2008/06/06 - 2008/06/06
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SUR SHANGHAIさん
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山西省の省都太原から古都平遥に向う途中、周辺に数多い晋商の豪邸のいくつかを見てみようと決めていたSUR SHANGHAI。
この日は、タクシーを雇って太原から晋中市車輞村の常家大院−太谷県北洸村の曹家大院(三多堂)−祁県喬家堡村の喬家大院−祁県の町なかにある渠家大院を回り平遥へ。
前編では、常家大院をご紹介したので、この編ではお次の曹家大院(三多堂)をご紹介します。
晋商と言うのは、山西省の晋中平原において明・清時代に栄えた豪商たちのこと。豪商の姓を取って○家大院と称される豪邸が数多く残っていて、一般に公開されているものもあります。
注: 晋というのは山西省の別称。
表紙の画像は、曹家大院(三多堂)の甍の波。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
山西省省都の太原から世界遺産にも登録された古都平遥周辺にかけては大院と呼ばれる晋商の豪邸がいくつもあるので、どれか寄ってみるといいと思います。
太原⇔平遥の日帰りバスツアーでは、途中にある喬家大院へ寄るケースが多いようです。これは、喬家大院が見学にちょうどいい大きさと言うほかに、鞏俐(コン・リー)主演の映画『大紅灯籠高高掛(邦題は『紅夢』)』のロケが行なわれたからという理由なのでは。
ちなみに太原−喬家大院−平遥−太原の日帰りコースをタクシーで頼むと、08年6月上旬では往復で400元(通行料金、駐車料金含む)が相場の言い値のようでした。
SUR SHANGHAIは太原から晋中市車輞村の常家大院−太谷県北洸村の曹家大院(三多堂)−祁県喬家堡村の喬家大院−祁県の町なかにある渠家大院を回り平遥に行くべく、タクシーを雇ってみました。
通行料金、駐車料金、それに運転手さんへのチップも含めて450元の支払い。
最初に行った常家大院の規模が思いがけず広大で一通り見て回ると2〜3時間かかるほどだったので、上記のプランだと見学場所が多すぎたと反省。
個人的感想では、見学するのは規模の大きい常家大院と、鞏俐(コン・リー)の映画で有名な喬家大院にして、太原から平遥までのタクシー料金を交渉してみるといいのではないかと思います。
この編では、常家大院の次に訪れた曹家大院(三多堂)をご紹介します。
曹家大院(三多堂)の所在地は太谷県北洸村
晋中市車輞村の常家大院から車だと40分ほど。チケット35元。
この画像は、曹家大院(三多堂)の敷地内見取り図。右手に黄色い丸を付けた所が見学用の出入り口。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
常家大院に比べると敷地の総面積はずっと小さいですが、それでも1万?を超える広さで家屋の部屋数は277だそうです。
壁に囲まれた内部は規則的に区分けされていて歩きやすいのがよし。今では博物館にもなっているので、家具やその他の文物の展示がされています。
SUR SHANGHAIは、一通り見て回るのに1時間かかりました。
中国語でのガイドさんもチケット代のほかに+30元で頼めるようなので、説明を聞いてみたい方はどうぞ。 -
これが、曹家大院(三多堂)の入り口。
畑の真っ只中にあった常家大院と違って、周りは普通の民家が多数。
曹家大院(三多堂)は、常家大院の城壁のような入り口と比べるとずっと小ぶりなのでホッと一安心。
チケット売り場は、この画像だと入り口のすぐ左手にありました。
曹家大院の別名≪三多堂≫は、≪多福、多寿、多子≫の三つを表わしているのだそう。
曹氏の始祖は太原の晋祠花塔村の出身で土鍋を売るのが生業だったようです。
明代になって今の太谷県北洸村に移ってからは農業に従事していたのだそうですが、14代目になって晋商となり、清の時代に至って繁栄を極めた一族なんだそうです。
晋商というのは、山西省の晋中平原において明・清時代に栄えた豪商たちのこと。豪商の姓を取って○家大院と称される豪邸が数多く残っています。
注: 晋というのは山西省の別称。 -
曹家大院(三多堂)の入り口から敷地内に入ると甬道と呼ばれる通路が奥まで一本通っていますが、これも常家大院の突き当りが見えないくらいの奥行きと広さではないので歩きやすかったと思います。
