2006/12/13 - 2006/12/20
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旅人のくまさんさん
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<2006年12月15日(金)>
この日の予定です。6時45分にモーニングコール、荷物出しが7時30分、ホテル出発が8時30分でした。モーニングコールの時には、出発準備を終えていました。プラハでの2泊を終えて、今日はオーストリアのウィーンへの移動です。その途中で、世界遺産のチェスキー・クロムロフに立ち寄る計画となっていました。
昨晩の夕食の集合時間に間に合わず、皆さんにご迷惑をおかけしましたので、朝食のレストラン等で、それぞれにお詫びをしておきました。
<ウィーンへの移動>
今回のツアーは、チェコのプラハからオーストリア、スロバキアから最後のハンガリーのブタペストまでバスで移動の旅でした。運転手はスロバキア人のアロイスさんです。長い道中、ずっと安全運転でした。
予定通り8時半にホテルを出発しましたが、朝の交通渋滞に遭いました。しかし、それも考えようで、プラハ市内の歴史建築をゆっくり眺めながらの移動となりました。プラハ駅や国立博物館の建物などです。窓ガラス越ですが、車が止まった時に、これらの建物の写真を撮ることができました。
市街地を過ぎると、渋滞はなくなりました。あっという間に郊外の景色に代わりました。プラハの飛行場を飛立った飛行機雲が、斜め一直線に伸びて、青空を切り裂いていました。良く見ますと、長い飛行機雲には、その軌跡の中に、距離を置いて複数の飛行機が飛んでいました。
<中世の町、チェスキー・クロムロフ>
手元のガイドブック(ポケットガイド、プラハ・ブタペスト・ウィーン:JTB)から、簡単にチェスキー・クロムロフを紹介しておきます。今回の旅行で、特に印象が残った中世を思わせる街でした。
チェスキー・クロムロフは、モルダウ川がS字に曲がる箇所に沿って造られた1キロほどの街です。8世紀から最初の定住が行われ、ボヘミアの歴代の大貴族によって統治されてきました。
街は手工業と商業によって発展し、それぞれの時代を反映した建物で、次第に街が形成されていきました。その建物の数は約300です。1992年に世界文化遺産に指定されました。
チェスキー・クロムロフへ到着したのは、昼に近い時間でしたが、緯度が高いため、眩しい光が低い位置から射し込んでいました。アーチ型の通路を持ったお城の屋根付きの回廊の下を潜ると、まさに別世界が飛び込んできました。
<洒落たレストランでの昼食>
中世を思わせる街の通路は、全て石畳でした。その石畳の道を歩いて、中心部の広場に出ました。そこには、いくつかの露店がお土産の品を売っていました。
石畳の道を歩きながら眺めるお城や、教会の尖塔を眺めるのも、随分と興趣が湧きました。町全体が観光地となっていて、世界遺産に指定されているような家並みでも、お土産店の店先になっていました。レストランや、カフェーなどもあり、時間さえ許せば、半日くらいはのんびりしてみたい雰囲気の街でした。
お昼の時間になっていましたので、石畳の道をさらに進んで、石橋を渡りました。モルダウ川のS字カーブの狭まった箇所に掘られた水路の上に架かった橋でした。
レストランは、石畳の道を過ぎて、川沿いに少しだけ歩いた場所にありました。窓から見る景色も素晴らしく、中々お洒落な造りのお店でした。魚料理でしたから、白ワインをグラスで注文しました。
<チェスキー・クロムロフ城>
チェスキー・クロムロフ城は、チェコ国内ではプラハ城に次ぐ規模を誇り、13世紀に創建されました。当時、ボヘミアで力が強かったヴィートコヴィッツ家の分家の居城として造られました。
その後、領主が代わる度に増改築が行われ、16世紀にロジェンベルク家がルネッサンス様式に、18世紀初頭には、エッゲンベルク家がバロック様式に、さらに18世紀後半にはシュヴァルツェンブルク家がロココ様式に模様替えをしています。現在見る姿は、それらの様式が複合した建築となっています。
石段を登り、さらに石畳の坂道を登ってお城の中に入ることが出来ます。そこから一望するチェスキー・クロムロフの街は、まさに映画で見る中世の街、そのものでした。
1784年に造られた「仮面大広間」は、ロココ様式の傑作とされますが、残念ながら、お城の部屋の中まで見学する時間はありませんでした。理由は分かりませんでしたが、お堀跡と思われる場所に熊が飼われていました。丸々と太っていましたが、冬眠前の脂肪を蓄えていたのではなく、単なる肥満のようでした。バナナやリンゴのような果物が、山ほど餌場に置いてありました。
<再び、ウィーンへ向けて出発>
教会と岡の上の城砦を早足で巡りましたので、少し慌しいチェスキー・クロムロフの見学となりました。見学を終えた後、再びウィーンへ向かって出発です。プラハからチェスキー・クロムロフまでは約180キロでしたが、今度はウィーンまで、約270キロの長旅です。
チェスキー・クロムロフはプラハのほぼ真南になり、チェコの南部に位置しています。暫く走ると国境に達しました。国境での写真撮影は禁止されていると、ガイドさんの注意がありました。それとなく、監視されているようです。もし見付かった場合は、カメラかフィルムの没収があるようです。建物の中は、こちらから見えないようにブラインドが下りていました。
しかし、実際の国境警備の雰囲気に、厳しいものは感じませんでした。専らトラックの荷物検査に力を注いでいるようでした。こちらのレーンは長い列がありました。
途中、2度ほどの休憩をとって、ウィーンまでひた走りでした。走っている内にサンセットとなり、やがて暗闇に包まれました。
