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真宗大谷派の本山、東本願寺紹介の続きです。東本願寺は、江戸時代に4度の火災に遭い、主要な建物は明治期以降の物です。このため、国宝と、重要文化財に指定された建造物はありません。

2009秋、秋色の東本願寺(3/4):御影堂、御影堂門、素屋根、阿弥陀堂門、鐘楼、蓮の実

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2009/11/08 - 2009/11/08

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旅行記グループ 2009秋、京都散策(その2)

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旅人のくまさん

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真宗大谷派の本山、東本願寺紹介の続きです。東本願寺は、江戸時代に4度の火災に遭い、主要な建物は明治期以降の物です。このため、国宝と、重要文化財に指定された建造物はありません。

交通手段
新幹線

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  • 東本願寺の『御影堂門』の光景です。高さ約28メートルの入母屋造で、本瓦葺きの三門形式の二重門です。非公開の上層には、釈迦如来坐像を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩立像、左側に阿難尊者立像の三尊が安置されています。

    東本願寺の『御影堂門』の光景です。高さ約28メートルの入母屋造で、本瓦葺きの三門形式の二重門です。非公開の上層には、釈迦如来坐像を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩立像、左側に阿難尊者立像の三尊が安置されています。

  • 東本願寺の『御影堂門』の左後ろにその南側の建物の白い破風のズームアップ光景です。漆喰仕上げではなく、木製に白い塗装仕上げのように見えました。

    東本願寺の『御影堂門』の左後ろにその南側の建物の白い破風のズームアップ光景です。漆喰仕上げではなく、木製に白い塗装仕上げのように見えました。

  • 更にズームアップした、『御影堂門』の南側の建物の白い破風の光景です。大きめの火除けの『懸魚(けぎょ)』がありました。目の細かなネット越しに、破風のレリーフが見えていました。

    更にズームアップした、『御影堂門』の南側の建物の白い破風の光景です。大きめの火除けの『懸魚(けぎょ)』がありました。目の細かなネット越しに、破風のレリーフが見えていました。

  • 南西側から眺めた、『御影堂門』の全景です。平成25年(2013年)1月に修復工事が着工される予定です。明治44年(1911年)に再建された、国の登録有形文化財の建物です。

    南西側から眺めた、『御影堂門』の全景です。平成25年(2013年)1月に修復工事が着工される予定です。明治44年(1911年)に再建された、国の登録有形文化財の建物です。

  • 東本願寺の鐘楼の光景です。梵鐘は、慶長9年(1604年)の鋳造とされます。<br />(追記)400年振りに梵鐘が新調され、平成22年(2010)11月に撞き初め式が行われました。旧梵鐘は何度かの火災に遭い、年月も経って音が劣化していたようでした。旧梵鐘を踏襲した意匠の新しい鐘は、高さ2.7メートル、重さ4.5トンとされます。<br />

    東本願寺の鐘楼の光景です。梵鐘は、慶長9年(1604年)の鋳造とされます。
    (追記)400年振りに梵鐘が新調され、平成22年(2010)11月に撞き初め式が行われました。旧梵鐘は何度かの火災に遭い、年月も経って音が劣化していたようでした。旧梵鐘を踏襲した意匠の新しい鐘は、高さ2.7メートル、重さ4.5トンとされます。

  • 梵鐘の頭の部分も何とか撮影できました。ピント張った紐は、撞き棒を前後で支えているようでした。

    梵鐘の頭の部分も何とか撮影できました。ピント張った紐は、撞き棒を前後で支えているようでした。

  • 黄葉した色がはっきりと分かるようになっていた境内の樹木光景です。背丈が低い左側の庭木は常緑樹のようでしたが、夏とは違って、くすんだ緑色に見えました。

    黄葉した色がはっきりと分かるようになっていた境内の樹木光景です。背丈が低い左側の庭木は常緑樹のようでしたが、夏とは違って、くすんだ緑色に見えました。

  • 同じく東本願寺の境内光景です。こちらには剪定された常緑樹の光景がありました。まだ青々とした公孫樹の木のようでした。

    同じく東本願寺の境内光景です。こちらには剪定された常緑樹の光景がありました。まだ青々とした公孫樹の木のようでした。

  • 改修工事中の『阿弥陀堂』を覆っていた素屋根の建物光景です。先に北側の『御影堂』の改修工事に使用され、現在はレール上を移動されて『阿弥陀堂』の改修工事に使用されていました。

    改修工事中の『阿弥陀堂』を覆っていた素屋根の建物光景です。先に北側の『御影堂』の改修工事に使用され、現在はレール上を移動されて『阿弥陀堂』の改修工事に使用されていました。

