2006/06/22 - 2006/06/28
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旅人のくまさんさん
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<2006年6月24日(土)>
旅行3日目となりました。この日の朝のメモです。「6:30目覚まし、7:00モーニングコール、8:00白水台見学にホテル出発」となっていました。白水台は、ナシ族の聖地、トンパ文化の発祥の地ともされます。シャングリラ見学のハイライトの1つです。(ウィキペディア)
<白水台見学へ>
バスの中で松さんが話してくれたチベット族の風習などを少し紹介しておきます。まず、「多夫制」です。「多妻制」は、他の国でも存在していますが、「多夫制」は始めて聞きましたので、少し詳しく説明しておきます。
「多夫制」も、経済的理由が背景にあります。貧しい場合は、兄弟で1人の妻を持つことになるそうです。その後で、経済力が向上すれば、弟が新しい妻を迎えることになります。 1993年に、この風習が公表され、国レベルでの規制があったようですが、反発され、現在でもその風習は残っているようです。
インターネットで調べた情報では、「旧チベットでは、人間の身分が八等九級に分けられていた。(中略)同じ階層の相手でなければ結婚できなかった」とされ、「現在は、結婚の自由が認められた」とも解説されていました。
次に、葬式の風習です。高地なのに「水葬」がされ、「天葬(鳥葬)」や、「土葬」、「火葬」、位の高い人の「塔葬」もあります。一番多いのが「天葬」とされます。2と6の数字を大切にし、260(206?)に細かく死体を切り分け、鳥が食べやすいよう、骨も砕くようです。「水葬」の風習もあるため、魚は食べないとの話もありました。
屋根の上にはためく旗の説明もありました。1本だけは普通の民家、2本の場合は、家族のうち僧籍の者がいて、聖地ラサへ巡礼した人がいる場合は、3本の旗が立てられます。
白水台はシャングリラ中心部から東南に位置し、途中、峠越えがありましたが、概ね下りの行程でした。その途中に棲んでいるイ族は、他族との交流を、あまり好まない民族のようです。
<白水台見学>
途中、菜の花とは別の黄色の花が群生していました。「狼の毒」と呼ばれる怖い植物です。今は黄色の花ですが、秋には真っ赤になるそうです。この植物が生え始めますと、他の植物が育たなくなり、草原の砂漠化の前兆としても恐れられているようです。
途中、休憩は1箇所だけでした。マイクロバスの給水を兼ねていました。旅行計画書には、片道108kmの行程と記してありました。約2時間かかり、10時頃には白水台の入口の集落に到着しました。「東巴(トンパ)■地白水台歓迎■」の看板が出迎えてくれました。
登山口には、ロバを連れた人や、駕籠を持った人が屯していました。シャングリラから1000mほどは下ってきましたが、標高はまだ2380mです。ゆっくり歩かないと、まだ高山病の心配があります。ロバの乗馬体験や、駕籠で途中まで登られる方もいました。
白水台の説明は、文章より写真編の方をご覧ください。限られた紙数で、出来るだけ多く収録しておきました。
私の場合、既に黄龍、九寨溝を見た後でしたから、その時の印象が強過ぎ、感激は薄れましたが、初めて見る場合には、十分に満足できる景色でしょう。雨季の始まりですから、まだ水流が少ないように感じました。更に見栄えがする時期もありそうです。紅葉の時期も期待できます。
<お土産物市場>
一度ホテルへ戻って、それから別のホテルでの夕食に出発する計画となっていました。白水台からの戻りは順調で、時間の余裕がありましたから、地元名産品のお土産店に立ち寄りました。
このお土産店は、他の団体客とも重なって、かなり混み合いました。マイクを使って、主な名産品の説明があって、それからの買い物でした。乾燥食材がほとんどで、貴重な漢方薬もお値打ちに販売されていました。雲南省は、これらの食材、漢方薬の宝庫のようです。
このお土産店では、Enちゃんの助けを借りて、乾燥松茸を買い求めました。50グラム単位で68元の値札が付いていましたが、50元に負けて貰い、更に量の方で、おまけして貰い、2袋に分けて買い求めました。
<紅軍長征所縁のお寺見学>
長征は、中国国民党政府が中国共産党に対する攻勢を強めたのに対し、1934年から1936年にかけて行われた、中国共産党による脱出行と組織の再編です。この中で、毛沢東の指導権が確立されました。
長征のメンバーには毛沢東を始め、周恩来、朱徳、鄧小平等、後の中国指導者が名前を連ねます。アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーの従軍取材に基く著書「中国の赤い星」等で紹介され、「長征一万里」として、栄光ある事業と称されています。その司令部だったお寺見学でした。
<別のホテルでの夕食、買い物>
夕食は昨晩と違う、別のホテルでした。2003年度版のガイドブックには載っていない大きなホテルでしたから、最近出来たようです。そのガイドブックにも、「シャングリラはホテル建設ラッシュ」と記されていました。
このホテルの食事で特筆することはありませんが、十分に美味しい料理でした。ビールも冷えた物が用意されていました。食事の後で、隣の薬局で、高山病に効くドリンクを買いました。幸い、私の場合、飲む必要がありませんでしたから、結局、日本まで持ち帰りました。
<夜の買い物>
Enちゃんが入手した情報では、歩いて行ける場所に、お土産店が連なる一角があるようでした。Tyさんもご一緒に、その観光スポットを目指しました。「信号が2つ目」の情報でしたが、信号の数が少なく、相当の距離がありました。遠くに、昼間見学した黄金の塔が、ライトアップされていたのが見えました。
ようやくたどり着いた2つ目の信号を右手に曲がって、少し歩くと石畳が広くなったところがあり、そこが商店街の入口でした。お目当てはアクセサリーでした。いくつかのお店で、値引き交渉をしながら、買い物を楽しみ、短い距離でしたが、11時頃にタクシーでホテルに戻りました。
紅軍長征所縁のお寺で
中国の歴史に先の大戦の新たな史跡刻む寺あり
白水台で
石灰の造る奇観は黄龍と九寨溝と重なる景色
天然の業と思えぬ箱庭の鏡の池に映す緑葉
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 観光バス
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日が替って、6月24日です。8時にホテルを出発して、一日がかりの中甸にある白水台見学です。距離は、片道110キロ程です。車の給水です。
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峠越えのこの一帯は、チベット族ではなく、イ族が多く棲んで見えるようです。社交的なチベット族と違って、他族との交流は、余り好まないようです。
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昨日の雨はやんで、天候が回復してきているようでした。峠越えの山道で、山裾から晴れ上がっていく景色が幻想的でした。
