2006/12/13 - 2006/12/20
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旅人のくまさんさん
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<2006年12月17日(日)>
ウィーンで2泊しましたので、今日はハンガリーへの移動日です。6時45分にモーニングコール、7時30分の荷物出し、8時20分にホテル出発の予定でした。この日も同じように早めに目覚ましをかけて、モーニングコールの頃は出発準備を済ませておきました。レストランは6時半から開いていました。今朝も具がたっぷりのオムレツを焼いて貰いました。
<スロバキア共和国、ブラチスラバへ>
ハンガリーのブタペストへは、途中スロバキア共和国内を通過しました。首都のブラチスラバへ立ち寄るためです。
昔教科書で習ったチェコ・スロバキア連邦共和国は、今は別々の国になりました。スロバキアが連邦から平和裏に離れ、スロバキア共和国となったのは、1993年のことです。簡単にその経緯を記しておきます。
スロバキアの古代には、サモ王国、モラヴィア王国として独立を保った期間もありましたが、スロバキア人は1000年間を少数民族として、ハンガリー王国の支配下に置かれてきました。
第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリーからチェコと合併する形で独立し、その後、いくつかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコ・スロバキア連邦から分離独立しました。流血が無かったため、この分離独立は、ビロード離婚と呼ばれています。人口は約538万人(2004年)で、世界で126番目の面積を持つ独立国家です。
<ブラチスラバ城>
フリー百科事典の『ウィキペディア』を参照して、「ひっくり返ったテーブル」の愛称で地元の人々に親しまれているブラチスラバ城の概要を紹介します。
城の起源は紀元6世紀以前に遡ります。ケルト人、ローマ人(1世紀頃)によって建物が築かれ、9世紀、大モラビア王国時代には宮殿及びバシリカ(長堂式)が作られ、行政機関の中心として使われていました。
15世紀には当時のハンガリー王、シギスムンド王が後期ゴシックスタイルに改築し、さらに16世紀には四翼を持つルネサンス様式の宮殿に立て直され、これが現在見られる姿の基礎となりました。
ブラチスラバ城が最も栄えたのは18世紀のマリア・テレジアの時代です。バロック風に改築され、マリア・テレジアは義理の息子のアルベルト・テッシェンに、ハンガリー総督としての地位及びこの住まいを与えました。彼女自身も居城として1760〜80年まで使用していました。
また、現在ウィーンにあるアルベルティーナ美術館の美術品も、ここに置かれていました。しかし、マリア・テレジアの死とともに城は衰退し、遂に1811年に火事で焼失してしまいました。ブラチスラバ城は、1945〜68年にかけて修復されました。
しかし、私の印象では、余りお金をかけていない修復のように見えました。外壁に飾り部分が見当たりませんでした。当時の社会主義政権下では、十分な資金が回らなかったためでしょう。
今回旅行で、唯一、天候が崩れたのはこのブラチスラバ見学の時だけでした。うっすらと雪が積り、細かな氷雨が降っていました。ドナウ川には、先程渡ってきた近代的なつり橋が架かっていました。これも、降り続く氷雨によって、霞んで見えました。
<ブラチスラバ旧市街散策>
ブラチスラバ城見学の後は、旧市街の見学です。歩いて移動しました。近くには、こじんまりとした大統領府も見えました。相変わらず、細かな氷雨が降り続いていました。
旧市街の中心が、中世より使われた広場です。『日本大使館HP』を参照して説明します。様々な市の催しや集会、処刑などが行われ、また市場が立ちました。広場の中心にある噴水は「ロランド噴水」と呼ばれ、1572年、当時のオーストリア皇帝マクシミリアン2世の命を受けて作られたブラチスラバ最古の公共水汲み場です。
その中心に立つ騎士像は皇帝マクシミリアンですが、中世都市の保護騎士ロランドであるとの風説もあります。騎士像は年に1度、大晦日の夜に回れ右をし、6番地の屋敷に向かい、その屋敷の持ち主でブラチスラバを守って亡くなった議員に敬意のお辞儀をするという伝説があります。
噴水の反対側にあるのが旧市庁舎です。現在は博物館ですが、時計台は毎時オルゴール音楽で時間を告げています。
その広場は年中賑っているようです。今はクリスマスの時期ですから、飾り物や民芸品、ホットワインや軽食を売る市が立っていました。少し不便だったのが、ユーロが使えないお店もあったことです。ユーロが使える事を確認したうえで、小さめのカップのホットワインを注文しました。
また、広場の周りには、日・仏・希の大使館の他、政府迎賓館もあります。日の丸国旗が見える写真が、日本大使館です。
人口の85.6%がスロバキア人、10.8%がハンガリア人、残りの3.6%がジプシー、チェコ人、ルテニア人、ウクライナ人とドイツ人で構成されています。60.4%がカトリックで、その他は福音教会、ギリシャ正教、ロシア正教徒等とされます。
<ドナウベンド、エステルゴム大聖堂>
フリー百科事典の『ウィキペディア』を参照して、エステルゴムの歴史等を紹介します。
