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<2006年6月26日(月)><br /><br /> この日のメモです。「5:10目覚まし、6:00早朝の麗江古城散策、7:20朝食、8:30ホテル出発」でした。麗江の2日目となりました。見所が沢山の麗江とその郊外の見学です。夜は民族舞踊の観劇を、オプショナルで申し込みました。(ウィキペディア)<br /><br /><早朝の麗江古城散策><br /> Ymさんご夫妻は2回目の麗江旅行だと話されていました。その中で印象に残ったのが、「疎水をせき止めて、溢れた水で石畳を清掃する朝の麗江古城の風景」を挙げられていました。私もその光景を写真に収めるため、少し早起きしました。<br /> ホテルを出たのは6時頃でした。まだ薄暗い感じが残った時間帯でした。軒には未だ明かりが点っていましたが、既に竹箒で石畳を掃く人達がいました。昨晩の賑わいが、嘘のような静かな朝の麗江古城の町並みでした。涼しさを感じる爽やかな朝でした。<br /> 残念ながら水を溢れさせる清掃風景は見ることができませんでした。ある人の話によれば、従来からの清掃方法がやり難くなったとの情報もありました。これが本当ではなく、単に、私の散策の時間が早すぎただけであった事を、願わずにはいられません。<br /> ところで、この疎水ですが、時間を決めて生活用水として利用されています。清掃、炊事、最後が洗濯のようです。<br /><br /><白沙壁画見学><br /> 早朝の散歩から戻っての朝食でした。ホテルと同じバイキング方式ですから、コーヒーも用意されていました。食べ過ぎないよう、昨日と同じように、腹八分目にしておきました。予定通り8時半の出発でした。<br /> 白沙(バイシャ)村は、ナシ族の古くからの居住地、麗江の発祥の地です。麗江からは北へ約8kmの位置にあります。見所は、白沙壁画が残されている大宝積寺です。明の時代の1583年に描かれた壁画は、道教、仏教、チベット仏教等が融合する貴重な資料とされます。<br /> 大宝積寺の中は、撮影禁止でしたが、明らかに傷付けられた箇所などがあり、保存状態は万全ではないようです。ナシ族の神様が一番下に描かれているのが、ナシ族の思慮を思わせて、印象的でした。国宝クラスの資料とされますので、この後も大切に保存される事を祈ります。<br /> 文化大革命の時に被害を免れたのは、当時、小学校として使用されていたためとお聞きしました。地震にも耐えた建物の木組も見所です。<br /><br /><ナシ族の姓、木氏と和氏><br /> ナシ族の姓は漢民族との関わりができてからは「木」氏と「和」氏から始まったとガイドの張さんが説明してくれました。ガイドさんもナシ族ですが、漢民族との融合が進んで、それ以外の姓がたくさん出現したようです。その「木」氏について説明します。白沙村には漢民族と関わる前と、それ以後に「木」氏の歴史についての解説をしたパネルがありました。<br /> 一説によりますと、古くから麗江を統治していたナシ族の王様「木」氏は、周囲に城壁を築くということは、文字に例えると、ちょうど「木」という姓が「困」という文字になってしまうのと同じと考えました。つまり、これは「難」に通じて、縁起がよくないとして、敢えて城壁を築かなかったといわれています。「木(ムー)氏は、上流階級が始まりとする姓とされます。<br /> 次いで「和」という姓が多く、これは一般階級の姓だと張さんは説明してくれました。トンパ文化研究所の長老のお名前も「和」さんでした。<br /><br /><白沙村のお土産店><br /> ガイドさんの話を、日本語に通訳して頂きながらの見学は、十分に見応えと、勉強になるところがありました。大宝積寺の見学を終えた後は、白沙村のお土産店巡りでした。この間、時間を決めて、自由行動となりました。集合場所は、最初に車を停めた場所です。<br /> お土産店街で売っていたのは、骨董品、絞りの染物、編み物等でした。その他には、石刻などの製品を店先で製作していました。