<ホイリゲでの夕食>
ウィーンはオーストリアの中東部のドナウ川の南に位置しています。プラハからは、やや東に位置していますが、ほぼ真直ぐの南下となりました。日がすっかり暮れましたので、ホテルにチェックインする前に、夕食です。順調なバス移動でしたから、勿論、予定通りのコースです。
今晩はオーストリア風の居酒屋、ホイリゲで、民族音楽などを聴きながら夕食です。バイオリンとアコーデオンの軽妙な演奏と、ワインを楽しみました。今回旅行での夕食の中では、一番記憶に残りました。
ところで、ホイリゲは単なる居酒屋ではなく、自家製の葡萄酒が提供されるウィーンの居酒屋のことを呼んでいるようです。ガイドさんのお話では、修道院で造られたワインが提供されているようでした。
フリー百科事典の『ウィキペディア』から少し詳しく引用しておきます。
17世紀後半、トルコとの戦争でウィーン市内ではワインを入手しにくくなったため、人々がウィーン郊外の農家に自家製ワインを買い出しに行くようになったのが始まりとされます。
1784年、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世がウィーンの農家に販売許可を発令して以来、毎年11月11日に樽を開封し、向こう1年間、その年の新酒を販売するようになりました。ホイリゲとは、本来「今年の」新酒を指します。その後、自家製ワインと簡単な食事を提供する店の営業が許可されたのをきっかけに、自家製のワインと郷土料理を提供する居酒屋を、「ホイリゲ」と呼ぶようになりました。
食事の最中に演奏される小グループによる郷土音楽は、シュランメル音楽と呼ばれています。これは、19世紀半ばにウィーンで活躍していたシュランメル兄弟がホイリゲで演奏を始め、評判になったのが始まりといわれます。
<電車で外出、ホテルのバーでワイン>
ホテルへチェックインの後、直ぐに電車で外出しました。電車駅はホテルから歩いて10分以内の場所にありました。迷子にならないよ、駅の名前もデジカメに写しておきました。
切符の買い方も、ガイドさんからお聞きしていましたので、1ステップごとデジカメに収めました。こちらは写真編でご覧ください。表示画面を英語に切り替えることが出来ました。
電車は程なくやってきました。時間は22時を少し回ったところです。乗る前に、終電車も念のため調べておきました。最低料金の1.5ユーロで乗車できる、5つほど先の駅で降りました。
乗った時は高架電車でしたが、降りた駅は地下鉄になっていました。階段を登って駅前に出ましたが、街路灯が点いているだけで、寂しい感じでした。駅前では、立ち食いの小さな屋台が1軒あるだけでした。商店街の方は、シャッターが下りて、ショーウィンドウの明かりだけが点いていました。
居酒屋を探すのは諦めて、早々にホテルへ戻りました。1階にバーがありましたので、白ワインを飲んでこの日のお開きにしました。
チェスキー・クロムロフで
モルダウの流を南に遡り訪し街は今も中世
城砦に登り望みしモルダウはその懐に抱く街あり
昼なれど朝日の如く影長く片手翳して街眺めおり
ホイリゲでの夕食
ホイリゲは自家製ワイン酒場なり修道院で醸すその酒
耳元に演奏を聴くホイリゲの至福の時過ぐ地酒ワインで
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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バイキング方式の朝食です。今回の旅行では、安い旅行代金の割には、ホテルも、食事も申し分ありませんでした。大満足でした。
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2泊したプラハのディプロマット・ホテルとお別れです。モーニングコールが7時、出発が8時半でした。ただし、この写真は早い時間のものです。
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TOYOTAの看板は、プラハでよく見かけました。この写真にも、赤い看板が3枚見えます。さすがに世界のトヨタです。暫くバスの中からの撮影です。
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プラハ本駅近くの国立博物館です。バスの中からの見学でしたが、建物自体も見応えがありました。地下鉄A又はC線でのアクセスが便利なようです。
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シルエットになった木々の間から白い線が延びています。プラハ滞在中に何度も目にした飛行機雲です。
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プラハ市街を過ぎて郊外に出ました。長閑な農村風景が続きましたが、農家は余り見かけませんでした。
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チェスキー・クロムロフは、プラハから約180キロの真南に位置するチェコの古都です。3時間ほどの間、丘陵地帯や、農村風景が続きました。
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空港を飛立った飛行機が作り出す飛行機雲が中々消え去りません。よほど気流が安定しているのでしょう。同じ航路で複数機が見えました。
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途中立ち寄った給油所です。休憩時間を兼ねていました。
