2000/10/06 - 2000/10/13
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旅人のくまさんさん
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<2000年10月6日(金)>
名古屋を14時15分発予定のラウダ航空でしたから、朝はゆっくりできました。それで、いつもの旅行のときと同じように、ベランダの鉢植えにはたっぷりと水を遣っておきました。蘭の一種のデンドロビウムが主体なので、少々の水不足ではトラブルにならないので助かります。
<名古屋空港へ>
西春駅まで、乗り換え無しの地下鉄に乗りました。ラッシュアワーの時間をとうに過ぎていましたので、車内は空いていました。大きな荷物があるときには有り難いことです。極力中身を減らしましたので、スーツケースはそれ程の重たさではありませんでした。
機内の手荷物用として、今回は余り大きくないリュックサックを用意しました。背中に背負ってしまえば、両手が空きますし、荷物をホテルに置いた後の、小荷物入れで持ち歩くためのことを考えました。結果的に大変便利であり、今後も利用したいと考えています。今年5月の韓国1週間旅行の時のリュックです。このときは、このリュック以外には、何も荷物がありませんでした。
<名古屋空港>
約束の時間には余裕を持って到着しましたので、空港ビル内を散策しました。シドニードオリンピックも済みましたし、しかも平日とあって、空港内の人は少ない状況でした。空港内の雑貨店で、買い忘れていた若干の雑貨品を買い込みました。
予定の時間に毛受さんと落ち合う事ができました。今回の旅行を手配して頂いた中*興業の方が2名見送りに見えました。聞いたところによりますと、刈谷の**工事協力会の事務所で待ち合わせ、毛受さんの車でご一緒されたようです。帰りは、その車で、刈谷まで戻られるということでした。最初は公共交通機関を乗り継いで見送りに来られる予定だったらしいですが、Mさんからのお話しで、車に変えられたようです。
と、言ったことで、その4名で昼食をご一緒しました。私も何度か使ったことがある、滑走路を見下ろすレストランでした。
<旅行前の説明会>
何しろ大勢の旅行なので、出発前に会議室のような部屋に集合し、旅行の注意事項などや、宅配便でのお土産予約などの説明を受けました。スーツケースにも色分けしたリボンで目印がつけられました。我々の組は赤リボンでした。説明会場も色分けに従った単位でした。
私の場合、金山駅で入手した宅配お土産パンフレッで、既に手配済みでしたから、お付き合いだけでした。
「くれぐれもスリなどの被害に会わないよう、身の回りの荷物や、貴重品には十分に気をつけてください」
との駄目押しがありました。予めイタリア旅行のポイントとして、留意はしていたものの、これには改めて気を引き締めました。
<フライト>
予定より少し遅れて名古屋空港を飛び立ちました。機体は日本海を北上し、シベリア上空を飛んでヨーロッパに向かうコースをたどりました。時差は8時間ですが、10月末まではサマータイムとなっています。それで飛び立った後、直ぐに7時間だけ時計を戻しました。
これから十数時間の長いフライトです。機内食はメニューが配られました。ディナーの場合は、チキンとフィッシュのどちらを選ぶか、若干の選択肢がありました。日本を飛び立つ時に昼食までを済ませていましたので、機内で昼食と夕食を取れば、イタリアへ着くまでに一日4食の勘定となります。
予定ですと、ローマ空港への到着は、現地時間で21時55分でした。もし、途中ハバロフスクでの給油が必要だと、更に2時間余りかかるようでした。そんなスケジュールなので、夕食までを機内で済ませるようになっていました。西へ向かってのフライトは、薄暮の中を飛ぶような感じでした。もし、地球自転と同じスピードで同方向へ進んだら、時間が止まったと同じ効果になるはずです。
目覚めている以上、4時間も経てば、空腹感も出てきます。それで4食となるのでしょう。飲み物はワインを楽しみました。勿論、高級ワインではないものの、白は辛口系統、赤も程よくタンニンが効いたミディアムボディ程度でした。それぞれにワゴンのフルボトルから、コップに注いでくれました。
長いフライトでしたが、乱気流の影響も無く、極めて平穏な空の旅でした。途中での給油も無かったので、結構早い時間にローマに到着しました。夜眠れないと困るので、兎に角機内では、座席の前の液晶画面に映し出される映画ビデオなどで時間を過ごしました。到着した空港は、フィウミチーノ空港です。レオナルド・ダ・ビンチ空港の別名を持ちますが、こちらは余り使われていないようです。ひょっとしたら、外国からの観光客向けのサブネームなのかも知れません。
ここからホテルまでは、1時間弱でした。色分けした組ごとにバスが迎えにきていました。まずは、無事に旅の初日を終えました
旅立ちの時
緯度近き国に旅立つ浅き秋その色見つめ留めおきたり
イタリアへ向かう機中にて
ビノビアンコ一つ覚のイタリアの言葉で頼むホワイトワイン
西行の空の旅なり日暮ても白夜の如き夕日続けり
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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名古屋空港で給油中のラウダ航空機です。待合室からの撮影です。少し曇りがちながら、穏やかな出発の日でした。
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ところが、異変発生です。鳥取県での大地震を伝える名古屋空港の待合室テレビです。一瞬、旅行をとりやめようかと思いました。
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出発ロビーのテレビでは、境港市等での震度6強の最大震度を伝えていました。広範囲に大きな揺れを生じたことを画面に表示していました。
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結局旅行することに決めました。イタリアです。入国審査は、全くないに等しい状態でした。パスポートを差し出しても、入国スタンプは押されませんでした。
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到着機を伝える表示ボードです。世界各国からの到着便が表示されているようです。写真に撮っただけで、確認する時間はありませんでした。
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全員の荷物が無事到着していました。まずは一安心です。名古屋からローマまで、乗継ぎがない直行便の恩恵かもしれません。
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ローマのフィウミチーヨ空港への到着です。すっかり暗くなった時間でした。空港の別名はレオナルド・ダ・ヴィンチ空港です。パトカーが手前に写りました。
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暗くてはっきりは判りません。空港ビルの一部のようです。ニッサン等の宣伝サインが見えました。
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ローマで2泊したホテルの室内です。広さも十分で、まずまずの設備でした。むしろ、1人で宿泊するには勿体無いくらいでした。
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もう一枚、泊まった部屋の写真です。到着した時、清掃も行き届いていました。私の場合、お湯が出て、シャワーが使えればOKです。
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