殊に、絞りの染物製品は、日本や、その他のアジアの国で見た文様とも共通性があり、興味が湧きました。単に絞りの技術から来る文様の共通性だけでないようです。幾何学模様の他に、蝶なども絞り込まれていました。色も、藍色から草木染のような柔らかい色のものまで、様々でした。<br /> この見学地は、訪問客が増えているのでしょう。駐車場も整備されていましたし、お手洗いも立派な建物が出来ていました。中国では、この設備が重要です。お土産店の呼び込みもほとんど無く、いわゆる、観光地ズレは感じられませんでした。<br /><br /><玉峰寺見学、樹齢5百年の名椿><br /> 次の見学地は少し郊外の玉峰寺でした。麗江で一番の古樹といわれる椿の名樹で有名なお寺です。椿は、中国では「山茶」と呼ばれています。徐さんと、私の手帳に書いた筆談を交えながら、教えて頂きました。「日本の『山茶花』は、文字が似ていますが、こちらは日本語に音訳された『サザンカ』です。これは、椿に似た花です」といった具合です。<br /> その山茶(椿)を見るために、かなりの石段を登りました。途中、泰山木の白い花や、薄い紫色のアジサイなどが咲き、まさに「花の寺」といった趣でした。<br />この玉峰寺はチベット寺院です。白沙から北へ5km程の山の中腹にありました。「この付近のバスは馬です」と言われるように、辺鄙な場所です。山越えなどにも馬を利用するようです。<br /> 長い石段を上り詰めたところに、山茶、椿の古樹がありました。その名木を守り育てたとされる古老が、杖を片手に椿を静かに見守っていました。その後には、若い時の写真と説明パネルが並んでいました。<br /> その姿は、まさに、この椿に一生を賭けた人の歴史が刻まれているようでした。しかし今は、全てを悟りきった安らかなお顔でした。中国語で声をかけて貰い、一緒の写真に収まりました。お顔を拝見しているだけで充実した見学でした。毎年、2万から3万の花を咲かせると言います。<br /><br /><『単騎千里を走る』のロケ地見学、高原のお花畑><br /> 前書きでも書いておきましたように、高倉健さん主演の「単騎千里を走る」のロケ地見学が、私にとって今回旅行の楽しみの1つでした。と、ここまで書き始めて、そのDVDが見たくなりました。今年の1月末の上海旧正月旅行の折に、上海空港の本屋さんで買ったものです。<br /> そのDVDを、途中、早送りを交えながら見終えたところで、続きを書き始めました。スタートして16分過ぎたところで、写真編と次(左側)に収めた景色が出てきました。高倉健さんが刑務所で「単騎千里を走る」の踊り手のリー・カミンさんに、会うことができなくなったことが分かり、車をUターンさせる場面でした。<br /> 全編を通じて、麗江やその近郊の町並みや、バックには頂に雪をかぶった連山が聳え、実に豊かで雄大な自然の中での撮影でした。高倉健さんに関しては、真に中日友好に寄与されている民間人との印象を改めて感じました。<br /> そのロケ地付近には、高原のお花畑が広がっていました。車を停めて暫く景色を楽しんだり、写真を撮りました。標高は3千mを少し超えていました。少し心配だったのは、付近には、山林火災の痕が黒く残っていたことです。背丈の低い松などが立ち枯れになっていましたが、下草は緑に萌えていました。<br /> 昼食も高原のレストランでした。新しくできたようで、設備も整った大きなお店でした。ロケ地からこのレストランまでは、余り距離がありませんでしたが、ゴルフ場もありました。レストランの食事は、かなりさっぱり味でしたが、まずいと言うレベルではありませんでした。地元の野菜、山菜などの素材が良かったためでしょう。<br /><br /><玉龍雪山見学><br /> 玉龍雪山へは2つのコースがあるようです。リフトを使って3240mの雲杉坪まで登るルートと、ケーブルカーに乗って4500mまで登るコースです。今回は、雲杉坪コースでした。扇子徒と呼ばれる未踏峰の主峰の標高は、5596mあります。<br /> ケーブルカーは2人乗りでした。スキー場で使われているものと同じタイプのものです。乗っている時は、手摺りを回転させて、前面に下ろし、転落防止になっています。