2006/12/13 - 2006/12/20
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旅人のくまさんさん
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<2006年12月18日(月)>
7泊8日の旅行も終わりに近づいてきました。今日の予定はモーニングコールなしで9時にロビー集合でした。プラハからずっと運転して頂いたアロイスさんとお別れし、今日からはブタペストの若い運転手さんでした。この日、午前中は揃って市内見学ですが、午後は自由時間となっていました。いつも通り早めに起きて、出発準備を済ませてから朝食のレストランに出掛けました。
<漁夫の砦>
予定の時間にホテルを出発しました。プラハからずっと一緒だったアロイスさんとお別れして、今日からは地元の運転手さんです。アロイスさんは、仲間の人たちとお酒を飲んで、仕事の後の休日を楽しまれているようでした。朝出かける時に、お見かけしました。
漁夫の砦については、ガイドさんからもバスの中でお聞きしましたが、改めてインターネット情報を参照しながら、記しておきます。インターネット情報には異なる書き込みがありましたから、適宜、取捨選択しました。
現在見られるトンガリ帽子の展望台ですが、1896年の定住千年祭記念の一環として、20世紀初頭に町の美化計画の一環として、建築家シュレック・フリジェシュにより造られました。ネオ・ロマネスク様式の回廊展望台です。
実際に砦として使われたものではありません。かつて魚市があった場所に造られたため、漁夫の砦と名付けられました。印象的な7つの小振りな尖塔は、ハンガリーを建国したマジャール人の7部族を表しています。また。別の説では、川沿いに襲来する敵からこの地域を守っていたドナウの漁師ギルドの7部族を象徴しているとの書き込みもありました。
漁夫の砦から眺めるドナウの眺めは素晴らしいものでした。漁夫の砦は古い城壁の上に作られていますから、実際に使われた砦との誤解もあるようです。
<マーチャーシュ教会>
マーチャーシュ教会は、正式には聖母教会あるいはマリア教会と呼ばれるようです。13世紀に、ベーラ4世時代に、ゴシック様式の教会として建てられました。その後、15世紀にハンガリー王マーチャーシュが、この教会を再建しました。そのマーチャーシュ王は、この教会で2度の結婚式を挙げました。そのことで、この教会はマーチャーシュ教会と呼ばれるようになりました。
マーチャーシュ王の時代、ハンガリー王国はボヘミア王国領モラヴィアを占領し、シュレジェンをも支配下に入れ、国内ではルネサンス文化が花開きました。そんな中世ハンガリー王国の黄金時代を象徴するマーチャーシュ王と縁の深いマーチャーシュ教会です。
しかし、その後は歴史に翻弄されました。1538年にハンガリーに侵入したオスマン・トルコは、1541年にはブダペストを含む地域を直轄領としました。イスラム教徒の支配する時代、このマーチャーシュ教会もモスクとして使われていました。
1683年には、ハプスブルク軍がオスマン・トルコ軍をハンガリーの主要部分から駆逐しました。新しい支配者ハプスブルク家によって、マーチャーシュ教会はバロック式の教会に改装されました。
1866年、普墺戦争においてプロイセンに敗れたオーストリアは、自治・独立を求めるハンガリーと妥協し、オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立しました。
1867年にはハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフがマーチャーシュ教会においてハンガリー王として戴冠式を行いました。この時に演奏されたのが、リストの「戴冠ミサ曲」です。
案内をしていた現地ガイドさんは、実に日本語が達者な方でした。旦那さんが日本人ともお聞きしました。ユーモアたっぷりに、この教会の見所、歴史等を説明されていました。ステンドグラスの素晴らしく、レプリカですが、戴冠式の王冠も展示してありました。頭の十字架が曲がった金製の王冠です。本物は、国立博物館にあるようです。
<聖イシュトヴァーン教会>
続いて寺院の見学です。マーチャーシュ教会からは、車で次の見学地に向かいました。岡の上から、市街地にある聖イシュトヴァーン大聖堂への移動です。
聖イシュトヴァーン大聖堂は、初代のハンガリー国王を祀るために、1851年から1905年にかけて建設されました。ネオ・ルネサンス様式です。ハンガリーをキリスト教化したことにより聖人の列に加えられた国王です。聖体として、イシュトヴァーン国王の右手のミイラが安置されています。これも公開されていました。
この教会もフラッシュなしでの撮影が許可されていましたので、ドームやステンドグラスなどをカメラに収めました。見事なステンドグラスでしたが、モダンな印象がありました。細かなモザイク模様というより、ガラス工芸の技術を使ったような印象です。こちらは、写真編でご覧ください。直径22m、高さ96mのドームの規模には圧倒されます。教会としては、ハンガリーで最大の建築規模のようです。
<刺繍のお土産店>
聖イシュトヴァーン教会の見学の後は、すぐ近くの刺繍の専門店での買い物でした。日本人スタッフが充実していて、質問や注文にもすぐに応じてくれました。円、ドル、ユーロのいずれも使うことができ、混ぜて使うことも出来ました。
ハンガリーの人形や刺繍はお土産として人気が高いようです。今回の旅行メンバーの方は、全員がこのお店で買い物をされていました。カロチャ刺繍やホロケー刺繍の人形、テーブルクロス等が、人気が高かったようです。モーツアルト生誕250周年の記念品や、日本語ガイドブックなども置いてありました。私もこのお店でお土産の品を買い求めました。
このお店は日本人経営者のようでした。東京でもハンガリーから輸入した刺繍製品などを、お値打ちに販売していますとの話をされていました。大量生産ではなく、手造りの暖かさが感じられる品々でした。
<自由時間で地下鉄3路線を踏破>
