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世界遺産の二条城紹介です。徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われた場所です。江戸幕府の始まりと終焉の場所となりました。<br />17世紀初めの創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の五重天守として描かれています。寛永時代に造られた天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守でしたが、落雷で焼失し、今日まで再建されることはありませんでした。

2009秋、日本百名城・二条城(1/6):二の丸御殿、大手門、古井戸、二の丸庭園

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2009/11/08 - 2009/11/08

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旅行記グループ 2009秋、京都散策(その2)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

世界遺産の二条城紹介です。徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われた場所です。江戸幕府の始まりと終焉の場所となりました。
17世紀初めの創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の五重天守として描かれています。寛永時代に造られた天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守でしたが、落雷で焼失し、今日まで再建されることはありませんでした。

交通手段
高速・路線バス 新幹線
  • 西本願寺の次に訪れたのは、同じく世界遺産の二条城です。バスで10分ほどで二条城に到着しました。

    西本願寺の次に訪れたのは、同じく世界遺産の二条城です。バスで10分ほどで二条城に到着しました。

  • 入口近くの標識です。右の石碑には、旧二城利休、<br />左の立札には、文部省の名前で、国宝・二条城の施設一覧が記されています。

    入口近くの標識です。右の石碑には、旧二城利休、
    左の立札には、文部省の名前で、国宝・二条城の施設一覧が記されています。

  • 二条城入口の大手門の扉です。鉄の鎧を纏ったような扉の光景です。廟の数だけでも大変なものです。こちらが外側です。

    二条城入口の大手門の扉です。鉄の鎧を纏ったような扉の光景です。廟の数だけでも大変なものです。こちらが外側です。

  • 二条城大手門の扉の内側の光景です。内側も鎧を纏うように、頑丈な造りになっていました。

    イチオシ

    二条城大手門の扉の内側の光景です。内側も鎧を纏うように、頑丈な造りになっていました。

  • 門の内側からの光景です。頑丈な太い柱の下部には、青銅製の金具が付いていました。

    門の内側からの光景です。頑丈な太い柱の下部には、青銅製の金具が付いていました。

  • 同じ柱の上部の光景です。斜めになった柱で、三角形を作り、補強がされていました。

    同じ柱の上部の光景です。斜めになった柱で、三角形を作り、補強がされていました。

  • 二条城が世界遺産に指定されたことを示す書状です。右が文化庁の名前での日本語の書状、左が英文の書状です。

    二条城が世界遺産に指定されたことを示す書状です。右が文化庁の名前での日本語の書状、左が英文の書状です。

  • 門構えの光景おW目にした後の安らぎの光景です。傘の用に仕立てられた大菊の花の色は、一色ではなく、カラフルでした。

    門構えの光景おW目にした後の安らぎの光景です。傘の用に仕立てられた大菊の花の色は、一色ではなく、カラフルでした。

  • 現在の二条城の建物の一部です。創建は徳川家康による慶長8年(1603年)とされますが、現在は天守は現存していません。

    現在の二条城の建物の一部です。創建は徳川家康による慶長8年(1603年)とされますが、現在は天守は現存していません。

  • 慶長19年(?614年)、大坂の役が勃発した時、秀忠に将軍職を譲り大御所となっていた徳川家康は、二条城を本営として、伏見城を出発した秀忠の軍と合流しています。大手門に入場して左手の屋根の眺めです。

    慶長19年(?614年)、大坂の役が勃発した時、秀忠に将軍職を譲り大御所となっていた徳川家康は、二条城を本営として、伏見城を出発した秀忠の軍と合流しています。大手門に入場して左手の屋根の眺めです。

  • 大手門の内側からの光景です。地図で見ますと、御所の敷地に比べ、二条城はかなり狭い敷地です。これに対し徳川家康は、『一日二日も持ちこたえれば、周辺から援軍が来る』『万が一この城が敵の手に落ちたら、堅城だと取り返すのに手間がかかる』と部下に答えたとされます。

    大手門の内側からの光景です。地図で見ますと、御所の敷地に比べ、二条城はかなり狭い敷地です。これに対し徳川家康は、『一日二日も持ちこたえれば、周辺から援軍が来る』『万が一この城が敵の手に落ちたら、堅城だと取り返すのに手間がかかる』と部下に答えたとされます。

