃げたが、
火砕流が発生した時に市内に残っていて
助からなかった市民も多くいた。 -
この写真の左手に斜面がみえています。
現在の地面より低いところに
遺跡が残っていることがわかります。
ヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流は
一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込み、
皮肉にも当時の人々の生活をそのままに
現在まで遺しています。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
秘儀荘(富める人の郊外の別荘)
ワイン製造の作業場や居住部分が残っている。 -
モダンな床張りです。
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
左 ディオニュソス崇拝の秘儀を行う美女たち
鮮やかな赤で彩られている。
何の目的で描かれたた今も謎。 -
-
-
-
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
「大噴水の家」の噴水 -
噴水のそばまで行きました。
-
父がきたところです。
-
この彫刻の置物に
感動したのかもしれません。 -
商店です。
-
住宅内の一角です。
-
ガーデニングが盛んだったそうです。
-
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
「貝殻のウェヌスの家」
守護神ウェヌス(ヴィーナス)
-
ぶどう畑の向こうにコロッセオが見えてきました。
なんと大きなコロッセオ!と、思わず走りました。
この時、私はまだローマのコロッセオを
観ていません。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
古代ローマの最大の娯楽といえば、剣闘士の戦いだった。
ポンペイ市民の15000人収容可能。
上段にゆくほど、市民の席となっていた。
隣接して、大体育場・プールがあった。
この旅行記の表紙の写真はこのあたりになります。 -
-
-
闘技場の入口です。
大勢の市民が、楽しそうにこの門をくぐったことでしょう。
現在の私たちの楽しみ方とは、異なるようですね。 -
-
観客席が、土に埋もれかけています。
-
-
父が来たところです。
-
何のためか、この場所は、父の地図に○がふってあります。
-
地図の印から、少し歩くと、
何体もの像が置いてありました。 -
イチオシ
この臼、というのでしょうか。
粉ひきというのでしょうか?
二人が左右の棒を持ち、くるくると回ると
粉になるのでしょうか?
ご存知の方、教えてください。
しっかりと側面が磨かれていて 美しい− -
コロッセオ?劇場?
わかりません。
後記:「ポンペイ遺産」小学館 引用
今も使われる劇場
庶民も富裕層も楽しんだ施設。
下段の富裕層の席は、ゆったりとした席で、
上段にゆくと狭くなっている。 -
-
イチオシ
最上段まで登りました。
ずっと、いたいと思える場所でした。 -
-
T字の道です。
角に石が置いてあります。
ジュネーブの旧市街地を歩いているときにも、
このように建物の角に石が置いてありました。
スイスのブリーグでも、確かありました。
後記:交差点の角の大きな石は、馬車時代の名残で、馬車の車輪で建物に引っかからないようにするために置いてあるようです。(パリ歩けば…林丈二)
現在は、ポンペイの街を観光客が歩いていますが、
当時も、現在の観光客のように多くの人たちが
通っていたのですね。
そう思うと、なんだか観光客の後ろ姿が
当時の人たちのように見えてきます。 -
陽が暮れてきました。
-
柵の向こうは、まだ調査中のようです。
-
出口付近の高台からの眺めです。
-
もう、帰ります。
父は、2時間半の観光のようでしたが、
私は、一日ゆっくりと観ました。
それにしても、当時36歳の父は、
精力的にヨーロッパを楽しんでいたようです。
決してありえないことですが、
それでも父と一緒にヨーロッパの話がしたいと
思うことがあります。 -
車窓。
船着き場というか、港をよく見かけました。
当然ですよね、海に面しているのですから。 -
ユースホステルに帰ってきました。
そうそう、
二重の扉のエレベーターです。
ヨーロッパでは、よくこのような
形式のエレベーターが使われていました。
はじめてみた時は、「なんとレトロ」と
ビックリしましたが、普通に使われています。
日本のエレベーターと違い、
モーターエンジンの音や振動が、直に伝わりま〜す。 -
-
イチオシ
上部は、現在の地図。
下部は、47年前の地図です。
同室のオーストラリア人、香港の方と一緒に
地図を見比べ少し、コミュニケーションを
とりました。
次の旅行記は、好天に恵まれたカプリ島の青の洞窟です。
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