2008/06/08 - 2008/06/08
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SUR SHANGHAIさん
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前編では、平遥の朝を歩いてみた時の町並みや四合院の様子をアップしたので、この編では平遥の昼の様子をご紹介。
平遥古城を取り巻く6.4kmの城壁を一周した記録は、これとは別の旅行記に仕立てることにして、ここでは6月7日・8日の平遥の昼に出会った人や物事をまとめてご紹介しようと思います。
平遥古城内と一口に言ってもなかなか広いので、SUR SHANGHAIは古城内を南北に貫く南大街から東側の城壁にかけての一帯を中心に歩いてみます。
さて、そこで見たものは…。
表紙の画像は、勝負がつかないままに道端に放置されていた中国将棋。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
●注: これは山西科学技術出版社出版の『平遥の名勝』という冊子に出ていた平遥の地図をスキャンした物です。
この地図では、長途汽車站(長距離バスターミナル)が左端に見えている平遥火車站(平遥駅)そばに出ていますが、08年6月上旬にはすでにこの地図北側(地図外)に移転していました。
画像をクリックして元画像で見てみても地名などがはっきりしない場合は、コピー保存してさらに拡大して見るとはっきりすると思います。 -
全長6.4kmの城壁に囲まれた平遥古城。
その中心から南北に街を貫いている南大街には、市楼と呼ばれる寺院風の楼閣が立っているのでいい目印。西大街・東大街との角近くにあります。
この画像奥に見えているのがその市楼。
この市楼は、これまでに数度の増改築が加えられ、現在では高さ18.5mなのだそう。市楼の下に出ていた説明によると最初に行われた改築は1688年だったらしいので、それ以前からの歴史がある建物だというのが分かります。 -
イチオシ
南大街沿いには四合院の民家を改装した客桟と呼ばれるクラシックな宿やお土産屋さん、食堂も並んでいるので観光客には便利。
見て歩くだけで楽しめます。
そのほかこの南大街周辺には、銭荘(銭庄)や票号と呼ばれた昔の金融機関や、鏢局(運送業・警備業・保険業を兼ねた業種)の店舗が小さい博物館になって並んでいます。
08年には古城内の町並みを見て回るだけなら無料。城壁や城壁内の博物館などの見所を含んだチケット(08年は120元)は、城壁内にある各見所でも売られていました。
このチケットは見所ごとに提示してパンチを入れてもらわなくてはいけないので、失くさないようにご注意を。
08年には購入した当日のみ有効だったので、数日滞在予定の人は買うタイミングと見学計画にも気を付けましょう。
チケットを買うと、見所を記した地図も付いてきました。(地図は別売りの場所もあるようです。)
その地図には、チケットで見学できる場所の名が赤い文字で出ていて、特に重要な≪日昇昌(かつての金融機関が博物館になっています)≫、≪県衙(かつての県庁)≫、≪文廟(孔子を祀った廟)≫にはⒶのマークも付けられていました。
古城(旧市街地)内は道も平坦で、主だった所は徒歩でも十分に見て回れますが、そのほかには貸し自転車や、タクシー代わりに数人でも使える電動車も多数あるので、ご自分の体力、その日の体調、天候に合わせて使い分けるのがいいかも。
電動車を使う時には、回ってもらいたい場所と料金を交渉してからどうぞ。団体用の大きい車も多数見かけました。 -
イチオシ
平遥古城の南大街で見かけた猫ちゃん。
お茶を一服した後のお昼寝をしているように見えるのが可愛い。(=^・^=)
SUR SHANGHAIが飼っていた一代目の猫に似ているな。 -
西大街・東大街との角近くから見た市楼。
夜にはライトアップもされるので、夕食や一日の終わりの散歩にここまで来て見るのも○。
この時のSUR SHANGHAIはPCを持って行かなかったので、このあたりにネット・コーナーが無いか探してみたら…、 -
…平遥を訪れる人なら必ず通る東大街、西大街、南大街が交わる角(東大街の中国商会博物館向かい)に、民家を改装した≪櫻花屋珈琲餐廰 SAKURA CAFE≫がありました。
コーヒー類が20元台のほか、お茶やシェイク、冷たい飲み物類もいろいろ。コーヒーの味はなかなかよかったです。
アップルパイは、注文の後で一人用サイズのものを焼き始めたらしくて30分以上かかりました。休憩時間があまり無い人は、すぐ出てくるものを聞いてから頼むのがいいかも。
食事は中華メニューのほか、ハンバーガーやスパゲティーが20元台。ビザは50元くらいから。
08年にはお店の中にPCが一台あって、お客さんなら無料で使わせてもらえるのがうれしいサービス。
ただし、独占はしないようにと貼り紙がしてあるので、気をつけましょう、
ちなみに有料ネット・コーナーは、西大街、南大街で見かけました。 -
平遥古城内には、四合院の民家を改装した客桟と呼ばれるクラシックな宿が星の数。
南大街などの大きな通り沿いに並んでいるほか、ちょっと路地裏に入るといくらでも見つかります。
お時間と気持ちの余裕がある方は、何軒か見比べて決めるといいですよ。
同じ宿でも、部屋の位置や条件によってお値段が変わるのはホテルと同じ。
200元内外で、雰囲気も設備も十分にいい感じの部屋が見つかります。 -
平遥古城内の道端に無造作に置かれていた仏像。
古く見えても現代の作で、どこか作り損ねたところがあるからかもしれないけど、こんな所に放っておいていいの?