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同じ給油所の施設です。ホースを手にした人が車を洗っていました。
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今回の旅行で、特に印象に残った街の1つです。ヴルタヴァ川が逆S字に曲がるこの一帯に残された、中世を思わせる世界遺産の街です。
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右手にアーチ状の梁の上に建った渡り廊下のような建物が見えます。このアーチの下を潜れば、世界文化遺産のチェスキー・クロムロフの街です。
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そのアーチです。昼近い時刻になりましたが、人の影が長く伸びています。中央ヨーロッパの国ですから、緯度は大分高いようです。
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潜り抜けたアーチから、上を見上げたところです。この上にも登ることができましたが、中々の見晴しでした。
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上空から見れば、ヴルタヴァ川がS字に曲がっている箇所の一部分です。右手奥には、青色の尖塔も見えます。
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チェスキー・クロムロフ城は、チェコ国内では、プラハ城に次ぐ規模を有しています。創建は13世紀に遡るとされます。
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創建当時はゴチック様式だったお城の尖塔です。増改築の都度、様式が変わり、1748年に造られた仮面大広間は、ロココ様式の傑作とされます。
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こちらは寺院の尖塔です。入場して1階の礼拝の広間だけを見学して、早々に次のお城見学に向かいました。チェスキー・クロムロフの街は、どこを切り取っても絵になる景色でした。
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赤い屋根に白い外壁、それに冬木立が、雲一つない青空に映えていました。右手の奥に、洒落たレストランがありました。
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世界文化遺産の町の見学の前に、まずは昼食です。メインディッシュは魚料理でした。これに合わせ、白のグラスワインを注文しました。
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早々に食事を終えて、見学開始です。寺院と岡の上のお城を見学するため、早足になりました。歩きながらの撮影が続きます。
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これ以上はない快晴となりました。撮影にも力が入ります。チェスキー・クロムロフへの定住が始まったのは、7世紀頃のようです。
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川沿いのこの一帯の屋根の色は赤ではなく、黒色でした。少しずつ違った壁の色も、一興あります。この街は、手工業と商業で発展したとされます。
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スヴォルノスチ広場と呼ばれています。ヴルタヴァ川の逆S字の片方の中心に位置しています。お土産を売る露店がありました。
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ここからは、チェスキー・クロムロフ城の上からの眺望です。遠くの岡の麓まで、赤い屋根と白壁の家並が続いていました。
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今度は、カメラのズームをアップしての撮影です。チェスキー・クロムロフの歴史的建造物は、300以上を数えるとされます。
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こちらの一角は、山陰になるのでしょう、余り家を見掛けませんでした。赤い屋根に苔が生えていました。裏山には、冬木立の雑木林がありました。
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今度は、アーチ型の空間から覗いた町並です。中世に始まったこの景色は、少しずつ密度を増して、その頂点で止まり、そのままの姿なのでしょう。
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一つ間違えば、悪趣味と取られかねない色彩とデザインの、お城の尖塔です。長い年月が経て、色が落ち着き、次第と違和感がなくなってきたようです。
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騙し絵の壁です。塗りつぶした壁の直角三角形部分を薄く削り取って、立体感を持たせてあります。削り取った部分は、表面を粗くしてありました。
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