ずらりと並ぶ邸宅は、今では博物館となって曹家に伝わる家具類や文物が多数並んでいます。
内部の展示品の撮影OK。 -
これは、曹家大院(三多堂)敷地内にある帳房。日本語で言うと帳場で、カウンターのようにしつらえた仕切りの奥に金塊・銀塊の模型や箪笥が並んでいます。
上の方に出した曹家大院(三多堂)の敷地内見取り図だと、右下の方に帳房が出ています。
往時にはここに金銀が運び込まれたり、会計係の人たちが忙しく算盤をはじいていたんだろうな、と想像してみたSUR SHANGHAI。 -
曹家大院(三多堂)の敷地奥の方には葯房、兵器房、書房と呼ばれる建物が集まった一角もありました。
上の方に出した見取り図だと、左下の方に出ています。
画像左の葯房は、漢方薬の調合をする場所で、薬剤を入れる引き出しがたくさん付いた薬箪笥や壺がずらり。
こんな薬箪笥も、上海あたりの骨董家具屋さんでは古民家から買い取ったあとリフォームして、結構いい値で売っています。サイズや材質にもよりますが、ここに見えている大木さのものは三千元位からのお値段。
画像右上は書房。
邸内の子弟に教育を授けた教室だったんじゃないかなといった感じで、片隅には孔子を描いた掛け軸や『學而不厭』の字が入った額もありました。
画像右下は兵器房。
賊が侵入してきた時に使うらしい武器がいろいろ。現代から見るとずいぶんレトロな造りの剣や槍の類が並んでいます。 -
最初に行った常家大院ほどの規模は無いと言っても、開け放った扉の奥にはまた別の邸宅も続いて見えている曹家大院(三多堂)敷地内。
ここに一族が住んでいた時には、日々人々の声や気配で満ちていたはず。
今は、建物と調度品が往時の栄華を偲ぶよすが。 -
曹家大院(三多堂)の裏手の庭の手前には神祖閣と名付けられた建物もあった。
曹家の先祖を祀ってあるのかな?と覗いてみると、開け放った戸の向こうには裏庭との間に立てられた照壁が見えた。
照壁というのは、外から入り込もうとする邪気を防ぐために門の外側に作られる屏風のような壁。
この画像だとよく見えませんが、曹家大院の庭に作られた照壁には大きく≪福≫の字が出ていて、≪出門見福(門の外に出て福に出会う)≫という幸福を願う象徴になっています。
山西省以外でも、戸口から出た目の前の壁に≪福≫の字が出ている古民家はよく見られます。注意して見てくださいね。 -
曹家大院(三多堂)の裏手の庭はどんな感じ?と行ってみたら、塀に囲まれた荒れた空き地のような風情。
常家大院の整備された大庭園とは全く趣の違っていて拍子抜け。
その庭には、この画像のように地下へ通じる通路が。
???(・・? 戦時中に造られた地下壕、なのかな?
内部は公開されていたので入って行ってみると…、 -
…なんと地下厨房だった。(◎o◎)!
上の方に出した曹家大院(三多堂)敷地見取り図の左手にも出ています。
今は作り付けの竈や台以外は取り払われてがらんどうだけど、ずいぶん広い。出ていた説明によると、これは1904年に造られたもので、300?もの広さ。
昔はここで曹家一族の食事を調理をしていたのか。
通路は煙出しと換気口を兼ねたトンネル状になっているので、地上には二つの出入り口がありました。 -
これは、曹家大院(三多堂)の地下厨房出入り口の戸に付いていた取っ手だったかな。
素朴な作りの金具がいい感じ。 -
曹家大院(三多堂)の荒れた庭。
昔はきちんとした庭だったのかも?
画像右手に見えている白い屏風のような壁は、邸宅の中に入り込もうとする邪気を払うための照壁。
向こう側には≪福≫の字が大きく出ています。
奥に見えている背の高い建物は珍寶楼。
そこへは後で行ってみようと思います。
あれ? 地下厨房とは別の出入り口もある。
これは何かな? と入って行くと…、 -
…ここは酒窖と呼ばれる酒の保管庫だった。
気温が安定している地下に造ったんだろうか。
今では、空っぽになった棚と壺だけが並んでますよ、念のため。(^○^)
酒蔵だと地下に造った理由も納得できるけど、曹家大院(三多堂)ではどうして厨房も地下に造ったのかな、不思議。 -
イチオシ
曹家大院(三多堂)の荒れた庭の片隅には、瓦を積んで壁を造った物置小屋のような建物が。
その壁が青海波(せいがいは)のような連続模様を見せている。
そして、その壁の下には…、おじいさんが一人横になってお昼寝中。
わざわざチケットを買ってここまで来るような人には見えないけど、管理人さん? それとも曹家の末裔のおじいさんなんだろうか。
平和な寝息を立てているおじいさん。 -
おじいちゃん、ゆっくり休んでね。