乗る時と、降りる時には上に跳ね上げておくようになっています。かなりの距離と、高度差があるための装置です。<br /> ケーブルカーを降りたところで、緩い散策道を登ることになります。高度が3千mを越えていますので、出来るだけゆっくり歩き、意識的に休憩を取りながら歩きました。<br /> 雲杉坪(ウンサンヘイ)は、草原の向こうに玉龍雪山が正面に聳える展望スポットです。少数民族の方々が、それぞれの民族衣装を貸出して、商売をしている小屋が、桟道脇に続いていました。貸衣装のほかにデジカメ・プリントサービスもありました。撮影に便利なように台が設えてありました。EnちゃんとTyさんの民族衣装の晴れ姿です。<br /><br /><白水河の不思議な石灰棚、観光ヤクさん><br /> ロープウェイ乗り場に向かう車の中から不思議な光景が見えてきました。階段状の石灰棚です。写真を撮ろうとしましたら、「戻って来て観光します」との徐さんの説明がありました。日本へ戻ってから、地名を調べましたら、「白水河の石灰棚」が通称のようでした。<br /> 人工のものか、自然のものかで、随分判断に迷いましたが、結論は「人工の石灰棚」でした。その決め手となったのが、インターネットの旅行記にあった、「前に来た時にはなかった、綺麗な流れや池ができていた。水の色は神秘的な青い色をしていて、まるで九寨溝の湖のような色」の記述でした。その写真にも「人工滝」のタイトルが付いていました。<br /> しかし、人工のもでも水に含まれる炭酸カルシュウムが沈着して、限りなく自然の景観に近づいているようでした。九寨溝のような綺麗な青色の水と、観光ヤクさんの姿は、新観光スポットして人気が出ること請け合いです。バックに見える玉龍雪山も、最高の眺望となっています。<br /> ただし、人工のものである事を断っての観光事業化のほうが言いようにも思えました。私が名前を付けるなら、「新世紀白水台」、「白水河・神秘滝」、「新名所・ヤクの湖」と言ったところでしょうか?勿論、お遊び、冗談です。<br /><br /><民族舞踊、観劇の夕べ><br /> ホテルでの食事の後、夜の観劇をオプショナルで申し込んでおきました。パンフレットには「麗水金沙」、雲南省麗江(国際)民族文化交流センター劇場の長い名前がありました。<br /> 最初の演目は民族楽器の演奏でした。日本の雅楽を連想するような陰旋律の静かな曲でした。インターネット情報では、「唐、宋時代の宮廷の華やかさと、控えめな一般の人々の生活を、その神秘的な音楽でうまく調和させ、古代から現在に伝えています」との説明がありました。<br /> メインの舞台は三場から構成されていました。パンフレットに日本語で記載してあり、簡単な日本語字幕も出ました。その第1場は「水」でした。タイ族の風習と若い男女の物語です。第2場が「山」でした。これはナシ族の「棒棒会」、リス族の「豚放し飼い節」、そしてチベット族の「毛織物織り」が演じられました。<br /> 最後の第三場は、「情」でした。ナシ族の一部族であるモソ人の「通い婚」、結婚が許されなかったナシ族の若い男女の心中を題材にした「ナシ族の殉情」でした。<br /> いずれの舞台も素晴らしい照明と、玉龍雪山のバックなどを舞台セットにした幻想的で、華やかなものでした。「通い婚」の風習は、日本の平安時代の源氏物語などにも描かれていて、ここでも日本のルーツの1つを垣間見る思いがしました。十分に堪能できた、この夜の観劇でした。<br /><br /><br />  麗江古城の早朝<br /> 朝明の静けき古城の石畳疎水に伸る萌る柳葉<br /><br /> 人の無き古城の畔一人行く旅の想の昇華せし今<br /><br />  玉龍雪山で<br /> ゆっくりと歩き折々腰掛て高地の道の先は急がじ<br /><br /> 玉龍の白き頂見えねども民族衣装の花は競いぬ<br /><br />  玉龍寺で<br /> 五世紀を守られ古樹は山寺に杖持つ人は今も見守る<br /><br />  白水河で<br /> 白水の河の石棚水清く飾りの鞍のヤクは群立つ