ブタペスト市内で昼食の後、午後は自由時間となりました。私は早めにレストランを出て、電車での市内見学に出かけました。市内にある3つの路線に全部乗る予定を立てました。その中でも1号線は世界文化遺産の一部とされる年代物です。その結果、全ての路線の終点駅で降りて、駅前付近の散策ができました。その紹介です。
◎地下鉄2号線
駅構内で買い求めた1150フォリントの24時間乗車券を使っての市内見学のスタートです。乗車券を買った時に、スタートと終わりの時刻の部分に、ボールペンでマークがされました。
最初に乗ったのは赤色表示の2号線です。東のペスト地区と西のブダ地区を結ぶ東西線路です。市の中心部から乗って、東の終点駅で降りました。地下鉄から途中で地上に出ました。平面交差の電車線路でした。
東の外れは、随分と郊外に来たと言う印象でした。地上に出た後は、雑木林の地域もありました。駅前の散策の後、西の終点まで全線に乗車しました。西の終点駅は、王宮を西に回りこんだ位置でした。
◎地下鉄3号線
次は3号線です。2号線に乗り、交差駅のデアーク・フェレンツ・テール駅で降りました。この駅で乗換え、北の終点駅まで向かいました。3号線のシンボルカラーは青色で、ペスト地区を南北に走る線路です。
駅の数が多く、中心部から20分程かかった記憶です。終点駅は、さすがに郊外でした。駅付近では、食料等の日常品を売るお店が多くありました。写真だけ撮って、次は南に向かいました。全線に乗りますので、一番時間がかかりました。その時間は30分程だったようです。治安が悪くなさそうでしたから、一寝入りの休憩時間に当てました。南の終点駅は、少し東に振れた場所でした。
◎世界文化遺産の地下鉄1号線
最後の乗車は、世界文化遺産とも言うべき1号線です。3号線の南端から、中心部のデアーク・フェレンツ・テール駅まで戻りました。ここで乗換え、東北方面に向かいました。1号線のシンボルカラーは黄色です。さすがに年代ものの地下鉄とあって、駅構内の天井が低く、駅表示のプレートも時代がかっていました。駅の間隔も随分と短い線路でした。
1号線の東北の終点駅付近は、まだ旧市街の一部分でした。地下鉄の階段を登ると、路面電車が走っていました。付近の景色をカメラに収めた後、最後の乗車です。今度は1号線の西南駅まで全線乗車です。
1号線の西南端の駅はドナウ川の東岸近くでした。地下鉄の階段を登ると、広場があり、クリスマス市で賑っていました。午後一番に乗り始め、既に夕刻になって来ました。ホテルの集合時間までは、もう少し時間がありましたので、焼栗と白ワインでクリスマス市を楽しみました。
<岡の上からドナウの夜景、民族舞踊の夕食>
ホテルまでの帰りは、ブダ地区の乗換駅まで地下鉄で向かいました。ここから、別の線路で北に向かうことになります。ところが、乗った電車が急行だったらしく、ホテルの最寄り駅を通過してしまいました。それでやむなく郊外まで乗って、別の路面電車で引き返しました。しかし、手元に路線図が無い街外れでしたから、ペスト地区の方へ戻ってしまいました。ホテルでの集合時間が迫っていましたので、ここからはタクシーを使いました。これで、何とか間に合いました。
夕食はドナウの夜景が綺麗な岡の上のレストランでした。食事の前に鎖橋を中心としたドナウの夜景を十分に楽しみ、カメラにも収めました。夕食は、紅白のワインがピッチャーで出され、バイオリン等の演奏付でした。ブダペストの最後の夜に相応しいお膳立てでした。
漁夫の砦で
回廊で七つ砦は結れて漁夫の誉は城壁に建つ
ドナウ川見下す丘に佇て残り僅な旅を愛しむ
聖マーチャーシュ教会で
十字架の曲がりし謂れ謎解て戴冠式の在りし日想う
聖イシュトヴァーン大聖堂で
洪牙利治め始し国王の威厳今猶満し聖堂
ドナウの夜景
輝る真珠でドナウの首飾る鎖の橋は観れど飽ざる
民族舞踊の夕食
演奏と歌と踊に酔い痴てワインの杯を重ねしこの夜
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
プラハからずっとご一緒だったスロバキアのアイロスさんとお別れして、今日からはハンガリーの運転手さんです。漁夫の砦近くに到着です。
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漁夫の砦は、1903年に建築家シュレクによって建てられました。中世の頃、ドナウ流域を守っていた7つの部族を象徴する7つの塔があります。
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石垣に彫ってあった文様の中から、2つ紹介します。だべての星を複雑にしたような六角形文様です。
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次は写実的な表現が色濃い、木の葉をモデルにした文様です。立体的な表現となっています。こちらは五角形です。
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3連にくり貫かれた、アーチ型の小さな空洞があります。元はここに小さな像が飾られていたのかも知れません。上部の彫刻は、天蓋を模しているようです。
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少し急な階段を登って、漁夫の砦、マーチャーシュ教会へと向かいました。
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階段の途中に飾ってあった中型の像です。何体もありましたが、その中から2体だけを紹介します。立派な髭を生やし、族長と言った風格と装いです。
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こちらも堂々たる風格の像です。調べてはいませんが、飾られていた場所から判断して、漁夫の砦を守った7人の族長達のようです。
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階段を登りきって、広場に出ました。初代ハンガリー国王の聖イシュトヴァーンの騎馬像です。手にしている二重の十字架は、ハンガリーの国章にも採り入れられています。