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耕作可能な土地は、畑か果樹園にされていました。水源か、潅漑の関係でしょうか?田圃は余り見ませんでした。イ族は蕎麦が主食のようです。
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白水台では、「東巴(トンパ)■地白水台歓迎■」の文字が出迎えてくれました。哈巴雪山の麓、ナシ族の故郷です。
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松さんが交渉しているのは、ロバの料金のようです。シャングリラのホテルよりは随分と楽ですが、この地区でも2300m程の高地です。
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少し登ったところで、遠くに茶色の台地が見えてきました。この辺りから炭酸カルシュームが作り出した、奇観が始まるようです。
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颯爽とロバにまたがったTyさんです。可愛らしい目をしたロバですから、山登りの道中は大丈夫なようです。途中から木の桟道と道が分かれました。
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道路の脇に流れ出す水も、周りを炭酸カルシュームで黄色く変色させていました。雨季の始まりですから、水量は更に増してくるかも知れません。
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道の脇に咲いていた潅木の白い花です。つる薔薇のようでした。お茶の花にも良く似ています。黄色の金枝梅もあちこちで見かけました。
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現地ガイドの松さんは、これくらいの高地は、何とも無いようです。好天で温度が上がり始めましたが、フード付のコートのまま登って行きました。
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薄い茶色と濃茶色の地形です。単なる想像ですが、雨季に入ると、この一帯も綺麗な水で覆われるのではないでしょうか?
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松さんと運転手さんに追いつきました。さすがに暑くなってきたのでしょう。松さんもコートを脱いでノースリーブ姿です。
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先ほどの台地が枯れていたのは、雨季の初めである理由と、水路が脇に逸れているためかも知れません。今でも、水量はかなりありました。
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EnちゃんとTyさんはロバを降りて、桟道へ移動したばかりのところです。徐さんのお母さんは、自力で歩いて登られました。まだ余裕たっぷりです。
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桟道はまだまだ上に続きます。周りの景色を楽しみながらの登山ですから、飽くことはありません。この桟道は10センチ以上の厚さがありました。
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一番目の観光スポットです。黄龍・九寨溝のように案内札はありませんでしたが、崖の下には、私設(?)の参拝場所が設置されていました。
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黄龍・九寨溝に比べますと、規模も景観も見劣りしますが、白水台は、トンパ教の大切な聖地です。これから長い変月を経て、更に変容するのでしょう。
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私設(?)の参拝場所には線香を勧めてくれる地元の人がいました。頭を崖の一定の場所に擦り付けてお参りするよう、仕草で教えて貰いました。
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少なくともこれだけの炭酸カルシュームが沈殿しているのですから、雨季には、この崖を水が迸るのは間違いがないようです。
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一面に水が流れていましたから、通りやすいよう、飛び石がセットされていました。第1ポイントは、見晴らしもいい場所でした。
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ロバのほかに駕籠を使って登る方法もありました。駕籠に乗った孫濱先生が、お参り場所に到着されました。
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黄色い台地に取り残されたように生えていた1本の木です。炭酸カルシュウムの水の中で生き残った逞しい木です。
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私設参拝所に別れを告げて、一足先に上を目指しました。木の桟道がまだまだ続いていました。参拝場所は、桟道から少し下った位置でした。
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桟道の脇には木々が生い茂っていますから、日差しがきつくなる時期には、ありがたい木陰になってくれるようです。幹は、すっかり苔むしています。
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2番目の観光スポットです。広い台地に人工の箱庭のような景観が広がっていました。これが天然に出来たものであるだけに、驚きです。
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その天然の箱庭を、もう少し紹介します。複雑に地形が入り組んで、本当に不思議な景観となっています。広さも、背景の樹林も中々です。
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今度は反対側に回って、山を背景に、見下ろす方向からの景観です。今は雲が映っていますが、晴れた日には青空や、紅葉も映るかも知れません。
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天然の箱庭を過ぎて奥に進みますと、どう言う訳か、羊が桟道の横に繋がれていました。痩せているように見えるのは、毛を刈られたためでしょうか?
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繋がれていたのは、1頭だけで、他の3頭は自由の身でした。推測ですが、1頭だけ繋いでおけば、他の3頭は遠くへ行ってしまわないのでは?
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