2006秋、中国旅行記9(12/15):6月26日(1):麗江、麗江古城、大宝積宮の白沙壁画

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2006年6月26日(月)>

 この日のメモです。「5:10目覚まし、6:00早朝の麗江古城散策、7:20朝食、8:30ホテル出発」でした。麗江の2日目となりました。見所が沢山の麗江とその郊外の見学です。夜は民族舞踊の観劇を、オプショナルで申し込みました。(ウィキペディア)

<早朝の麗江古城散策>
 Ymさんご夫妻は2回目の麗江旅行だと話されていました。その中で印象に残ったのが、「疎水をせき止めて、溢れた水で石畳を清掃する朝の麗江古城の風景」を挙げられていました。私もその光景を写真に収めるため、少し早起きしました。
 ホテルを出たのは6時頃でした。まだ薄暗い感じが残った時間帯でした。軒には未だ明かりが点っていましたが、既に竹箒で石畳を掃く人達がいました。昨晩の賑わいが、嘘のような静かな朝の麗江古城の町並みでした。涼しさを感じる爽やかな朝でした。
 残念ながら水を溢れさせる清掃風景は見ることができませんでした。ある人の話によれば、従来からの清掃方法がやり難くなったとの情報もありました。これが本当ではなく、単に、私の散策の時間が早すぎただけであった事を、願わずにはいられません。
 ところで、この疎水ですが、時間を決めて生活用水として利用されています。清掃、炊事、最後が洗濯のようです。

<白沙壁画見学>
 早朝の散歩から戻っての朝食でした。ホテルと同じバイキング方式ですから、コーヒーも用意されていました。食べ過ぎないよう、昨日と同じように、腹八分目にしておきました。予定通り8時半の出発でした。
 白沙(バイシャ)村は、ナシ族の古くからの居住地、麗江の発祥の地です。麗江からは北へ約8kmの位置にあります。見所は、白沙壁画が残されている大宝積寺です。明の時代の1583年に描かれた壁画は、道教、仏教、チベット仏教等が融合する貴重な資料とされます。
 大宝積寺の中は、撮影禁止でしたが、明らかに傷付けられた箇所などがあり、保存状態は万全ではないようです。ナシ族の神様が一番下に描かれているのが、ナシ族の思慮を思わせて、印象的でした。国宝クラスの資料とされますので、この後も大切に保存される事を祈ります。
 文化大革命の時に被害を免れたのは、当時、小学校として使用されていたためとお聞きしました。地震にも耐えた建物の木組も見所です。

<ナシ族の姓、木氏と和氏>
 ナシ族の姓は漢民族との関わりができてからは「木」氏と「和」氏から始まったとガイドの張さんが説明してくれました。ガイドさんもナシ族ですが、漢民族との融合が進んで、それ以外の姓がたくさん出現したようです。その「木」氏について説明します。白沙村には漢民族と関わる前と、それ以後に「木」氏の歴史についての解説をしたパネルがありました。
 一説によりますと、古くから麗江を統治していたナシ族の王様「木」氏は、周囲に城壁を築くということは、文字に例えると、ちょうど「木」という姓が「困」という文字になってしまうのと同じと考えました。つまり、これは「難」に通じて、縁起がよくないとして、敢えて城壁を築かなかったといわれています。「木(ムー)氏は、上流階級が始まりとする姓とされます。
 次いで「和」という姓が多く、これは一般階級の姓だと張さんは説明してくれました。トンパ文化研究所の長老のお名前も「和」さんでした。

<白沙村のお土産店>
 ガイドさんの話を、日本語に通訳して頂きながらの見学は、十分に見応えと、勉強になるところがありました。大宝積寺の見学を終えた後は、白沙村のお土産店巡りでした。この間、時間を決めて、自由行動となりました。集合場所は、最初に車を停めた場所です。
 お土産店街で売っていたのは、骨董品、絞りの染物、編み物等でした。その他には、石刻などの製品を店先で製作していました。殊に、絞りの染物製品は、日本や、その他のアジアの国で見た文様とも共通性があり、興味が湧きました。単に絞りの技術から来る文様の共通性だけでないようです。幾何学模様の他に、蝶なども絞り込まれていました。色も、藍色から草木染のような柔らかい色のものまで、様々でした。
 この見学地は、訪問客が増えているのでしょう。駐車場も整備されていましたし、お手洗いも立派な建物が出来ていました。中国では、この設備が重要です。お土産店の呼び込みもほとんど無く、いわゆる、観光地ズレは感じられませんでした。