  • 大手門に入場して右手の屋根の眺めです。二条城の創建当時、幕府は二条城と称しましたが、朝廷側はこれを二条亭と呼んでいたとされます。

    大手門に入場して右手の屋根の眺めです。二条城の創建当時、幕府は二条城と称しましたが、朝廷側はこれを二条亭と呼んでいたとされます。

  • 二の丸庭園を見学する前に、右手に折れて、逆コースで少し見学しました。その時の紹介です。

    二の丸庭園を見学する前に、右手に折れて、逆コースで少し見学しました。その時の紹介です。

  • 天守は現存していませんが、堅牢なお城作りの建物が健在でした。

    天守は現存していませんが、堅牢なお城作りの建物が健在でした。

  • 脇道の光景です。門を潜った先にお土産屋さんがありました、お城見学の後で立ち寄りました。

    脇道の光景です。門を潜った先にお土産屋さんがありました、お城見学の後で立ち寄りました。

  • これから先は完全に逆コースです。紅葉に釣られて歩みを進めてしまいました。

    これから先は完全に逆コースです。紅葉に釣られて歩みを進めてしまいました。

  • 逆コースで歩いていた時の撮影です。二の丸御殿の建物の一部でしょうか。

    逆コースで歩いていた時の撮影です。二の丸御殿の建物の一部でしょうか。

  • この場所も逆コースで歩いていた時の撮影です。二の丸御殿の東側に当たります。

    この場所も逆コースで歩いていた時の撮影です。二の丸御殿の東側に当たります。

  • お土産屋さんがあったコーナーです。逆コースで一部歩いたため、この場所には二回訪れました。

    お土産屋さんがあったコーナーです。逆コースで一部歩いたため、この場所には二回訪れました。

  • 途中、逆コースで歩きましたが、もう一度二の丸御殿前まで戻り、順コースで見学することにしました。その途中での撮影です。

    途中、逆コースで歩きましたが、もう一度二の丸御殿前まで戻り、順コースで見学することにしました。その途中での撮影です。

  • 二の丸御殿の前庭に戻ってきました。その一角にあった古井戸です。謂われを書いた立札などはありませんでした。戦略上には重要な施設だったことでしょう。

    二の丸御殿の前庭に戻ってきました。その一角にあった古井戸です。謂われを書いた立札などはありませんでした。戦略上には重要な施設だったことでしょう。

  • 唐風の造りも取り入れた二の丸御殿の玄関の光景です。徳川時代の初めと終わりを告げる、歴史の場所ともなった建物です。

    イチオシ

    唐風の造りも取り入れた二の丸御殿の玄関の光景です。徳川時代の初めと終わりを告げる、歴史の場所ともなった建物です。

  • 二の丸御殿の玄関付近の光景です。特別公開が行われていましたので、庭園見学の後に見学しました。御殿内は、延450mのコースでした。

    二の丸御殿の玄関付近の光景です。特別公開が行われていましたので、庭園見学の後に見学しました。御殿内は、延450mのコースでした。

  • 二の丸御殿の玄関上の光景です。徳川家の威信をかけたような豪華な造りです。

    イチオシ

    二の丸御殿の玄関上の光景です。徳川家の威信をかけたような豪華な造りです。

  • 更にアップした透かし彫りの飾りです。鳳凰か孔雀か分かりませんが、極めて密度の濃い彫物です。

    更にアップした透かし彫りの飾りです。鳳凰か孔雀か分かりませんが、極めて密度の濃い彫物です。

  • 二の丸御殿の正門を右手に、その後ろに控える建物の光景です。徳川幕府の威光を今に伝えるような建物です。

    二の丸御殿の正門を右手に、その後ろに控える建物の光景です。徳川幕府の威光を今に伝えるような建物です。

  • 二の丸庭園の入口近くの光景です。二の丸御殿の左手に入口がありました。

    二の丸庭園の入口近くの光景です。二の丸御殿の左手に入口がありました。

  • 二の丸庭園の入口の右横にあった一対の鐘です。幕末の頃にも役割を果たしたことが記されていました。

    二の丸庭園の入口の右横にあった一対の鐘です。幕末の頃にも役割を果たしたことが記されていました。

  • 二の丸庭園の入口の右横にあった鐘のアップです。幕末の頃の役割とは、この鐘での二条城と北側の所司代との緊急連絡だったようです。

    二の丸庭園の入口の右横にあった鐘のアップです。幕末の頃の役割とは、この鐘での二条城と北側の所司代との緊急連絡だったようです。

  • 二の丸庭園の入口の門柱です。武骨なまでに大きな材木が使われていましたこれも徳川家の武家に威信を示すものでしょうか。腐食防止の青銅製の覆いがありました。

    二の丸庭園の入口の門柱です。武骨なまでに大きな材木が使われていましたこれも徳川家の武家に威信を示すものでしょうか。腐食防止の青銅製の覆いがありました。

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