まさか、文物ってことは無い、よね。(^^ゞ
ちょっと気になる…。 -
平遥古城内の四合院を囲む壁の補修中。
壁を塗るためらしい土を塀の上に上げるための道具がずいぶんクラシック。
慢慢的(マンマンデ)、という中国語の悠長な言葉がピッタリの一風景。 -
平遥古城内の四合院の民家入り口。
表の門から覗き込むと、邪気除けと目隠しの作用を持つ影壁がまず目に入る。
影壁に大きく縁起のいい字を入れたり、このお宅のように小さい祠風の祭壇を設けている所も。
この祠には≪土地堂≫って書いてあったから、福徳をもたらすという土地公を祀っているのかも? -
平遥古城内の建物や民家の壁には、1960年代後半から1970年代前半まで続いた文化大革命の頃のスローガンがまだ残る。
これは、これまで訪れた中国の地方都市でも同じ。
中には、こんな辺鄙な土地でも!と驚いたことは数知れず。
平遥の民家入り口の獅子像が半壊している事が多いのは、この時代に封建的文化として破壊された名残なのだそう。
この町工場だったらしい廃墟には「聴毛主席的…(毛主席の…を聞き…」)だけが残ってあとは消えかけていた。
注:画像左端の最初の文字は、≪聴≫の簡体字。 -
他の地方都市と同じように、平遥の町にも車やバイクが増えていたけど、馬車もまだ健在。
土地が平坦なので、観光で訪れる方は歩いて回るほか自転車を借りてみるのもいいと思いますよ。
天候・体力的にきついと感じる人は、観光電動車に乗ってみるのも良し。
行き先をいくつか指定してお値段交渉するも良し、運転手さんのお勧めを回ってみるのも良し。 -
黒レンガ造りの壁に、民家の屋根の影が落ちる平遥古城。
ただそれだけなのにいい風情。 -
平遥古城内には四合院の民家が数え切れないほど。
今では客桟と呼ばれるクラシックな宿に改装した四合院も星の数ほどありますが、民家のままで使っているお宅もまだまだ残っています。
そういうお宅を眺めながら歩くのも平遥での楽しみ。
門の両脇に置いてある一対の獅子像は台座を残して獅子がいなくなってます。このお宅でも文化大革命の時に破壊されてしまったのかも?
門を入った向こうに見える壁は、邪気除けと目隠しの役目を持つ影壁。
ここではめでたい≪福≫の字が赤く大きく書かれています。 -
平遥古城内の町角には泰山石敢当がこれまた多かった。
泰山石敢当というのは、気の流れが直撃する村の入口、河の流れのそば、三叉路などに置いて、邪気が入り込まないようにする役目を持っています。
石敢当の由来はよく分かっていないそうですが、中国・山東省にある泰山は古代から信仰の対象になっていたので、その名のご利益で魔除け・厄除けにされたとも言われているのだそう。
8世紀に福建省からこういう風習が始ったんだそうです。
画像の二つの石敢当は三叉路の突き当たりの壁に埋め込まれた形で立っていました。
左側はずいぶん新しいもののようで、黒い磨いた石に字だけが彫り込まれています。壁に書かれた数字は何かの広告の連絡番号。
右側の石敢当には鬼か獣のような顔も彫られています。
これ以外の石敢当も平遥古城内であれこれ見かけたので、これからの旅行記でもご紹介しようと思います。 -
ん? このお宅の屋根飾りは龍じゃなくて星になっている。
これって初めて見たような気がするなあ。
これも風水によって取り付けられた邪気除け?