<玉峰寺見学、樹齢5百年の名椿>
 次の見学地は少し郊外の玉峰寺でした。麗江で一番の古樹といわれる椿の名樹で有名なお寺です。椿は、中国では「山茶」と呼ばれています。徐さんと、私の手帳に書いた筆談を交えながら、教えて頂きました。「日本の『山茶花』は、文字が似ていますが、こちらは日本語に音訳された『サザンカ』です。これは、椿に似た花です」といった具合です。
 その山茶(椿)を見るために、かなりの石段を登りました。途中、泰山木の白い花や、薄い紫色のアジサイなどが咲き、まさに「花の寺」といった趣でした。
この玉峰寺はチベット寺院です。白沙から北へ5km程の山の中腹にありました。「この付近のバスは馬です」と言われるように、辺鄙な場所です。山越えなどにも馬を利用するようです。
 長い石段を上り詰めたところに、山茶、椿の古樹がありました。その名木を守り育てたとされる古老が、杖を片手に椿を静かに見守っていました。その後には、若い時の写真と説明パネルが並んでいました。
 その姿は、まさに、この椿に一生を賭けた人の歴史が刻まれているようでした。しかし今は、全てを悟りきった安らかなお顔でした。中国語で声をかけて貰い、一緒の写真に収まりました。お顔を拝見しているだけで充実した見学でした。毎年、2万から3万の花を咲かせると言います。

<『単騎千里を走る』のロケ地見学、高原のお花畑>
 前書きでも書いておきましたように、高倉健さん主演の「単騎千里を走る」のロケ地見学が、私にとって今回旅行の楽しみの1つでした。と、ここまで書き始めて、そのDVDが見たくなりました。今年の1月末の上海旧正月旅行の折に、上海空港の本屋さんで買ったものです。
 そのDVDを、途中、早送りを交えながら見終えたところで、続きを書き始めました。スタートして16分過ぎたところで、写真編と次(左側)に収めた景色が出てきました。高倉健さんが刑務所で「単騎千里を走る」の踊り手のリー・カミンさんに、会うことができなくなったことが分かり、車をUターンさせる場面でした。
 全編を通じて、麗江やその近郊の町並みや、バックには頂に雪をかぶった連山が聳え、実に豊かで雄大な自然の中での撮影でした。高倉健さんに関しては、真に中日友好に寄与されている民間人との印象を改めて感じました。
 そのロケ地付近には、高原のお花畑が広がっていました。車を停めて暫く景色を楽しんだり、写真を撮りました。標高は3千mを少し超えていました。少し心配だったのは、付近には、山林火災の痕が黒く残っていたことです。背丈の低い松などが立ち枯れになっていましたが、下草は緑に萌えていました。
 昼食も高原のレストランでした。新しくできたようで、設備も整った大きなお店でした。ロケ地からこのレストランまでは、余り距離がありませんでしたが、ゴルフ場もありました。レストランの食事は、かなりさっぱり味でしたが、まずいと言うレベルではありませんでした。地元の野菜、山菜などの素材が良かったためでしょう。

<玉龍雪山見学>
 玉龍雪山へは2つのコースがあるようです。リフトを使って3240mの雲杉坪まで登るルートと、ケーブルカーに乗って4500mまで登るコースです。今回は、雲杉坪コースでした。扇子徒と呼ばれる未踏峰の主峰の標高は、5596mあります。
 ケーブルカーは2人乗りでした。スキー場で使われているものと同じタイプのものです。乗っている時は、手摺りを回転させて、前面に下ろし、転落防止になっています。乗る時と、降りる時には上に跳ね上げておくようになっています。かなりの距離と、高度差があるための装置です。
 ケーブルカーを降りたところで、緩い散策道を登ることになります。高度が3千mを越えていますので、出来るだけゆっくり歩き、意識的に休憩を取りながら歩きました。
 雲杉坪(ウンサンヘイ)は、草原の向こうに玉龍雪山が正面に聳える展望スポットです。少数民族の方々が、それぞれの民族衣装を貸出して、商売をしている小屋が、桟道脇に続いていました。貸衣装のほかにデジカメ・プリントサービスもありました。撮影に便利なように台が設えてありました。EnちゃんとTyさんの民族衣装の晴れ姿です。