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写真撮影で忙しく、現地ガイドさんの説明は、余り熱心には、お聞きしていません。イシュトヴァーン国王像の、台座部分のレリーフです。薄く金箔が残っていました。
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台座部分のレリーフは、一回りして撮影しましたが、2つだけの紹介です。羽根の付いた獅子像には、まだ金箔が残っていました。
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マーチャーシュ教会の尖塔です。ベーラ4世が13世紀に創立したのが始まりとされます。その後、何度も破壊、修復が繰り返されました。
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建築様式が異なる2つの尖塔です。13世紀にゴシック様式で建設されましが、その後バロック様式に変更され、更にネオ・ゴシック様式に戻されるという、変遷を経ました。
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尖塔の入口付近のアップです。かなり細かな文様が、レリーフとして施されています。さすがに、国王所縁の寺院です。
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教会の中の写真撮影は、OKでした。そのステンドグラスの1つです。ネオ・ゴシック様式に改築されたのは1970年代のことです。
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こちらもステンドグラスです。中央には、黄金色の祭壇がありました。祭壇は、寺院のミニチュア版のような造りです。
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写真撮影がOKでしたから、この教会内では、多めに撮影しました。その中から彩色された像を2つ紹介します。中央は、王冠を被った、まだ若い王の像のように見えます。
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こちらの像も、初代のイシュトヴァーン王か、歴代王の一人のように見えます。暗い中での撮影でしたから、ピントが合いませんでした。
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ハンガリー人は、ヨロッパでは珍しく、アジア系の民族がルーツとされます。この教会内では、イメージの異なる装飾がありました。それが民族の違いなのか、宗教の違いなのかは調べていません。
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偶像支配を忌み嫌ったイスラム教の文様は、幾何学模様であったり、デフォルメされた花などが使われることが多いようです。色彩を含めてイスラム教の名残が感じられる装飾です。
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横に二本線の十字架ですから、イシュトヴァーン国王の時に改宗されたキリスト教には違いないようです。しかし、雰囲気は、矢張りイスラム教です。
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中央のドームの下に飾られた、一際豪華な祭壇です。勝手な想像ですが、1世王の戴冠式も、ここを中心に行われたのでないでしょうか。
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現地ガイドさんから、「イシュトヴァーンの王冠はなぜ先端が曲がっているのか?」との質問が出されました。その答などが記された資料も、図解入りでこの中にあります。
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随分とモダンな感じがするステンドグラスです。円だけの文様ですが、各所に、微妙に彩色が異なる円が混じっています。
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マーチャーシュ教会では、歴代王の戴冠式が行われました。十字架が曲がっている王冠のレプリカです。曲がった理由は、いくつかの説がありました。
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展示してあった服飾を2点紹介します。いずれも王様か、后様が使われたような豪華な刺繍入りの服です。深紅の地に黄金色のバラの刺繍です。
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現地ガイドさんの説明ですと、皇后の花嫁衣装を裁断して作られた衣装があるとのことでした。この白地に細かく施された刺繍も、元は花嫁衣裳だったのかも知れません。
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王位を示す持ち物か、式服の飾りのようです。王冠はレプリカとお聞きしましたが、こちらは本物かも知れません。
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固定式の台座が付いていますから、こちらは明らかに飾りのようです。金と銀がふんだんに使われているようです。
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正確には覚えていませんが、ステンドグラスの一部を撮影したような記憶です。植物や、幾何学模様の組合せです。
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