それとも昔は人民公社か何かの建物に使っていたから、この星を取り付けたのかな? -
鋲を模様打ちにしてある扉。
その敷居の向こうの壁際に積んであるのは練炭。このあたりでは練炭が薪代わり。
ただでさえ乾燥して埃っぽい空気が、冬場には暖房の煤煙でさらに霞みそうな気がする。
山西省には炭鉱があちこちにあって、以前行ってみた山西省北部の雲崗石窟あたりでは、石炭をカバー無しで満載したトラックや馬車が通っていた。
どこもかしこも石炭の粉だらけで、雲崗石窟の仏像群も黒い粉を吹き付けたように見えたっけ。
今はどうなったかな。 -
窰洞(ヤオトン)式の造りになった建物の向こうに見えるのは平遥古城の城壁内側。
城壁は全部がレンガや石で覆われているわけではなくて、突き固められた土がむき出しになっている部分もあります。
雨が少ない土地柄だから、雨による侵食の心配は無いんでしょうね。
この部分の城壁は平遥古城の東側で、城隍廟街の天主堂近くの新東門。
門のアーチがこの画像でも見えていますが、この時(08年)には閉め切られていました。 -
平遥古城の東側、城隍廟街にある天主堂近くの路上。
おかず屋さんがこの日のおかずをガラスケース屋台で売っていた。
内容はその日によって違うんでしょうが、この日は野菜の和え物や炒め物が数種に焼きそば。
お客さんはビニールの袋に入れてもらい、量り売りにしてもらいます。
「え〜、もっとまけてよ。」とかの声も穏やかな平遥の人たち。 -
平遥古城の東側、城隍廟街にある天主堂近くの路上。
床屋さんの前で自転車点検する人の向こうに天主堂の塔が顔を覗かせる。
97年に平遥に来た時にもこの天主堂は城壁の上から目にしたけど、中へは行っていなかった。
入れるかな、行ってみようっと。 -
平遥古城の東側、城隍廟街にある天主堂。
扉が閉まってるけど、開けられる? -
扉を押してみたら入れた天主堂内部。
祭壇のキリストの絵の両側には、民家の入り口に貼る春聨と同じようなスタイルの赤い紙が…。(◎o◎)! とても中国チックな祭壇。
さすがに書いてあるのは、春節(旧暦の新年)にあたってのめでたい文句ではなく、キリスト教の言葉でした。(^^ゞ -
イチオシ
城隍街の天主堂近くには、城隍廟(町の守り神を祀る廟)や文廟(孔子を祀った廟)もあって、ちょっと不思議な町並み。
天主堂や城隍廟、文廟も、この旅行記の始めに出しておいた平遥地図の南東角近くに名前が出ています。
平遥の文廟前には立派な九龍壁があって、この時には撮影用観光人力車のおじさんがお仕事中。
九龍壁というのは、邪気が門内に入るのを防ぐ照壁の一種で、その名の通り、九匹の龍が勇壮に描かれています。
中国に現存する九龍壁は、北京と大同にある合計三つだけらしいのに、なんで平遥にもあるの?
近年の作なんだろうか?(・・? -
黒いレンガ造りの平遥の四合院。
屋根の合わせ目には、家を火から守る魚の形をした懸魚(げぎょ)と呼ばれる板が下がっているのをよく見ますが、この画像のお宅ではその懸魚(げぎょ)もすっかり装飾化された感じ。
それともこれは懸魚(げぎょ)とは別の装飾? -
平遥古城内にはチケット料金には含まれていない見所もあります。
料金には含まれていない見所のほとんどがかつての平遥の名士の邸宅で、○○故居、○○宅、○○旧居などと名が出ています。これは古城内に広く分布しているので、全部徒歩で見て回るのは大変そう。自分の歩くルートに合わせていくつか選ぶのがいいかもです。
表の戸口脇の壁に名前が彫られたプレートが出ているのですが、見落としやすいのでご注意を。
一軒一軒の規模は晋商の大院とは違って、普通の民家よりちょっと大きい程度。
今も実際に子孫の方たちが住んでいたりするので、プライベートな場所には立ち入らないように気をつけましょう。
チケットに含まれる見所は入っていないので、見学料金は別途支払い。
SUR SHANGHAIは、東の城壁近くにある仁義街の王宅と、倉巷にある王藎廷旧居に行ってみました。
この画像の王藎廷旧居の見学料金は10元でした。 -
東の城壁近くの倉巷にある王藎廷旧居。このお宅は平遥の町並み写真を使ったカレンダーのモデルにもなったようです。
この時には説明を付けてくれる方が在宅だったので、建物内外の説明もしていただきました。
その方によると、この画像に写っている1階部分の絵模様付きの窓ガラスは清代の作ということ。この絵模様はガラスを擦って描かれたもので、壊してしまったらもう直せるあては無いとのことでした。