<白水河の不思議な石灰棚、観光ヤクさん>
 ロープウェイ乗り場に向かう車の中から不思議な光景が見えてきました。階段状の石灰棚です。写真を撮ろうとしましたら、「戻って来て観光します」との徐さんの説明がありました。日本へ戻ってから、地名を調べましたら、「白水河の石灰棚」が通称のようでした。
 人工のものか、自然のものかで、随分判断に迷いましたが、結論は「人工の石灰棚」でした。その決め手となったのが、インターネットの旅行記にあった、「前に来た時にはなかった、綺麗な流れや池ができていた。水の色は神秘的な青い色をしていて、まるで九寨溝の湖のような色」の記述でした。その写真にも「人工滝」のタイトルが付いていました。
 しかし、人工のもでも水に含まれる炭酸カルシュウムが沈着して、限りなく自然の景観に近づいているようでした。九寨溝のような綺麗な青色の水と、観光ヤクさんの姿は、新観光スポットして人気が出ること請け合いです。バックに見える玉龍雪山も、最高の眺望となっています。
 ただし、人工のものである事を断っての観光事業化のほうが言いようにも思えました。私が名前を付けるなら、「新世紀白水台」、「白水河・神秘滝」、「新名所・ヤクの湖」と言ったところでしょうか?勿論、お遊び、冗談です。

<民族舞踊、観劇の夕べ>
 ホテルでの食事の後、夜の観劇をオプショナルで申し込んでおきました。パンフレットには「麗水金沙」、雲南省麗江(国際)民族文化交流センター劇場の長い名前がありました。
 最初の演目は民族楽器の演奏でした。日本の雅楽を連想するような陰旋律の静かな曲でした。インターネット情報では、「唐、宋時代の宮廷の華やかさと、控えめな一般の人々の生活を、その神秘的な音楽でうまく調和させ、古代から現在に伝えています」との説明がありました。
 メインの舞台は三場から構成されていました。パンフレットに日本語で記載してあり、簡単な日本語字幕も出ました。その第1場は「水」でした。タイ族の風習と若い男女の物語です。第2場が「山」でした。これはナシ族の「棒棒会」、リス族の「豚放し飼い節」、そしてチベット族の「毛織物織り」が演じられました。
 最後の第三場は、「情」でした。ナシ族の一部族であるモソ人の「通い婚」、結婚が許されなかったナシ族の若い男女の心中を題材にした「ナシ族の殉情」でした。
 いずれの舞台も素晴らしい照明と、玉龍雪山のバックなどを舞台セットにした幻想的で、華やかなものでした。「通い婚」の風習は、日本の平安時代の源氏物語などにも描かれていて、ここでも日本のルーツの1つを垣間見る思いがしました。十分に堪能できた、この夜の観劇でした。


  麗江古城の早朝
 朝明の静けき古城の石畳疎水に伸る萌る柳葉

 人の無き古城の畔一人行く旅の想の昇華せし今

  玉龍雪山で
 ゆっくりと歩き折々腰掛て高地の道の先は急がじ

 玉龍の白き頂見えねども民族衣装の花は競いぬ

  玉龍寺で
 五世紀を守られ古樹は山寺に杖持つ人は今も見守る

  白水河で
 白水の河の石棚水清く飾りの鞍のヤクは群立つ

同行者
友人
交通手段
観光バス

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  • 昨晩も十分に麗江古城の散策を楽しみましたが、早朝の静かな町並みを散策したくて、早起きしました。あちこちで石畳を掃く人達を見かけました。