エステルゴムは、ハンガリーの中でも最も歴史のある街の1つであり、その起源はローマ帝国の時代に遡ります。都市名はゲルマン語のオステルリングムに由来しています。
1000年頃、神聖ローマ皇帝オットー3世の同意のもと、ローマ教皇のシルウェステル2世からこの地の大聖堂で戴冠され、イシュトヴァーン1世が正式にハンガリー王となりました。歴代のアールパード朝の王は、この都市を王国支配の拠点としました。
大聖堂は、オスマン帝国の襲撃によって一度破壊されましたが、19世紀に再建されました。再建は1822年、建築家ジョセフ・ヒルドによりスタート、1856年、リスト作曲のミサ曲が献納されて竣工しました。現在はハンガリーのカトリック総本山になっています。
赤白大理石の礼拝堂はすっきりとした造りのネオ・クラシック様式です。手袋を脱いで、ひんやりとした石の感触を確かめてきました。もう一つの見所が、岡の上からのドナウの屈曲、ドナウベンドの眺めです。
<ブダペスト到着、パプリカ風味の夕食>
エステルゴムは、スロバキアとの国境に近いハンガリーの街です。ここから首都のブダペストまでは約60キロです。ホテルにチェックインする前にドナウ川の鎖橋に近い場所で車を降りて、レストランまで歩いて移動しました。今晩のメニューは、パプリカ風味のチキンです。
お店の名前はカルパチアでした。アルプス山脈とともに、ヨーロッパ大陸の背骨であるカルパチア山脈に因んでいるようです。カルパチア地方を意味するのかも知れません。
中々シックな造りのレストランでした。ただし、室内で演奏されたバイオリンは残念でした。崩し過ぎた演奏で、中身の無い飾りだけの演奏に聴こえました。ワインは白にしました。
<ドナウの夜景を見ながらホテルへ>
夕食の後は、世界遺産に指定されているブダペスト河畔の夜景を見ながらホテルへ向かいました。運転手のアイロスさんは、見所に差し掛かると、一段とスピードを落としてくれました。
夜景の一番の見所は鎖橋でした。正式には、セーチェニ鎖橋です。全長375m、ブダペストのドナウ川で最初に架かった吊り橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいます。イギリス人の技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、スコットランド人アダム・クラークなどが建設に当たりました。
1849年の建設当初は、202mの中央径間が世界最長でした。夜間ライトアップされ、連なる電球が鎖のように見えることから鎖橋と呼ばれています。
橋の袂にある、建設者の名前のアダム・クラーク広場は、ハンガリー国内の道路の0km点となっていて、原標が設置されていました。
ブラチスラバの旧市街で
連邦を解て小きスロバキア今も昔も苦難の道か
エステルゴム大聖堂で
大理石触て冷き掌を軽く合せて出し聖堂
ドナウベンドの遠望
親みを籠てドナウの膝と呼ぶ大河は曲る橋のその先
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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12月17日の朝です。8時20分にはホテルを出発しました。バスの時計は9時8分を指しています。今回の旅行の中では、一番寒い日でした。
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ウィーンから、スロバキアの首都、ブラチスラバを目指しました。昔習った教科書では、チェコと一緒だったチェコスロバキア連邦共和国の片方です。
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ウィーンからスロバキアへ向かう道中は、田舎へ向かっている感じがしました。天候のせいだけではなく、荒涼とした風景が続きました。
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バスの時計は9時10分を示しています。たまに行き交う車は、ライトを点けていました。霧がかかったこともあります。暫くは、バスの中からの写真です。
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今年、2006年の欧州は、暖冬でした。例年ですと、一面、季景色の季節になる地域のようです。この日、雪は止んでいましたが、霧で霞んでいました。
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1週間の中欧旅行で、雪を見たのは、この日だけです。雪といっても、うっすらと積もっただけでした。今年は、ヨーロッパ全域で暖冬のようです。
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民家や工場などは、ほとんど見かけませんでした。右端にやっと建物らしいものが写りました。
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雪が珍しいので、何度もカメラが向きました。普段の年ですと、おそらく一面雪景色、車での移動にも時間がかかるところでしょう。
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耕作地でなく、荒涼とした原野と言った感じです。木々が見えますから、新緑の頃には景色が一変しそうです。