よく文化大革命の時代を生き延びたなあと思う。
うっかり壊してしまいそうで、SUR SHANGHAIはちょっと離れた所からパチリ。 -
東の城壁近くの倉巷にある王藎廷旧居。
上段の画像は、2階の部屋のガラス窓。
軒の影になっているので、ガラスを擦って描かれた絵が闇の中に浮き上がっているように見えて風流。
まるでギャラリーのよう。
下段の画像は、寝室の壁の装飾。
これは物語を順に場面を追って描いたもの? 壁一面に絵巻物を広げたような感じになっています。 -
東の城壁近くの倉巷にある王藎廷旧居。
SUR SHANGHAIのような通りすがりは、古い街並みは残しておいて欲しいと願っても、こういう四合院はこれからは維持していくのが難しくなるんだろうな。
世界遺産に指定された平遥の町並みも、一軒一軒の建物の保護・保存が基本。
何か保護対策は採られているんだろうかと思う。 -
また歩き始めた平遥古城内の道。
このおじいちゃん(と言ったら失礼ですね。(~_~;))は、昔はいなせでクールなおにいちゃんだったに違いない。
その片肌脱いだ上着と脚の組み方が昔を物語ってますよ〜。(^^♪
その後ろの壁を見ると、 あ! ここにも泰山石敢当が。
鬼のような顔がついた縦長の石敢当が、壁に埋め込まれたようになってこの三叉路を守ってます。 -
このお宅では、最近結婚のおめでたい出来事があったらしい。
普通なら≪喜≫を二つ並べた≪喜喜≫と言う字でそれを表すのに、ここでは≪雙≫や≪双≫と同じ意味の字と≪喜≫を組み合わせて一文字のように書いてある。
複数の漢字を組み合わせて一文字のように書いた創作漢字(?)は、他にもたくさん。
よく見かけるのは、≪招財進寶≫の四文字を組み合わせて一文字のようにしたもの。春節(旧暦の新年)の頃、赤くて四角い紙に書かれたものがよく民家の戸口に貼られます。 -
平遥は、古城内の四合院の町並みが美しいだけではありません。
明代から清代末期まで晋商たちが金融業で栄えた町なので、今に残された建物にその栄華の名残を残しています。
平遥古城の中心部には、金融業を営んでいた晋商の票号(近代以前の金融機関)の建物も多数あって、今はミニ博物館として公開されています。
その中でも、この日昇昌は中国初の個人の金融機関として1824年に建てられた票号で、為替、両替、預金、融資を行っていたんだそうです。
その後、1923年に倒産するまで、100年もこの平遥で栄華を極めていたと言うその建物内部は、この旅行記の始めの方でご紹介したチケットで見学可。この画像で見えている入り口でも売られていました。
日昇昌は、観光客なら誰でも通る西大街(南大街との角近く)にあって、見学者が多数出入りしているのですぐに分かります。 -
1997年に初めて平遥に来た時にもすでにミニ博物館として公開されていた日昇昌内部の展示の一部。
あの時には整備されていなくて、失礼ながら埃まみれの乱雑な家にしか見えなかった思い出が。(^^ゞ
2008年の今回は、さすがに整理整頓掃除もされた内部を見ることが出来ました。
家屋の奥行きは外観から想像するよりもずいぶんあって、部屋が次々に続いています。
古びて汚れたように見えるのは仕方ないですね。
これはオンドル式になった部屋の一つで、ジャングイと呼ばれるマネージャーの一人の部屋だったと思います。
ここでロウソクやランプの光に照らされながら、算盤を弾いてその日の売り上げを点検していたんだろうなあ。 -
明・清代の金融機関だった票号内部の展示品。
上段の画像は、纏足の女性が横たわってこちらを見ている絵。
何となく日本の浮世絵の女性にも共通する雰囲気があるけど、大きく胸元を開けたその様子は、ちょっと一般の女性とは思えない。
あとは清代らしき装束の男性がクラシックな車に乗っていたり、屋内で腰掛けている様子。
どれにも説明がついていないのが残念。
平遥が晋商たちで賑わっていた頃の風俗と人々の様子なのかも。 -
明・清代の金融機関だった票号には、貨幣博物館的なコーナーもあった。
付いている説明は、国名、首都名、通貨名、面積、人口のほか、なぜか初めてオリンピックに参加した時の西暦。
この画像に写っているのは、奥がホンジュラスの1レンピラ札。
ホンジュラスは中央アメリカにある国と言うのは分かっていたけど、首都名、通貨名は知らなかったSUR SHANGHAI。