SUR SHANGHAIはここでまた曹家大院(三多堂)内部を見学してみます。 -
曹家大院(三多堂)も、あんまり見学客が来ないあたりは埃のベールをかぶって灰色に見える。
それでも、地色の鮮やかな赤や緑が感じ取れる建物も混じる一画。
屋内に置かれた丸い鏡が、暗闇に浮かぶ満月のよう。
ミステリアス。 -
曹家の歴史を展示している棟には、1894年に始まった中日甲午戦争時にも触れてありました。
大連にあった曹家の分店が日本軍によって略奪されたり、その他の被害を合わせると、この戦争中の曹家の被害額は白銀百万両あまりに上ったそうです。
知らないところで、晋商の曹家と日本とは歴史上の接点があったのを知ったSUR SHANGHAI。
●注: 上記の中日甲午戦争というのは、日本語だと日清戦争のこと。 -
上の方でも言いましたが、曹氏の始祖は太原の晋祠花塔村の出身者で、土鍋を売るのが生業だったようです。
明代になって今の太谷県北洸村に移ってからは農業に従事していたのだそうですが、14代目になって晋商となり、清の時代に至って繁栄を極めた一族なんだそうです。
清の乾隆以降の絶頂期には、金融業、醸造業、その他の業種も手広く扱って、取引先も東は日本、西はイギリスまで広げていたのだそう。
そのせいなのか、曹家大院(三多堂)には、洋風を折衷した感じの建物もいくつかありました。
これはそのうちの一つ珍寶楼。
上の方に出した層家大院の見取り図だと左上の方に出ています。
曹家に伝わる文物を展示してあるのですが、展示方法が古くて掃除も行き届いていないのでがっかり。 -
曹家大院(三多院)の珍寶楼のホールだったかな。
ホールの右手と左手に丸い大きい鏡があるので、建物全体が無限に続く回廊のようになって見える。
あれ? 合わせ鏡が不吉っていうのは日本だけだったっけ?
合わせ鏡で出来た虚構の建物の中に不意に引き込まれてしまいそうでちょっと怖い。 -
曹家大院(三多堂)のお隣にあるのは繍楼。これも洋風を折衷した造り。
上の方に出した曹家大院の見取り図の左上の方に出ています。
繍楼の中にも曹家に伝わる文物が展示されているんですが、周辺の建物をまず見てみると…、 -
…観音開きになった扉の左右に年画と呼ばれる一対の絵が貼ってあった。
年画は、日本で言うと家内安全のお札のようなもので、邪気避け+福を呼び込む神様の絵柄がポピュラーですが、これまでに見かけた物の中には戦車や人民解放軍の絵柄の物もありました。
元々は版画だったらしいのですが、これは復古調の色柄の印刷品。 -
山西省でよく見かける形の防火用のバケツ。
97年に初めて山西省で見かけた時には、とても新鮮だった。
縦半分に切った形なので、狭いスペースにも置けるようになってます。 -
曹家大院(三多堂)の繍楼内部。
これは、笹の葉模様を透かし彫りにした屏風だったかな。
ほの暗い内部に現れた竹林のシルエットが涼しげ。 -
曹家大院(三多堂)の繍楼内部は上階も見学可。
内部には曹家の人々が使っていたらしい調度品が展示されていました。
これは寝室だったらしい部屋。
見事な細工を施した木製ベッドは、分解可能になっています。
その前で琴の音を楽しむ様子を再現した人形は、『紅楼夢』の物語のよう。
し〜んと静まり返った建物のこんな展示を見ている時に、管理のおばさんが物陰からすう〜っと出て来るとドキッ。
心臓に悪い…。(@_@;) -
イチオシ
曹家大院(三多堂)の繍楼上階から見た曹家大院敷地内の建物群。
レンガ造りの建物と屋根瓦が黒々と連なる様子はちょっとした町角のよう。
下だけを歩いていると気付かない眺め。 -
曹家大院(三多堂)の階下へ下りる途中で見下ろした階下の調度。
ここは女性用の部屋だったのかな。
鏡台とその前に置かれた椅子が西洋伝来のデザイン。
西は遠くイギリスまで手広く交易していたという曹家にとっては、これらの品々もたやすく取り寄せることが出来たに違いない。 -
門の奥にまた別の邸宅の門が見える曹家大院(三多堂)。
ここに一族の人々が住んでいた時には、どんな人間模様が描き出されていただろう。 -
これは、曹家大院(三多堂)の望月楼。
やはり上の方に出した敷地見取り図の上の方に出ている洋風を折衷した造りの建物。
屋上には、ここで中秋節(旧暦の8月15日)に月を愛でたのではといった感じの建物も見えています。
その屋上には上れるようなので、行ってみようと思います。 -
曹家大院(三多堂)の望月楼屋上への階段には、小心地滑クンの親戚の小心碰頭クンと小心楼梯クンが住んでいた。
小心地滑クンは、滑る床面に注意を呼びかける役目を持っている小心一族の頭的存在。