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工事現場のダンプカーに出会いました。凍て付いた冬場の工事は大変なようです。ダンプは、ゆっくりと走っていました。
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家並みが見えてきました。スロバキアの首都、ブラチスラバの郊外か、市内に入ってきたようです。
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かなり年代物の建物でした。住居と言うより、倉庫のイメージがする造りに見えました。
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個々は、既にブラチスラバの市街地に茉莉害がありません。建物も立派ですし、傘を差した人の姿も見えるようになりました。
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この頁に収録した写真は、自称「手造り出版」では割愛したものばかりです。今回初アップです。
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バスの中からの写真が続きましたので、見苦しかった事をご勘弁ください。この建物は、大統領府だとお聞きしました。
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バスは順調に走って、ブラチスラバ城への到着です。駐車場の関係で少し手前で降りて、ここからは、坂道を登りました。
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ブラチスラバ城は、四方にある塔で、「ひっくり返ったテーブル」の愛称で、地元の人々に親しまれているそうです。
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ブラチスラバ城まではもう少しです。この緩い坂道を登りきりますとお城の門があります。霙がぱらついていました。
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起源は紀元前の鉄器時代、6世紀頃まで遡ります。最初、ケルト人、ローマ人(1世紀頃)によってお城が築かれました。前方が今の城門です。
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お城の4隅に建つ尖塔が見えてきました。最初の1本です。見晴台を兼ねたような造りです。
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右手に、小さく2本目も見えてきました。この尖塔が4本ある古都から、「ひっくり返ったテーブル」の愛称(?)が付いたようです。
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3本目の尖塔も写真紹介しておきます。左手奥に見えています。4本目はカメラに撮る事ができませんでした。
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マリア・テレジアも居城として使ったことがありました。しかし、その死とともに城は衰退し、1811年の火事で、当時の建物は焼失しました。
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2本目の尖塔として紹介した建物です。小雪で少し霞んでしまいました。お城へ向かって、緩い上り勾配です。
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お城の正門までやって来ました。お城全体が黄色系統に色彩統一がされているのは、このお城にマリアテレジアが棲んだためでしょうか。
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ブラチスラバ城は、ドナウ川に面して建てられていました。川沿いにうっすらと雪化粧した見晴台がありました。
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少し高くなった見晴台に登っての、ドナウの眺めです。先程渡ってきた、近代的な橋が見えました。小雪模様で、街の景色は霞んでしまいました。
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ブラチスラバ城は、絵になるアングルを見つけるのが、中々大変です。この写真も、ビジネスホテル風に見えてしまいます。
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それでも、何とか写真になりそうなアングルを探して撮り続けました。上だけ切り取れば、ビジネスホテル風ではありません。
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中庭や、建物の一部も見学することができました。しかし、中庭と言っても、何も無い石畳でした。マリアテレジアが居住した頃は、もっと何かがあったのでは?との想像も湧きます。
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