  • 『阿弥陀堂門』の光景です。江戸時代中頃に、『唐門』の名称で創建されましたが、現在の『阿弥陀堂門』は、御影堂門と同じく明治44年(1911年)の再建です。

    『阿弥陀堂門』の光景です。江戸時代中頃に、『唐門』の名称で創建されましたが、現在の『阿弥陀堂門』は、御影堂門と同じく明治44年(1911年)の再建です。

  • 世界最大の木造建築とされる。東本願寺の『御影堂』の玄関付近の光景です。正面76メートル、側面58メートル、高さ38メートルの規模です。

    世界最大の木造建築とされる。東本願寺の『御影堂』の玄関付近の光景です。正面76メートル、側面58メートル、高さ38メートルの規模です。

  • 上に見えているのは、世界最大の敷地面積を持つとされる、『御影堂』の軒先光景です。その下の小さな建物にとまっていた鳩さんの光景です。

    上に見えているのは、世界最大の敷地面積を持つとされる、『御影堂』の軒先光景です。その下の小さな建物にとまっていた鳩さんの光景です。

  • 記憶が曖昧ですが、『御影堂門』の側面光景だったようです。上層に登る、かなり急な階段が見えていました。

    記憶が曖昧ですが、『御影堂門』の側面光景だったようです。上層に登る、かなり急な階段が見えていました。

  • 『御影堂門』の下から眺めた、真西に位置する『御影堂』の建物光景です。大きな『御影堂』の建物ですから、その一部だけです。

    『御影堂門』の下から眺めた、真西に位置する『御影堂』の建物光景です。大きな『御影堂』の建物ですから、その一部だけです。

  • 『御影堂門』の天井から吊り下げられていた、金属製の吊灯篭の光景です。

    『御影堂門』の天井から吊り下げられていた、金属製の吊灯篭の光景です。

  • この建物にも、複数の吊灯篭がありました。デザインも少し異なっていました。一回り小振りだったかもしれません。

    この建物にも、複数の吊灯篭がありました。デザインも少し異なっていました。一回り小振りだったかもしれません。

  • 修復工事が済んだばかりの、『御影堂』の屋根の右端光景です。修復工事の期間は、素屋根工事などを含めて、2004年3月〜2009年8月の間でした。葺かれている瓦の数は、17万5千枚とされます。

    修復工事が済んだばかりの、『御影堂』の屋根の右端光景です。修復工事の期間は、素屋根工事などを含めて、2004年3月〜2009年8月の間でした。葺かれている瓦の数は、17万5千枚とされます。

  • 同じく、修復工事が済んだばかりの、『御影堂』の建物と、その周りの光景です。その右手に見えている建物は、『長廊下』のようです。

    同じく、修復工事が済んだばかりの、『御影堂』の建物と、その周りの光景です。その右手に見えている建物は、『長廊下』のようです。

  • 『2011年厳修・宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要・真宗本廟』の文字がしたためられた立札の光景です。あと二年ほど後の行事です。

    『2011年厳修・宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要・真宗本廟』の文字がしたためられた立札の光景です。あと二年ほど後の行事です。

  • 小さな本瓦葺きの建物の音が藁のズームアップ光景です。東本願寺の寺紋などが使われた意匠ではなく、特別の文様はないシンプルな鬼瓦でした。軒丸瓦も、よく見かける三つ巴紋です。

    小さな本瓦葺きの建物の音が藁のズームアップ光景です。東本願寺の寺紋などが使われた意匠ではなく、特別の文様はないシンプルな鬼瓦でした。軒丸瓦も、よく見かける三つ巴紋です。

  • 金具飾のズームアップ光景です。獅子像と、花柄らしい模様のレリーフがありました。人気の文様らしく、撫でられて艶を帯びていました。

    金具飾のズームアップ光景です。獅子像と、花柄らしい模様のレリーフがありました。人気の文様らしく、撫でられて艶を帯びていました。

  • こちらは金属製ではなく、木彫の花柄模様です。牡丹の花のように見えました。検討を付けてネット検索しましたら、東本願寺大谷家で使用されている、『本願寺抱牡丹紋』でした。

    こちらは金属製ではなく、木彫の花柄模様です。牡丹の花のように見えました。検討を付けてネット検索しましたら、東本願寺大谷家で使用されている、『本願寺抱牡丹紋』でした。

  • 菊の花らしい彫刻のズームアップ光景です。葉は、蔓草のようにデフォルメされていました。

    菊の花らしい彫刻のズームアップ光景です。葉は、蔓草のようにデフォルメされていました。

  • 半ば枯れていた蓮池の光景です。蓮の花は、仏教や、その原点のヒンドゥー教にとっての聖なる花です。

    半ば枯れていた蓮池の光景です。蓮の花は、仏教や、その原点のヒンドゥー教にとっての聖なる花です。

  • 完熟して黒くなったハス(蓮)の実の光景です。『ハス』の古名は『ハチス』とされます。花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説になっているようです。インド原産のハス科多年性水生植物です。

    完熟して黒くなったハス(蓮)の実の光景です。『ハス』の古名は『ハチス』とされます。花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説になっているようです。インド原産のハス科多年性水生植物です。

  • 完熟して黒くなったハス(蓮)の実のズームアップ光景です。青い実は焼いて食べることができますが、そのまま生食もできます。中国旅行の時の田舎では何度か食しました。蓮根と同様、澱粉質が多く、食用に加工して使われます。

    完熟して黒くなったハス(蓮)の実のズームアップ光景です。青い実は焼いて食べることができますが、そのまま生食もできます。中国旅行の時の田舎では何度か食しました。蓮根と同様、澱粉質が多く、食用に加工して使われます。

  • 外から眺めた、東本願寺の築地塀の光景です。境内では、公孫樹の黄葉が本格的になり始めていました。

    外から眺めた、東本願寺の築地塀の光景です。境内では、公孫樹の黄葉が本格的になり始めていました。

  • 東本願寺の教えが認められた掲示板の光景です。親鸞聖人の『本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなし』の教えでした。『功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし』と続くようです。

    東本願寺の教えが認められた掲示板の光景です。親鸞聖人の『本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなし』の教えでした。『功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし』と続くようです。

  • 築地塀の外ですが、この辺りも東本願寺の敷地のようです。あるいは、京都市の小公園かも知れません。蓮の花を模した噴水がありました。

    築地塀の外ですが、この辺りも東本願寺の敷地のようです。あるいは、京都市の小公園かも知れません。蓮の花を模した噴水がありました。

  • 東本願寺の前の通りの光景です。道の脇に小さな市が立って賑わっていました。

    東本願寺の前の通りの光景です。道の脇に小さな市が立って賑わっていました。

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2009秋、京都散策(その2)

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