小心碰頭クンは、頭をぶつけないように注意を呼びかける役目、小心楼梯クンは階段に注意するように呼びかける役目を持っています。 -
曹家大院(三多堂)の望月楼から見下ろした太谷県北洸村。
これは、曹家大院北側の敷地外。
こうして見ると、曹家大院のほかにも規模の大きい邸宅があったように見えますが、建物も庭らしき場所もすっかり荒れてている感じ。 -
曹家大院(三多堂)の望月楼から見下ろした太谷県北洸村。
これは、曹家大院(三多堂)東側の敷地外。
赤地に白く≪曹家大院歓迎≫と塀に書かれている場所は外来見学者用の駐車場。
SUR SHANGHAIが雇ったタクシーの運転手さんもここに停めていました。
こうして眺める現代の太谷県北洸村は簡素な農家が並んでいるだけのよう。
もう少し方向を変えて見てみると…、 -
…曹家大院(三多堂)の望月楼から見下ろした南側の敷地内と太谷県北洸村遠景。
この画像左手に、小さいへの字になって見える屋根が曹家大院の入り口。
中央に見える大きい建物には、曹家一族が清代に使用した嫁入りの輿などが展示されています。
遠くに見える北洸村は、高い鉄塔が1本見える以外はひたすら平らで鄙びた風情。 -
曹家大院(三多堂)の望月楼の丸窓を通してから見た太谷県北洸村。
これは西側だったかな。
遠くに見えるのは、新しく建てられた学校?
そこだけが真新しく見える。
曹家の栄華が過ぎ去った北洸村はひっそりとした風情。 -
望月楼から下りて、曹家大院(三多堂)の一族が清代に使っていた乗り物の展示がある建物も見学。
嫁入り用らしいこの乗り物は、駕籠と言ったほうがいいのか輿と言ったほうがいいのか迷う形。
この中に赤い衣装に包まれた花嫁が乗せられてきたんだろうな。
これまでに見た中国映画の赤い嫁入り風景を思い出す。 -
こちらは、日本で言うと平安時代の牛車という風情。
祭り見物の場所取り争いで葵の上に負けた六条御息所の車を連想させる。 -
曹家大院(三多堂)の歴史に関する展示を見て回っているうちに、興味深い穴を見つけたSUR SHANGHAI。
上の方に出した見取り図ではどの建物だったのか忘れてしまったのですが、屋内に井戸のように掘られた穴があって、説明も出ていました。
その説明によると、画像に見えているこの穴には不思議な言い伝えが残されていて…、 -
…遠くヨーロッパとも交易や金融業をも営んでいた曹家大院(三多堂)には大量の銀塊も運ばれて来ていたのに、それが出て行く気配が無いので、曹家には銀を隠す洞穴があると言われたのがまず一つ。
もう一つは、日中戦争が起こった1937年の11月7日に日本軍がこの太谷県北洸村に侵攻して来た時、曹家大院の住民数百人が門を出た気配も無いのに一夜で忽然と姿を消したので、25華里離れた曹家の別荘善山荘へ通じる秘密の道があるのでは、とも言われたのだそう。
注:1華里=0.5km
2006年になってから古老の手引きで県の文物旅游局の監督の下発掘してみたところ、この井戸状の穴が発見されたとのこと。
この穴には≪銀窖≫という名が付けられていましたが、銀を隠すための洞窟だったのか、善山荘への秘密の地下道だったのかはまだ分かっていないんだそうです。 -
上記のような秘密めいた言い伝えを知った後で振り返ると、曹家大院(三多堂)の奥行きが一層深くなったかのような錯覚。
一時は全盛を迎えた一族の亡魂の目があちこちからSUR SHANGHAIに向けられているようで背筋がゾクリ。
古い家って不思議な力があると思う。 -
曹家大院(三多堂)を出てきて、現代の生きた人々の生活の息吹を感じるとホッと一息。
不思議な言い伝えを内に秘めた大院だったな。 -
曹家大院前のお店で買ってみたこのあたりの名物お菓子2種。
左手の朱色のパッケージに入っているのは太谷餅。
見かけは掌に乗るくらいの厚ぼったいクッキーといった感じ。
キャッチフレーズに≪晋商食文化之見証≫なんてちょっとおおげさな文句が入ってます。
食感とお味のほうは、日本で言うと昔あった甘食というお菓子に似た感じ。
口当たりはちょっとボサボサしてますが、懐かしい甘みがありました。お茶請けにぴったり。
4枚入って6元くらいでした。見かけた方はお試ししてみては?
右手の石頭餅というお菓子については次編の喬家大院編でご紹介することにして、SUR SHANGHAIはタクシーの運転手さんにお次の喬家大院と渠家大院へと向ってもらいます。
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