    昨晩も十分に麗江古城の散策を楽しみましたが、早朝の静かな町並みを散策したくて、早起きしました。あちこちで石畳を掃く人達を見かけました。

  • 昨晩の賑わいが信じられないような、静かな麗江古城の朝明けでした。石畳の道路は、掃いた後で、更に川の水を溢れさせて清掃されるようです。

    昨晩の賑わいが信じられないような、静かな麗江古城の朝明けでした。石畳の道路は、掃いた後で、更に川の水を溢れさせて清掃されるようです。

  • 少し小高い丘の上にも、旧い家並みが続いていました。その一角も、麗江古城として世界文化遺産に登録されています。

    少し小高い丘の上にも、旧い家並みが続いていました。その一角も、麗江古城として世界文化遺産に登録されています。

  • 朝早くリュックを背負って麗江を後にする旅行者や、早くも学校へ出かける子供さん達を見かけました。軒の明かりは、まだ点いたままです。

    朝早くリュックを背負って麗江を後にする旅行者や、早くも学校へ出かける子供さん達を見かけました。軒の明かりは、まだ点いたままです。

  • 昨晩も、この近くを散策しましたが、余り気が付かなかった建物です。写真には撮りませんでしたが、ライトアップされていたかも知れません。

    昨晩も、この近くを散策しましたが、余り気が付かなかった建物です。写真には撮りませんでしたが、ライトアップされていたかも知れません。

  • 軒がくっつく様に狭くなった場所です。灯りが落ちた赤い提灯が、幾つも吊り下げられていました。昨晩の賑わいが、嘘のような静けさです。

    軒がくっつく様に狭くなった場所です。灯りが落ちた赤い提灯が、幾つも吊り下げられていました。昨晩の賑わいが、嘘のような静けさです。

  • 世界文化遺産の標識近くにあった水車です。昨日も玉龍公園見学の後に近くを通りました。広場に面した場所です。<br />

    世界文化遺産の標識近くにあった水車です。昨日も玉龍公園見学の後に近くを通りました。広場に面した場所です。

  • 散策している内に、空も大分明るんできました。水門を閉めて、水を溢れさせての掃除の様子は見られませんでしたが、静かな家並の散策を堪能できました。

    散策している内に、空も大分明るんできました。水門を閉めて、水を溢れさせての掃除の様子は見られませんでしたが、静かな家並の散策を堪能できました。

  • 広場に面した商店街です。朝の食事の仕度が進んでいるようです。古い町並みの景観を壊さないよう、新しい建物の色や高さも配慮されていました。

    広場に面した商店街です。朝の食事の仕度が進んでいるようです。古い町並みの景観を壊さないよう、新しい建物の色や高さも配慮されていました。

  • 広場までやって来たところで、麗江古城の散策はおしまいです。改築された小公園と水路のようです。公園と言うより、庭園の表現が似合っているかも知れません。

    広場までやって来たところで、麗江古城の散策はおしまいです。改築された小公園と水路のようです。公園と言うより、庭園の表現が似合っているかも知れません。

  • 白沙壁画が保存されている大宝積宮の入口です。この新しい門の掲額の文字は、「白沙壁画」でした。ナシ族の漢名、木氏発祥の地です。

    白沙壁画が保存されている大宝積宮の入口です。この新しい門の掲額の文字は、「白沙壁画」でした。ナシ族の漢名、木氏発祥の地です。

  • 左側半分を樹が覆っていますが、立派な造りの門です。新しい建物のように見えますから、改築されたものでしょう。

    左側半分を樹が覆っていますが、立派な造りの門です。新しい建物のように見えますから、改築されたものでしょう。

  • 川、壁、玉らしい文字は何とか読み取れますが、左から2つ目の文字は判読できません。観光目的に新しく造られた飾り壁のようです。

    川、壁、玉らしい文字は何とか読み取れますが、左から2つ目の文字は判読できません。観光目的に新しく造られた飾り壁のようです。

  • 木氏発祥の地として、大切に守り継がれてきたことが実感できる区域でした。建物、樹木にそれが感じられました。

    木氏発祥の地として、大切に守り継がれてきたことが実感できる区域でした。建物、樹木にそれが感じられました。

  • ナシ族の長の古代名から木氏への変遷の歴史が絵入りで展示してありました。ナシ族の呼び名が複雑だったことも改名の理由の1つのようです。

    ナシ族の長の古代名から木氏への変遷の歴史が絵入りで展示してありました。ナシ族の呼び名が複雑だったことも改名の理由の1つのようです。

  • 中庭の光景です。高低差、大きさの違う石造りの花壇がいくつも設えられていました。石畳ですが、その間には緑も見えます。

    中庭の光景です。高低差、大きさの違う石造りの花壇がいくつも設えられていました。石畳ですが、その間には緑も見えます。