首都名はテグシガルパ、通貨名はレンピラだとお勉強させていただきました、ありがたや〜。m(__)m
手前の通貨は、そこに描かれた人物像で一目瞭然のイラクの5イラク・ディナール札。
ここでサダム・フセイン氏にお会いできるとは。 -
平遥古城内の西大街、東大街、南大街が交わるあたりは、古城内の地理的な中心であるのと同時に、明・清時代には当時の金融機関の票号や、運送業・警備業・保険業を営んでいた鏢局が数多く置かれて、経済の衷心でもあった場所。
古城内の地図をチラッと見ただけでも、西大街には日昇昌以外にもお隣の蔚泰厚票号、東大街には華北第一鏢局、南大街には協同慶票号、中国鏢局、同興公鏢局などと目白押し。日昇昌と同じように、古城内見所チケットで見学可。
画像はどの鏢局だったのか覚えていませんが、当時の威勢を感じさせてくれる飾り付け。右上と右下の画像は、裏庭にある武道場。
用心棒の鍛錬の場も開いていたらしい。
武道がテーマの中国映画に出てくる武器がリアルに並んでいるので、映画の中の練習や格闘場面も目に浮かんできます。 -
軒下の鏢の字だけに日が当たって、強烈な印象。
昔の繁栄の残り火のようだね。 -
イチオシ
また歩き始める平遥古城内。
道端では中国将棋を打つ人、それを観戦する人がいるのは平遥も同じ。
あれ? 勝負途中の駒を置きっぱなしで、どこへ行ったんだろ。
じゃ、SUR SHANGHAIが駒を動かして…おきませんので、ご安心を。 -
これは、道教寺院の清虚観を守る門神の一体。
清虚観は、東大街の東の外れ、平遥古城の東側の城壁に造られた親翰門(下東門)近くにあるので、町歩きのお時間がある方はちょっと寄ってみては?
ここも古城見学チケットで見学可。
境内には元代の建築と言う龍虎殿のほか、純陽宮などと並んでいて、結構奥行きがありました。平遥の文物を展示するコーナーもありましたよ。 -
あ、このお宅にも端午節のヨモギの一茎が差してある。
端午節は戦国時代に生きた屈原という人物を記念するための日。
そのストーリーと同時に、旧暦の5月5日頃からは悪疫が流行りやすくなるので、体内の毒素を取り除く作用のあるヨモギと、不祥を払うショウブの葉を門口に飾るようになったんだそうです。
あとで、粽も買って食べようっと。 -
イチオシ
こちらの道端では、中国将棋の勝負が進行中。
打つ人、見る人、それぞれに真剣。 -
道端に店開きしていた粽屋さん発見。
一個が掌サイズで2元。入れ物が二つ出ているので、二種類の粽が売られているのかと思ったらナツメ入りの粽だけ。
笹の葉を剥いてもらってビニール袋に入れてもらうと、手が粘々にならずに食べられて○。
ほんのり甘いナツメ入りは種付きなので、歯にご用心。 -
平遥のあとは列車で南下して河南省の洛陽か鄭州にも寄ろうと思っていたSUR SHANGHAIは、平遥の列車駅へ行ってチェック。
画像の建物が平遥の列車駅。世界遺産で有名になった平遥ですが、交通の要所ではないので駅は可愛いサイズ。この旅行記の始めに出した地図では、古城外の左端に出ています。
この旅行の08年6月上旬時点ではバスも列車も一旦山西省の省都太原に出ないと他省の都市への長距離移動は不便なのが分かりました。
これは平遥が幹線交通網から外れた位置にあるからで、試しに列車駅で聞いてみたところ、この時は河南省洛陽に寄る列車は真夜中に1本あるだけ、バスだと河南省方面の長距離路線は1本も無く、近郊路線を乗り継いで行かなければならないようでした。
その後どう変わったかまでは分かりませんが、この08年6月上旬時点では、平遥から他省への長距離移動は一旦太原に行ってからがいいと地元の人も言っていました。 -
これは、平遥から各地への列車時刻表。上述したように行き先も本数も極端に少ないのが一目瞭然。
●注: これは08年6月現在の情報ですが、参考にしてみたい方は画像をクリックして元画像で見てみると大きく表示されて数字なども読み取れるようになります。 -
ん〜、列車も長距離バスも他省へ行くには不便だった08年6月。
じゃ、平遥の後の段取りはまた考えることにして、町歩き続行。
そんな道筋で見つけたのは、万屋さん的なお店。
なんか懐かしい店構えだあ。(*^。^*)
この後もSUR SHANGHAIは平遥の町を歩くので、次編では平遥のもう一つの宿と夕暮れの様子をご紹介しようと思います。
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