  • 撮影禁止がされていなかった建物の壁画です。描かれているのは仏陀のようですが、暗くて、肉眼では識別できませんでした。痛みが激しいようです。

    撮影禁止がされていなかった建物の壁画です。描かれているのは仏陀のようですが、暗くて、肉眼では識別できませんでした。痛みが激しいようです。

  • 白沙壁画がある大宝積宮の掲額です。文化大革命の災難を免れたのは、当時学校として使われていたのが幸いしたようです。

    白沙壁画がある大宝積宮の掲額です。文化大革命の災難を免れたのは、当時学校として使われていたのが幸いしたようです。

  • 「中国■柳王」の名前がついた古木です。「落雷を受けて、一度は枯れたものの、蘇りました」とも説明をお聞きしました。絶好の撮影ポイントです。

    「中国■柳王」の名前がついた古木です。「落雷を受けて、一度は枯れたものの、蘇りました」とも説明をお聞きしました。絶好の撮影ポイントです。

  • Tyさん母娘さんに続いて、Ya先生とEnちゃん母娘さんの記念撮影です。1583年に描かれた白沙壁画のある大宝積宮の建物の入口付近です。

    Tyさん母娘さんに続いて、Ya先生とEnちゃん母娘さんの記念撮影です。1583年に描かれた白沙壁画のある大宝積宮の建物の入口付近です。

  • 壁画は国宝級のもので、撮影は禁止されていました。題材はチベット仏教、仏教、道教等です。研究資料として貴重な遺産のようです。石榴の花です。

    壁画は国宝級のもので、撮影は禁止されていました。題材はチベット仏教、仏教、道教等です。研究資料として貴重な遺産のようです。石榴の花です。

  • 右手の入口が、白沙壁画が描かれた建物でした。庭では工芸品の展示即売の方が、一心に彫刻刀を操っていました。木組も素晴らしい建物でした。

    右手の入口が、白沙壁画が描かれた建物でした。庭では工芸品の展示即売の方が、一心に彫刻刀を操っていました。木組も素晴らしい建物でした。

  • 長い塀に描かれていたトンパ文字を紹介します。普通は墨一色ですが、ポイントに彩色がしてありました。それぞれの象形文字に漢字の訳が記されています。

    長い塀に描かれていたトンパ文字を紹介します。普通は墨一色ですが、ポイントに彩色がしてありました。それぞれの象形文字に漢字の訳が記されています。

  • 壁に記されてあったトンパ文字は、一通り撮影しましたが、その一部の紹介です。トンパ文字に関する書籍も買い求めました。

    壁に記されてあったトンパ文字は、一通り撮影しましたが、その一部の紹介です。トンパ文字に関する書籍も買い求めました。

  • 白沙(バイシャ)は、麗江の発祥の地とされる旧い街です。壁画鑑賞の後は、土産物店の見学です。骨董品や絞り、編み物製品等が並んでいました。

    白沙(バイシャ)は、麗江の発祥の地とされる旧い街です。壁画鑑賞の後は、土産物店の見学です。骨董品や絞り、編み物製品等が並んでいました。

  • この方が、店の前で鑿をふるっている材料は、石材です。お盆の中に、葡萄の房が大雑把に彫りあがり、今度は葉の方が彫り進められていました。

    この方が、店の前で鑿をふるっている材料は、石材です。お盆の中に、葡萄の房が大雑把に彫りあがり、今度は葉の方が彫り進められていました。

  • 店先に並んだお土産品の数々です。値段表示がありませんから、中々手が出ません。骨董品は、どう見ても旧く見せかけた品々がほとんどでした。

    店先に並んだお土産品の数々です。値段表示がありませんから、中々手が出ません。骨董品は、どう見ても旧く見せかけた品々がほとんどでした。

  • お土産店は、昔ながらの住居を少しだけ改造して使ってありました。書画類も中々手が出ません。中には印刷品もあるかも知れません。

    お土産店は、昔ながらの住居を少しだけ改造して使ってありました。書画類も中々手が出ません。中には印刷品もあるかも知れません。

  • 後姿ですが、ポイントは頭です。少しピンボケになりましたが、弁髪(べんぱつ)のお子さんです。中国だけでなく、アジアのいくつかの民族に見られる習慣です。

    後姿ですが、ポイントは頭です。少しピンボケになりましたが、弁髪(べんぱつ)のお子さんです。中国だけでなく、アジアのいくつかの民族に見られる習慣です。

  • こちらのお子さんは、弁髪ではなく、普通の髪型です。背負子のおばあさんらしい方に手を引かれていました。

    こちらのお子さんは、弁髪ではなく、普通の髪型です。背負子のおばあさんらしい方に手を引かれていました。

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2006秋、中国旅行記9

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